バイデン政権の気候変動政策を読み解く


在米国大使館特命全権公使 塚田玉樹

はじめに
 本稿では、アメリカの気候変動政策の現状を紹介するとともに、アメリカの政策の見通しについて述べたい。たまたま筆者は、外務省において気候変動政策の表裏すなわち、国連の気候変動交渉とエネルギー安全保障問題にそれぞれ2回ずつ関わる機会に恵まれ、その過程で、良きにつけ悪しきにつけ、政策やルール作りを主導するアメリカのパワーとその限界を見てきた。「アメリカ天動説」と皮肉られるかもしれないが、結局はアメリカの力をどう活用するかが、ポスト・パリ協定の気候変動アーキテクチャーを占う鍵になると考える。その意味で、アメリカの政策の理解は有益と考える。

 最大のポイントは、大統領(行政府)の政策をフォローしているだけではアメリカの行方を見誤るということである。何だそれだけか?と拍子抜けの感もあろうが、この点が腑に落ちている人は意外と少ないようだ。若干横道にそれるが、ペローシ下院議長の台湾訪問をバイデン大統領が反対しても止められなかったのはいかにもアメリカ的である。中国共産党にしてみれば、なぜ大統領ともあろう者が下院議長を止められないのか疑問であろう。しかしアメリカの三権分立は、文字通り、徹底している。

バイデン政権の取り組み

 以上を押さえた上で、まず行政府の方向性を見てみよう。バイデン大統領は、気候変動対策を、コロナ対策、経済対策、人種対策と並ぶ4大課題の一つと位置付け、優先的に取り組んできている。具体的には2030年までに温室効果ガス排出量を2005年比で50-52%削減、遅くとも2050年までに実質ゼロ排出を達成する目標を掲げている。また、バイデン大統領は就任直後にパリ協定への復帰を宣言、ケリー気候特使を世界各国に派遣し、野心向上への働きかけを精力的に行わしめた。さらにグラスゴーCOP26にはバイデン大統領が多数の閣僚を引き連れ自ら乗り込み、パリ協定へのコミットメントとリーダーシップを世界に印象付けた。

 また大統領は、就任直後に発表したAmericanJobsPlanに基づき、議会民主党と連携してインフラ・投資雇用法を成立させた。これは、今後5年間で新規支出5500億㌦を含む総額1.2兆㌦のインフラ投資を行うことを通じ雇用創出を目指すものだが、新規事業として送電網、クリーン水素、EV充電システム、電気バス・低公害バス、原子炉などへの大規模な支出が含まれる。

 並行して、大統領の政策志向を反映する1.9兆㌦にのぼる壮大なBuildBackBetter(BBB)法案が、これまで1年以上にわたり議会で審議されてきた。BBB法案には5500億㌦の気候変動対策として再生可能エネルギー、住宅・ビルのエネルギー効率改善、電気自動車購入に対する税制優遇、クリーンエネルギーの研究開発助成などが盛り込まれている。

 国内規制面では、運輸部門で2030年までに新車販売の50%をゼロエミッション車とする目標を設定し、乗用車とトラックのCO2排出量の削減を求める新基準を策定した。発電部門では2035年までに炭素汚染のない電力部門を実現する目標を設定した。建設部門では2030年までに全ての新築商用ビルをゼロエミッションとする基準を設定、2035年までに全米の建物のカーボンフットプリントの半減目標を設定した。石油ガス部門では公有地における新規採掘を停止とメタン排出規制の強化を打ち出した。企業・金融部門では上場企業に対し温室効果ガス(GHG)排出量の開示の義務付けを検討している。

 行政府内部においても必ずしも政策は単線的ではなく、様々なプレーヤー間において多元的にチェックアンドバランスが働いていることに留意が必要である。まず大統領の気候変動政策を体して、ケリー大統領特使とマッカーシー大統領補佐官の二人がそれぞれ外交と内政を担当する。いずれもオバマ政権で閣僚(国務長官と環境保護長官)を務めた重鎮である。ホワイトハウスにはこの他にも気候変動政策に関わる人物として、サリバン国家安全保障補佐官、ディース国家経済会議委員長、マロリー環境評議会委員長がいる。関係閣僚としては、ブリンケン国務長官(気候変動交渉)、リーガン環境保護庁長官(規制権限)、グランホルム・エネルギー長官(原子力、再エネ等の推進)、ハーランド内務長官(連邦公有地の保護・管理)がいる。

