『北東アジア』史の中のベトナム(日越間の「共鳴と共感」)


駐ベトナム大使 山田滝雄

はじめに

 今年、日越両国は外交関係樹立50周年を迎えています。現在の日越関係は、政治、経済をはじめあらゆる面で過去最高の状況にあると云われており、2月に行われた岸田文雄総理とグエン・フー・チョン書記長との電話首脳会談では、今年中に両国間の「広範な戦略的パートナーシップ」を更に格上げすることが合意されました。

 50周年を迎えるに当たって、近年の日越関係の急速な緊密化の背景に何があるのかについて様々な議論を行いました。その中で出てきたのが、日越関係にかかわっている相当数の人が感じている「共感と共鳴」というキーワードでした。

 勿論、日越の関係の緊密化が、近年の政治的・経済的な利益の一致によりもたらされていることは云うまでもありません。しかし、これほどまで急速な両国関係の緊密化は、政治・経済面だけでは説明しきれない部分があり、その背景には日越両国の長い歴史的、文化的な繋がりによって生み出されているユニークな「共感と共鳴」があるのではないかと考えた次第です。

 本稿では、北東アジア史にも触れつつ、日越の繋がりについての私共の見方やその背景を御紹介させて頂きたいと思います。

ベトナムの『北東アジア性』

 3年余り前、私はベトナムに赴任しました。当時、既にコロナ禍は始まっていましたが、ベトナムではこの頃はまだ感染拡大が抑制されており、ハノイの街中を散策することも、国内を旅行することも比較的自由でした。そこで、赴任当初の新鮮な感覚を大切にしながらベトナムについて観察を試みました。

 以前、インドネシアに4年近く勤務したことがあり、外務本省でも比較的長く東南アジア関係の業務に従事していましたので、この地域についてある程度の土地勘があるつもりで赴任したのですが、ハノイに在勤し、ベトナムの人や社会についての観察を深める中で、この国が歴史的、文化的に見て他の東南アジア諸国とはかなり異質であることを感じました。そして、『ベトナムをよく理解するためには、東南アジア地域についての先入観を捨て、むしろ北東アジア史の中で捉える方が良いのではないだろうか?』 そんな問題意識が自分の中で自然と湧いてきました。

 実際、ベトナム文化の中核である言語をとっても、ベトナム語の語源は約7割が漢字で、20世紀中葉までは公文書に漢字が使用されていました。現在では、文書表記には専らベトナム式アルファベットが使われていますが、ベトナムの街のあちこちに残る古い寺院に入ると、教義を記した扁額(へんがく)や対聯(ついれん)はすべて漢字で書かれています。

 又、宗教の状況を見ても、インドシナ半島の他の諸国では上座部仏教(小乗仏教)が主流であるのに対し、ベトナムでは北東アジアと同じ大乗仏教が主流です(図1)。更に儒教の影響も強く、20世紀初めまで科挙の制度が存続していましたし、今日でもユネスコ世界遺産の「文廟」をはじめ数多くの孔子廟が各所に点在しています。このように、ベトナムの精神世界は頗る北東アジア的であると申し上げて良いと思います。

(図1)大乗仏教(Mahayana)の広がり
(出典:ルパート・ゲシン(Rupert Gethin, licensed under CC−BY−SA 3.0))

 ベトナムは、東南アジアの一国という先入観を持って赴任したものですから、このようなベトナムの『北東アジア性』は私にとって意外なものでした。しかし同時に、ベトナムを理解しようとする上で、大変示唆に富むものでもありました。そして、この3年間、大使としての活動を通じてさまざまな交流や経験を重ねるうちに、近年のベトナムと日本の関係の急速な緊密化の背景には、ベトナムがもつ『北東アジア性』が、日越両国の間にユニークな「共鳴と共感」を生み出していることがあると考えるに至りました。

ベトナム史の概観

 ベトナムの『北東アジア性』は、ベトナム史を概観しても明らかです。ベトナムは、紀元前2世紀に前漢の武帝の攻撃に屈服し、その後、1000年以上にもわたって長い中国支配を受けました。ベトナムでは、この中国支配の時期を「北属期」と呼んでいます。10世紀になって国民的英雄である呉権(ゴ・クエン)が登場し、南漢軍を撃破しベトナム呉朝(呉氏交趾国)を建国、ベトナムを独立に導きました。長きに渡る北属期において、ベトナムは何度も反乱を起こし、社会や文化の独自性を維持したと言われていますが、一方で北属期を経て、ベトナムが多くの文物を北東アジアから吸収したことも事実であろうと思われます。

