日本成長戦略とマレーシア ─「ルックイースト」から「Look at Each Other」へ─


駐マレーシア大使 四方敬之

 マレーシアに着任してから約1年5か月が過ぎた。初の大使としての業務を振り返るとともに、今後の日馬関係の展望について、特に高市政権が掲げる日本成長戦略との関連を軸にまとめてみたい。
 2024年11月にクアラルンプールに降り立ったとき、まず実感したのは、この国が持つ活力と多様性、そして日本に対する深い親近感であった。マレーシアは人口約3400万人、マレー系、中華系、インド系をはじめとする多民族が共存し、開放的な経済運営を行うイスラム教国であり、東南アジアの中でも独自の存在感を持つ国である。筆者自身、内閣広報官として2023年11月の岸田総理(当時)のマレーシア訪問に同行し、日馬首脳会談に同席した経験があるが、大使としてマレーシア各地を訪問する中で、政府要人、企業関係者、大学関係者、在留邦人の方々との対話を重ね、日馬関係の裾野の広さと潜在力の大きさを改めて認識している。ラマダン期間中には地元のバザールでナシレマやミーゴレンをはじめとするマレーシア料理を楽しんでいる様子をSNSに投稿したところ、大きな肯定的な反響をいただいた。マレー系、中華系、インド系、ニョニャと多彩な食文化を持つこの国での生活は、大使としての日々に彩りを与えてくれるとともに、マレーシアの多民族、多文化の活力を実感させてくれる。
 日本とマレーシアの外交関係は70年近くの歴史を有し、2023年12月には「包括的・戦略的パートナーシップ(CSP)」へと格上げされた。経済、エネルギー、安全保障、教育、文化など多岐にわたる分野で協力が深化している。これまで、累計1510億リンギット(約3兆3000億円)を超える日本からの投資は34万人以上の雇用を生み出しており、約1600社の日系企業がマレーシアで事業を展開している。この厚みのある経済関係が、両国の信頼の基盤となっている。
 2025年は、筆者にとっても、ASEAN議長国を務めたマレーシアにとってもまさに激動の一年であった。1月には石破茂総理(当時)がクアラルンプールを訪問しアンワル首相と会談を行った。また、4月には「アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)」を推進する岸田前総理率いる国会議員団も来馬された。その後、武藤前経済産業大臣は秋までに計3回も来馬されるなど、首脳・閣僚・議員レベルの往来も大変活発であった。そして昨年10月、就任からわずか5日目の高市総理が初の海外訪問先としてマレーシアに降り立ち、議長国としてASEAN関連首脳会議を主催するアンワル首相をはじめ各国首脳に歓迎された光景は記憶に新しい。特にアンワル首相が高市総理を先導し、ASEAN各国の首脳を一人一人紹介する姿は、日本への深い信頼の表れであった。翌日にはトランプ米大統領の訪日という大舞台を控える中、一泊三日の強行日程でクアラルンプールを訪れた高市総理は、日ASEAN首脳会議やAZEC首脳会合に出席され、アンワル首相との二国間会談も実現した。「ASEANはインド洋と太平洋の結節点であり、日本が主導するFOIPの要だ」と語った高市総理の考えは、日本がASEANを、そしてマレーシアをいかに重視しているかを力強く示すものであった。受入国側の大使として、この歴史的な訪問を実現して頂いたことは光栄の至りである。
 こうした首脳外交の流れも踏まえつつ、ここからは高市政権の経済政策に目を転じたい。高市政権は「強い経済」の実現を掲げ、日本成長戦略本部を立ち上げた。「危機管理投資」をキーワードに、官民連携による重点投資対象である「17の戦略分野」を設定したことは、霞関会の皆様もご承知のとおりである。17分野とは、(1)AI・半導体、(2)造船、(3)量子、(4)合成生物学・バイオ、(5)航空・宇宙、(6)デジタル・サイバーセキュリティ、(7)コンテンツ、(8)フードテック、(9)資源・エネルギー安全保障・GX、(10)防災・国土強靱化、(11)創薬・先端医療、(12)フュージョンエネルギー、(13)マテリアル、(14)港湾ロジスティクス、(15)防衛産業、(16)情報通信、(17)海洋である。
 当地で業務に取り組む中で痛感するのは、これら17分野のほぼすべてがマレーシアとの協力において高い親和性を持つということだ。成長戦略は日本国内の産業政策として語られがちであるが、その実現にはグローバルなサプライチェーンの構築と国際連携が不可欠であり、マレーシアはまさにその最適のパートナーの一つである。以下、いくつかの分野について具体的に述べたい。
 まず、AI・半導体及び情報通信の分野である。マレーシアはペナンを中心に半導体の後工程(パッケージングとテスト)で世界有数の集積地を形成しており、世界の半導体パッケージング市場の約13パーセントを占める。インテルやインフィニオン等のグローバル企業が拠点を構え、半導体関連の人材蓄積も厚い。近年はデータセンター投資も急拡大しており、サイバージャヤのみならずジョホール州でも複数の日本企業がデータセンター投資を進めている。AI人材の育成においても、マレーシア日本国際工科院(MJIIT)や筑波大学マレーシア校(UTMy)といった日馬の教育連携拠点が重要な役割を果たしうる。
 資源・エネルギー安全保障・GXの分野では、マレーシアは日本にとってLNGの第2位(15%)の供給国であり、1983年のLNG輸入開始以降、両国のエネルギー協力には40年以上の歴史がある。また、レアアース資源を豊富に有しており、マレーシアの精錬量が世界全体の精錬量に占める割合は、中国に次ぐ世界第2位(約5%)である。双日とJOGMECが2011年から共同出資する豪ライナス社のマレーシアにおける分離精製工場からの日本への輸出が増大している。近年はサラワク州を中心にグリーンエネルギー分野での協力も加速している。同州は豊富な水力発電を背景にグリーン水素の生産拠点としてのポテンシャルを有しており、水素、アンモニア、CCUS(二酸化炭素の回収・利用・貯留)など、日本企業が高い技術力を持つ領域との相乗効果は大きい。AZECの枠組みの下、脱炭素分野での日馬協力は今後さらに拡大するであろう。世界最大の藻類生産をサラワクで開始したCHITOSEやペトロナス等と合弁でSAF(持続可能な航空燃料)の生産を予定するユーグレナのように、マレーシアの熱帯気候と投資環境は、日本企業が持つ技術実践のフィールドとして適している。
 フードテック及び合成生物学・バイオの分野も注目に値する。マレーシアにはJAKIM(マレーシア・イスラム開発局)が運営する世界的に信頼度の高いハラル認証制度があり、食品関連企業の国際展開における重要な基盤となっている。実際、マレーシア味の素は全製品を100パーセントハラル対応とし、その約40パーセントを中東地域に、約10パーセントを日本に逆輸出するという双方向のビジネスモデルを確立している。食品分野の進出先として関心は高く、食品DXの分野でも日本の技術とマレーシアのハラル市場へのアクセスを組み合わせた協力の余地は大きい。また、日本とマレーシアは同じアジアモンスーン地域に属しており、 気象条件や農業構造に共通性が見られる部分もあることから、マレーシアが推進するスマート農業分野において、日本の技術とマレーシアの現地ニーズや実証による協力は高い成果に繋がりうる。さらに、熱帯地域特有のバイオ資源を活用した合成生物学研究においても共同開発の可能性が広がっている。
 コンテンツ産業については、日本のアニメ、マンガ、ゲームはマレーシアでも極めて高い人気を誇り、毎年各種イベントが開催されるほか、KADOKAWAの当地子会社による日本産IP(キャラクターやコンテンツなどの知的財産)の現地語訳出版や直営店の運営など、日本のソフトパワーの浸透は顕著である。マレーシア国内には2200店舗以上の日本食レストランが存在し、食文化も含めた「日本ブランド」が広く定着している。マレーシアは英語とマレー語、中国語が広く通用し、ASEAN域内及び中華圏への発信拠点として、日本のコンテンツのローカライズ・配信のハブとなりうる潜在性を有する。
 防衛産業、海洋、港湾ロジスティクス、造船の各分野においても、日馬協力の深化が見込まれる。CSPの下で安全保障協力は着実に進展しており、マレーシア海上法令執行庁(MMEA)への能力構築支援や自衛隊とマレーシア軍との交流が深化している。南シナ海における法の支配の確立は両国の共通利益であり、自由で開かれたインド太平洋(FOIP)とASEANのインド太平洋に関するアウトルック(AOIP)の連携を通じた地域の平和と安定への貢献は、日馬関係の重要な柱である。マラッカ海峡という世界有数のシーレーンに面し、東南アジア有数の巨大コンテナターミナル港湾を有するマレーシアとの協力は、港湾DXにおいても戦略的意義が大きい。またLNGは船舶の次世代燃料のひとつと目されており、グリーン船舶技術の推進においても、LNGの主要産出国であるマレーシアとの協力は非常に重要である。

