沖縄での3年間


駐アイルランド大使 宮川学(前沖縄担当大使)

【ポイント】
●沖縄についての政府の政策とその実施努力、及び沖縄県民の対話への真摯な姿勢の重みを実感。
●歴史の流れの中で今を考えることが、沖縄の心を理解し、共に行動する第一歩。
●沖縄事務所の任務は、①日米同盟の維持・強化と地元の負担の軽減、②沖縄の国際交流への協力、③日本外交の発信。
●「自律」した沖縄の将来に向けて経済界を中心に沖縄は始動中。政府として協力の可能性あり。

1.はじめに
 令和4年11月から令和7年11月、外務省沖縄事務所に在勤する機会に恵まれました。第15代目の所長、沖縄担当大使との役回りです。沖縄の歴史の中で、沖縄の今と未来を想い、限られた経験ではありますが、3年間、沖縄に勤務する中で考えたことなど、この機会に記しておけることに、まずは感謝申し上げます。
 沖縄に在勤して感じることは、歴代の沖縄担当大使を始めとする外務省沖縄事務所、北米局はじめ本省関係部局メンバー、さらには緊密な連携を維持する防衛省等とのこれまでの政策と実施努力の積み重ねの深さです。そして、政府側の取組に対して、沖縄の多くの方々が、様々な考えや思いを胸に秘めながら、政府関係者と真摯に向き合い、対話を積み重ねてこられた事実の重さです。

岩屋毅外務大臣(当時)と沖縄事務所員(令和7年6月事務所にて撮影)

2.外務省沖縄事務所の設立と2つの課題
(1)設立
 1997年の沖縄事務所の設立は、1995年の在沖米海兵隊員による沖縄の少女暴行事件が端緒となり、「外務省も沖縄に常駐し、在沖米軍及び地元との緊密な対話を維持し、日米同盟の一層円滑な運用を確保せん」とされた経緯があります。その後、地域の安全保障環境が厳しさを増す中、日本にある米軍専用施設・区域の約7割が、沖縄(日本全土の約0.6%の面積)に置かれていることの意味は、ますます重いものとなっています。
(2)2つの課題―沖縄の負担軽減と日米同盟の強化
 在沖米軍による事件・事故、また、所要の訓練を行う米軍機による騒音問題などについて、筆者は、3年間沖縄に住み、県内各地の方々と日々話しをする中で、「何とかならないか」との思いを深めました。同時に、日本と地域の平和と安全のために、日々真剣に訓練する在沖米軍司令官、隊員と接し、彼らの人柄を知れば知るほど、「異国の地で、体を張ってここまで頑張ってくれるものだ」との敬意と感謝の念も深めました。
 こうした2つの思いの狭間に立ち、「何が解決策になるのであろうか」との個別課題への対処、また、「日本外交を通じて平和と安定を確固たるものとしていくことが、沖縄の負担の軽減につながるはず。」といった思いを胸に、我々沖縄事務所員は、日々の任務、沖縄及び米軍関係者との緊密な対話及び信頼関係に基づいた課題解決に努めています。

3.沖縄の歴史と今
 沖縄を考える際、歴史の流れの中で、現在の沖縄の置かれた状況について理解するよう試みることは、重要な意味があると思います。つまり、15世紀から約450年間の琉球王国の時代を経て、1879年に琉球藩から沖縄県への移行、琉球処分があり、わずか60数年後には、沖縄戦で県民の4人に1人が命を落とされ、27年にわたる戦後の米国施政が始まった。1972年に本土復帰してから、たかだが53年しか経ってないという時間軸です。
沖縄において、一見、にわかに理解することが難しいような反応や、強い感情の発露に直面することがある場合、現在の日本における沖縄の置かれた位置は、紆余曲折を経た600年の歴史の中で、50年余で形成されているまっただ中であるとの点に立ち戻ることが、「うちなーんちゅ(沖縄県系人)」の心を理解し、共に行動しようとの出発点になるのではないかとの考えです。

