モ-リシャス雑筆


前駐モ-リシャス大使 加藤義治

1.はじめに
 モ-リシャス共和国は、南西インド洋に浮かぶ島嶼国家です。モ-リシャス本島、ロドリゲス島、アガレア島などの島々で構成されています。かつては無人島だった本島が、ポルトガル人に発見され、オランダ、フランスの統治を経て、1968年3月に英国から独立した国となりました。人口は約130万人で、フランス、アフリカ、インド及び中国からの移民の子孫がもたらした文化・宗教は、モザイク模様のように多様で、この国の特徴を表しています。

 この国は、地理的に遠く離れ、歴史的にも縁遠い国だったこともあり、日本ではモ-リシャスに関する情報は多くありません。絶滅鳥類ド-ド-の島を連想する方がおられるでしょう。昨年8月、貨物船ワカシオ号の座礁事故が発生し、大量の燃料油が流出したことでモ-リシャス南部海岸地域に被害をもたらしました。生態系や住民の生活への影響が懸念されるなどと日本でも多く報道されたので、モ-リシャスのことを知った人がおられたと思います。
 私は、常駐では初代大使として、2017年8月から2020年11月まで、モ-リシャス共和国に勤務しました。この国は、島国であること、サイクロンなどの自然災害に脆弱あること、生活習慣病に悩み、高齢化問題を抱えていることなど日本と共通するところも多くあります。私の3年間の滞在で得た知見をご紹介して、この国に関心を持つ方々の参考になれば幸いです。

2.インド洋の楽園で要路の島
 モ-リシャスは、青空、白砂、珊瑚礁と紺碧の海などで知られています。軍隊を持たない平和な国です。米国の著作家マ-ク・トウェイン氏は、「最初にモ-リシャスが創られ、そして、次は天国、天国はモ-リシャスを真似て創られた。」と述べています。本島の面積は1,865㎢(沖縄本島面積1,207㎢)。火山活動で生じた島は、西洋なしのような形をしており、珊瑚礁に囲まれ、長く広がる白砂の浜辺と透明な潟からなっています。島の北部から中部は平地でサトウキビ農園が広がり、中部から南部は海抜400㍍ほどの丘陵で、最も高い山は標高828㍍です。
 温暖な気候と豊かな自然を生かした観光関連産業は、国の基幹産業です。欧州諸国やインド、中国などからの観光客は、コロナ禍前は、この国の人口とほぼ同じの130万人に上っていました。例えば、フランスから年28万人、英国から14万人、インドから10万人、中国から5万人ほどです。日本人観光客数は約2,000人でした。
 モ-リシャス島は西インド洋の要路に位置しています。島の西方には、フランス海外領土のユニオン島が横たわり、855㎞離れてマダガスカル島があります。アフリカ大陸の南東海岸からは約2,000㎞離れています。この島は、かつてシルク・ロ-ドの延長線上に位置し、中国やインドと地中海を結び、東西間の文化交流や通商の交通網を形成していました。独立後、国連常任理事国(米、英、仏、中、露)、豪州、インドなどが大使館を設置しています。この国は、チャゴス諸島領有権を巡り旧宗主国英国と交渉中ですが、チャゴス諸島の環礁ディゴガルシア島は米国の基地として使われています。この国には、環インド洋連合(IORA)とインド洋委員会(IOC)という地域国際機関事務局が設置されています。
 交通の要路にあることの負の側面もあります。密輸される薬物が一般社会に広がり、特に青少年にまで薬物依存が浸透していることが指摘されています。

