頼清徳台湾新総統と日台関係


公益財団法人日本台湾交流協会台北事務所代表 片山和之

はじめに
 40年余り奉職した外務省を2023年10月に退き、同年11月より公益財団法人日本台湾交流協会台北事務所代表(執行理事)としての新たな生活が始まった。台湾の存在感や重要性が増し、民主社会の模範となる一方で、両岸関係の緊張が近年になく高まり、ロシアのウクライナ侵略もあって国際社会の関心が注がれる中、総統選挙・立法委員選挙を控えたタイミングでの赴任となった次第である。それからあっという間に1年が経過した。この間、台湾生活の立ち上げ、政財官学メディア等各界関係者との人脈構築、総統・立法委員選挙の分析・評価、総統就任式、各種行事出席、地方視察、在留邦人保護、日系企業支援、日本人学校・補習授業校の教育環境改善、講演・SNS発信・インタビュー等の広報活動等で目まぐるしく日々が過ぎていった。

(写真)頼清徳総統と筆者
(日本台湾交流協会台北事務所提供) 

総統選挙・立法委員選挙
 1月13日に行われた総統選挙の結果は、ほぼ事前の予想通りであった。民進党頼清徳・蕭美琴候補が559万票(40.05%)、国民党侯友宜・趙少康候補が476万票(33.49%)、民衆党柯文哲・呉欣盈候補が369万票(26.46%)をそれぞれ獲得し、直接選挙が開始された1996年以来、民進党が同一政党による初の連続3期目の政権を実現した。
 頼は1959年生まれで、生後まもなく父親を炭鉱事故で亡くし、母子家庭で苦労して育った。台湾大学や成功大学(台南)で医学を学び、ハーバード大学で公衆衛生修士号を取得、成功大学附属病院で内科医として勤務していた。後に政治の世界に転じ、立法委員、台南市長、行政院長、副総統を歴任、2023年1月より民進党主席に就任している。
 頼の得票率は、2000年の陳水扁以来過去2番目の低さに留まった。その背景には、民進党の長期政権化に対する若者を中心とした嫌気感が反映されている。一方、国民党も年配者を超えて支持を拡大できず、中国との距離感や、民衆党との連立(藍白合)の失敗、非民進党票を柯文哲と奪い合ったこと等が逆風となった。今後の党運営は決して容易ではない。民衆党の選挙集会は若者たちの熱気で溢れ、柯は4分の1以上の得票を獲得して今後が注目されたが、その後、政治献金過小報告や台北市長時代の汚職容疑で拘束され取り調べを受ける事態となり、「清廉」のイメージに傷が付いた。民衆党は支持率を下げ、二大政党制に回帰する可能性も指摘されている。
 総統選挙と同日に行われた立法委員選挙(一院制、定数113)は、民進党51議席(改選前−11)、国民党52議席(同+15)、民衆党8議席(同+3)、無所属2議席(国民党寄り)となり、国民党が第一党、民進党は過半数を割った。国民党の韓国瑜氏(2020年の総統選挙で蔡英文総統に敗北)が立法院長(国会議長)に選出されたが、過半数に達した政党がない中、8議席を得た第三党の民衆党がキャスティング・ボートを握る構図となった。柯の捜査の行方とともに注目される。
頼新政権は早速ねじれ現象となった立法院との関係で厳しい局面を迎えている。5月末には総統による立法院報告、国政調査権の拡大等立法院の権限を拡大する国会改革法案を野党多数で可決したことに対し、民進党側から憲法裁判所の判断が求められ、10月25日、総統報告等複数の項目につき違憲判決が出た。また、9月から始まった会期では次年度予算案が審議されているが、ここでも野党の抵抗に遭って苦労している。
 
