カンボジアNOW-日カンボジア関係、タイとの国境問題、特殊詐欺事案を中心に


駐カンボジア大使 植野篤志

1.はじめに
 日本とカンボジアは2023年に外交関係樹立70周年を迎え、それを機に二国間関係は「包括的戦略的パートナーシップ」へと格上げされた。筆者は2023年7月にこの霞関会の会報に「外交関係樹立70周年-日本とカンボジアの包括的戦略的パートナーシップ」を寄稿する機会をいただき、日カンボジア関係70年の歩みと両国関係の状況を紹介させていただいたが、本稿ではその後の日カンボジア関係の進展とカンボジアを取り巻く現在の状況を、特にタイとの国境問題及び特殊詐欺事案に焦点を当てて述べさせていただきたい。なお、文中の肩書きは全て当時のものである。

2.外交関係樹立70周年以降の日カンボジア関係の進展 
 2023年の日カンボジア外交関係樹立70周年には年初から年末にかけて日本とカンボジアの双方で数多くの記念行事が開催されたが、いずれも成功裏に終了し、双方の国民が相手の国に対する関心を高めたことで、「包括的戦略的パートナーシップ」は幸先良いスタートを切ることが出来た。また、同年12月には東京で開催された日ASEAN特別首脳会議に参加するため、8月に就任したばかりのフン・マネット首相が訪日した。
 2023年の70周年記念行事があまりに盛り上がったため、筆者は、2024年はその反動で両国間の様々な交流や行事・イベントの開催が停滞するのではないかと密かに危惧したのだが、全くの杞憂に終わった。まず、両国ハイレベルの往来が大変活発に行われ、カンボジアからは1月にフン・セン前首相(現上院議長)、4月にシハモニ国王陛下が、いずれも私的な用向きではあるものの日本を訪問した。日本からは7月に上川陽子外務大臣、8月に木原稔防衛大臣、12月に秋葉剛男国家安全保障局長がカンボジアを訪問した。また、経済面では、5月に豊田通商によるトヨタ車組立工場の開所式がフン・マネット首相臨席の下、プノンペン経済特区で開催されたほか、カンボジアへの投資規模の点で最大の日本企業であるミネベアミツミ社がポーサット州に第二工場の建設を決定し、9月にその起工式が開催された。
 このような両国関係発展の勢いは今年(2025年)に入っても衰えることなく、年が明けてすぐの1月に加藤勝信財務大臣がカンボジアに来訪し、2月には我が国で言えば内閣官房長官に当たる閣僚評議会担当大臣を兼ねるボンセイ・ビソット副首相が訪日した。4月には改修を終えたばかりのリアム海軍基地に外国の艦艇としては初めて海上自衛隊の掃海艇2隻が寄港し、日カンボジア間の防衛・安全保障協力の目覚ましい進展を内外にアピールすることが出来た。

リアム海軍基地に寄港した海上自衛隊の掃海艇
(海上自衛隊Facebookより)

 翌5月にはフン・マネット首相が日本を公式訪問し、石破総理大臣との首脳会談を行い、両首脳は日・カンボジア共同声明及び「経済共創パッケージ」を発出した。

日・カンボジア首脳会談後の共同記者発表
(写真:官邸広報室)

 また、カンボジアは4月に開幕した大阪・関西万博にパビリオンを出展し、7月5日のカンボジア・ナショナルデーに合わせてソック・チェンダ・サオピア副首相が訪日した。政府間以外の日カンボジア交流やイベントの開催なども依然として活発で、10月にはエア・カンボジアが成田とプノンペンを中国・福州経由で結ぶ週3便の路線を新規就航させた。

3.タイとの国境紛争と日カンボジア関係への影響
 このように日本とカンボジアの関係は外交関係樹立70周年以降も概ね順調に発展してきているのだが、そこに暗い影を落としているのがタイとの国境問題である。
 カンボジアとタイとの国境問題は、カンボジアがまだフランスの植民地だった20世紀初頭のシャムとフランスとの取決めに端を発する長い歴史的経緯のある問題であり、紙幅の関係もあるので本稿ではその詳細に触れない。2025年に入ってから生じたことだけを簡単にまとめると以下のとおりである。
 まず、5月28日、プレアビヒア州モムバイ(カンボジア側)・ウボンラーチャターニー県チョンボック(タイ側)の係争地域において両国軍隊の間で軍事衝突が発生し、カンボジア兵1名が死亡した。その後、6月7日にタイ側がカンボジアとの国境を閉鎖し、両国が国境管理の強化や物流制限を課す形で緊張状態が続いた。6月中旬には、カンボジアのフン・セン上院議長とタイのペートンターン首相との電話での会話が外部に流出し、タイの内政が流動化するきっかけとなった。
 7月16日と23日にタイ軍兵士が地雷により負傷し、7月24日に再び軍事衝突が発生。カンボジア・タイ双方に民間人を含む数十名単位の犠牲者と数百名の負傷者、更に数十万人規模の国内避難民が発生した。事態の悪化を受け、ASEAN議長国のマレーシアのアンワル首相が停戦の仲介に乗り出し、それに米国のトランプ大統領も加わって、7月28日、カンボジアのフン・マネット首相とタイのプームタム首相代行との間で即時・無条件の停戦に合意した。
 10月26日には、停戦合意を着実に履行すべく、フン・マネット首相とタイのアヌティン首相が、トランプ大統領、アンワル首相立ち会いの下、クアラルンプールで共同宣言に署名した。しかし、11月10日にタイ軍兵士が再び地雷により負傷し、同12日にタイ側からの銃撃によりカンボジアの民間人が死傷する事件が発生したことを受け、タイ側は停戦合意とクアラルンプール共同宣言の履行停止を決定した。本稿執筆時点(12月初旬)では、大規模な戦闘こそ生じていないものの、国境地帯における両国の緊張状態は続いたままである。

