ヒュッゲな国デンマークと気候変動70/30


駐デンマーク大使 宮川 学

 2022年、世界幸福度ランキング2位のデンマークでは、幸福と切っても切れない3つのキー・ワードがあるように見受けられます。第1に、ヒュッゲ。家族と友人とくつろいだ時間を過ごすひとときのような状況や心のあり方を指します。第2に、信頼。充実した社会保障、生涯教育と右を支える高い税金。納税者は、払った税金が正しく使われることを信頼し、政府は信頼に応える。第3は、謙虚にがんばる資質。「ヤンテの掟」にある「自分が人より偉いと思ってはならない」を実践しているデンマーク人とよく出会います。
 これらの特徴と、デンマークが掲げる2030年までに温室効果ガス70%削減という目標(以下70/30)が、どう関係するのか。以下に若干の飛躍はお許しいただきながら、コロナ禍下にて、じっくりとおつきあいしてきたデンマーク人との会話や、彼らの生き様の観察を通じて、感じてきたことを紹介します。

1.ヒュッゲ
 この言葉から、デンマーク人が想像する事象は多様です。ある人は、デンマーク人にとって、ロウソクを灯すことは、もっともヒュッゲな時であると指摘します(MeikWIKING,“HYGGE”)。特に、日没が早い秋から冬にかけて、デンマーク家庭のロウソクの消費量は半端でなく多いようです。ところが、ロウソクを灯すことで出るすすの量は、とても多い。おそらく、CO2排出量も相当なものであると想像されます。

 しかし、デンマークがおそらく世界で最も野心的な70/30との目標に向かって、気候変動対策を実施する中で、「もうロウソクはやめましょう」との話は、寡聞にて余り聞きません。なぜ、そうなるか。大切な価値は、何とかして守るとの心意気ではないでしょうか。その大切な価値の中には、子孫のために、この地球を住みやすい場所として受け継いでいくとの強い意志も含まれます。ロウソクは燃やしても、他の手段を総動員して、2050年の脱炭素社会を勝ち取り、大切な価値を守るとのデンマーク人の思いを感じます。

2.信頼(trust)
 “When oil and coal pollute our globe, we must develop better sources of energy. Huge offshore wind farms are being built, harnessing nature’s enormous power for the benefit of us all. More is underway, for example “green fuels” to power planes and ships and ambitious proposals to capture CO2 and store it underground.”

 毎年大晦日の夕刻6時に、デンマーク国民が傾聴するマルグレーテ二世女王陛下の「新年のお言葉」からの引用です。女王陛下は、風力発電、航空機及び船舶のためのグリーン燃料、CO2貯留等の具体策に言及しながら、今、行動しなければならないことを強調されました。そして、女王陛下のお言葉から一夜明けた1月1日、フレデリクセン首相は、年内にCO2に関する新たな野心的な税に関する決定を行い、2030年までに、デンマーク国内航空を完全にグリーンにすることを発表しました。

(写真)2021年大晦日、「新年のお言葉」を述べるマルグレーテ二世女王陛下(出典:王宮府)

 デンマークが再生可能エネルギーを推進し、風力発電で世界のトップを走るための政策や制度を作り、ビジネスとして成功させている背景にあるのが、個人と社会・コミュニティーの間にある信頼と言われます。つまり、気候変動対策のような重要な課題については、政権与党がどの党であれ、10党以上ある主張の異なる政党が、徹底的に議論を行い、政党間合意として、政権交代によっても不変の枠組みを設定します。もちろん、政党によっては、削減幅は70%ではなく、80%だ、いや60%で十分だといった意見の差異はあります。しかし、徹底的に議論して合意した上は、全員で目標に向かい邁進します。

 また、若者の役割も顕著です。コロナ禍以前には、デンマーク国会の前で、毎週金曜日に高校生たちが中心になって、「気候変動対策をもっとしっかりと進めろ」と主張する集会が開かれていました。若者と、閣外協力政党の女性政治家、そして現役の気候・エネルギー・供給大臣とが、意見の違いを抱えながらも、意思疎通を重ねる様子が、「70/30」というデンマーク映画(2021年フィーエ・アンボー監督、英語字幕、ドキュメンタリー調)で丹念に描かれています。3者を繋ぐのは信頼です。