総統・副総統就任式と両岸関係
 5月20日に新総統・副総統就任式が行われた。日本からは、古屋圭司会長をはじめ日華懇国会議員31名や谷崎日本台湾交流協会理事長を含む約170名が参加し、その規模の大きさが際立っていた。
 頼総統は直前まで就任演説草稿に自ら手を入れていたという。注目点の一つは両岸関係への言及であった。現状維持を逸脱するものではなかったが、「中華民国と中華人民共和国は相互に隷属しない」等台湾アイデンティティーをより強調するトーンが感じられた。「92年コンセンサス」への言及はなく、事前に馬英九元総統が訪中した際に習近平との会見で両者が言及した「中華民族」に対する反応もなく、中国への特段の配慮は示されなかった。国際社会との関係を重視し、民主主義を強調するトーンであった。
 習近平は祖国統一を歴史の必然であると強調している。現状を合理的・理性的に判断するならば、近い将来、直接の武力行使による台湾問題解決の可能性は高くないと考えられるが、国家主席の任期を撤廃してまで実現しようとする中華民族の偉大な復興という「中国の夢」の不可欠のピースである台湾統一には並々ならぬ思いがあろうし、習への権力集中が強化される中、彼自身の胸の内は不明である。
 中国政府(国務院台湾事務弁公室)は、総統選挙及び立法院選挙の結果を踏まえ、民進党が台湾主流の民意を代表できないことを示しているとコメントしている。また、頼総統の就任演説に対して、「民族と祖先を裏切る悪行は恥ずべきもの」と反応した。軍事演習を実施した他、民間航空路や海洋パトロール、飛行訓練等近年台湾周辺での活動を活発化している。このようなグレー・ゾーンに対する中国の攻勢は強まることが想定される。
頼総統は、基本的に両岸関係の現状維持を主張しているが、テレビ・インタビューで、中国が台湾を併呑しようとしているのは領土保全のためではない。もしそうなら、なぜアイグン条約でロシアに占有された土地を取り戻さないのか、中国の真の目的は西太平洋の覇権掌握であるとの発言や、双十節関連行事で75周年を迎えた中華人民共和国が113周年を迎えた中華民国の祖国ではあり得ない、中華人民共和国は民主台湾を代表する権利はない等の発言も行っている。
中国は、経済面でも圧力を加えている。2010年に締結した中台経済協力枠組協定(ECFA)違反として化学物質や農水産物等180品目につき関税優遇措置停止を発表した。他方で、国民党支持層地域への配慮を示す等民進党政権への揺さぶりを行っている。外交面では、選挙直後の1月15日に太平洋の島国ナウルが台湾と断交して中国と外交関係を樹立した。その結果、台湾と外交関係を有する国は蔡政権発足直後の22か国から12か国に減少した。
中国は、頼政権を実質的に独立志向政権と認識しており、中台双方とも相手側政権への信頼や期待、幻想は有していない中、政治対話実現は困難な状況にある。中国としては、軍事、外交、経済面での硬軟織り交ぜた措置を通じて頼政権に圧力を加えつつ、世論戦、心理戦、法律戦を通じて台湾社会に影響を与え、次期地方選(2026年)、そして総統選挙(2028年)における国民党候補の勝利を支援する方針と思われる。

米大統領選挙と台湾
 11月の米大統領選挙ではトランプ候補が勝利を収めた。中国を戦略上の競争相手と位置づけ、衝突は回避しつつも厳しい対中政策を基本とすることに関しては、ワシントンにおいて民主党・共和党の党派を超えたコンセンサスが形成されている。実際、過去4年の民主党政権の対中政策も、基本的にはトランプ第一期政権の政策から大きく変わるものではなかった。もっとも、トランプ次期大統領については、政策の予測可能性に関し懸念はあるかもしれない。例えば、「台湾によって米国の半導体が奪われた」とか「台湾は防衛費を払うべき」といった発言が突然飛び出すことへの懸念である。また、台湾がディールの犠牲にならないようにとの警戒もなくはない。いずれにせよ、台湾としては米国民の選択結果を踏まえ、米新政権と、より強固で安定した米台関係を構築していくということに尽きるであろう。
 