2025年8月、タイとの国境近くの避難民収容施設をカンボジアの外相とともに視察する筆者

 最初の衝突が起きた5月28日は、フン・マネット首相が首相としては初の公式訪日のために日本に到着する日だった。筆者は首相一行の接遇のため日本に用務帰国中だったが、衝突発生の第一報を聞いた時、これによりフン・マネット首相の訪日日程が影響を受けるのではないかと危惧した。幸いにもそうした事態には至らず、1.に書いたとおり、フン・マネット首相の訪日は成功を収めたのだが、カンボジアとタイの国境紛争は以下の2つの点で日カンボジア関係にネガティブな影響を及ぼしている。
 第1に、タイとの間の陸上国境が全面的に閉鎖されたままのため、国境をまたいで操業している日本企業は部品や製品の陸路での輸送に大きな支障を来している。カンボジアに進出している日本の大企業は、その多くがサプライチェーンの多角化のためにタイから生産拠点の一部を移す、いわゆる「タイ+1」としてカンボジアに進出しているため、陸上国境の閉鎖に伴う輸送のコストや時間の増加は、こうした企業にとって深刻な問題である。そのため、筆者はタイ駐在の大鷹大使とともにカンボジア・タイそれぞれの政府に対して陸路国境における物流の早期再開を働きかけているのだが、度重なる情勢の緊迫化や双方の国民感情もあり、再開はなかなか容易ではない。
 第2に、人の往来への影響である。陸上国境の閉鎖にもかかわらず、タイとカンボジアを結ぶ航空路線は(軍事衝突の発生直後を除き)国境紛争の影響を受けていない。しかし、カンボジア最大の観光地アンコールワットがタイとの国境から約100kmと比較的近くに位置していることや日本からカンボジアを訪れるツアーの多くがタイ滞在とセットで日程を組んでいることから、5月の軍事衝突以降、日本からカンボジアへの団体観光旅行がキャンセルとなったり、日本の学校やNPOなどが主催するスタディツアーが延期されたりする現象が見られた。カンボジア当局の統計によれば、アンコールワットを訪れる日本人観光客の数も(観光以外の目的を含む)カンボジア全土への日本からの渡航者も国境紛争が激化する以前と比較して大きく減少しているわけではないが、カンボジアに関して「戦争中の国」、「危ないところ」というイメージが日本国内で広まってしまったことは大変残念だった。
 タイとの陸上国境が閉ざされたままであることにより、一時は食料品や生活用品などの輸入が止まったり、タイの企業が運営するガソリンスタンドやコンビニエンス・ストアがカンボジア人消費者の不買運動の対象になったりしたが、現在ではそうした動きもほぼ落ち着き、首都プノンペンで生活する限りは以前と変わらない平穏で安全な暮らしが保たれている。アンコールワットのある観光地シェムリアップも同様で、特にイベントなどの開催時は多くの人で賑わっている。
 我が国はカンボジアともタイとも長年の友人であり、両国の国境問題が平和的な話し合いにより一刻も早く解決することを心から願っている。

