<帰国大使は語る>タンザニアと日本の未来のために
前駐タンザニア大使 三澤 康
政府代表/特命全権大使(関西担当)、2025年日本国際博覧会政府代表代理
ータンザニアはどのような国ですか?
私は2022年6月から2025年1月まで駐タンザニア日本国大使としてタンザニアで過ごしましたが、タンザニアを一言で表現すれば「非常に恵まれた国」です。
第一に国土·自然に恵まれています。赤道のすぐ南側に位置し、日本の約2.5倍の広さを有し、ダルエスサラームやザンジバル島などインド洋に面する地域は1年中高温多湿ですが、内陸は標高1000メートルを超える高地が多く涼しい気候です。大陸を南北に大地溝帯が走り、アフリカ最高峰のキリマンジャロ山、国土の約4分の1を占めるセレンゲッティやンゴロンゴロなどの国立公園や自然保護区、巨大なヴィクトリア湖や世界で二番の深さのタンガニーカ湖などの湖沼群があり、インド洋には美しいマリン·リゾートのザンジバルやマフィア島など多様で豊かな自然に恵まれています。


農業が盛んで、コーヒー、タバコ、カシューナッツ、胡麻、豆類などの商品作物を輸出し、ザンジバルでは丁子などの良質なスパイスも有名です。食料自給率は120%を越え、 キャッサバ、メイズ(トウモロコシ)、コメなどの穀物は近隣国にも輸出しています。
第二に天然資源に恵まれています。タンザニアの輸出品第一位は金、第二位は銅。石炭、鉄鋼石、ニッケル、グラファイト、ウラン、さらにはモザンビーク国境付近の天然ガスの開発も期待されています。
第三に人にも恵まれています。人口約6700万人(2024年IMF統計)、平均年齢約18.5才、人口増加率約3%(いずれも国連統計)。2050年には人口約1億3000万人、アフリカで5番、世界で13番目の国となる見込みです。
1961年のタンガニーカ独立、1964年のタンガニーカとザンジバルの連合成立以来、国内では内戦もクーデターもありません。外務省海外安全ホームページの危険情報にある世界地図で白塗りの地域(危険度が低い)が大半を占めるアフリカ諸国はタンザニアとボツワナだけです。低中所得国でこれほど治安の良い国も珍しく、それは良き指導者と温和で寛容な国民に恵まれたためと言えます。

ータンザニアの平和と安定の秘訣を教えてください
タンザニアの建国の父、ニエレレ初代大統領は、タンザニアの海岸地域で古くから利用されてきたスワヒリ語を母国語に採用し、120を越える民族をまとめつつ、南アにおけるアパルトヘイトの廃止、アフリカ諸国の独立、非同盟を重視することで国民に誇りを与えました。外交面ではタンザニアは冷戦時代に中国・ソ連との関係が緊密で、現在も中国とは良好な関係を維持していますが、どの大国にも一方的に依存することなくバランスをとるのがタンザニアの伝統です。
このような建国以来の方針がタンザニアの平和と安定の基礎になっています。
ーサミア現大統領はどのような指導者でしょうか
サミア大統領は国民から「ママ・サミア」と呼ばれ、国民の母のような雰囲気を持った大統領で、これまでのタンザニアの大統領とは異なるタイプです。
建国の父、ニエレレ大統領はアフリカ独自の農村重視の社会主義(ウジャマー)を主導しましたが、1985年に経済政策の失敗を理由に大統領職を辞しました。その後、政治面では複数政党制、経済面では自由経済制度が導入され、ムウィニ大統領、ムカパ大統領、キクウェテ大統領の下で経済成長を遂げます。しかし政治制度上絶対的優位な地位が保証されてきた与党・革命党の腐敗が目立ち国民の信頼が低下したため、2015年の大統領選挙では革命党は既存の有力政治家ではないマグフリ建設大臣(当時)を大統領候補に立てイメージ刷新を図りました。