日台関係
 日台関係は、今、戦後最も良好な関係にあると言われる。頼総統は9月には、これまで日本とは特段の関係はなかったものの信頼を置いている李逸洋元考試院副院長を駐日代表に派遣した。
1972年に日中共同声明が発出され、日中国交正常化が実現して50有余年、国際情勢は大きく変化した。日中関係や米中関係は緊張を増し、中国は強大化し、両岸関係の軍事バランスは益々中国側に有利となる一方、台湾は見事に民主社会を実現し、世界経済の中で重要なサプライ・チェーンの役割を果たし、日本にとって極めて重要かつパートナーであり大切な友人となった。
 具体的には、第一に、日本と台湾は自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値を共有するパートナーである。ちなみに民主主義指標(EIU)では台湾は世界10位(アジア1位。日本は世界16位)である。第二に、緊密な経済パートナーである。台湾は日本にとり世界第5位の、また、日本は台湾にとり世界第3位の貿易パートナーであり、また、投資も活発である。最近話題となっているTSMCの熊本半導体工場建設はその好例である。半導体生産で台湾企業は世界売上高の約70%、先端半導体では約90%を占めている。第三に、日台間では様々な分野やレベルで文化交流や人物交流が盛んであり、心と心の暖かい触れ合いがある。登録在留邦人数は約2万2千人で国・地域別では世界で12番目である。2023年訪日した台湾人は420万人で韓国人に次ぐ規模であり、訪日中の消費額では7,800億円近くと各国・地域の中で最高額であった。2024年の訪日者は500万人を超え、史上最高となる見込みである。能登半島地震や花蓮沖地震に際しては、災害発生直後に双方から暖かいお見舞いや多額の義援金が寄せられた。新型コロナウイルス対策におけるマスクやワクチンの相互協力も然りである。日台間では正に「善の循環」が行われている。そして、第四に、台湾海峡の平和と安定は、台湾のみならず日本及び世界の繁栄と安全にとっても不可欠の要素である。
 筆者は頼清徳総統(副総統時代を含む)に着任挨拶を含め何度か会う機会があった。頼総統は、台南市長時代、東日本大震災や熊本地震発生直後に被災地市民を応援するために、数百名の台南市民とともに訪日したことを筆者に紹介し、日本に対する熱い思いを語っていた。また、烏山頭ダム建設で有名な八田與一の慰霊式典にも過去14年連続して出席している。沈着冷静、温厚な性格の中に、強い信念や意志の固さが垣間見られる。選挙翌日早朝には、祝意を告げるために日本から駆けつけた関係者にいち早く面会したり、総統就任式当日や双十節当日には日本の国会議員のために、特別に昼食会を主催したりと、日本への気遣いと日台関係重視の姿勢を明確にしていた。
 11月、ペルーAPECの機会に、石破総理と林信義代表との間で会談がもたれ、総理からは台湾海峡の平和と安定の重要性が改めて強調され、台湾からは日台関係の更なる強化への期待が示された。
 なお、10月の解散・総選挙の結果、与党が過半数割れとなり政局が不安定化する中、当面、日本の政治が内向きになって外交に十分注力しにくくなる可能性が東アジアの国際情勢に与える影響を不安視する向きが台湾側にはある。
 

(写真)蕭美琴副総統と筆者(日本台湾交流協会台北事務所提供) 

終わりに
 米軍のアフガニスタン撤退やロシアのウクライナ侵略を踏まえ、台湾海峡を巡る安全保障に昨今関心が集まっている。台湾をめぐる問題は対話により平和的手段によって解決されなければならない。武力の行使や威嚇による一方的な現状変更は如何なる形でも許されるものではない。自由と民主主義が実現し、世界経済の重要なサプライ・チェーンの役割を果たし、頻繁な文化・人的交流が行われ、日本に対して極めて友好的な2千3百万人の社会が隣に存在することの死活的重要性を日本はもっと認識する必要がある。
言うまでもなく日中関係は日本にとり最も重要な二国間関係の一つである。日台関係の基本的枠組は、日中国交正常化実現以降、「非政府間の実務関係」となった。他方、外交関係がない故に、対中関係への過度な忖度故に、日本の植民地であったという歴史の「負い目」故に、あるいは「国家」として認識していないが故に、「思考停止」を続けて来た面は否めない。日本として台湾そして日台関係に真剣に向き合う必要があると考える次第である。(了)

(写真)蔡英文前総統と筆者
(日本台湾交流協会台北事務所提供) 

(本寄稿は私見であって筆者の属する組織の立場を代表するものではない。)