余談雑談(第125回)愛用・愛玩・蒐集

元駐タイ大使 恩田 宗

 空港で間に合わせに買った腕時計が妙に気に入ってしまい持っている時計は全て引き出しに入れ専らそれを使っている。誰にも道具や衣類や装飾品など見回りのものの中に特に気に入り愛用している品がある。愛用品はそれを使用し身に付けることに喜びを感じそれを所有することが誇らしく思える。 

 最近は男も女も帽子を被る人が多くなった。帽子は目立ち易く自分の存在の演出に格好の小道具でよく愛用の対象になる。漱石は「猫」の原稿料で買ったパナマ帽が気に入り得意がって被っていたという。ただ知人のパナマ帽が更に上等なものだと知ると被るのを止めてしまったらしいが。手塚治虫のベレー帽愛用はよく知られているが家の中で夜も被っていた。愛着である。昔の文人は精良な筆墨硯紙を探し求めそれを愛用した。諺に「弘法筆を選ばず」とあるが大師は「能筆ハカナラズ好筆ヲ用ウ」と記しているらしい。北大路魯山人も書の上達法はいい道具を使うことだと言っていたという。古代中国の官人の墓からは文房具が出土するが今はゴルフ愛好家の棺に故人愛用のクラブを添えて埋葬している。

 対象品への愛情が深まると愛玩になる。実際に使ったり人に見せたりするでもなくただ所有して側に置き手を触れているだけで満足する。侍はよく切れて頑丈で自分の手に馴染み易い刀を欲した。新撰組が池田屋を襲撃した際一部隊員達の刀は折れてしまったが近藤勇の愛刀は無事鞘に納まったという。彼が京都に来るにあたり刀商に希少な名刀虎徹であると薦められ高価で買ったものである。彼の虎徹への愛情、信頼、誇りは共に試練を乗り越えることにより一層深まっただろうと想像される。近年になりその刀の銘は疑問視されているが彼は終生虎徹だと信じて疑わなかったという。 

 日清日露の戦争の軍需品調達で巨富を得た大倉喜八郎は大量の美術品や文化財を蒐集した。事業に関連し伊藤博文を怒らせたことがありその償いに名刀三口を並べ一つお選びをと差し出すと自身が蒐集家でもあった伊藤は三口全部を取り上げたという。高価な時計も蒐集の対象になる。タイの政権第二の実力者だった某副首相兼国防相は何百何千万円もする腕時計を数多く所有していた。それをマスコミに暴露されると時計は皆友人からの預かりものだと弁明した。政権の反対派は納得せずその釈明を揶揄するラップ曲が大ヒットしたが彼は汚職審査委員会の了承を得て逃れた。愛用・愛玩は愛情の発露であり自から足りておりたった一つの愛用品という場合が多い。蒐集は所有欲の追求であるので抑制がきかない。より多くを求めて際限がなくしばしば暴走をする。  

 日本の武将は刀を蒐集し下賜贈答用としても使った。秀吉は天下の名刀は全て手中にありと自慢したという。徳川家康に所有する自慢の刀は何かと聞くと家康は名刀は一本も持っていないが死を辞さない家臣が大勢いると答えたという話が残っている。然し彼も名刀の蒐集家であり創られた話だと思う。現在皇室や博物館や神社にある名刀の多くは時の権力者の所有物だった。東京博物館の国宝「童子切安綱」は源頼光が酒呑童子の首を切った太刀だとされているが足利義輝、信長、秀吉、家康の手を経て今に伝えられた。古い武具が今も多く残っているのは権力が長く武家の手にあったからである。

 愛用・愛玩についての話は暖かくユーモアがある。蒐集家については富と権力に対する反感の故か皮肉で好意的でない話が多いが文化財の散逸を防止し保全することに果たした彼等の役割は正当に評価されるべきかもしれない。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。