(写真)デンマーク映画70/30

 そして最も本気なのが、企業です。グリーン・トランジション関連ビジネスは、利潤の追求と社会の福利厚生への貢献を一致させることができる事業であるとの前提があります。日本への洋上風力発電投資を推進中のオーステッド、ヴェスタスといった大手エネルギー企業CEOは、異口同音に、「これは単なるビジネスではない、子孫に地球を引き継げるかのぎりぎりの努力である」と言い、真剣に利潤を追求しています。海運最大手のマースク社CEOは、これからの海運は、グリーン燃料への転換、特に、アンモニア、メタノール更に水素燃料の活用であると旗を振り、2020年、19カ国以上の戦略的パートナーから人材を募り、コペンハーゲンに海運脱炭素研究センターを新設しました。三菱重工、日本郵船、住友商事の精鋭の社員が常駐して、国際機関や政府への提言も含め、高い士気をもって研究・分析を進めています。企業が社会の信頼に応え、社会も企業を信頼する相互関係が見てとれます。

 ちなみに、デンマーク国民の王室に対する親愛の情、信頼の念はとても深いと言われます。国内いたるところ、様々な職業の方々から、敬愛の念を耳にします。デンマーク人が、女王陛下について目を輝かせて賞賛するのは、「美容院で雑誌を探している姿を観た」とか、「大晦日のスピーチは、いつもご自身の言葉で語られるので、とても考えさせられる」といった、女王陛下を身近に感じる瞬間のようです。新型コロナウィルス感染症の最悪期であった2020年春、女王陛下から「今はお互いに距離をたもつことで、団結しましょう」との異例の演説が行われ時は、皆が、デンマーク社会における信頼の意味についてかみしめた瞬間であったようです。

3.「ヤンテの掟」の修辞に見るデンマーク人の謙遜
 デンマーク人に、「本当に2030年までに温室効果ガス(GHG)70%削減できるのですか」と問うと、「いや、実は誰も方法は分からないのですよ。ただ、やらなければならないことは間違いないです」との答えが真顔で返ってきます。当初は、「えっ。そんな無責任なことを言って良いのだろうか」とびっくりしました。しかし、そうした会話を繰り返すうちに、これはデンマーク人独特の謙遜の表現かもしれないと、ある日、思うようになりました。

(写真)ダン・ヨアンセン気候・エネルギー・供給大臣への表敬

 デンマーク人が、賛否両論はありながら、1つの心の指針としている掟の1つが、「ヤンテの掟」です。「自分をひとより偉いと思ってはならない」といった10の戒めで、日本の「実るほど頭の下がる稲穂かな」や、ごちそうを供して、「何もなくて恐縮ですが」との修辞を使うことと、デンマーク人のヤンテ的謙遜の修辞に、いくばくかの共通性を感じます。
 では、なぜ、デンマークでは「ヤンテの掟」が意識されるか。大胆な想像になりますが、①「明日も地道に頑張ろう」との気持ちを高めてくれる、②寒冷の地で生き残って行くには、共同体意識を高める必要があった、③処世術としての方便であり、本音は異なるが、少なくとも自分の生き方を人に押しつけることは避ける、④ヤンテ的に生きてきた結果として、居心地の良い共同体を形成できた、あたりなのではないかと、想像します。
 ヒュッゲなデンマーク人の典型的な1日は、夫と妻はそれぞれの職場へ向かい、夕方4時半には仕事を終えて、午後6時半のデンマーク公共放送ニュースを観て、家族で夕食をともにすることと言われます。なるほど、合理的で効率的な国民なのだなと、納得します。ところが、実は、良く話しをきくと、続きがあります。午後8時半には、子供をベッドで寝かしつけ、自室でパソコンをオンにして、翌日の仕事の準備をする。ほほえましい第2幕です。

 とすると、「70/30を達成する方法は、誰も分からない」と言いながら、実は、ちゃんと対策があるのではないかと、勘ぐりたくなります。2月末のロシアのウクライナ侵略を受け、フレデリクセン首相は、防衛費の大幅増強、EU防衛協力への参加のための国民投票の実施等の防衛上の決定と同時に、気候変動・エネルギー安全保障の面では、①ロシア産ガスへの依存を早急になくすための具体的工程を示す、②分野横断的CO2税を柱とするグリーン改革を進めるための議論を進める旨明言しました。70/30に向けた既存の計画(下記参考)を常にアップデートしていく意思が込められた決定です。新型コロナウィルス感染症が最も大変な時期にあっても、また、ロシアのウクライナ侵略に国を挙げて対応している現在も、この点、デンマークは一貫しています。
 「誰も分からない」と言いながら、実は常に新しい秘策を練っている、つまり、子供を寝かしつけてからパソコンに向かうのと同じで、そこがデンマーク人のほほえましくも、すごいところではないかとも思います。

