コスタリカは「幸せの国」に戻れるだろうか?


前駐コスタリカ大使 伊藤嘉章

 本年3月5日、当国最初の新型コロナ感染患者として米国人旅行者夫妻が認定された。同月18日、78歳のコスタリカ人男性が犠牲者1号となった。人口比で日本の24分の1の小国で始まった新型コロナウィルス感染は、その後みるみる拡大し、今ではその感染者数ベースで世界47位(11月16日時点)。日本のそれ(51位)を上回るに至っている。
 コロナによる自粛が長引くに連れ、国の経済は疲弊。路上生活者も目に見えて増え、治安は悪化。更には、IMFからの融資受け入れの条件となる増税に反対する人々により各地で暴力的な道路封鎖が発生。この国の経済・社会的安定を益々危機的状況に陥れている。
 コロナ禍前、この国は、世界幸福度ランキング(国連調べ)で12位、中南米地域では1位、また、平均寿命は79.6歳でこれも中南米最長寿の国に位置づけられるほど、安定且つ穏やかな社会作りに成功していた筈であった。
 果たしてこの国は再び「幸せの国」に戻れるのであろうか?

1.コロナ発生当初の健闘

 3月から5月頃まで、市中でマスク購入が難しかった時期にも関わらず、この国でのコロナ感染は、かなりコントロールされていた。むしろ、政府による素早い対策は成功したかに見られ、国際メディアも賞賛していた。特徴的だったのは、それが「強制措置」に基づくものでなく、国民の自主的な協力、将に良い意味での自制・自粛によるものだった。常備軍不保持で有名なコスタリカ憲法は、人権重視の面でもユニークで、強制外出禁止令は憲法違反となる。このため、政府が打ち出せたのは、精々、衛生規則に基づく車両通行制限違反に対する罰金と入境の原則禁止程度であった。

 それでも、当初はそれだけでも効果的であった。その最大の理由は、この国には感染症との長い戦いを通じて築き上げられた保健システム(EBAIS)が存在していたためである。
 即ち、ちょうど100年前この国をスペイン風邪が襲い2300名の命を奪った。当時の人口は今の10分の1の50万人程度なので、その経済的社会的な打撃の大きさは想像に難くない。実際、その大きな人的被害は公衆保健省の創設につながった。高度・高額な医療を国民に行き渡らせるほど裕福ではなかったこの国では、コミュニティ毎に、民生委員と衛生管理者の双方の役割を兼ねた責任者を中心にして必要な医療支援を届けるこの制度が、その後の様々な感染症、特にマラリア、デング熱といった昆虫由来の感染症に対する戦いの中で、長い時間をかけ定着した。結果、今回の新型コロナ来襲においても、中軽症者が恐怖にかられて病院に殺到し、クラスターを発生させ、医療崩壊につながるという最悪事態を避ける一次防波堤の役割をきちんと果たした。

 しかし、6月になると、その制度だけでは今回の感染症は防ぎきれないことが明らかとなった。大きな盲点があった。近隣からの季節労働者の流入である。

2.経済の二重構造がもたらした感染の急拡大

 現在のコスタリカは多様な自然を生かしたエコツーリズム観光と主に米国人を対象とした医療ツーリズム、そして、先端医療機器製造産業が国の経済の柱となっている。実際、この国を訪れる観光客は年間300万人以上、それも長期滞在型が多い。一方、フリー・トレード・ゾーンでの税制優遇措置を用いて、世界中の大手医療機器メーカーが投資を行い、今はアイルランドに次ぐ世界的な医療機器の産業集積ポイントが形成されつつある。因みに、北中米で対日黒字を記録しているのはわずか3カ国(地域)だが、その一つがコスタリカである。(その主要輸出品は、血管拡張に用いるステント。)

 しかし、パイナップル、バナナ、コーヒー、乳製品といった農産品も地方における雇用の維持という観点から主要産品として位置づけられている。同産業にとって不可欠なのが、農繁期における低賃金で働く外国人季節労働者で、特に、労働者数ではニカラグア人が圧倒している。また、彼らは建築現場作業員としても重宝され、正確な数字は不明だが約60万人程度のニカラグア人労働者がコスタリカに滞在あるいは両国間を行き来しているといわれている。
 隣国ニカラグアとコスタリカは、政治的には長年反目しているが、経済的に見ればニカラグア人労働者がいなければ、コスタリカ経済は成り立たず、また反対に、コスタリカでの出稼ぎ収入がニカラグア市民の生活の支えになっているとの相互補完関係にある。
 6月以降、ニカラグア国境で働く、この季節労働者の間で新型コロナの感染クラスターが発生、それが首都のニカラグア人が多く住む低所得者地域に飛び火、瞬く間にコスタリカ全土に感染が広がる事態となった。
 
 また、コスタリカのもう一つの隣国であるパナマでもコロナ感染は深刻だが、そもそも両国国境を物理的に隔てるものはなく、以前、筆者もその国境視察の際に、国境線上に建てられたモールと知らずに、そこで昼食をとってしまい、コスタリカ・コロンで支払いができず往生した経験もある。コスタリカは11月1日から、在留資格を有する外国人は入国可能とする現実的な措置に踏み切ったが、それでも昔から日常的に行き来する地元の人々(特に森を移動する原住民の人々)を厳格に管理することは不可能に近いと思われる。

