インドネシア:米中対立の狭間で独立独歩できる大国


前駐インドネシア大使 石井 正文

 2020年末に4年近く勤務したインドネシアから帰国し、今年1月末には外務省を退職した。それから半年以上になるが、実はインドネシアについて纏めて書いたことがなかった。今回霞関会から機会を頂いたので、この私の大好きな国について以下論じてみたい。
 霞関会の皆様なので基本は省き、これから20年程度先を見たインドネシアの日本にとっての重要性と、今から何ができるかを記述する。インドネシアではコロナ禍が収まらず、厳しい医療状況も相まって相当の混乱の中にある。ただ、頭を上げて地平の少し先を見ると、インドネシアという国がいかに重要なのか、その中で日本が直面する課題は何なのかが見えてくる。

 第一に、これから20年程度先を見通すと、日本が国際社会で多数派を形成するためにはインドネシア、そしてインドが日本に近い立ち位置を取ることが不可欠の要素だ。それはなぜか。少し遠回りして説明したい。
 最近良く「多極化世界・無極化世界」と言われるが、実は我々は未だに米国が唯一の超大国である一極世界に居る。米国、中国、日本をGDPで比べると、5:3:1、国防費では12:5:1。米国の国防費は図抜けた1位で、世界全体の約40%弱。2位の中国~12位の豪州までの合計より大きい。
 しかし、中国の追い上げは急で、2030年頃にはGDP、国防費の双方で米国と肩を並べるだろう。これは中国が米国と同様の繫栄と軍事能力を持つことを意味しないが、19世紀の末に米国がGDP規模で史上初めて清朝を抜き去って以来のトップ奪還の象徴的意味は少なくない。それでは遂にG2かと言えば、そう簡単でもない。時を同じくしてインドの人口は中国に並び、その後中国では人口減少と一層の老齢化に進む一方、インドの人口は増え続け、老齢化も2040年以降にしか始まらない。また、その時点でインドのGDPは既に日本を抜いて世界第三位になっている。要するに、2030年以降の世界は、米中印のG3の三つ巴の世界になる。
 では、G3の次に来る国々はどこか。仮にG7を作るとすればどのような国が入って来るのか。まずは日本。GDPではインドに抜かれるとは言え少なくとも世界第5位。それでは、インドの次に日本のGDPを抜く国はと言えば、それがインドネシアなのである。2018年にERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)にお願いしたインドネシア独立100周年の2045年の未来予測に関する報告の結論の一つは、現在年率5%程度伸びているインドネシアのGDPは2045年までには少なくとも世界第5位、場合によっては日本を抜いて第4位になるということだった。世界を見回して、これ以外に日本のGDPを抜く可能性のある国は見当たらない。
 あと2カ国を選ぶとすれば、統合を保っていればEU(欧州諸国)、低落傾向にあるとはいえ米国と同レベルの核兵器能力を持ち安保理で拒否権を持つロシアあたりだろうか。
 この「新G7」の中で日本が多数派を形成しようとすれば、米・EUとは協働し、中・ロは彼岸にある中で、問題は残るインドネシアとインドがどちらの陣営に近い立ち位置を取るかということになる。この両国は共に「独立独歩」できる大国で、誰かと同盟を結んだりはしない。我々が目指すべきは、如何に日頃から関係強化のための善行を積み、危機に際して両国が「比較的」日本に近い立場をとる可能性を高めるか、ということになる。

