スウェーデンのNATO加盟に思うこと


元駐スウェーデン大使 森元誠二

 マドリードNATO首脳会議における結論を踏まえて、7月5日、加盟30ヵ国はスウェーデンとフィンランドの加盟議定書に署名を行った。これで政治的、軍事的、法的に加盟基準が満たされることが認められ、両国のNATO加盟への道が正式に開かれることになった。ウラジーミル・プーチン・ロシア大統領は、ウクライナがNATO加盟を果たすことで西側同盟線が自国に近づくことを嫌って侵略戦争に訴えた筈だが、結果的には両国の加盟によって北欧諸国が全てNATO加盟国となり、その同盟線はバルト海を中心に据える形で自国により接近し、バルチック艦隊を擁する自国領カリーニングラードも包囲されるという思わぬ結果を招くことになった。

1.スウェーデンの「中立政策」
 筆者は2015年から17年にかけてスウェーデンに在勤した。赴任した年は、丁度、同国がナポレオン戦争後のウィーン会議以降、戦争を経験することなく過ごした200年を記念する年であった。この間、スウェーデンは「中立政策」を巧みに駆使してかくも長期にわたる平和を享受したのであるが、それは国際法で規定されたオーストリアやスイスの中立とは異なり、自国の外交政策として打ち立てられた「中立政策」である。それだけに、そこには裁量の余地があるように見えるが、その維持には並々ならぬ努力が払われてきた。
 日本ではあまり知られていないが、スウェーデンはかつて北欧からバルト海沿岸、ロシアに及ぶ「バルト帝国」を築き上げた。1523年に時の国王グスタフ一世がデンマークから独立を果たした後、国力の充実を図ったスウェーデンは30年戦争に際してグスタフ二世アドルフが新教徒側に参戦し、「北欧の獅子」としてその存在を恐れられた。しかしこの隆盛も長くは続かず、台頭するロシアの覇権に次第に押し戻される形で1700年の「北方大戦争」に敗北した後はバルト海の権益を急速に失い、自国領フィンランドもロシアの影響下に入って大国としての地位を失ってしまった。
 スウェーデンの「中立政策」はこのような歴史的背景から生まれたものであり、大国としての誇りを捨て、疲弊した自国の経済運営に集中するための方策として生み出されたものである。その意味で、自立性があり、柔軟性がある。実際、二度に亘る世界大戦を経て、国際社会が世界の平和と安定に一致団結して当たろうとする過程で次第に形骸化し、スウェーデンは軍事・安全保障分野でも共通政策を形成しようと努めるEUに1995年に加盟している。

2.「東方パートナーシップ」に対するロシアの不快感
 筆者がスウェーデンに着任したのは、ロシアによるクリミア半島併合の翌年であり、丁度国際社会、就中ヨーロッパとロシアの関係が険悪化した時期に当たる。民主主義や人道主義には筋を通すスウェーデンは、当時ポーランドと組んで「東方パートナーシップ」を推進し、ウクライナやベラルーシ、モルドバといった旧東欧諸国とEUの連携強化に向けて旗振り役を積極的に務めていた。
 この様な姿勢には欧州の一部に先走りを懸念する声もあったが、スウェーデンに対するロシアの反応にはまさに厳しいものがあり、ロシアの戦闘機や爆撃機によるスウェーデン領空の侵犯、航空交通管制用自動応答装置を遮断したロシア航空機の飛来、ロシア軍用機とスウェーデン民間機のニアミスなど偶発的とは考えにくい事案が次々と起こった。また、スウェーデン領海内には、国籍不明の小型潜水物体がしばしば出現したが、「ウィスキー・オン・ザ・ロック事件」(1981年にバルチック艦隊所属のウィスキー級潜水艦がカールスクローナ海軍基地で座礁するという事件)を経験している国民は誰しもがロシアによる仕業と確信していた。

3.NATO加盟を巡る国民意識の変化
 こう見てくれば、今回のスウェーデンによるNATO加盟申請は、ウクライナ情勢が直接的なきっかけにはなったものの、いつかはそうなると予想される当然の成り行きであった。社民党は2014年秋の総選挙に軍備増強を公約に掲げて勝利し、保守党から政権を奪還したステファン・ロヴェーン首相は2016年から6年かけて軍事費の増大を図ることにした。また、2010年に廃止された兵役も復活させることとし、2018年から18歳以上の男女の兵役登録を進めて国防力の強化に乗り出した。
 スウェーデン世論においてもロシアの脅威に対応する上で国防軍の装備が不十分であり、軍事費の対GNP比率も1%余りと他の北欧諸国に比べて低いことなどについての意識は深まった。折から、マーク・ブレジンスキー米国大使(ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官の子息)は、「スウェーデンはNATO加盟国ではないので、有事の際にNATOの支援を期待することは出来ない」と従来からの米国政府の発言を行ったが、そのタイミングと発言の場所がスウェーデン議会であったことから国民には政治的意味合いを込めたものと解されることにも繋がった。