マグフリ大統領は、ヴィクトリア湖近くで農業や牧畜を営むタンザニア最大の民族(約16%)のスクマ族出身で、「ブルドーザー」の異名のとおり、力による政治を進めました。国内では巨大水力発電所、標準軌道鉄道網、主要道路整備などの大規模プロジェクトや、ダルエスサラーム市からドドマ市への首都機能移転などを推進し、腐敗には厳罰でのぞみ、プレスや野党を弾圧し反対意見を封じました。対外的には前任者が中国との間で合意した港湾開発プロジェクトを撤回する一方、鉱業法改正により16%の政府資本参加を義務化して欧米企業との合意を反故にする強硬姿勢が目立ちましたが、強い指導者として若者を中心に人気を博しました。またマグフリ大統領は早々にコロナ克服宣言を出し、国内でのワクチン接種の必要性を認めず欧米諸国の顰蹙を買いました。しかし、十分なワクチンが入手できない中、国民の約94%が重症化リスクの低い50歳未満であったタンザニアにおいては、経済成長を維持する観点から一定の合理性もあり多くの国民に支持されました。とは言え本人を含めた年配の政治家が急逝する(コロナ感染によるものといわれています)など、大きな副作用が伴いました。
マグフリ大統領が2022年3月に急逝した後、サミア副大統領(当時)が大統領に就任しましたが、サミア大統領はマグフリ大統領とは対照的に調和とバランスを重視する指導者です。ザンジバル(タンザニアの人口の約5%)出身で、伝統的に男性優位のタンザニア社会での初の女性大統領であることに加えて選挙を経ずに大統領に就任したため政治基盤は脆弱であったので、まずは自らが法律に基づき大統領に就任した正当な大統領であること、そして大規模インフラ整備など前大統領の主要政策を継続する意思を示して、その正当性と継続性を内外に印象づけました。
サミア大統領は党内古参の穏健派政治家をブレインとし、強硬派のマグフリ大統領シンパと穏健派のバランスを取りつつ、マグフリ政権下で身の危険を感じ国外逃亡していた野党指導者とも和解を進め、国内の和解と安定に努めました。またワクチン接種の普及、農業予算の大幅拡充、公務員給与の引き上げ、女性の地位向上など、前政権で軽視された分野にも配慮し、その面倒見の良さが内外から評価されています。
外交面では中国、欧米を含む全ての国との関係改善、外国からの支援·投資·観光の促進を目指し、積極的な経済外交を推し進め、タンザニアの対外的イメージを改善させました。

ー今年10月には大統領選が予定されていますが、どのような見通しでしょうか
タンザニアの大統領職は1期5年で2期まで認められていますが、現職大統領の権限は絶大であり、サミア大統領は与党・革命党の大統領候補に既に選出されているため、再選の可能性が極めて高いと見られています。しかし、国民の間には手段を選ばず与党の地域を維持してきた革命党に対する不満の声もあり、また、革命党内にもマグフリ大統領のような強い指導者像を望む声もあるなど反対意見も存在します。
今後、各党の大統領候補が出揃った後には与野党間の対立の先鋭化も懸念されるので、大統領選挙に向け国内の政治·治安情勢には気をつける必要があります。
ータンザニアの経済状況と今後の最大の課題は何でしょうか
タンザニアは年率5%程度の安定的な経済成長を続けています。道路·橋·高層ビルなどのインフラや一般市民の生活を見ると、30年ほど前に私が勤務していた当時のインドネシアに近いと感じます。実際、タンザニアの一人あたりのGDP(約1200ドル)は、30年前のインドネシアとほぼ一致します。しかし当時のインドネシアと現在のタンザニアには大きな違いがあります。
第一に中学の就学率が当時のインドネシアでは50%から60%あったのに対して、タンザニアは30%程度に過ぎません。
第二に産業構造が違います。インドネシアでは1980年代にはGDPに対する製造業の割合が10%を越え、90年代には20%を越えていましたが、タンザニアは10%未満です。これはモノ作りの歴史と伝統が豊かなアジアとアフリカの違いなのでしょう。
