余談雑談(第123回)英雄

元駐タイ大使 恩田 宗

 豪州で人気の高い「ロバを連れたシンプソン」の英雄伝説に疑問符がついた。第一次大戦に従軍し300人超の負傷兵を銃弾の飛び交う中ロバで安全地帯に何往復も護送し戦死した兵士である。豪州魂マイトシップ(盟友結束の精神)の鑑として教科書に載せられ銅像や切手にもなった。第一次大戦の豪州の英雄の中で最も人気が高く最高の戦功章の「ビクトリア十字章」を与えるべきだとの声が高まり勲章の資格調査をしたところその人柄と行動に多々問題があり救った負傷兵の数も僅かだと判明し資格なしと決定された。日本でも上海事変の英雄「爆弾三勇士」は銅像や小学唱歌で称えられたが1974年雑誌「真相」によってあれは爆薬筒を敵の鉄条網に押し入れるのに手間取り退避が遅れての爆死で覚悟の上の自爆攻撃ではなかったと訂正されている。

 ジョージ五世は即位の年(1911年)インドで盛大な式典(観衆9万人)を挙行し領土の全藩王に臣下の礼を取らせた。その際雄藩バローダーの王はジョージ五世に三度ではなく一度しか頭を下げず後ずさりせず背を向けて立ち去った。インドの民族主義者達はインド人の誇りと気概を見せつけた勇気ある行動だと喝采し憤慨した英国の新聞は反英運動の扇動者だと非難した。以後この事件はインドの自治を求める人達を勇気づける英雄的行動だとして語り継がれた。ただ彼の孫娘が書き残した所によると本人は都合で式典の事前リハーサルに出席できず自分の前の藩王の遣り方も見損ないどう振る舞うべきか知らなかっただけだったという。歴史が英雄の出現を欲する時は本人の意志にかかわりなく英雄にされることもある。 

 英雄の人気は時代によって浮沈がある。忠臣楠木正成は昭和の半ばまでは人気上位の英雄だったが今の若い世代は名前を知っているという程度である。皇居前広場に立つ銅像の前を通る日本人観光客もあまり関心を示さない。中国は、2018年新たに「英雄・烈士保護法」を制定し「英雄烈士」(1840年以降人民のため殉難した者196万人を認定し全国103万の記念碑・記念館で顕彰してきた)を記憶尊崇すべき旨また冒涜誹謗を禁止する旨定めた。政府が認定した英雄を尊敬せよ国民に命じるのも強権国家中国らしいがインターネットなどで権力者のみならず英雄を茶化し批判する人達が増えているかららしい。

 三島由紀夫は中年になり武に傾き過激な左翼勢力から皇国日本を護るため自衛隊に決起を促し失敗して尚武の伝統に従い切腹した。45才でノーベル賞の有力候補だったが「文豪としてより英雄として死ぬことを選ぶ」「今なら・・・間に合う」と言っていたという。「もったいない死に方」だと嘆いた川端康成も自殺した。もったいないと言えば誰の死も皆もったいないと思う。

 日本にはナポレオン、ワシントン、ネルソンのように屹立する国民的英雄がいない。神話的人物まで含めれば倭建命(日本武尊)(やまとたけるのみこと)がそれに当たるかもしれない。勇気と腕力のある皇子で九州と出雲の豪族を単身で討伐し休む暇なく関東の蝦夷の平定を命じられ小勢をもって任務を果たした。あと鈴鹿の山を越えれば大和に凱旋という処で病にかかり望郷の歌「倭しうるわし」を詠んで息絶えた。29才だった。信長・秀吉・家康も皆偉大な武人だが英雄の名が相応しいのは信長である。悲劇的要素が英雄らしい。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。