ロシア軍によるウクライナ侵略とポーランド


駐ポーランド大使 宮島昭夫

はじめに  

 2月24日のロシア軍によるウクライナ侵略開始からほぼ10ヶ月。ポーランドは軍事支援と膨大な避難民受入れをはじめとする人道支援の双方について、最重要戦略拠点となっている。そして、11月15日には、ウクライナ国境から7kmのポーランド領内にミサイルが着弾し、民間人2名が犠牲となった。世界に緊張が走った。ポーランドが最前線国家であるということ、そして、ウクライナを越えNATO全体を巻き込む戦争勃発のリスクがすぐそこにあることを改めて実感した。 
 ポーランドはウクライナ戦争をどう捉え、取り組んできたのか、外交・軍事と避難民受入れへの対応をご紹介し、最後に、この間当地で感じてきたことを綴ってみたい。  

ウクライナでの戦争についての捉え方 

 ポーランドでは、ウクライナは一体いつまで戦争を続けるのかという議論はほとんど聞かれない。もちろん、ポーランド人もウクライナに平和が早く訪れることを希求しているが、『ウクライナがロシアと戦い続ける限り、全力で支援する』と皆、答える。次は自分たちがロシアのターゲットになるかもしれないという切迫感を抱いており、『ウクライナはポーランドと欧州全体のために戦っている』、『ウクライナ兵士たちがロシアと戦い続けるためにも彼らの妻や子供たちを守ってやらなければならない』、エネルギーや食料の価格の上昇で生活面の負担が増大しても、『ロシアとの戦争をウクライナと共に戦い抜くため、耐えるしかない』との声もよく聞かれる。同時に、表だった議論には出てきにくいが、世論調査では、戦争が国境を越えポーランドに波及すること、NATO対ロシアの戦争にエスカレートすることは何としても回避すべきとの回答が大勢を占める。  

 ポーランド人は、第二次世界大戦のナチス・ドイツや旧ソ連をはじめ大国による侵略・支配を経験し、ウクライナの人々の痛みや苦しみを自らのこととして受け止めている。『ウクライナは、自らのためだけでなく、ポーランドをはじめ欧州全体の自由・民主主義・独立を守るために戦っている』。ウクライナ軍は強大なロシア軍と勇敢に戦い、キーウからのロシア軍撤退を実現した。「ブチャの虐殺」は絶対に許せない。春にはロシア軍が東部・南部で支配地域を拡大したが、秋になるとついにウクライナ軍が反転攻勢し、ハルキウ、さらにヘルソンを奪還した。プーチンは4州を併合したが、部分的動員令を出すほど追い込まれている。『今こそ、ウクライナ軍事支援と対露制裁を強化すべきである』。  

  『ウクライナの敗北、ロシアの勝利は受け入れられない。ロシアに対する融和策や妥協により停戦すれば、ロシア軍がいずれ力を蓄え、数年後にはポーランドやバルト三国など、次のターゲットを侵略するに違いない(仏や独が、ウクライナの頭越しにプーチンと交渉するようなことには強い拒否反応)』。ポーランドにとって、ウクライナが独立を失い、ウクライナ国境にまでロシア軍が展開するのは悪夢であり、ロシアの帝国主義的野望をくじき、戦略的に弱体化・敗北させることが肝要と考えている。  

外交・軍事面の対応

 ポーランド政府は2月24日の侵略直後から、NATO/EUなど西側の団結と強力な対露制裁実施のため迅速に外交攻勢を展開した。ドゥダ大統領が直ちにゼレンスキー大統領と緊密に連携し連帯を表明。3月15日には、キーウへの攻撃が続く中、当時のカチンスキ副首相(与党「法と正義」(PiS)党首)のリーダーシップで、ポーランド、チェコ、スロバキアの各首相がキーウを訪問しウクライナと連帯する覚悟を示した。また、ウクライナ戦争を契機に、対米関係は大幅に改善された。トランプ政権と蜜月関係であった現PiS政権は、バイデン政権とは報道の自由の保障、事実上の妊娠中絶禁止、LGBTの権利などの問題を巡って関係がぎくしゃくしていたが、侵略直後から、ポーランドの大統領、外相、国防相、軍などがあらゆるレベルで米側と緊密に連絡を取り、副大統領、国務長官、国防長官らが相次いでポーランドを訪問。3月25日には、バイデン大統領がポーランドを訪問し、ジェシェフに展開中の米軍部隊やワルシャワを訪問し、米軍のローテーション・プレゼンス増強(5千人から1万人)を含むポーランド防衛へのコミットメントを明確化した。4月初めのロシア軍のキーウ撤退以降は、世界中の首脳・閣僚がキーウ、ワルシャワを相次いで訪問している。その後も、ポーランドは、対露強硬派として、バルト三国等と共に、NATOの結束とNATO東方の守りの強化、EUによる対露制裁の議論をリードし続けている。  