西海岸のリゾートホテル

3.多様な民族の融和
 モ-リシャスは、各民族の融和に成功している国です。かつては、この国は砂糖キビ・プランテ-ションの単一経済でした。フランス統治時代に、フランスは、モザンビ-クやマダガスカルから奴隷として黒人を連れて来て、砂糖キビ栽培作業に従事させました。英国統治時代に、奴隷制度が廃止されて、英国は砂糖キビ収穫のために契約労働者としてインド人や中国人を連れてきました。中国人は職人となる者もいました。移民の子孫がこの国を構成することになり、こうした歴史的背景がこの国を多様にしました。信教の自由は憲法で保障され、ヒンドゥ教、キリスト教、イスラム教等多様な宗教が共存しています。住民は敬虔です。また、民族舞踊では、中国、インドやアフリカ(クレオ-ル)のダンスがあります。ユネスコ無形文化遺産に登録されたセガ・ダンスは農園で働いた黒人の文化・生活を知る上で貴重です。
 インド系住民が過半数を占めていますが、人々は他の住民の文化や宗教を尊重して平和に暮らしています。しかし、デマや扇動によって混乱したこともありました。クレオ-ル系住民とイスラム系住民の間の不信が続き、独立直前には、双方の住民の間で大きな衝突が起きました。独立達成後、政府は、各宗教指導者の理解や協力を得て、国民への愛国心の植え付けに苦心しました。民族の融和が、歴代政府の重要な課題です。教育、スポ-ツ等を通じた、平和的な手段がとられます。例えば、融和策の一つに国民の休日があります。各民族の宗教的行事が尊重されており、インド系タミ-ル祭、中国の春節、ヒンドゥ祭、イスラム教断食明け祭、ガネシャ祭、カトリックの祝日である諸聖人の日、クリスマスが、国民の祝日に定められています。各行事の式典には、通例ル-プン大統領やジャクナット首相など要人が祝辞を述べ、式典後は招待客と懇談します。建物の竣工式で、日本では神道神職により祓い清めが行われますが、この国では、キリスト教、ヒンドゥ教、イスラム教、仏教の指導者による祓い清めが行われます。
 この国の政治家の中には、選挙で自己の出身である民族や共同体の利益を優先するコミュナリズムに訴えて票を得ようとする者が依然少なくありません。2018年は独立50周年の節目の年でした。その節目の年を記念する標語としてクレオ-ル語の「Lame dan lame」が採用されました。英語では「Hand in hand」ですが、まさに50周年を経ても、民族の融和が重要課題なのです。

4.Multilingualな国民
 国民は多言語を駆使します。多くの人はフランス語と英語を流暢に話します。この他、先祖からの言葉として、アフリカ系住民はクレオ-ル語、インド系住民は、それぞれの先祖の出身地の言語であるヒンディ語、ウルドゥ語、タミル語、テレグ語、マラチ語、ボジョプリ語を話します。中国系は客家語などです。ステファン・ツゥサン青少年エンパワ-メント・体育レクレ-ション担当大臣をお食事に招待したことがありました。顔立ちからクレオ-ル系の大臣が、頭の中ではクレオ-ル語で考え、会話はフランス語で、ものを書くときは英語を使うと話されたことに驚きました。
 1814年にモ-リシャスは、フランス領から英国領になりました。その際、英国はモ-リシャスの既存の統治体制を大きく変えず、結果として、それまで支配階級であったフランス人大農園主は、そのまま残り、住民もフランス語をそのまま使うこととなりました。現在も、国民のフランス文化への憧れは強く、新聞やテレビの報道ではフランス語が使われて報じられています。他方、英国は、巧妙な政策を取り入れ、住民が、議員、公務員、裁判官などの公的職業に就く条件として英語習得を義務づけたのです。社会での成功を目指す者が英語を身につけようしたことから、英語は徐々に一般社会に普及しました。
 英仏語バイリンガルの国民はこの国の財産です。実際モ-リシャス外交の大きな強みとなっています。政府の教育政策の結果、学生の質は高く、特に優秀な者は、フランス、英国、豪州、カナダ、インド、マレ-シア、中国などの大学に留学します。関係国主催の留学フェアは盛況です。留学後、多くは本国に戻らず留学先の国で就職しており、外国で働くモ-リシャス人の数は60万人ほどに達します。国際クル-ズ船の業務員として働く者も多数います。