4.沖縄事務所の任務
 沖縄事務所の主要な任務は、第一に、日米同盟の維持・強化と沖縄の負担の軽減、第二に、沖縄の国際交流への協力、第三に、日本外交について県内に平明な言葉で説明していくことです。
(1)第一の任務:日米同盟の強化と沖縄の負担軽減
ア 騒音問題
 例えば、米軍の嘉手納飛行場がある嘉手納町には、約1万3000人の町民が暮らし、町の面積の8割が同飛行場によって占められます。最大の問題の一つは、航空機による騒音です。日米両政府の合意によって、夜10時以降、朝6時までは原則として、訓練を実施しないことになっていますが、運用上の必要性がある場合は、夜間の飛行も排除されません。例えば、最近では最新鋭のF-35の離着陸時には、100dbを越える騒音が響き渡ったこともあります。嘉手納町や宜野湾市はじめ周辺自治体から、外務省沖縄事務所に対して、騒音軽減のため米軍への働きかけを強く求める要請・抗議が寄せられます。
 日本を取り巻く厳しい安全保障環境の中、沖縄、日本の安全と平和のため、在沖米軍は重要な役割を果たしているものの、県民の日々の安全で安心な暮らしがあってこそ、米軍と一緒に努力しようとの気持ちになれるのは自然なことです。外務省は防衛省と協力し、少しでも騒音の軽減につながるような対策を講じるべく、米軍及び嘉手納町はじめ関係市町との対話を重ね、実施してきました。最近では令和6年11月に、嘉手納飛行場のトップであるエバンス第18航空団司令官(准将)(当時)が、沖縄市、嘉手納町、北谷町の首長に対して、航空機の場周経路や旋回地点を工夫することによる騒音低減努力について説明しました。説明会にいたるまで、沖縄防衛局及び外務省沖縄事務所は、第18航空団と何度もやり取りし、説明会当日も参加しました。3市町の首長は、月毎・地域別の騒音データを確認しながら、一定の騒音低減効果があったことを評価し、また、こうした対面の説明の機会があったこと自体も多とし、その旨、それぞれの広報誌でも公表しました。

米空軍司令官による首長への騒音対策説明(令和6年11月撮影)

イ 米軍人による性犯罪
 残念ながら、筆者の在任期間中にも、米軍人による沖縄の女性に対する性犯罪事件が複数回起きました。性犯罪は沖縄県民の感情を逆なでし、「我々をばかにするな」との強い反応を惹起します。令和6年夏、筆者は、政府の地元への通報の遅れについて、沖縄の様々な方々から非常に強い抗議を受けました。その後、政府における情報共有の在り方を改善し、沖縄県に説明しました。
 その後も、日米両国政府、在沖米軍、沖縄県、市町村、沖縄県警などが連携して、このような事件の再発防止に全力で取り組んでいます。夜間の米軍施設・区域外での飲酒等を自主規制する米軍によるリバティー制度の強化、米軍人等が集まる歓楽街での日米共同パトロールの実施、米軍人への教育強化など、あらゆる対策を粘り強く実施中です。筆者も、在沖米海兵隊、海軍、陸軍にそれぞれ出向いて、日米同盟の重要性にふれ、米軍の任務遂行に対する敬意を表した上で、1人でも性犯罪を起こせば、地元の信頼を失い、全ての日米間の努力が台無しになることを強調する講話を実施してきました。また、夜中の共同パトロールに何度か参加しました。性犯罪を根絶しなければ、日米同盟は根幹から揺さぶられる。そうした危機感をもってのことです。

沖縄市で実施された「日米合同地域安全パトロール」(令和7年4月沖縄市にて撮影)

(2)第二の任務:沖縄の国際交流への協力 
ア 海外在住沖縄県系人(「うちなーんちゅ」)との交流
 「舟楫(しゅうしゅう)を以て万国の津梁(しんりょう)と為す。(船を使って、あらゆる国々の架け橋となる。)」沖縄には、アジアにおける交易のハブとして栄えた歴史があり、沖縄は今も様々な国際交流を行っています。
 特筆すべきは、沖縄県、多くの市町村が、毎年、中南米、ハワイなどに在住する「海外うちなーんちゅ(沖縄からの移民とその子孫)」を招聘し、逆に沖縄からも海外を訪問する相互交流です。「海外うちなーんちゅ」は、自らのルーツを確認しながら、沖縄に3か月ほど滞在する間に、日本語、しまくとぅば(沖縄の方言)、三線、琉球舞踊などを習得し、家族同様の付き合いを経験します。筆者は、金武町、宜野座村などの研修閉講式などにお招きいただき、彼らの研修の成果発表を拝見しました。ホームステイ先のご家族、先生、役場の職員などを前に、研修生たちは感謝の気持ちを述べ、「このまま沖縄に残りたい」と目に涙をためながら送り出されます。日本が、様々な国との関係を深める外交を進める中で、これほど心の底からつながる交流も数少ないと思われます。沖縄が日本外交に大きく寄与している交流です。
イ 「アメリカで沖縄の未来を考える(TOFU)」プログラム
 これまで8年間、毎年20-30人程度の沖縄の高校生、大学生等が約1週間、ワシントンDC、ニューヨークを訪問し、米国政府・議会、シンクタンク、教育機関関係者等と面会し、国連や文化施設などを見学することで、沖縄の若い世代にふるさと沖縄を外から見てもらおうとの外務省のプログラムです。帰国後も、参加者たちは、地元首長との車座対話、在沖米軍との清掃活動、在沖米軍施設・区域の視察など、様々な活動を継続しており、中には「将来、外交官になる」との志望を語ってくれる若者もいます。