 ポーランドは、軍事面でもめざましい対応をしている。西側の対ウクライナ軍事支援輸送の戦略的拠点としての役割を精力的に果たしている。また、ポーランド軍の戦車等正面装備や弾薬などの提供を通じてウクライナを積極的に軍事支援しており、その総額は米英独加に次ぐ5番目である。また、同時に、ポーランドは自国の国防力の強化を推進している。3月に国防費をGDP2.2%から3%まで引き上げ、総兵力を約15万人から30万人へと倍増する法案を成立させ、米欧はじめ韓国から新型正面装備・兵器を調達するなどして、軍の強化・近代化実現に努力している。  

 11月15日には、ウクライナ国境付近のポーランド領内にミサイルが着弾し、ポーランドのみならず世界が震撼した。直ちにドゥダ大統領が主宰する外交・安保関係閣僚会議が招集されたほか、ドゥダ大統領がゼレンスキー大統領、NATO事務総長と電話会談し、G20サミットのためバリ滞在中のバイデン大統領、ショルツ首相らと電話協議した。16日にはバリで岸田総理を含むG7・NATO首脳による緊急会合が開催され、ウクライナに対する支援、ポーランドによる調査への支援、今回の事案は究極的にロシアに責任があること等が合意・発表された。首脳緊急会合後のぶら下がり記者会見で、バイデン大統領が、ロシアによる攻撃でない可能性が高いことを示唆し、ドゥダ大統領も初期の分析結果としてウクライナ側の迎撃ミサイルの可能性が高いことを示し、世界に高まった緊張は次第に沈静化した。今回の突発事態において、ポーランドはじめNATOやその他の同志国は、断固たる団結を維持し、緊密に連携を取り合い、不必要なエスカレーションを回避しつつ、迅速かつ冷静に対処する危機管理能力を示したと言える。  

 ウクライナの戦争は、NATOやEU内のポーランドの戦略的重要性への認識を高め、特に米国との関係は大きく改善した。ロシアの脅威を常に危惧してきたポーランドは、オバマ政権時代から続く米軍の欧州撤退と対中シフトに対し不安を感じていたが、今回の米軍をはじめNATOのポーランド防衛強化に一定の安堵感を抱いているに違いない。  

ウクライナ避難民支援

 2月24日未明から数日間、ポーランドの人々は、極度の緊張感を持って、ロシア軍事侵略の状況をSNSで深夜までフォローし、朝一番にキーウが陥落していないことを確認するという不安な日常を送った。同時に、戦火を逃れ国境に大挙して押し寄せるウクライナ人避難民(女性、子供が9割)の支援のため、国中の人々が自宅を開放し、衣服や食料を寄付し、ボランティアたちが無料で移動手段を提供し、文字通り、週7日、日夜を問わず献身的に支援にあたった。まさに、爆発的に広がった自発的な国民的運動であった。これを地方自治体の首長たちが前面に出て臨機応変の対応で支えた。ワルシャワの中央政府は、3月12日には、ウクライナ避難民に2023年9月まで18ヶ月間に亘り、ポーランド人と同等の居住・就労・教育・医療など社会保障サービスを提供する支援法を制定し、国民識別番号PESEL登録者は135万人を超えた。 この極めて寛大な受入れの理由は、やはり、ウクライナで起きていることを自らのこととして捉え、心からの共感をもって行動したということだと思う。第二次世界大戦前までリヴィウなどはポーランド領であったという歴史的経緯、言葉や文化の親近性、侵略前からポーランドに住んでいる150万人ほどのウクライナ人出稼ぎ労働者の存在なども背景にある。同時に、この極めて寛大な避難民受入れにはポーランド人自身が驚いたとの声もよく耳にした。 実は、隣国ウクライナに対するポーランド人の国民感情は、第二次世界大戦末期、ウクライナ・ナショナリストにより10万人に上るポーランド人が虐殺された(「ヴォルィーニの虐殺」)という歴史問題のため複雑であり、モラヴィエツキ首相は就任以来、侵略以前の4年間には一度もキーウを訪問していなかった。今回の戦争を経て、ポーランド・ウクライナ関係は大きく変化し、強化されることが期待される。 

(写真)ウクライナ難民家族

 この春以降の対応ぶりとウクライナ避難民の現状について述べれば、侵略開始から3月6日の14万2000人をピークに、12月初めまでに累計800万人以上がポーランドに入国した。3月下旬以降、出入国者はほぼ2万人前後で推移している。買い出しのため国境を行き来する人々や燃料等物資輸送の車両の国境通過も多い。ウクライナや第三国に出国した者も多いが、200万人近くの避難民が、故国に帰るめども立たず、強い不安と焦燥感を抱きながらポーランドに留まっている。ポーランド政府による避難民支援策は、5月頃までは、もっぱら食料・衣服・現金支給など緊急人道支援であったが、財政負担の大きさもあり、就業・教育などの自立支援、社会統合に重点がシフトし、6月には、シチガイ社会統合担当大臣が任命された。生活のため、夏頃には、ポーランド人サポーターの自宅からアパートに引っ越し、子供を施設に預けレストランやホテルなどで働く人々が避難民の半数にまで増えた。 