4.NATO加盟への決断に至る背景
 この様な状況を踏まえ、2015年にヨーテボリ大学付属の研究所が行った世論調査においては、遂にスウェーデンのNATO加盟を是とする意見が38%を占め、反対の31%を初めて上回り、これまではどちらかというと否定的な見方が多数を占めていた世論にもはっきりとした変化が見られるようになった。
 ウクライナ戦争がスウェーデン政府をして一気にNATO加盟に向けて大きく方向転換させた背景には、いくつかの要因があろう。
 先ず第一に、ウクライナ戦争を契機として、スウェーデン自らがクリミア半島情勢以降増大するロシアの脅威を決定的なものと感じたことが挙げられよう。実は、その威嚇は軍事的なものに留まらず、公安警察庁長官がしばしば筆者に語ったように、専門家集団としてのルールを逸脱した形でロシア出先機関が国内で行う目に余る諜報活動にも明らかな通り、いつかロシアはスウェーデンに侵攻することを想定しているのではないかとの疑念を持たせるに十分なものであった。
 第二に、スウェーデンは伝統的に先ず自国の防衛力、次いでNATO加盟国である隣国ノルウェーを含む北欧諸国間の安全保障協力を強化することによって自国の安全を確保するという基本的立場を長年に亘って維持して来たが、ロシアによるあからさまな侵略行為を目にして、この従来の基本路線ではもはや太刀打ちできないと誰もが認識したことが挙げられよう。この視点に立てば、米国の力が相対的に衰えた現下の国際情勢に鑑みれば、集団安全保障機構たるNATOへの加盟以外にスウェーデンにとっての選択肢はなかった。
 第三に、スウェーデンにとってロシアはヨーロッパ近代史上、常に潜在的な敵国として存在して来ており、プーチン大統領のむき出しの力を目の当たりにして、結局ロシアという大国のリーダーはかつてのツァールと変わらない、あるいは、力を信奉する国というロシアの本質に変化は見られないと改めて多くの国民が悟ったことがあるのかも知れない。

5.武器輸出国のスウェーデン
 スウェーデンとフィンランドがNATOに加盟することの地政学的意味合いには大きなものがある。これにより、バルト海はいわばNATO諸国の内海となり、バルチック艦隊はNATO軍によって囲い込まれることになる。
 優れた武器の輸出国として世界有数の地位を占めるスウェーデンがNATOに加盟することの軍事的意義も大きい。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)のデータによると、2021年の数値でスウェーデンは世界第12位であるが、高い操縦性を誇るSAAB社グリペン戦闘機、合板材をうまく使用しステルス機能を有するコルベット艦、優れたエンジン性能を誇る潜水艦など世界でも評価される兵器を製造する武器輸出国である。非大気依存推進性に優れたスターリング・エンジンは、我が国でも海上自衛隊の潜水艦のためにライセンス生産され長年使われて来ている。

6.スウェーデンにおけるクルド人
 スウェーデンのNATO加盟を最終実現する上で今後注目されるのは、トルコの姿勢である。筆者は遠山敦子大使の下でビュレント・エジェヴィト首班政府のトルコに1998年から2001年まで在勤した経験を有しており、その間、首都アンカラに現地事務所を構えるクルド人指導者のジャラル・タラバニ氏(後にクルド人初のイラク大統領に就任)やマスード・バルザニ氏(後にイラク領クルディスタン自治政府議長に就任)とは折に触れて意見交換を行った。また、1998年にはクルド労働者党(PKK)の創設者アブドラ・オジャランが海外で逮捕されるというセンセーショナルな事件にも遭遇した。最終的にオジャランはトルコに移送されて死刑判決が確定したが、その後減刑されて現在も服役中とみられる。いわば首根っこを掴まれたPKKは、その間武装闘争からの転換を余儀なくされている。トルコは、クルド人の民族自決が分離独立運動に結び付きかねないとの懸念から常にその動きに神経質であり、時に過剰にクルド人を弾圧する傾向がある。
 スウェーデンという国は人道主義を尊重し人権を擁護するとの立場から、これまでも難民や政治的亡命者を多数受け入れてきている。これは何もクルド人に限ったことではない。朝鮮戦争、アフガニスタン紛争、イラン革命、イラク戦争、シリア戦争、近くはウクライナ戦争など、従来からも政治的混乱や迫害などによって生じる孤児や難民を、彼らがスウェーデン社会へ受容されようと努力する限りにおいて、積極的に受け入れて来ているのである。
 クルド人についてみれば、1970年代のドイツのように彼らを労働者として受け入れたというよりは、彼らをトルコ国内政治における左右両派の対立先鋭化や1980年代の軍事クーデターを契機とする弾圧によって生まれた政治難民と認めて自国に受け入れて来た。従って、彼らには知識人や文化人が多く、スウェーデン移住後も自己の言語や文化的アイデンティティーを保持しつつ、一定の存在感を伴って社会で暮らしている。今や10万人にも及ぶクルド人コミュニティーからは、国会議員、医師や弁護士などの職業に就く者も生まれている。

