カナダの気候変動及びネット・ゼロへの取組


駐カナダ大使 山野内勘二

はじめに
 地球温暖化問題は、人類の生存に直結する問題だ。今やパリ協定を批准した国が190カ国・地域を超え、各国が温室効果ガスの削減目標を定めて取組を強化している。国際規範が大きく変化する中、次世代の技術・基準・ビジネスモデルを握るものが世界を制する。国家、企業、研究者らが協力しつつ競争している。
 カナダはエネルギー自給率179%を誇る化石燃料大国であるが、2050年ネット・ゼロに向け、連邦政府は野心的な目標を掲げている。実際に、カナダは、温室効果ガス排出抑制のための水素やアンモニアを活用する新エネルギー、小型原子力発電、或いはCCS(二酸化炭素回収貯留)といった面で最先端を走る。また、ZEV(ゼロ・エミッション車)が急速に普及し始める中で、ZEVに不可欠なニッケルやリチウム等の重要鉱物資源も豊富だ。ネット・ゼロへの取組が加速する中、厳しい地政学的状況の下で、カナダに今まで以上の注目が集まる。3つの例を示したい。

 まず、重要鉱物資源。ケベック州における黒鉛の鉱山開発だ。ZEVの核心は車載リチウムイオン電池。その負極材原料が黒鉛であり、経済安全保障及び安定的なサプライ・チェーン構築が重要な課題だ。カナダ企業NMG社は、水力発電によるクリーンエネルギーを使用した製法で、北米で原料から負極材までの一貫生産を実現するデモ・プラントを立ち上げ、数年後の量産を計画。三井物産は、22年10月21日、NMG社の転換社債25百万米ドルの引受けに合意。その直後の11月2日、シャンパーニュ産業大臣は、カナダ投資法に基づく国内重要鉱物に関与する中国企業に対し投資売却命令を出した。地球温暖化対策と経済安全保障が交差する最先端の分野での日加間のビジネス関係の深化が印象的だ。

(写真)開発中のケベック州のマタウィニー黒鉛鉱山。三井物産のプレスリリースより。

 次に、水素。22年8月21〜23日、ショルツ独首相がカナダを訪問した際に、加独水素合意が発表された。大西洋横断カナダ・ドイツ回廊を構築し、2025年までにカナダのクリーン水素の対独輸出を目指す野心的内容だ。ロシアの違法なウクライナ侵略がエネルギー安全保障の死活的重要性を再認識させ、世界でクリーン・エネルギー移行が加速する中でカナダの大きな潜在力を明らかにした。

 そして、CCS。サスカチュワン州南部の国境の街エスティバンに所在するバウンダリー・ダム発電所のCCS施設は、商業的規模で石炭火力発電所と一体運用されている世界初にして今でも世界で唯一の施設だ。30万KWの発電量で10万世帯に配電し、発電に伴って排出されるCO2の90%以上を回収し、地下3500mの地層に安定的に貯留し、回収したCO2の一部は近隣の油田に送付して石油増進回収に活用されている。この施設は年間50万トン以上のCO2を回収しているが、この量は12万台の自動車が1年間に排出する量に匹敵する。大きな現実的インパクトを示す。特筆すべきは、CCS建設の議論が2004年に始まった事だ。当時は京都議定書の時代。CCSは理論的・技術的には可能というレベルで、世の大勢は実用化に慎重だった。が、6年間の議論と検討を経て、2010年に最終決定、2014年に完成し運用が始まった。日立製作所及びJOGMECも参画している。

 カナダは、ネット・ゼロに向け大きな可能性と潜在力を示すとともに、地球温暖化対策を加速させ脱炭素経済において主導的地位を目指す戦略を見据える。本稿では、カナダの取組と現状について、日本企業の動向を含め概観する。

1.トルドー政権の気候変動政策
 15年10月、ジャスティン・トルドー率いる自由党は、約10年続いた保守党ハーパー政権を倒す。前政権の気候変動分野無策を批判し、国際的な動向を睨みつつ進歩的な政策を展開する。