第三に国民のメンタリティです。タンザニアはニエレレ大統領主導による社会主義政策の名残もあって私企業の役割を軽視しがちです。とりわけ植民地にされた経験や南アにおけるアパルトヘイト政策の記憶などのアフリカの歴史的背景もあり、国民レベルにおいても外国による搾取に対する強い警戒感があり、外国企業による利益活動全般に懐疑的となる傾向があります。その結果、天然ガス、ニッケル、グラファイトなど有望な資源開発に関して具体的交渉がはじまっても外国企業とタンザニア政府間の利益配分・リスク配分についてなかなか合意に至りません。また、既存の進出企業に対する税務当局の予測不可能な課税がさらなる投資を躊躇させる原因にもなっています。このような慎重なメンタリティが外国企業による資源簒奪から自国を守ってきた面もあるのですが、タンザニアの経済発展の足枷にもなっています。
私はタンザニアがアジア諸国のように発展していくためには、農業生産性の向上、資源開発の推進、製造業の育成などが必要と考えます。しかし、その前提として上記の3つの課題に取り組むことが重要であり、特に初等·中等教育や職業訓練を含む人材育成と中長期的視点に立った産業育成戦略の策定·実施を期待します。
ーサミア政権の下では中国、アメリカなどの主要国との関係に大きな変化はありますか
アフリカにおける中国のプレゼンスの大きさがよく話題になりますが、タンザニアにとっても中国は最大の貿易相手国であり(但し、輸出相手国としてはインドが最大)、投資面でも累積でこそはイギリスが最大の投資国ですが、ここ数年は中国の投資が際立っています。一方、アメリカはタンザニアの貿易全体の3%以下であり、直接投資については上位5位にも入っていません。しかし、タンザニアにとってアメリカは援助面及び観光面で世界最大のパートナーです(DACの2022年統計によれば対タンザニアODA全体の14%で第一位)。サミア政権は貿易・投資、観光、援助のすべての分野で国際協力を推進することを目指しており、マグフリ政権時代とは異なり欧米とも中国とも良好な関係を維持発展させています。
このように貿易面では対米依存は少ないためトランプ政権の貿易政策による直接的な影響は限られますが、アメリカの援助削減はタンザニアの保健を含む社会分野の取り組みに深刻な影響を与えることが予想され、また、米中対立の結果による世界経済全体の景況悪化はタンザニアにとって大きな懸念材料になっています。
ー日本とタンザニアの経済関係の現状はどのような状況ですか
日本はタンザニアからコーヒー、ゴマ、たばこなどを輸入し、中古自動車や鉄鋼製品などを輸出していますが、輸出入合わせた貿易総額は日本とタイ(タンザニアと同規模の人口)との貿易額の約100分の1程度です。また、日本からのタンザニアへの投資も僅かで、伝統的にアフリカと関係の深い欧米諸国、インド、アラブ諸国や、近年存在感を増してきた中国とは異なります。
日本の輸入があまり伸びないのは日本企業がリスクを恐れタンザニアの主要輸出産業である鉱業分野の取引に慎重であることが原因の一つです。また中古自動車など一部の製品以外には日本からの輸出や投資が伸びないのは、消費者が安いものを好み品質を吟味して買うだけの経済力がないことに加え、密輸やアンダーバリューなどの不正輸入が横行し日本製品が正当に評価されないため日本企業も進出に躊躇するためです。
しかし、2050年には世界の人口の約4分の1を占めるアフリカにおける主要国でもあるタンザニアは、日本にとり重要な経済パートナーとなり得る潜在力があります。また平和を愛する温厚な性格のタンザニア人は日本人との相性はよく、日本企業進出の足がかりを今のうちに作っておくことは意味があると思います。