議会の動向

 次に議会の動向を見てみよう。先述のとおり、議会は仮に政権党が多数であったとしても、けっして行政府の思うがままには動かず、支持が得られないと政策は完全に行き詰まる。よって、議会がどの方向を向いているかをチェックすることは死活的である。現在議会は、上下院とも民主党が多数派を維持しているが、その差は僅かである。あまつさえ、民主党内部は、野心的な気候対策を求めるプログレッシブ派と中道・穏健派の対立が先鋭化しており、先述のBBB法案は党内ですらコンセンサスが得られず1年以上にわたり調整が難航していた。

 しかし、一寸先は闇、議会には魔物が住んでいるようだ。中間選挙前はBBBは動かないと見られていたが、本稿執筆中(8月8日現在)突然動き出し、規模は大幅に縮小され(7400億㌦)、名前も「インフラ削減法案」とガラリと変わったものの、何と51対50で上院可決となった(賛否同数のためハリス上院議長・副大統領がタイブレイク)。今後下院で審議され、仮に成立すれば、シューマー上院民主党院内総務が述べているとおり、「アメリカで安価なクリーンエネルギーの時代を切り開くアメリカのエネルギー消費のゲームチェンジャー」になろう。これはバイデン大統領にとっては大きな成果、アメリカの気候変動対策の推進の観点からも大きな前進だ。

司法府の動向

 行政権限の実効的な政策実現に大きな影響力を及ぼす司法府の動向についても目が離せない。例えば、オバマ政権による規制強化策は、一部の州政府や石炭業界の提訴で連邦最高裁が執行停止を命令した。またトランプ政権による規制緩和策は、一部の州政府および環境保護団体がその取り消しを求め提訴中である。トランプ政権下で連邦最高裁は保守化し(保守派判事6人、リベラル派判事3人に構成変化)、気候変動訴訟において既存の法令に基づく連邦政府の行政権限や原告適格を狭く解釈する傾向となる可能性が指摘されており、これはバイデン政権の公約実現の障害となる可能性がある。

 この観点から、特に注目されたのが、大気浄化法に基づく環境保護庁の規制権限に関する裁判である(ウェストバージニア州VS環境保護庁)。オバマ政権時のいわゆるグリーン・パワー・プラン(石炭火力を廃止し、天然ガス火力や再生可能エネルギーへの転換を求める内容)の是非が争われたが、最高裁は、大気浄化法の下で環境保護庁はエネルギー転換を求める権限を有していないとの判断を下した(6月30日)。この判決は、今後の環境保護庁による発電所への規制政策だけでなく、連邦政府の気候政策全般、ひいては環境政策全般にも影響を及ぼす可能性があり、そのインプリケーションは甚大である。

米国気候同盟―州・地方政府の動向―

 もう一つ見逃しがちな盲点が、連邦制の下での州・地方政府の動向である。これは逆に連邦制の「自由度」が作り出す強みにもなり得る。いくつかの気候変動対策に前向きな州・地方政府においては、連邦政府の動向に関わらず独自に気候変動への取り組みがダイナミックに進行している。例えば、トランプ大統領によるパリ協定脱退の意向発表直後に「米国気候同盟」が発足した。これはパリ協定を支持し、その目標達成に向けて気候変動対策を進めていくことにコミットする州知事の集まりであり、現在24人の知事が加盟、全米人口の55%、全米GDPの60%をカバーするに至っている。トランプ政権はパリ協定からの離脱を宣言したが、州レベルでは実質的にパリ協定にコミットし続けているという奇妙な事態が現出した。それ以外にも州独自のイニシアチブとして、29州とワシントンDC特別区が、再エネ利用基準を導入済みであり(全米の電力販売量の56%をカバー)、なかでもニューヨーク、カリフォルニア、DCなどは、2050年以前の100%クリーン電力達成をコミットしている。また、カリフォルニア州は2035年以降のガソリン車の新車販売禁止を表明。さらに20州以上において排出量取引制度が導入済みであり、発電、運輸部門で様々な先進的、実験的取り組みが進行中である。