(1) パリ協定〜「バンクーバー宣言」と「汎カナダ枠組み」
 15年12月12日、COP 21で、国際社会の地球温暖化対策の基盤となるパリ協定が採択。トルドー政権は積極的に動く。
 翌16年3月3日、カナダ連邦政府は各州・準州と共に「環境に優しい成長と気候変動に関するバンクーバー宣言」を発表。トルドー首相と全ての州・準州首脳が、連携して対処する旨を明記。その後の対策の基礎となる。
 4月22日、カナダは日本を含む174カ国・地域と共にパリ協定に署名。
 7月24日、連邦政府と州・準州政府は、バンクーバー宣言を具体化して、カナダ史上初の気候変動に関する国家計画となる「環境に優しい成長と気候変動に関する汎カナダ枠組み」を発表。主要ポイントは、①炭素価格付の導入、②30年までの石炭フェーズ・アウト、③クリーン燃料部門、ZEVへのインセンティブ付与、④石油ガス部門からのメタンガス排出の40-50%削減、だ。
 10月5日、カナダはパリ協定を批准。改めて、温室効果ガスを30年までに05年比30%削減する目標を掲げた。

(2) G7シャルルボワ・サミット〜地球温暖化ガス汚染価格法
 18年6月8〜9日、トルドー首相はケベック州シャルルボワにおいてG7首脳会議を主催。「気候変動・エネルギー」が主要議題の一つだった。パリ協定離脱を志向していたトランプ大統領を除き、G7首脳としてパリ協定実施へのコミットメントを再確認。重要な成果だった。
 サミットの直後の6月21日、上述の「汎カナダ枠組み」を踏まえ、「地球温暖化ガス汚染価格法案」を成立させ、連邦炭素税を導入し、大規模事業所への排出枠を設定した。

(写真)シャルルボワ・サミット (2018年6月)

(3) 国連気候変動サミット〜2050年ネット・ゼロ
 次の節目が19年9月23日国連気候変動サミットにおける65カ国・地域による2050年ネット・ゼロへのコミットメントだ。トルドー首相は、9月11日に下院を解散し政権獲得後初の総選挙の最中で同サミットには不参加だったが、翌24日に記者会見し、2050年ネット・ゼロを目指すと選挙公約に掲げた。選挙結果は、政権を維持するものの議席を減らし、厳しい政権運営を迫られる事になる。それでも、19年12月15日、議会でジュリー・ペイエット総督のスローン・スピーチ(実質的にはトルドー政権の所信表明)でカナダとしての2050年ネット・ゼロを正式に表明した。

(4) 水素戦略〜行動計画〜ネット・ゼロ法
 20年12月、新型コロナ感染爆発はあったもののネット・ゼロに向け本格的に動き出す。
 まず、「水素戦略」の発表だ。50年に世界トップ3のクリーン水素生産国、水素生産量2,000万トンを目指す。同時に、カナダ国内のエネルギーの30%を水素で供給するとの目標を掲げた。
 更に、「健全な環境と健全な経済」と題する行動計画を発表。先行投資として152億ドルを準備し、①住宅・建物・施設等の省エネ化、②運輸・電力部門のグリーン化、③炭素税導入、④クリーン産業の育成、⑤自然環境保護、という5本柱の下に合計64の施策を定めた。

 そして21年6月、トルドー政権は、これまでの取組を包括的に法制化するネット・ゼロ法案(Canadian Net-Zero Emissions Accountability Act)を成立させた。主要点は、

1 30年の温暖化ガス削減目標を2005年比40-45%として法律に明記。
2 35/40/45年それぞれの目標設定を義務化(遅くとも各目標年の10年前までに設定)。合わせて、各目標に向けた排出削減計画、進捗報告書、評価報告書の議会への提出と一般公開を義務化。
3 環境・気候変動大臣に助言する独立諮問委員会の設置、財務大臣による気候変動の財務リスクと機会に関する年次報告、施行5年後の包括的評価の義務化等。

 翌7月、カナダ政府は本法に基づき、上記①の削減目標のNDCを国連気候変動枠組条約事務局に提出した。これは16年10月のパリ協定批准の際に掲げた目標(05年比30%削減)を大幅に引き上げるもので、カナダの本気度を示した。

(図表)カナダの2030年までの温暖化ガス削減計画

2.具体的な取組み〜カナダの戦略
 22年3月29日、トルドー首相は記者会見で、ネット・ゼロ法に基づく包括的な排出削減措置として新規投資91億加ドルを含む「2030年排出削減計画」を発表。連邦政府の政策展開を受け、州・準州、民間が本格的に動き出す。2つの分野に注目する。

(1) ゼロ・エミッション車(ZEV)
 経済部門別では、カナダの全排出量の25%を占めるのが運輸部門であり、この分野の対策が重要だ。カナダ政府は、35年までに新車販売される全ての小型車をZEVにする事を義務付けた。民間調査によれば、21年の実績はZEV比率は5.6%だ。計画は、26年で20%、30年で60%、35年に100%と野心的だ。中・大型車については、30年に35%、40年にZEV率100%という計画だ。
 計画の早期実現を促すために、連邦政府はEVステーションの設置・拡充に4億加ドルの追加資金を提供。カナダ・インフラ銀行も5億加ドルの投資を決定した。同時に、消費者への購入インセンティブ付与事業に17億加ドルの追加投資を行う。更に、州・準州も各々独自のZEV購入インセンティブを導入する。ZEVがカナダ社会の標準になる訳だ。