 また、8世紀頃からはベトナムと日本の間の直接の交流も記録されています。林邑(ベトナム)僧・仏哲が、南天竺(インド)の高僧・菩提仙那(ぼだいせんな)に師事し、唐を経て来日、東大寺の大仏開眼式で雅楽の一種である「林邑楽」(迦陵頻伽(かりょうびんが)の舞)を奉納したという逸話はよく知られています。また、遣唐使の藤原清河と留学生の阿倍仲麻呂が唐からの帰国途中に難破してベトナムのゲアン省付近に漂着した話や、その後、仲麻呂が交州(ハノイ)に在任して鎮南都護(安南節度使)を務めた話も有名です。同じ頃に、遣唐使・平群広成(へぐりのひろなり)も帰国途中、嵐に遭い、崑崙国(ベトナム)に漂流したという話も残されています。

 更に13世紀になって日本は二回の元寇を経験しましたが、同じ頃ベトナム陳朝(陳氏大越国)も三回に亘り元の襲来を受けました。三度目の元の襲来時に、陳興道(チャン・フンダオ)将軍が海戦で元の艦隊に大打撃を与えたため(図2,1288年、バクダン江(白藤江)の戦い)、元は三度目の日本侵攻を諦めたという説がベトナムでは広く信じられています。

(図2)チャン・フンダオ将軍が元軍を迎え撃つバクダン江の戦い(ドンホー民間版画)

 16世紀から17世紀にかけては、朱印船交易が日越両国を深く結びつけました。徳川幕府が発行した朱印状の渡航先はベトナムが圧倒的に多く、家康はベトナム産の香木(伽羅、沈香)を好んだと言われています。当時ベトナム中部の港町ホイアンには大きな日本街が存在し、日本橋が架けられ(図3)、ベトナムから日本には陶器や織物などがもたらされました。ホイアンのお姫様・アニオー姫と長崎の商人・荒木宗太郎の間のラブストーリーは今も語り継がれており、今年秋には、日越外交関係樹立50周年記念オペラ「アニオー姫」(図4)として日越双方で上演される予定です。

(図3)ホイアンの日本橋
(図4)安藤彩英子氏によるオペラ「アニオー姫」漆画キービジュアル

ベトナムの『北東アジア性』と今日の日越関係

 さて、このように、北東アジア史とベトナムとの関わりや日越交流史についてご紹介させていただいたのは、近年の日越関係の急速な緊密化は、冒頭にも申し上げたとおり、長年の歴史的、文化的繋がりに根ざすベトナムの『北東アジア性』を踏まえなければ、十分には理解できないように考えるためです。

●なぜ日本に在住するベトナムの方々の数がこれ程急速に増えているのか(日本在住ベトナム人の数は、過去10年間で約9倍に増加し、22年末では約50万人のベトナムの方々が日本に在住しています。)?

●なぜ日本企業はベトナムを投資先として選好するのか(昨年のJETRO 調査では、ベトナムは日本の大企業にとって世界で最も人気の高い投資先国とされています。)?

●なぜベトナムからは、IT技術者を含む理数系の高度人材が地域の他の諸国以上に数多く輩出されているのか?

●なぜベトナムは、華僑の大きな関与なしに(越人だけで)急速な経済成長を実現できるのか(昨年ベトナムは8%以上の経済成長を達成、今年も6%程度の成長が見込まれています。(図5))?

●なぜベトナムの人々は、他の諸国の人々よりも日本語の上達が早いのか(ベトナム語が漢字をベースにした言語だということが背景にあると思われます。)?

 これらの質問に対する答えは、部分的には経済的な諸事情に見出すことも可能です。しかし、例えば、近年の日本におけるベトナム人居住者の急速な増加という点をとっても、ベトナム以外にも、日本との間に同様の賃金格差を有する国は数多く存在しており、経済的な理由だけで説明しきることは難しい気がします。やはり、ベトナムが歴史的、文化的に『北東アジア性』の高い国であり、それに関連する諸要因が日本とベトナムの間にユニークな「共感や共鳴」を生み出している、そのような歴史的、文化的事情を加味しなければ、上記の質問に対する答えを見出すことは難しいのではないでしょうか。

(図5)ベトナムのGDP成長率推移(出典:ベトナム統計総局)

『北東アジア・スタンダード』の発展を目指すベトナム

 現在ベトナムの一人当たりGDPは4,000ドル程度ですが、ベトナム政府は、2030年までに上位中所得国入りを果たし、ホーチミン主席の独立宣言から100周年に当たる2045年には先進国入りを実現するという目標を掲げています。

 ベトナム政府が、このような野心的な目標を掲げたのは、多くの東南アジア諸国が苦しむ「中進国の罠」をいち早く乗り越えようというベトナムの強い決意の表れです。そしてまた、将来のDX(デジタル・トランスフォーメーション)を担う理数系人材が数多く生まれ始めているベトナムとしては、韓国や台湾が成し遂げたような、ITを含む高度技術をベースとした『北東アジア・スタンダード』の発展を達成することを視野に入れているのではないでしょうか。

 インド太平洋地域における重要な戦略的パートナーであり、又親日国であるベトナムが、野心的な目標を掲げて経済発展に取り組むことは、我々にとって好ましい動きであることは言うまでもありません。日本として、出来る限りの支援をすべきものと考えております。