ビジネスの動向

 最後に、これはアメリカにおいては最も重要なファクターといえるかもしれないが、経済、ビジネスの動向の果たす決定的な役割である。アメリカの面白いところは、驚くべき発明やイニシアチブが突如表れ、それがあっという間に主流化し、一気に世界標準になってしまうことが頻繁に起こることだ。そのエネルギーと創造力の源泉は、世界最大の自由で活発な市場であるが、その巨大な市場経済を走らせる根幹は依然化石燃料であるという事実は無視できない。2005年から2019年の間にネット排出量は約12%減少したが、運輸、発電、産業のシェアは引き続き大きい。シェールガス革命により石炭火力発電が減少し、その結果発電部門の排出は減少した(2020年の電源構成は、天然ガス40%、石炭20%、原子力20%、再エネ20%)。その結果運輸部門が最大の排出源になった。ガソリン大量消費のSUVやトラック需要は相変わらず旺盛である。

 一方、ビジネスにおいて独自に気候変動対策に注力する大企業、団体は確実に増加している。例えばアップルは2030年までの、ウオールマート・アマゾンは2040年までの、フォード・ダウは2050年までの炭素中立の目標を設定、GEは新規石炭火力からの撤退を表明した。さらにマイクロソフトは2030年までに炭素ネガティブ、モルガンスタンレーは2050年までに投融資先の排出を実質ゼロにする目標を設定した。2020年12月、米の主要42社は連名でバイデン政権が議会と協力して野心的で、耐久性のある超党派の気候変動対策を講じるよう声明を発表した。

エネルギー安全保障とESG配慮

 ウクライナ戦争により、アメリカはしばらく忘れていたエネルギー安全保障を再認識した。バイデン大統領は再生エネへの移行を加速させる決意で政権入りしたが、ガソリン価格の高騰に直面し、逆に石油会社に生産増と精製能力への投資を依頼せざるを得なくなった。米国エネルギー情報局によれば今後数年にわたり米国の石油生産は80万バレル/日増大すると見込まれ、精製も現在フルキャパシティーで稼働中である。バイデン大統領はエネルギー移行の目標は下ろしていないが、世界全体が石油ガスを必要としていることを踏まえ、欧州に対し米国産LNGの供給を約束し、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)に石油生産増を求めているのは何とも皮肉である。

 現在アメリカを襲う40年ぶりの高インフレは、アメリカの政治・経済を不安定化させている。それを受けて、ESG(環境・社会・企業統治)配慮は経済全体にとって良いことだという考え方への反対論すら出始めた。7月6日のウォールストリート・ジャーナルは「ビジネスや投資家は、生産性低下と価格上昇を招くESG配慮はしばらく引っ込める必要がある」という社説を掲げた。企業はボトムラインを犠牲にはできない。長期的収益を追求する観点からはコスト圧縮と生産増が第一目標となるのも止むを得まい。ESGがこの先どの程度持続可能な理念として定着するのか。石油ガス価格の高騰は、本来は脱化石燃料のクラリオン・コールのはずだ。バイデン大統領はその矛盾に気づきながらも、政治の現実の前に、逆方向の政策に走らざるを得ない。

結びに

 このように、アメリカの気候変動政策は憲法的制約の中で、多元的・多層的・均衡抑制的に展開しており、政府による政策的方向付けはもちろんあるものの、その基底には自由な経済活動とその創造性に対する信頼が存在している。それはすなわち民主主義的・自由主義的であり、ジグザグと、失敗や脱線を繰り返しながら、最終的には望ましい方向に進んでいく。権威主義国家による上からの押し付けと比べると一見遅々としてコストも大きい。しかし、CO2削減という航路に沿ってアメリカは着実に進んでいることは間違いないというのが私の全般的な評価である。