中村順一著『日本の感性と東洋の叡智』(淡交社、2021年)

元駐ギリシャ大使 齋木俊男

 この本は一年以上前に刊行されすでに二刷を重ねて評価が高まっているようですが、出版当時は事情があって果たせなかったので、遅ればせながら同期の一人として賛辞と推奨のことばを述べさせていただきます。

 本書は著者の意図はともかく内容的にいわゆる日本・日本人論の流れの中にあるといえます。船曳建夫の『「日本人論」再考』は日本人論を総括した好著であり、読んだ人も多いでしょう。同書によれば、従来くり返し出現する日本人論の背景には近代化=西欧化にともなう日本人の不安があると言います。しかし中村君の本にそのような不安はありません。またときとして日本人論に現れる屈折や居直りとも無縁です。日本人に対し日本の良いところをこだわりなく再認識あるいは自覚し、その良さを対外的に発信することを促しています。発信のための英文も用意されているそうです。日本の良さは日本人の感性と東洋の叡智の二本柱で説明されていますが、「東洋の叡智」 は伝来であっても日本に根付いたものとしており、その日本からの発信にはどこからも異論はないでしょう。

 私がこの本で好感するのは中村君が普通の日本語、それもしばしば和語を手がかりとして思考を進めているところです。かねて日本の思想界には西洋の思想語、とくに哲学用語を難しい漢字語に翻訳し、それらを操って議論したがる傾向があります。私などはもっと普通のことばで議論出来ないものかと不満に思っているのですが、中村君はそれを見事に実践しています。そうしながらも自前の思索を進めています。一例を挙げれば「思いやり」 「気遣い」「心遣い」が日本人の主体性の少なさを示すのではなく、相手の身になって考える「高次元の主体性」に立つのだとする辺りです。

 日本人の美質として「和」の精神をとり上げるのも同じ筆法であり、私も全面的に同感です。「和」の精神は外国経験のある日本人には実感であり、外国人さえそれに気づいています。ただここでちょっと気になることがあります。私は自分自身の関心から「和」の精神の由来を調べたことがあります。そのために日本思想史、とくに関連がありそうな倫理思想史の最新の出版物に当たってみました。ところが参照した限りでは「和」の精神が全く見当たらなかったのです。びっくりしました。どうやらその存在や由来が思想史的には検証できないようなのです。例の憲法十七条一の「和を以て貴しとなす」も、朝廷の官人に対して為政の論議にあたり党派的に争ってはならないと戒める限定的な意味しかなく、そこでいう「和」も人間関係における「情的融合」を指すものとは解釈されないそうです。これは協調と融和を尊重する「和」の精神が伝統的に存在するという日本人一般の確信とは距離があります。「和」の精神がいつどの時代 どのようにして成立し広く定着したか、学問的に明らかにしてほしいものです。思想史研究家に楯突く気持ちは毛頭ありませんが、このようなギャップが将来文化人類学者などを加えたより広いアプローチ、中村君が第九章で推奨するような学際的日本研究によって埋められてゆくことを期待します。

 以下読書案内風になりますが、本書の二本柱のうちまず日本人の感性については日本語、日本人の衣食住など広範囲にわたる詳しい説明があります。この詳細さが日本人読者にとっては若干煩わしさを感じさせるかも知れません。しかしこれは中村君が対外発信を念頭におきつつ長年苦労して集めた素材を丁寧にまとめた結果ですから、読者は少々辛抱してもついて行く必要があります。すべてありきたりでなく実感に裏打ちされている一方、いろいろな事柄の中には日本人としても改めて教えられることがあるからです。私にとっては「着物」がそうでした。きものは私らの世代でもすでに身近ではなくなっています。

 二本柱の次の柱、東洋の叡智に関する第六章冒頭にはコンセンサス志向がとりあげられています。多数決の問題を指摘しつつ東洋的なコンセンサス志向の良さを述べていますが、今や民主主義先進国でも政治・社会の「分断」との関係で多数決制の問題点が顕在化しつつあり、時宜を得た議論といえます。コンセンサス志向がはたして東洋的かと疑う向きもあるでしょうが、立論は中村君の東洋理解と外交の現場体験に深く裏打ちされており説得力があります。これに続く「空」や「無」の説明には中村君の若い頃からの禅経験が背景にあります。神秘的でも観念的でもなく平易な解説は歓迎されます。「空」や「無」は要するにこだわりを除いて自由になったこころの状態を指すのではないでしょうか。

 次の第七章「日本の感性と東洋の叡智の結びつき」では分かりやすい普通のことばを手がりに思考を進める中村君の手法がふたたび展開され興味ある指摘を生んでいます。この章では同君が京都で「論語」や「菜根譚」の読書会に参加して学んだ禅以外の東洋の知恵が生かされています。中村君の京都への思い入れの深さは、度々お邪魔したこともあってかねてから知っていました。第八章にはその思いが込められています。同君は京都各界との交際を深められ、知名度の高さは本書準備段階で京都で開催された講演会の盛況ぶりに示されていました。

 最終章では「文明間の対話」と「太平洋協力」の構想が熱く語られています。後者は中国の台頭によってややキナ臭くなってきたものの時勢に応じていずれ推進されてゆくでしょう。「文明間の対話」は政治に煩わされない形でぜひ実現してほしいものです。本書は 全体としてイスラムの取り扱いにやや曖昧さがありますが、「文明間の対話」ではイスラムの参加を不可欠としており、正しい指摘と考えます。わが国は歴史的にイスラムとのかかわりが薄かったため、日本人が考える「東洋」の中のイスラムの存在は希薄です。本書の「東洋の叡智」にイスラム思想が含まれていないのは自然といえます。しかし故井筒俊彦が明らかにしたように、イスラム神秘主義は仏教の唯識や禅に通底するところがあり、イスラム世界には東洋に通じる深い思想があります。同氏はかつて存在した人間精神に関する世界的なハイレベルの知的対話フォーラム「エラノス会議」においてこのような事情を発信していました。エラノス会議はスイス、中村君流にいえば”西の土俵”で開催されていました。今度は”東の土俵”、それも同君思い入れの地京都で、同じように高いレベルでの文明間の対話が実現することを切に期待します。

 この本はライフワークと呼ばれるにふさわしい高い内容と完成度があり、広く読まれてしかるべきです。中村君は外交官および退官後の京都国際会館館長という本業の分野で立派な仕事をされました。本書はその業績に華を添える労作であり、心からの賛辞を呈します。最後に現在構想中という本書続編の完成と英文出版の実現を祈ります。