 いずれにせよ、現在、コスタリカでは、一日平均17名の死亡者を記録し続けており、高齢者人口が多いという特徴もあってその伸びは止まらず、早晩、死者数でも日本を越えるものとみられる。

3.深刻な経済的・社会的衝撃、国庫の払底

 6月を過ぎると、国民の間に長引く自粛に対する疲弊感が顕在化してくる。経済の悪化(本年予測値でマイナス5.5%)と失業者が増加(直近値で23.2%)。町にはホームレスが増え、夜間にゴミ袋を漁り、朝、路上にゴミが散乱する様は、これがクリーンなイメージを売りにしている観光国かと目を疑う状況になっている。当然、治安も悪化。更に、家庭内暴力も頻発している(人権NGO調べで昨年の約3倍)。
 しかし、政府に財政的余裕はない。昨年末、累積債務解消のための増税法案を通過させたばかり。また、その際に政府支出の切り詰めを約束しており、これ以上の緊縮は極めて難しい状況にある。(例えば、外務省は幾つかの在外公館の閉鎖を余儀なくされ、また、出張旅費も大幅削減され身動きがとれなくなっている。)
 必然的に、政府はIMFから思い切った財政融資を受け、この最悪の事態の克服に乗り出したが、IMFによる増税反対を標榜する道路封鎖(山猫スト)が各所で頻発。これまでのこの平和な国では全く想像しなかった、警官隊との衝突で火焔瓶が飛び、重傷者も出る事態となった。(唯一幸いなのは、デモ参加者・警察双方で未だ死者ゼロなこと。)
 このため、アルバラード大統領はIMFとの交渉案(増税)を一旦白紙に戻し、抗議者との対話を模索する姿勢を示したが、道路封鎖による物流停滞の暗いニュースが世論を更に揺るがしている。
 いずれにせよ、コロナ前から既に警戒水準にあったコスタリカの財政状況(2019年の政府債務は対GDP比で58.3%)は,コロナの追い打ちにより2021年には同債務比率は80%にまで増加すると予測されている。
 
4.民主主義制度のコスト:決められない政治

 コスタリカでは二大政党制は既に過去のものとなり、多党化により少数与党による政権運営が長く続いている。現在のアルバラード大統領が所属する市民行動党(PAC)に至っては、国会57議席中、わずか10議席を占めるに過ぎない。このため、決められない政治、決まっても骨抜きだらけの政策決定が目立つ状況が続いている。特に、再来年2022年2月に行われる大統領及び国会議員選挙に向けた与党対野党あるいは野党間の政治的対立が益々露骨となりそれが国民の不満と閉塞感を大いに高めている。コロナ禍当初は6割に達していたアルバラード大統領支持の国民の声は、今では15%まで急落している。
 
5.救世主は現れるのか?

 では、今後、この国を救う救世主は現れるのだろうか?あるいは,背に腹は代えられず、これまで疎遠であったいずれかの中央集権的国家に救いの手を求めることがありえるのだろうか?

 現時点では、その可能性はかなり低いだろう。この国では、国内外の独裁者による脅威に悩まされてきた歴史を鮮明に記憶しており、国民は、右でも左でも独裁という言葉に強い嫌悪感を抱いている。
 更に、この国の報道の自由度は高く(「国境の無い報道団」のランキングでは、中南米カリブでジャマイカに次いで2位の自由度)、また、国民の知る権利を重視する司法府の対応にもぶれがない。水面下の取引を重視する独裁国にとって、コスタリカは誠にやりにくい相手と云うほかない。

 ただ、ポピュリスト的手法を上手に駆使するカリスマ政治家が出現し、1年半後の総選挙で大統領職と国会議席の半数以上の双方の権力奪取に成功した場合には、地域の平和と安全を犠牲にし、国際的人権を無視した「コスタリカ・ファースト」の政策が打ち出される可能性は皆無ではない。
 ただ、それは、必然的に国際自由社会のこの国に対する好感度を急落させよう。特に,米国の失望感は相当であろう。何故なら、コスタリカは、米国人にとって好感度ナンバーワンの中南米国の地位を今なお享受しているからである。(ただ、コスタリカ人が米国を好きかというと、そうでもない。)

6.イメージの良さこそがコスタリカの重要な資産

 情報戦略において、「平和でクリーンでグリーン」とのコスタリカの国際イメージは、その実態がどうあれ、かけがえのない資産である。筆者としては、国民の間のコンセンサス作りに時間が懸かっても、この資産の重要性を常に認識し、持続的成長の軌道に一歩一歩戻していくことが、この国が「幸せの国」に戻る唯一最善の方途であると思う。
 あせらず、急がず、怠けず、遅すぎず。
 我が国としても、この国が法の支配と民主主義の価値観を共有できる国であり続けられるよう、あせらず持続的に支援していくことが肝要と考える。
 昨年コスタリカにカマキリの着ぐるみ姿で現れた昆虫好きの歌舞伎俳優K.T.氏が次にこの国に行かれる際には、是非、「コスタリカすごいぜ」と言ってもらえることを心から期待している。「お、し、まい、デス」では悲しすぎる。
(令和2年11月16日記)