7.スウェーデンのNATO加盟問題にまつわるトルコの思惑
 1923年の共和国建国以来、トルコ政府はトルコ民族中心の国家建設を推し進める中で、クルド人を同化政策の対象とみなして種々の抑圧や差別を強いて来た。とりわけ、最近では、スウェーデンとフィンランドのNATO加盟問題が喫緊の課題となる中で、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がスウェーデンに関しては対トルコ武器禁輸を行っていること、同国がテロ組織の「揺籃の中心地」になっていることを挙げて、フィンランドと共にNATOに加盟することに反対する意向を示して来た経緯がある。
 トルコの反応はいかにも相手の足元に付け込む「バザール商人」的な発想と言えなくもないが、これら当事国のいざこざはマドリードNATO首脳会議の外縁で結ばれた6月28日付三国外務大臣間の覚書にて一応の決着を見た形になっている。そこでスウェーデンは、自国の武器輸出規制の枠組みをNATO加盟国に対する輸出に適合する形に改めてトルコに対する禁輸措置を撤廃することと共に、クルド人民防衛隊・クルド民主統一党(YPG/PYD)を支援しないこと及びクルド労働者党(PKK)が禁止されたテロリスト組織であると認めることを確認している。また、スウェーデン及びフィンランド両国は、同覚書においてトルコとの間で懸案となっているテロ容疑者の国外退去(deportation)及び引渡(extradition)の問題に迅速かつ徹底して取り組むことと共に、欧州犯罪人引渡条約に従ってトルコとの間で引渡と治安協力を促進するための法的な枠組をそれぞれ設けることなども規定されている。

8.この先のスウェーデンの対応
 スウェーデンとフィンランドのNATO加盟という目前の課題の前に、マドリードにおける三国合意は解釈の余地を残す形で拙速に達成された感は否めない。トルコ側の個別の要求や要請を始め覚書の細目実施に関しては、今後、三国の間で外務・内務・法務各省、諜報・公安機関の専門家の参加を得た常設共同機関において詰めていくことになっているので、今後の展開はトルコ側の出方によるところが大きいと思われる。トルコ人のメンタリティーに鑑みれば、両国は目一杯の要求を突きつけられて対応に苦慮することもあろう。ひょっとするとクルド人の中からもスウェーデンの国益よりはクルド人の利益を重視する声が同国政府に向けられないとも限らない。
 欧州犯罪人引渡条約には、自国民の引渡拒否、政治犯の引渡拒否、死刑のある国への引渡拒否の規定がある。スウェーデンに難民として受け入れられたクルド人は多くがスウェーデン国民であり、元をたどると政治的迫害を受けたことを理由に難民認定されている事例が多い。また、トルコでは、エルドアン大統領が2016年のクーデター未遂事件を契機に死刑制度の復活を支持すると公言するようになっており、スウェーデン人の目からはクルド人はトルコ国内で潜在的に死刑の危険に晒されると映るであろう。
 人道主義を高らかに掲げるスウェーデンとしては、全体の国益を加味しつつ、国内に在住するクルド人の人権を守るためにはあらゆる手立てを駆使するものと容易に想像できる。この問題を契機に、スウェーデンが「他より抜きん出て目立ってはならない」とする北欧に特有の「ヤンテの掟」のメンタリティーを抜け出て、自国の安全と生存に係る問題に関し国際場裡で一層声高に自己主張をするようになるかどうか、この先の対応は大いに見ものである。

(2022年7月14日記)