日本政府としては日本企業のビジネス環境の改善、さらには日本製品が正当に評価される市場を育成のために、日系企業と連携し、JICAの協力も得ながらタンザニア政府に働きかけてきました。とりわけ一昨年にはTICAD8のフォローアップとして「日タンザニア・ビジネス対話」という日本とタンザニアの官民が参加してタンザニアにおけるビジネス環境改善に向けて意見交換する定期的対話の枠組みを創設しました。また、毎年ダルエスサラームで7月に開催されるタンザニア最大の国際見本市(「サバサバ」)において、JICAの協力も得てビジネス・マッチングのためのフォーラムを開催しました。このように日本とタンザニアとの間の政府間及び民間同士の交流を促進していますが、今後、このような取り組みが日本とタンザニアの関係強化と双方にとっての具体的利益につながることを期待しています。
ー日本とタンザニアとの関係に何を期待されますか
タンザニアにおける日本の強みは、タンザニア人に良いイメージが持たれていることです。その背景として、植民地主義や大国による圧力を嫌うタンザニアでは、道路·橋·電力などのインフラ整備、米作を中心とした農業開発、中央政府·地方政府の行政能力開発、海外青年協力隊や専門家派遣等の人材育成などを通じてタンザニアの国づくりと経済発展に日本が地道かつ継続的に貢献してきたことが評価され信頼を得てきたことが指摘できます。また、1960年代にトランジスターラジオ工場を建設したパナソニック、ODAを通じて灌漑施設、道路、橋などの建設を行ってきた鹿島建設や鴻池建設、タンザニアの中古車の大半を占める自動車メーカーなどに対する好イメージも大きな要因です。
私は引き続きタンザニアに様々な支援を行うとともに、二国間の貿易·投資を促進することが大切であると考えます。しかし、そのような努力を日本とタンザニア双方にとってより意味あるものとするためには「人づくり」が重要と考えます。
第一に、日本の幼児教育及び初等·中等教育はタンザニアにとって非常に参考となります。日本には教育分野の支援の継続とともに、学校間交流の促進が望まれます。将来的には、日本の教育産業が質の高い教育サービスを提供することを期待します。
タンザニアのアルーシャには日本人とタンザニア人の女性リーダーにより創設された女子中学(さくら女子中学)があり理数系を中心とした良質な教育を提供しています。来年には高校レベルも創設され、タンザニアの高校から直接日本の大学に進学できる可能性も開かれようとしています。このような取り組みの継続を期待します。
第二に、職業訓練と日本語教育を充実させ、日本で学び働ける人材を育てることです。若くて優秀なタンザニア人を
日本で受け入れることは、タンザニアにとっても日本にとっても非常にメリットがあります。そのための指導者や学生の交流、さらには日本企業の関与が望まれます。
昨年秋に山形の長井市とタンザニアの首都ドドマ市とが姉妹都市関係を締結しました。両市の間では職業訓練分野の連携·協力について模索されています。こうした自治体レベルの交流も非常に有益です。
第三に、高等教育レベルの交流促進です。タンザニアにおいては欧米でも中国でもなく、日本で勉強したいと考えている優秀な若者がいます。一方、アフリカの存在感が急速に高まる将来を見据え、今のうちから日本の若い世代がアフリカを見聞し、その経済発展過程に触れることは日本の未来への投資になるでしょう。
幸い京都大学、熊本大学、信州大学、東京農業大学、宇都宮大学など既にタンザニアとの大学交流を続けている大学や、大阪大学のようにスワヒリ語コースをもつ大学もあります。こうした大学を中心にさらなる交流進展を期待します。

今年は大阪関西万博(5月25日がタンザニアの万博ナショナルデー)やTICAD9が開催され、タンザニアからも政治的指導者や民間企業が多く訪日し交流が進展すると思います。その過程において、上述のような「人づくり」につながる協力や交流が進むことを期待しています。(了)