4.結語
 新型コロナウィルス感染症の拡大前の2020年1月、日本の様々な企業関係者が、デンマーク人はなぜ幸せかを調査すべく来訪されました。一連の日程を終えて、デンマーク・ビール「カールスバーグ」の缶を片手に、筆者より、この缶には”Probablythebestbeerintheworld”と書かれていますが、直感的には、Probablyに込められた謙遜の念が、デンマーク人の幸福度が高い原因かもしれませんと申し上げました。
 今振り返れば、やはり、ヤンテ的にはProbablyも重要ながら、サブスタンスとしては、thebestbeerに重きがあるようにも思えます。日本とデンマークの文化において、本音において、より重要なのは修辞ではなく、bestbeerであり、気候変動70/30を本気で達成するとの中身です。

(写真)デンマーク・ビール「カールスバーグ」

 昨年11月のコフォズ外相の訪日時、気候変動・エネルギー分野の協力は、林外務大臣との会談の最重要トピックの1つでした。小国ゆえに、大胆に先陣を切って行くデンマーク。今後とも、両国の戦略的パートナーシップを日々更新していく中で、気候変動とエネルギー安全保障という国際社会の重要課題について、日本、デンマーク及びEUが益々建設的な役割を果たして行くことは、おそらく、間違いないと確信します。

【参考資料】気候変動に関するデンマークの基本戦略
〇2030年のGHG70%削減達成のため、エネルギー、運輸、農業、税制の各部門毎に計画を策定。
●エネルギー部門:北海及びバルト海で2030年までに2つのエネルギー・アイランド(洋上風力設備等を集中的に設置)の開発​、持続可能な運輸燃料実現のためのPowertoX及び炭素回収技術の開発​、家庭での石油・ガスボイラーから、ヒートポンプ及び地域熱供給への転換促進​、持続可能な木質バイオマス利用のための法的基準の制定​、産業部門でのグリーン電力利用促進とエネルギー効率の改善​、廃棄物として処理されるプラスチックの80%削減、ITソリューションによる廃棄物管理強化​。●運輸部門:2030年までにゼロ・低排出自動車普及100万台目標(2020年時点自動車登録250万台)​、登録税を価格及びCO2排出量に基づくものに再編し、充電時の電気税減税​、今後の技術進歩を踏まえ、2025年までに再度議論(本合意のみの普及想定は77.5万台)。●農業部門:合計で740万トンのGHGを削減するための具体的な道筋をつける​、2027年までに窒素排出量の10,800トンの削減、農業のグリーン化に貢献する技術への大規模な投資を実施。●税制:2023年にCO2排出に対する一元的な課税(CO2税)を導入​、当面は既存のエネルギー税の増税、対象拡大。

〇部門横断的にGHG排出に対処するため、2025年までに順次政策を刷新
・2021年:1.CCUS(CarbonCapture,UsageandStoragetechnologies)の発展と実践に向けたロードマップ、2.グリーンな水素とサステナブルなe燃料の発展に向けた戦略、3.農業部門のグリーン移行を確実にするための政策、4.欧州の気候目標の達成に向けた欧州委員会の欧州グリーンディールのフォローアップ・2022年:1.産業・エネルギー・供給の各部門におけるグリーン規制の提案、2.重運輸部門のグリーン移行に関する規制、3.航空部門におけるグリーン移行、4.官民パートナーシップの改定及び発展・2023年:1.現行の気候目標の改定、2.運輸・海運部門におけるサステナブル燃料の発展・2024年:グリーンな学術的研究及びイノベーションへの注力

<出典>
DanishMinistryofClimate,EnergyandUtilities
https://en.kefm.dk/news/news-archive/2021/sep/denmark-is-accelerating-climate-efforts-with-new-2025-deadline
Keyfactsaboutthe2030greenroadmapandDanishClimateProgram
https://en.kefm.dk/Media/637685164704392354/One-pager%202030%20roadmap.pdf]