 第二は、インドネシアは、わが国にとって死活的に重要なシーレーンのど真ん中に位置し、マラッカ海峡他の多くのチョークポイントも抱えている。このインド太平洋の結節点にある国の安定と繁栄は、日本のシーレーンの自由で安全な航行のために不可欠なのだ。万が一にも南シナ海、更には台湾をめぐる情勢が緊迫化した場合には、マラッカ海峡の代替航路として、スンダ海峡、ロンボク海峡、マカッサル海峡の位置づけが必須となる。要するに、そのような紛争に際してインドネシアがどのような立ち位置を取るかは、日本のみならず世界的に死活的な問題なのである。
 「自由で開かれたインド太平洋戦略」を待つまでも無く、太平洋とインド洋は繋がっており、これを貫く日本のシーレーンの安全確保のためには全体として捉える必要がある。ということは、再び、その途上にある2つの大国、すなわちインドネシアとインドの立ち位置と連携が重要となる。実は、日本からは見えにくいかもしれないが、最近インドとインドネシアとの関係が緊密の度合いを強めている。これは、ここ数年の中国による「やり過ぎ」の結果生じた嬉しい副産物である。中国との国境紛争が再び激化しているインド。九断線の南にあるナツナ諸島にここ数年毎年中国漁船と公船がやってくるインドネシア。通常は大国然として相手が近づいてくるまでは動きを見せないこの両大国が、対中関係で同じ問題を抱え、どちらかからともなく接近し始めた。一つの象徴的事例は、インドネシア最西端のサバン島と海の国境を隔てたインド最東端のアンダマン・ニコバル諸島を観光や連結性強化を目指して両国で共同開発しようとする試みである。既に両国間にはこのための合同委員会が設置されており、頻繁に意見交換が行われている。実は、日本はインドネシアからの要請を受け、戦略的な位置にある同国の6つの離島の開発をお手伝いしているが、サバン島はそのうちの一つである。日本がやっているのは漁港・魚市場の開発であるが、観光・連結性強化の努力と上手く連携しながらやることでその効果も増すだろう。そのような問題意識から、現地では日印インドネシアの3カ国による協議が立ち上がっている。これは、日本が、インドネシアとインドの連携強化を側面支援し、両国が将来日本に近い立ち位置を取ることを目指していく上で、小さいが大変重要な取り組みだと思う。

 第三に、東南アジアは今後、米中、更にはインドのせめぎ合いの場となり、内部分裂がますます不可避だと思われる。現在は米中対立の中心地だが、元々「Indochina」であるこの地では、インドが本格的にG3の一員として登場してくるにつれ、その三者のせめぎ合いが一層輻輳化するだろう。その中で、如何に表看板の政策であるASEANの一体性を強化しながら、同時に中国よりは日本を頼る用意のある国の眼差し対しても応えていくかは、今後の東南アジアにおける日本外交最大の課題だろう。
 良く東南アジア諸国は「米国と中国との選択を強いないで欲しい」と言うが、実は既に「踏み絵を踏まない分断」が進んでいるのが実態だ。誤解の無いように最初に申し上げておくが、東南アジア諸国は地政学的位置を背景に、最大国であるインドネシアを含めて、平時は米国、中国、日本、インド他、あらゆる域外国と全方位で付き合いそこから最大限を引き出すというのが基本的生き様だ。ただ、危機に際して大国の言われるままにならず、場合によっては域外国を頼ってでも自らの立ち位置を維持する意思と能力が有るかどうかで、各国には本来的に差が存在している。2008年から外務省が始めたASEAN各国での世論調査で「将来、より頼りにする国」として日本が一貫して中国の上に来るのは、インドネシア、フィリピン、ベトナムの3カ国に過ぎない。この3カ国は人口で他国より頭一つ上にあるBig3であり、危機に際しては日米を頼ってでも中国の圧力に抵抗するだけの力と意思がある国である。一方、Small3であるラオス、カンボジア、ブルネイは、その置かれた位置や国の力から見て、中国からの圧力に抗しようにも限界がある。中間に位置するMiddle3のタイ、マレイシア、ミャンマーは、政権如何で中国と日米の間をスイングしてきた。なお、シンガポールは世論調査では圧倒的に中国寄りだが、米軍艦船2隻に母港を提供するという、特異な立ち位置の国である。
 ASEANの一体性強化は、ASEANとの関係でも実質的にも引き続き大事な政策であり、この表看板は外せない。各国を貫くインフラの整備などを通じて格差の是正を図ることは、一層の地域的団結を図る上で重要な要素だ。ただ、我々のリソースは限られており、危機に際して日本を頼る用意のある国に対しては、それに応えてより手厚い支援を行っていくことも、今後一層必要になる。これは、日本のシーレーンに沿って協働できる同志国の輪を形成していくためにも重要である。その同志国の最有力の候補がインドネシアであり、更には、ベトナム、フィリピンなのだ。「差別化」をやり過ぎると、ASEANの分断を助長し、一体性強化と言う表看板を害する。各国が問題視するレベルよりは小さく、同志国が気付く程度には大きい、という微妙なところを突いていく。これこそ、ニュアンスのある外交の真骨頂だ。
 なお、インドネシアにとって中国は「国内問題」であり、過度に対中接近する可能性は高くないと見切り、一つ一つの動きに右往左往せず冷静に対応すべきだ。インドネシアの華僑人口は世界最大の750万人~1000万人。オランダ統治下で中間管理職として厳しい搾取に加担し、オランダ統治後にその富を得て大金持ちになったとして、国内的には恨みの対象になっており、未だに暴動の際の焼き討ちの対象は華僑地区である。経済面での関係は強化されているが、それとてマイナス無しではない。日本と比較した場合のプロジェクトの質の圧倒的劣悪さは、量が評価に結びつかない限界を抱える。インドネシアのインフラ需要は引き続き大きく、中国にも一定の「分け前」が行っているが、既述の離島開発については、「戦略的に重要なプロジェクトは(中国でなく)日本しか頼めない」とインドネシア政府自身から言われているのである。

