サウジアラビアの発展ビジョンと中東情勢


駐サウジアラビア大使 森野泰成

サウジの変容、リヤド万博
 サウジアラビアは、日本にとってエネルギー安全保障の伝統的パートナーですが、近年、非石油分野でも注目されるようになりました。昨年は日本から様々な分野の人々がサウジを訪れ、音楽家のYOSHIKIさんの公演や、ボクサーの井上尚弥選手の試合が行われました。日本企業の進出も着実に進み、酷暑の夏が過ぎた昨年10月以降には、日本の製造業の工場拡充や、その他日本企業の新事務所開設が相次ぎました。サウジが毎年主催するEスポーツワールドカップは、日本のゲーム業界からも注目されています。こうした非石油分野での目覚ましい展開はすべて、サウジの若き指導者ムハンマド皇太子肝いりの国家発展戦略「サウジ・ビジョン2030」の下で繰り広げられています。同皇太子は、とかく保守的な国と見られてきたサウジを世界へと開放し、石油収入への依存から脱却させて、非石油経済を強化するため、強力な指導力を発揮しています。そして、2030年にはリヤド万博、2034年にはサッカー・ワールドカップを主催することになっています。

イランをめぐる中東情勢の悪化
 サウジが、日本から万博のバトンを引き継ぎ、開催準備の作業を本格化させていた矢先に、米・イスラエルがイランに対する攻撃を実施したと発表しました。イランは、米・イスラエルの攻撃に対抗するため、湾岸諸国の米軍プレゼンスへの攻撃にとどまらず、湾岸諸国の空港、港湾、エネルギー関連施設や海水淡水化施設といった広範な民間施設をも攻撃しました。更にイランは、ホルムズ海峡を通航する商用船舶も攻撃目標としたため、同海峡の通航が事実上停止し、湾岸諸国と世界との間のエネルギー資源貿易を含む物流が大きく妨げられることになりました。サウジをはじめとする湾岸諸国は、地域における攻撃の応酬の火の粉をもろにかぶることになってしまいました。

 湾岸諸国とイランの間には、宿命的とも言える対立関係があります。サウジは、1979年に生まれたイラン革命政権による核・ミサイル開発や、レバノンのヒズボラや、イエメンのホーシー派等を支援しているとされることに関し、強い不信感と懸念を持ち、こうしたイランの脅威に対抗することも念頭に、他の湾岸諸国とともに、米国との安全保障協力を深めてきました。今回の事態においても、湾岸諸国は、イランへの攻撃に自国の領域を使用させないと主張していますが、米軍の軍事アセットの配置を許容しています。このような湾岸諸国と米国との安全保障協力関係自体が、今回のイランによる攻撃のターゲットになったと考えられます。一方、湾岸諸国は、イランの攻撃を迎撃することに専念し、報復攻撃は自制してきています。湾岸諸国としては、情勢が悪化しないように忍耐強く自制し、深入りすることを避けていると見られます。

 サウジは、2016年以来断絶状態にあったイランとの国交を、2023年に中国の仲介を得て、正常化させ、以来、両国はハイレベルでの対話を続けてきました。2025年5月には、ムハンマド皇太子の実弟に当たるハーリド・ビン・サルマン国防相がイランを訪問してハメネイ最高指導者(当時)と会談しました。こうした対話は、両国間の懸案事項を解決するには至っていないとされています。しかし、2025年6月に発生した米・イスラエルとイランの間のいわゆる「12日間戦争」では早期沈静化に国交が正常化されたサウジとイランの関係が大きく寄与したと考えられます。この時イランは、カタールの米軍基地を攻撃しましたが、それ以上に事態が悪化することはありませんでした。

 今回の事態は拡大、長期化し、サウジ自身も多くの攻撃を受けました。しかし、それでもなお、サウジは、イランとの国交を維持しています。サウジは、イランの現政権が今回の事態の中で打倒されることはないとの見通しの下、同政権と話し合いができる条件を維持しようとしているように思われます。サウジは、問題は話し合いで解決するとの基本的考え方に立って、イランに対する「外交」圧力を強化することに集中しています。特に、国連安保理において、湾岸諸国(安保理メンバーはバーレーン)が、イランに対して、湾岸諸国への攻撃を取りやめるように要求する決議案を提出し、いずれの常任理事国からも拒否権の発動を受けることなく、135カ国が共同提案国に名を連ねる決議の採択に成功しました。この決議採択に際して、サウジは、米露中などと首脳、外相レベルの電話会談を実施するなど、積極的な外交を展開しました。更にサウジは、イスラム諸国との連携を深めるため、リヤドで主要イスラム諸国の外相会合を主催したり、パキスタン、エジプト、トルコの外相とともに、イスラマバードで会合を行いました。

 我が国も、外交に力を入れるサウジとの連携を深めています。情勢悪化以降、茂木外務大臣は、ファイサル外相との間で2回に亘って電話会談を実施し、エネルギー安全保障の面では、赤澤経産大臣が、アブドゥルアジーズ・エネルギー相との間でやはり2回電話会談を実施しました。ホルムズ海峡の航行の安全確保のために英国が多国間の枠組みを立ち上げるべく調整を開始しており、我が国もサウジと共に、国際社会による外交努力に積極的に関与しています。