 自動車のZEV化は今や世界的潮流だ。故に、トルドー政権はZEVを国内の温暖化ガス排出削減の文脈だけで捉えていない。カナダの持つ重要鉱物資源を最大限活用して、ZEV等に関連するエコシステムをカナダ国内に構築して、世界的なグリーン経済への移行を主導し、カナダの経済・社会を一層発展させるという戦略を展開する。「鉱物資源からモビリティーへの戦略(Mines to Mobility Strategy)」だ。
 この関連で、将来の首相候補との声もあるシャンパーニュ産業大臣の動きに注目したい。22年7月、同大臣は訪日し1週間に渡り精力的に日本の主要企業、就中、自動車会社と面談した。ZEVの部品・組立・製造等の主要工程における投資を誘致するためだが、その先には、地球温暖化対策の重要な切札であるバッテリー等のクリーン・テクノロジー分野における主導的地位を得るという狙いがある。同大臣を公邸に招いた際、日本企業との協働の重要性と必然性を情熱的に語っていたのが印象深い。
 背景にあるのは、①ZEV等に不可欠な重要鉱物資源の豊富な存在、②USMCA(米墨加自由貿易協定)による人口5億、GDP25兆ドルの世界最大市場の一角、③トロント、モントリオールに集積している世界水準のハイテク知能の集積、④クリーン・エネルギー比率がオンタリオ州で94%と環境に適切に配慮した生産が可能、⑤駐在員及びその家族に関わる医療社会制度の充実(注;米国では、高額医療費を負担せざるを得ない)、というカナダの優位性だ。

 また、USMCAの域内原産地比率が20年から23年にかけて62.5%から75%に大幅に引き上げられる。域外で生産するサプライヤーは北米での生産を視野に入れざるを得ない。今後の各社の動向が注目される。
 22年3月、ホンダがZEV生産関連で向こう6年間で約14億加ドルの投資を発表。カナダ連邦政府とオンタリオ州政府は各々1億3千万加ドルの補助金支給を表明。式典にはトルドー首相、フォード州首相も参加した。なお、フォード、フィアットクライスラー・グループ、GMも20〜21年相次いでオンタリオ州におけるZEV生産設備拡充のための投資計画を発表している。

(図表)ZEVへの各州・準州のインセンティブ

(2) 水素
 ネット・ゼロに向けての最重要クリーン・エネルギーが水素である。上述のとおり、20年12月にトルドー政権は「水素戦略」を発表した。
 そして22年4月26〜28日、アルバータ州の州都エドモントンでカナダ初にして世界的にも最大規模の「水素会議」が開催された。アルバータと言えば石油とガス。化石燃料産業の一大集積地にして多くの雇用を生み、カナダ経済を支えて来た。が、排出削減の流れの中で、クリーン・エネルギーへと舵を切り始めた。「水素会議」の開催は変化の象徴でもある。日加米を含め20数カ国から、参加企業1,480社、参加者総数5,268人、各セッションでの発表・演説150件、出展企業62社という規模。カナダ政府はじめ、トヨタ等世界の主要企業がスポンサーに名を連ねた。議論を集約すれば、①カナダは、水素・アンモニアの有望な供給国。②日本を筆頭にアジア諸国はクリーン・エネルギー需要の有望な市場。③カナダと日本等アジア諸国との連携・協力は、水素等を通じた脱炭素経済の発展にとって不可欠。④ネット・ゼロ達成のため、最先端技術を活用した実証実験を促進する、ということだ。

 実は、エドモントン大都市圏では、カナダ最大、世界有数の水素ハブが形成されている。「(一財)アジア太平洋エネルギー研究センター」によれば、ブルー水素製造コストは、ロシアを除いて世界で最も低い。関係者は、需要があれば、生産拡大には大きな問題はないという。一方、今後の進展には水素の運送手段の拡充が不可欠だ。アジアに供給する場合、鉄道又はパイプラインで西海岸のプリンス・ルパート港まで送って船積みする訳だが、インフラ整備が喫緊の課題となる。オーストラリアは既に水素輸出を始め一歩先んじている。カナダ西海岸から日本への輸出を考えれば、輸送期間は豪からと同じく9日前後だが、豪からの輸出が東南アジア島嶼国、南シナ海を通るのに対し、加西海岸からは北太平洋でより安定的な海域だ。水素製造コストでも優位性があると関係者は胸を張る。三菱商事や伊藤忠商事も注目している。