 一方、2月に約8%だった物価上昇率は、6月には16%、10月には18%近くとインフレが高騰した。家賃・食料・暖房費などがかさみ、冬の到来と共に、避難民自身、そして彼らを支援するポーランド人・ウクライナ人を直撃している。政府レベルでは、ウクライナ避難民支援関係の支出は国家予算の約1割と大きな財政負担になっており、中央政府から地方自治体への避難民関連の予算配分も不足している。一方、報道によるとEUからワルシャワへの避難民関連補助金は10月に7億ズロチ(約210億円)支出されたのみであり、さらにコロナ禍からの経済回復を図る復興基金(239億ユーロの贈与、115億ユーロの貸与)支払いも「法の支配」問題を理由に凍結されている。自分たちは、欧州全体のために避難民をこれほど大勢受け入れているのにもかかわらずEUがほとんど支援してくれないと不満は強い。地方自治体が運営する集団居住施設では高齢者・病人・身体障害者などの比率が高くなり、その滞在が長期化しているが、12月初め、これらの施設の長期滞在者には来年の3月から一定の自己負担を課す法改正が成立した。 確かに、ポーランドでも、侵略直後のような避難民受入れの情熱はなくなり、支援疲れがないと言ったら嘘になるが、依然としてウクライナ避難民に対するシンパシーは極めて強く、彼女たちを見放すことは決してできないという社会全体のコンセンサスは強固であると感じる。他方、財政面でボランティア、NGOなどはますます厳しい状況になってきている。  

 さらに、越冬対策Winterizationが、国境近くの地方自治体、人道国際機関、NGOにとって急務となっている。特に10月以降のロシア軍によるウクライナの民間重要インフラへの攻撃激化により、キーウなどウクライナ国内各地で停電、断水等が深刻化しており、冬の本格的到来を控え、ポーランド内務・行政省や人道国際機関は50万人を超えるウクライナからの避難民の新たな波を予想している。  

(図表)主要国のウクライナ支援表明状況(2022年1月24日~11月20日) 

むすびに  

 私は、ウクライナで戦争が始まって以来、2つのバッジをいつも背広の胸に付けている(右写真)。ポーランドと一緒に対ウクライナ支援をすること、ウクライナを支えるポーランド人を助けることを切望している。ポーランドで我が国官民によるウクライナ支援について広報し、「Prawdziwych przyjaciół poznaje się w biedzie.」(困ったときの友が真の友)と言って挨拶を締めると、いつも大きな拍手と自らのことのように沢山のお礼の言葉を頂く。彼らはまさにウクライナと一緒にロシアと戦っており、日本も仲間、同志扱いされていると感じる。今後、越冬支援をはじめJICA等による対ウクライナ支援が実施されると承知しているが、ポーランドは機材の輸送、訓練拠点として良きパートナーたり得る。支援の担い手となるウクライナ人も多くポーランドに住んでいる。ぜひ、ウクライナを支援し続けるポーランドを支え、活用していただきたい。 

 新型コロナウイルス感染症関連規制によるほぼ3年間の鎖国状態により、ポーランドを含め欧州における日本の存在感が低下している感は否めない。昨年4月初めに総理特使として林外相にポーランドを訪問していただいたが、2023年はG7議長国としての戦略的発信に加え、ぜひ、総理、外相などハイレベルの要人にポーランドをはじめ中・東欧地域に来訪いただき、日本のプレゼンスを示しメッセージを強く発信していただきたい。以上述べてきたとおり、ポーランドは、外交・軍事面と人道面の双方において、ウクライナの隣国として大きな役割を果たしてきている。世界のリーダーたちは、キーウを訪問する際には、必ず、ワルシャワでポーランド要人と意見交換をしている。ポーランドは、日露戦争以来の友好国(独立の父ピウツスキ元帥が1904年に訪日し対露工作の支援を日本側に要請)であり戦略的パートナーである。  

  ロシアはエネルギーを武器に西側を揺さぶりつづけるだろう。この冬は乗り越えても、来年、再来年の冬まで西側の結束を維持できるかが問われる。さらに来年11月には米大統領選挙が控えている。ウクライナ戦争の帰趨に世界中が注目している。ウクライナでの戦争により、欧州の重心は東にシフトしたと言われている。ロシア軍のウクライナ侵略は、第二次世界大戦後の国際秩序の根幹を揺るがしかねない暴挙であり、当然、この戦いの結果は、ウクライナの復興と未来に加え、米国のリーダーシップ、欧州の未来、そして、日本が尊敬される国であり続けられるかなど、中・長期的にグローバルな国際秩序に大きな影響をもたらす。この歴史的かつ重要なチャレンジに同志国と共に取り組んでいるのだという緊張感を持って、引き続き事態を注視し、全力で対処していきたい。