4.特殊詐欺問題
 もう一つ、日カンボジア関係の順調な発展に暗い影を落としているのが匿名・流動型犯罪グループ(いわゆる、トクリュウ)を含めた特殊詐欺問題である。特殊詐欺による被害の増大は、我が国ではかねてよりいわゆる「オレオレ詐欺」等の形で大きな社会問題となってきたが、最近では、組織犯罪集団がカンボジアを含む東南アジア諸国を中心に設置した拠点から大量に発せられるSNS等のメッセージにより、投資詐欺、ロマンス詐欺等の被害に遭う人が急増しており、そうした犯罪に被害者としてのみならず加害者として自国民が関与するケースが増えていることから、我が国をはじめ多くの国で特殊詐欺対策が内政・外交の両面において重要かつ緊急性の高い課題となっている。
 カンボジアにおいて日本人が関与する特殊詐欺事案が認知されたのは、筆者が着任した2023年初頭あたりからで、その当時は日本人が関与する事案が明るみに出るのは数ヶ月に1件程度だったのが、2024年にはそれがほぼ毎月のように起こるようになり、2025年に入ってからはそれがほぼ毎週となり、最近では週に何件も、場合によってはほぼ連日、日本人が関与する事案が発生している。
 特殊詐欺への日本人の関与を当館が察知するのは、①家族や友人・知人からの通報、②本人からの連絡(救助要請)、③カンボジア当局による摘発のいずれかが契機となるが、当館としては、まずはトクリュウを含めた組織犯罪集団に拘束されている邦人の身の安全を確保することを最優先に対応し、保護された邦人が日本国内での特殊詐欺事案に関与した疑いがある場合には日本への送還と日本の捜査当局への身柄の引渡を、そうでない場合には安全な帰国を早期に実現できるよう努めている。事案の察知から日本への帰国までは1件あたり数ヶ月を要するのが通例であり、最近では当館はそうした事案を常に複数件、並行して処理している。

2023年11月、カンボジアで特殊詐欺に関与し、日本に移送される日本人(カンボジア入国管理局Facebookより)

 こうした事例を数多く処理してきた経験から感じるのは、特殊詐欺を実行するトクリュウを含めた組織犯罪集団が多国籍化・巨大化し、最先端の科学、特にAIや情報通信技術を駆使して世界中から巨額の金を詐取している一方、格差の拡大と社会的なつながりの喪失により経済的に困窮し、周りの助けを得られない人が日本でも他の国でも多数存在し、そうした人々が犯罪集団の「甘いささやき」に吸い寄せられ、その結果として闇バイトに応募してしまうという構造的な問題である。特殊詐欺を巡る問題は単なる在外公館の業務の問題としてではなく、上述のとおり、内政・外交両面にわたる緊急課題として日本政府全体で真剣に取り組む必要があると強く感じる。
 特殊詐欺事案の頻発はカンボジアに限った現象ではないのだが、それでも日本国内でのカンボジアのイメージを損ねていることは事実であり、タイとの国境問題と同様に、日本からの投資や観光客の誘致にとってマイナス要因となっている。この点はカンボジア政府も十分認識しており、2025年2月にはフン・マネット首相直属のオンライン詐欺対策委員会を立ち上げ、国内に点在する特殊詐欺グループの拠点の摘発に力を入れている。しかしながら、犯罪集団側も摘発を察知して転々と拠点の位置を移動させるなどの対応を取るため、なかなか根絶には至っていないのが実情である。

5.結びに代えて-カンボジアと日カンボジア関係の展望
 タイとの国境問題及び特殊詐欺事案が二国間関係に暗い影を投げかけているとは言え、日本とカンボジアの関係は全体としてみれば極めて良好であり、各分野で順調に発展している。プノンペンでは今も日本料理屋が増え続けているし、カンボジア人の日本文化への関心や日本渡航熱も依然として極めて高い。
 タイとの国境紛争勃発当初は、陸上国境の封鎖だけでなく様々な面でカンボジア経済への影響が懸念されたし、一説によると100万人近くに上ると言われるタイから帰還したカンボジア人労働者の雇用確保の問題も早急に解決しないと深刻な社会不安を生むと危惧された。しかし、実際にはいずれもカンボジア側の努力により何とか乗り越えられたようで、カンボジアが深刻な経済・社会困難にあえいでいるとは見受けられない。それどころか、カンボジアは米国の追加関税の税率が当初は49%と世界第2位の高率だったのに、最終的には19%に落ち着き、40%のラオスやミャンマーと比べると半分以下になったことから、今年後半に入り、チャイナ+1でミャンマーやラオスに進出した中国などの企業が続々とカンボジアに移転してきているという話が聞こえてくる。
 カンボジアは国民全体の平均年齢が26.2歳(国連統計)と依然として極めて若い国であり、経済成長率も2024年の実績が6.0%、2025年の予測が4.9%(ADB統計)と比較的高い水準を保っているなど、まだまだ大きな潜在力を秘めている。しかも、前回の寄稿で御紹介したとおり、国民はみな極めて親日的で、日本人と日本の製品・技術に対する信頼度も抜群に高い。さらに、近年では「包括的戦略的パートナーシップ」の下で地域や国際社会の共通の課題(ミャンマー情勢、ウクライナの地雷除去、中東和平等)に日本とカンボジアがパートナーとして協力してきた実績がたくさんある。
 それゆえに、筆者は日本とカンボジアとの関係の将来に対して極めて楽観的であり、両国は今後も外交、安全保障、経済、文化、人的交流などあらゆる面で結びつきを強めていけるはずである。もちろん、筆者も大使として日カンボジア関係の更なる発展のために汗をかき続ける覚悟である。(了)