5.モ-リシャスの奇跡
 独立当時、シウサガル・ラングラム初代首相の政権の前途は多難でした。英国の経済学者たちは、モ-リシャスの経済運営に厳しい評価をしていました。砂糖栽培農業以外に主要産業がないことや、天然資源もなく、雑多な人種構成で人口増加率が年3%を超えていたことから、この国の未来に非常に否定的な見方をする人が多数でした。しかし、賢明な独立派指導者は、大資本家であったフランス系大農園主の協力を要請し、彼らの土地や資金を経済の多角化のために活用する政策を英断しました。
 1972年に始まる砂糖ブ-ムが曙光となり、余剰資金を投資に回すことができるようになり、この国は、1970年代から1980年代にかけて繊維と観光産業の誘致に成功しました。製品輸出のための輸出加工区が設置されました。この結果、1972年の経済成長率は、10.6%、1973年には11.6%、1974年には10.8%、1976年には16.2%の非常に高い成長率を達成し、一時期の景気後退後、1986年から1987年には経済成長率が8%を超えるに至り、世界銀行からモ-リシャスの奇跡と呼ばれました。
 サトウ産業は斜陽化しましたが、製造、商業・金融、運輸・建設、観光、不動産業などが盛んになり、インド系や中華系住民の中には成功して財をなす者が現れました。例えば、インド系のカリムジ一族は通信、IT、不動産、商業・金融、エネルギー、食品など広範な分野で活動を行っています。平成29年秋に叙勲されたアニル・カリムジ氏は、カリムジ一族の人で、元在モ-リシャス日本国名誉総領事、元モ-リシャス商工会議所会頭を務められました。フランス系住民は、人口に占める割合が2%ほどの少数派ですが、その中には大規模農園の経営の多角化に成功し、富豪となり財閥を形成した者がいます。ラガン家のモン・ロワジール・グループは、農業、土木・建設、商業、金融、ホテル、製造・加工産業、物流、不動産に、アルナウド・ダライス家のシェル・グル-プは農業・不動産、繊維産業、金融、保健医療、ホテル産業に、エスピタルエル・ノエル家のイエンユル・グル-プは農業、商業、生活産業、不動産、金融投資に、シリル・メイヤ-家のテラ・グル-プが精糖、電力、蒸留酒、不動産、金融投資産業の企業を経営しており、モ-リシャス経済を支配していると見られています。
 近年の経済成長率は4%を下回っていますが、国民一人あたりのGDPは1万ドルほどに至っています。政府は、将来の成長の柱として金融サ-ビス、情報通信技術を掲げて、一層の多角化を図っています。引き続き、フランス系やインド系企業の動きは刮目に値します。

6.日本への期待
 我が国が2017年に常設の日本大使館を設置したことを、モ-リシャス政府は歓迎し、日本との経済関係の一層の発展を期待しています。経済関係の現状は、対日貿易額(2018年)は、輸出が9億円、輸入が153億円で、モ-リシャスから魚介類、衣類が日本に輸出され、日本からは自動車、自動車関連機器を輸入しています。日本の技術を信用するモ-リシャス人には、日本の中古車の人気が高く、年間7,000台から8,000台ほど輸入されています。
 世界銀行ビジネス環境ランキング(2020)では、この国は、世界第13位で高い評価を得ています。2019年8月に、政府は、EDB(Economic Development Board)東京事務所を開設しました。日本からの直接投資・貿易の促進を期待し、また、自国を日本企業の対アフリカ投資の橋頭堡として活用してもらいたいと期待を寄せています。更には、広大な海洋の安全保障や資源開発にも日本の参加・支援を期待しています。自由で開かれたインド太平洋の実現を目指す我が国にとって、この国との連携協力を進めることは有意義と思います。
 貨物船座礁は残念な事故でしたが、日本との関係をさらに進展させる機になったと考えます。今後、親日国モ-リシャスの日本への期待に応えることで関係が深まることを願っています。私も、微力ながらも一国民の立場から両国の友好関係の進展に貢献したいと考えています。仁愛大学の非常勤講師として働ける機会を得ましたので、この国に関心を持つ学生を増やしたいと思っています。