ベトナム 私の今昔物語


外務省参与、元駐グアテマラ大使 川原英一

 ベトナムと言えば、ASEAN諸国の中でも経済成長が著しく(2022年8%、IMF公表値)、活気にあふれ、人口は9,946万人(2022年)で1億人にまもなく到達する。 美味しいベトナム料理を思い浮かべる方も多いだろう。また、ベトナムに進出する日系企業数は、2021年度には約2300社である。他方、日本で増えている外国人労働者数は、2022年10月末で182万人であり、これを国別でみると、ベトナムが46万人と一番多く、全体の4分の1を占め、次いで中国(38万人)、フィリピン(20万人)、ブラジル(13万人)の順である。年々、外国人労働者数が増えているのを、身近に実感されている方が増えていると思われる。

 最近、ベトナムから日本大使として赴任されたヒエウ(Hieu)大使にお会いする機会があった。これまでベトナム外務次官(deputy minister)として長くご活躍されており、今年に入り2度訪日をされている。 G7広島サミットにベトナム首相が招待されているので、着任早々、多忙な日々になりそうだ、と同大使は大変に喜んでおられた。近年、日本との関係が益々緊密化して、注目されている中、新大使として大いなる御活躍が期待されている。なお、同大使は、2005年まで名古屋大学院法学研究科に留学して修士号を取得されている。

ベトナムとの出会い

 ベトナムには90年代に2度訪問している。1回目は、90年代半ば、首都ハノイでの日本の無償協力案件に関する政府間協議などのために出張し、2回目は、90年代末、国連ESCAP(タイ・バンコックに本部)が企画・実施する貿易促進セミナー・講習会がホーチミン市で開催されるので、同プロジェクトへ拠出している日本側代表として参加した時である。

 当時のハノイの街中の印象は、自動車より遥かに多い数のオートバイ利用者が道路にあふれており、町全体が活気にあふれていた。特にオートバイの爆音がすさまじいものに感じられた。また、真夏の暑さは夜も続く中、涼を求めて、数多くの人達が親子3-4人で一台のオートバイに相乗りして、街燈の明かりに照らされながら、爆音を響かせて乗り回っていたのを、街中のロータリー交差点付近から驚いて眺めていた記憶がある。

 また、ベトナム戦争中まで「サイゴン」と呼ばれ、同戦争終了後に改名されたホーチミン市では、ホテルからセミナー会場の場所まで市内目抜き通りを移動する際、あまり歩道が整備されていない道路の両側に立ち並ぶ商店通りに、道幅一杯に自転車集団であふれており、その間を自動車がゆっくりと進むという感じであった。こうしたどこか懐かしい景色は、今はもう見られなくなったものと思う。 御参考まで、2012年の英BBC放送のトラベルニュース記事「Hanoi by motorcycle」の以下サイト(注1)に掲載された写真を見て頂くと、90年代当時に見かけた街の雰囲気の名残が、味わえるかと思う。
(注1:https://www.bbc.com/travel/article/20121106-hanoi-by-motorcycle

 ハノイでの無償資金協力案件に関する協議の際に、初めてお会いしたベトナム政府高官トップの方は、会議でお会いした折には、社会主義国のお役人らしく、慎重な言葉使いで、手硬い方との印象を受けた。同協議が終了した後に、お誘いして食事をご一緒した際は、緊張から解放されたご様子であった。

 「常日頃、もっとも怖れるものと言えば、何でしょうか」との私からの不意の問いかけに対し「かみさん(奥様)」という回答をされたので、期せずして、とても身近な共通の話題で大いに盛り上がり、愉快な懇談となった記憶がある。

大阪ベトナム総領事館は堺市に

 現在の在大阪ベトナム総領事館の場所は、当初の場所の大阪市から2009年にお隣の堺市に移っている。その理由について、過去に大阪総領事館に勤務されたことがある在京ベトナム大使館の次席館員(No2)の方からお聞きした。移転に先立つかなり前から、大阪市内で新しい事務所の場所探しをしていたが、家賃の高い物件しかなく、隣の堺市内で幸いにして適当な物件を見つけたそうだ。場所は、阪堺(はんかい)電気軌道の阪堺線という路面電車が今も走る路線(地元の方からはチンチン電車と呼ばれ愛されていた)の大小路(おおしょうじ)駅前すぐ傍のビルにある(注2)。ちなみに私は高校生時代、通学のため、この電車を利用していたことを思い出した。
(注2:https://vnconsulate-osaka.org/ja/address-maps

日ベトナム外交関係樹立50周年記念特別コンサート(堺市)

 今年は日本とベトナムの外交関係が樹立されてから50周年の節目の年に当たる。記念行事がベトナムと日本各地で開催されている。4月初め、堺市で外交関係樹立50周年記念特別コンサートが開催されている。同特別コンサートの指揮者はベトナム国立交響楽団の首席指揮者であり、欧州での指揮者コンクールで優勝経験のある日本人指揮者、本名徹次(ほんな てつじ)さんだ。本名さんが1994年から2001年までの間、常任指揮者を務めた大阪交響楽団とベトナムのバイオリストとの共演が実現し、ベートーベンのバイオリン協奏曲や交響曲「運命」などが演奏されている(注3)。
(注3:https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/kokusai/aseankoryu/sonota_jigyo/vietnam_event.html

 本名さんは、福島県出身の方で、最初にハノイを訪問(2000年10月)した折、街の雰囲気に日本と共通する懐かしいものを感じられた。その後、2009年からは、ベトナム国立交響楽団の音楽監督兼常任指揮者として、ベトナム人音楽家育成のため、家族とともにハノイに移り住み、現在まで活動を続けられている。本名さんのベトナムでの音楽活動への貢献に対し、ベトナム政府から文化功労章(2012年)が授与されており、また、渡邊暁雄音楽基金特別賞(2019年)や外務大臣賞も授与されている。

 同記念コンサート会場には武井外務副大臣と共に、最初に御紹介したヒエウ大使(当時はベトナム外務次官)、在大阪ベトナム総領事らが出席されて、共に大いに楽しまれたことであろう。 なお、日ベトナム外交関係樹立50周年記念事業として認定され、日本各地で行われるイベント・カレンダーは以下サイト(注4)に掲載されているので、御覧頂きたい。
(注4:https://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sea1/vn/page24_001921.html

 5月の連休期間中、日ベトナム友好議員連盟会長の二階先生(元官房長官)が、国会議員、各県自治体・企業関係者の方々と共にハノイを御訪問されている。ベトナム首相、同国会議長など要人とお会いをされ、また、貿易促進関連会合などに御出席をされた。「友好の大きな花を咲かせたい」、「各都道府県は経済や労働分野で、ベトナムと協力を促進したい」との二階先生の発言が報じられている。
(注5:https://www.tokyo-np.co.jp/article/248131

 二階先生は和歌山県御坊市出身であり、ベトナムに2021年1月にも大型ミッションを率いて訪問されており、和歌山産の温州ミカンがベトナムへ輸出されている。今回の二階先生のベトナム訪問の際には、南紀白浜とハノイやダナンとのチャーター便就航、両国の高校生同士の交流の話しも話題にされたようである。

 日ベトナム外交関係樹立50周年記念行事が日・ベトナム両国各地で今後も繰り広げられる。両国自治体や民間企業による交流が益々活発になると思われる。
(令和5年5月13日記)