 第四に、インドネシアとの間では、日本に比較優位が存在している今の内に、出来る限りの協力を行っていくべきであり、政治・安全保障面での協力の伸び代を生かし、関係の幅を広げるべきである。今まではインドネシアが日本を必要とする度合いが逆よりも大きかったかもしれないが、今後は日本がインドネシアを必要とする度合いが増していくのは不可避である。日本が協力すべきは「今でしょ!」なのである。
 両国の経済成長実現のために活用できる相互補完的分野は多い。インドネシアが最も必要としている人材育成の場を、若く優秀な人材の取り込みが急務である日本が提供する。未だにGDPの20%程度の額に留まる輸出の伸び代を生かして成長を下支えしたいインドネシアを、日本が東南アジアにおける(タイに次ぐ)第二の輸出基地として活用していく。インドネシアの大きなインフラ需要に応えることで、日本の質の高いインフラ協力を定着させる。正に、ウインウインだ。
 最近は、自由で安全な航行実現というもう一つの共通目標実現に向けて、インドネシア版海上保安庁のBAKAMLAへの海上保安庁の支援や、離島開発も進む。更に本年3月末の第二回日インドネシア2+2の際に署名された防衛装備品協定は、今後この分野での新たな協力実現を確実に後押しするものである。

 最後に申し上げたいのは、「第三世代」の取り込みの重要性である。戦後指導的地位に就いた「第一世代」は、賠償などを通じた日本の協力が果たした大きな役割を身をもって体験している。その子供で現在指導的地位にある「第二世代」にも、生まれた時から日本は特別の存在だった。しかし、その子供である「第三世代」にとり日本は最早幾つかある選択肢の一つに過ぎない。これから指導的地位に向けた階段を上ろうとしているこの世代の人間に対しては、如何に日本が国の発展に貢献できるかを、具体的に説明することから始めなければならない。第三世代へのリーチアウトは早ければ早いほど良いし、避けて通れない課題なのだ。
 そのための機会は、今後数多くある。インドネシアは、2022年にはG20の議長国。2023年にはASEANの議長国で、ASEANの将来性を試す重要な年になるが、同年、日本はG7の議長国であり、インドネシアと種々の連携が出来る立場にある。2024年はインドネシアの次の大統領選挙であり、次の世代が登場する機会となる。
 実際、次の大統領選挙の潜在的候補を考えると、筆者のような素人でも直ぐに1ダース程度の名前を思いつく。これは正に伸び盛りの国の特権なのだと思う。次世代のスターに後輩諸君がどんどんとアタックし、日本とインドネシアとの関係を将来の国際社会の「多数派形成」の軸にしてくれることを期待して止まない。