 今回の事態のエンディングの形は未だはっきりしていません。サウジにとっては、イランが湾岸諸国への攻撃をやめることと、そして、ホルムズ海峡の通航が元通り国際法に基づいて自由にできるようになることが必要不可欠です。パキスタンの仲介によって、米とイランの間で交渉が行われるなど、少しずつ攻撃の応酬から話し合いのフェーズに移行しつつある様子ではあります。しかし、攻撃の応酬が終わるだけではなく、ホルムズ海峡の通航が回復される必要があります。ホルムズ海峡の通航は国際法上保障されているはずですが、イランも、米軍基地の存在を含め、湾岸諸国と米国の安全保障協力を議題に載せようとするかもしれません。

 サウジにとって、米国との強固な関係は、伝統的に外交の柱の一つとなってきました。1945年2月に、当時のアブドゥルアジーズ初代サウジ国王がルーズベルト大統領と、米国巡洋艦内で歓談している様子を写した写真が、サウジでは、米国との歴史的な関係を象徴するものとしてよく知られています。昨年は、両国首脳の相互訪問があり、2025年5月には、トランプ大統領がサウジを訪問し、11月にはムハンマド皇太子が訪米しました。そして、同訪米では、サウジの対米投資額として、ムハンマド皇太子が1兆ドルを約束したとの報道が話題になりました。このような歴史的関係を持つサウジと米国の間の調整が、事態の沈静化においても重要な意味を持つと思われます。

パレスチナ問題
 今回の事態の火蓋を切ったのはイスラエルでした。パレスチナの占領によって中東で孤立するイスラエルにとって、自国の安全保障は最優先事項であり続けています。2023年10月以降のガザをめぐる情勢から2025年10月まで続いたガザ戦争は、凄惨を極めていますが、結局イスラエルは、軍事力によって、パレスチナ人をガザから追い出すことはできませんでした。
 パレスチナ問題の解決のため、サウジは、イスラエルが占領地から撤退してパレスチナの独立国家を承認するのと引き換えに、すべてのアラブ諸国がイスラエルとの国交を正常化するという提案を行っています。2002年に提示された「アラブ和平イニシアチブ」(2002年にベイルートで開催されたアラブ連盟首脳会議で採択)と呼ばれるこの提案は、イスラエルと、独立したパレスチナ国家が平和裡に共存するという、いわゆる「二国家解決」への道筋を示したものです。サウジとしては、上記のガザ情勢の結果-パレスチナ人を西岸・ガザから追い出せないということ-によって、同イニシアチブの説得力が増したと考えています。サウジが現在推進している「二国家解決のための国際同盟」(注:我が国も参加。)は、「二国家解決」について、国際社会の広い支持を形成しようというものです。
 その一方、米国のトランプ政権は、二国家解決への支持を明言せずに、アブラハム合意という異なる平和ビジョンを提示しています。それは、アラブ諸国とイスラエルの間で個別に国交正常化を進めるというもので、湾岸諸国の中ではUAEとバーレーンがこの考え方に賛同して、2020年にイスラエルと国交正常化しました。サウジアラビアとしては、イスラエルが中東地域で平和裡に生存するビジョン自体は支持していますが、パレスチナ国家の独立を掲げていない点が受け入れられないところです。
 パレスチナ問題は、しばしばland for peace、即ちイスラエルの安全と、パレスチナの領土を交換する問題と言われますが、同時に、正義の問題、パレスチナ人の尊厳の問題でもあります。特にイスラム教の聖地メッカとマディーナを抱えるサウジとしては、イスラム諸国全体の平和と安寧を支持する立場にあり、イスラエル占領下で尊厳ある生活を奪われているパレスチナ人の問題の解決は、サウジにとって根本的な関心事項であり続けています。

サウジ・ビジョン2030と日本の協力
 湾岸諸国の中でサウジは、今回の事態がもたらす混乱に対して耐性があると言われています。特に、ホルムズ海峡を通じて輸出できなくなった原油を、東西横断のパイプラインによって、紅海沿岸のヤンブー港から(ホルムズ海峡を経由しないが、ホーシー派支配地域に近いバブ・エル・マンデブ海峡を通過するルートで)積み出すことができます。紛争後にヤンブーから積み出された原油が、我が国の港に到着したことは、リヤドでも話題になりました。また、サウジ・ビジョン2030の下で非石油分野の農業、工業が既に育ってきていることも大きな助けになっています。今回の事態は、石油依存脱却の方向性を後押しすることになると思われ、ビジョン2030の推進は不変であろうと思います。

 そもそも、ビジョン2030の達成のためには、サウジ人人口の6~7割と言われる若年層を良質な労働力へと転化していくこと、水や電力といった基礎インフラを増強すること、リヤド等の都市の住宅、交通を含むインフラ整備を推進することといった、避けては通れない課題があります。この課題解決に向けて、我が国政府及び民間部門としても、様々な協力を行いうると考えられます。両国政府は、2016年以来、日・サウジ・ビジョン2030と称する閣僚級の枠組みの下で、石油・石油化学にとどまらない幅広い分野での人と人の交流を図ってきました。昨年に日本・サウジ外交関係樹立70周年のお祝いを終えた今年、現下の混乱を乗り越えられるか、両国関係にとって重要な年になっています。

(2026年4月15日記。本稿の内容は筆者の個人的見解であり、日本政府の立場を表すものではない。)