(3)第三の任務:日本外交の発信
 沖縄事務所は、県内各地で所員が手分けして、日本外交、外交官の仕事などについて、小学校から大学、ビジネス関係者など様々なグループの方々にお話し、また意見交換を重ねています。背景には、沖縄県民150万人の内、約2割が保守、約2割が革新、6割は中道ともいわれる中で、どの層からも「外交で頑張って、日本、沖縄が二度と戦争に巻き込まれないようにしてほしい」との意見を聞くことが、よくあります。
 日本の主要な外交政策についての説明、沖縄にとっての意味合いなどについてお話すると同時に、「沖縄に国際会議、国際機関を誘致すべし。それこそ有効な抑止になる」とのご意見等も踏まえ、その実現に向けた工夫を一緒に考え行動する。そうした任務です。

5.終わりにー沖縄の将来
 沖縄のことを歴史の中で考えると言っても、大きな流れを捉えることと、より細かい心のひだに入っていくことでは、違いがあると思われます。例えば、沖縄戦を体験された方々は、最もつらかったことについては、家族の中でも普通は触れない。ましてや他人が、土足でずかずかと入ってくることは受け入れられません。毎年4月に、先祖をお迎えするために、亀甲墓に家族、親族が集い、食事を共にしながら語らうシーミー(清明)祭は、沖縄の伝統行事ですが、ある沖縄の方は、筆者に対して、「シーミーの時に、父親が初めて、このお墓の近くで、両親は、米軍の爆撃にあって亡くなった」とポツリと語ったと、何度かお会いする中で教えてくれました。
 では、沖縄の人々が、過去のことにばかり心を向けて、将来に向けて考え、行動しないかといえば、むしろ、その逆です。過去は忘れない、忘れないからこそ、未来に向けて行動しなければならないとの気持ちは、若い世代のみならず、60才以上の世代もお持ちであるように見受けます。例えば、沖縄経済界、那覇市、浦添市、宜野湾市などが協力して、2050年の沖縄、「自律」した沖縄の将来像を描く「GW(ゲートウェイ)2050 PROJECTS」が発表されました。外務省の役割は、2013年に日米両国政府が合意した「沖縄統合計画」に沿って、防衛省と連携しながら米軍施設・区域の一部返還を着実に進めていくことで、沖縄の「自律」に向けた青写真の実施に協力することです。
 「できれば、東京の方々に、あなたの沖縄での経験を話していただき、多くの方々に、沖縄のことを日本全体のこととして、一層考えていただきたい。」これは、ある沖縄メディアの社長から筆者への餞別の言葉です。筆者は、日頃、そのメディアの論調には与することができないことが多いのですが、不思議と深く心に響く言葉でした。

石嶺傳實読谷村長(右から二人目)、篠原亮子沖縄事務所副所長(左から二人目)等と(令和7年9月、読谷村役場にて撮影)。

 令和7年11月末、アイルランドに転勤しました。沖縄では、紀谷昌彦大使はじめ沖縄事務所の同僚が引き続き全力で取り組んでいます。筆者は、2027年の日・アイルランド友好70周年も視野に入れて、日本の仲間作りを進める外交に取り組みます。沖縄の若者が、上記TOFUプログラムにおいて「アメリカから沖縄の未来を考える」ように、筆者もアイルランドから日本と沖縄の未来を考え、アイルランドの人々と共に、できることから実行していきたいと思います。
いっぺー、にふぇー、でーびる。(大変ありがとうございます。)

沖縄角力(令和7年6月名護市にて撮影)