 また、水素も含む脱炭素社会の構築を視野に、エドモントン国際空港を舞台に示唆に富むプロジェクトが進行中である。JOIN(海外交通・都市開発事業支援機構)、NTTが其々同空港との間で協力覚書を結び、同空港において生活に密着した水素ハブを構築しつつ、最先端デジタル技術を導入したスマート交通を展開する。三井物産が出資しているケベック州のスタート・アップ企業レテンダ社製の電動バスも自動運転で空港を走る。空港と市内を結ぶタクシーの半分を水素燃料自動車とする計画ではトヨタが車両供給する予定だ。

3.先端科学分野の動向
 ネット・ゼロに向け、最先端の科学技術の知見の活用が不可欠である。カナダの例を紹介する。

(1) 北極域観測
 北極域は、海氷の急激な減少など地球温暖化の影響が最も顕著に現れている地域だ。しかも、その影響は北極圏に留まらない。北極海の氷が溶けて海水表面の温度が上昇すると偏西風が蛇行し、台風や豪雪等の異常気象の発生に繋がると見られる。
 カナダは最新鋭砕氷船を保有し北極域の氷と海水等の環境調査を実施している。日本人研究者も乗船し、共同で調査・研究を行っている。また、カナダ政府はヌナブト準州に「北極研究拠点」を設立。日本も参加して国際的共同研究が進んでいる。

(2) 宇宙技術の活用
 カナダ宇宙庁は、人工衛星RADARSATを開発・運用し、宇宙から北極域の氷や植生等を観測。気候変動の現状を出来るだけ正確に把握して関連機関と情報共有し、研究開発の進展に貢献している。

(3) 基礎研究
 カナダ国立研究評議会(NRC)のエネルギー鉱業環境研究センターでは環境関連の基礎研究が進行中だ。特に、NRCが研究者・企業・大学と緊密に協力して画期的な技術の開発を目指す「チャレンジ・プログラム」が注目される。5年間で1億5千万加ドルの予算で産業横断的に基礎研究を支援するもので、クリーン・エネルギー分野が重点項目の一つである。二酸化炭素転換技術、商業的規模での水素製造技術、AIを活用した材料探索等の研究が進展している。

(4) 民間企業の研究開発
 民間企業も将来のビジネスを見据えて先端科学技術開発に取り組んでいる。バンクーバー郊外に本社を構えるベンチャー企業「ジェネラル・フュージョン」は、水素同位体を燃料として莫大なエネルギーを獲得する核融合発電の実現を目指している。アマゾン創始者のジェフ・ベゾスも出資して注目を集めている。

4.課題〜結語
 カナダは、日本の27倍の広大な国土に10州3準州から成る連邦国家だ。各州・準州は、歴史・文化・社会・政治・経済等の面で極めて多様性に富む。同時に1867年憲法91〜92条で各州・準州には実質的権能が付与されている。実は、炭素税導入に関する連邦と州の権限を巡り法廷闘争となった。21年3月、最高裁は、連邦政府の炭素価格設定を合憲と判断した。が、連邦政府と各州・準州と民間セクターとの連携・調整は依然として大きな課題だ。

 また、重要鉱物資源開発は、地球温暖化対策と経済安全保障の両面からカナダの戦略の中核に位置するが、①インフラ整備、②厳し過ぎる環境規制の緩和、③先住民の理解と支持が不可欠である。ウィルキンソン天然資源大臣との会談で、この3点を指摘したところ、同大臣はその必要性を十分に認識し対処してく旨明快に述べていた。今後の進展に注目したい。

 22年11月3日、フリーランド副首相兼財務大臣は下院で財政演説を行い「カナダには、世界のネット・ゼロ移行を促進し、同盟国のエネルギー安全保障を支援するための天然資源がある。そして、決定的に重要なのは、カナダがこれらの資源を豊富に持つ民主主義国家だということだ」と明言した。カナダは脱炭素経済の進展に大きな潜在力を持つ。現下の国際情勢を見れば、経済安全保障上の優位性は明らかだ。課題も少なくないが、カナダが世界を主導する地位に立つ可能性も大きい。

 日本としては、世界の動向を注視しつつ、官民ともにカナダとの協力・ビジネスを積極的に進めるべき時だと確信する。