 このほか、創薬・先端医療の分野では医療DXや臨床試験の国際連携、量子技術やマテリアル分野での共同研究、防災・国土強靱化における日本の知見の共有など、17分野のいずれを取っても日馬協力の具体的な接点が存在する。フュージョンエネルギー(核融合)のような次世代技術においても、研究開発段階からの国際連携にマレーシアの理工系人材の育成を結びつけた取組みが考えられる。航空・宇宙分野でも、衛星データを活用した防災・農業支援や宇宙産業の裾野拡大においてASEAN諸国との協力は不可欠であり、JAXAとマレーシアの宇宙機関MYSAとの連携強化も大いに期待できる。
 ここで強調したいのは、こうした多面的な協力が従来の一方向的な「ルックイースト政策」の延長線上にとどまるものではない、ということである。1980年代にマハティール首相(当時)が提唱した東方政策の下、これまでに約2万8千人のマレーシア人学生・研修生が日本で学び、マレーシア社会の各界で活躍している。前述したマレーシア工科大学(UTM)内のMJIITや、日本の大学として初の海外キャンパスである筑波大学マレーシア校(UTMy)を一昨年開設した筑波大学の取組みは、日本型教育の国際展開の先駆けであり、ルックイースト政策の大きな遺産である。
 しかし今日、日馬関係に求められているのは、マレーシアが日本から学ぶという一方向の構図を超えた、双方が互いの強みを活かし、共に学び、共に繁栄するという新たなパラダイムである。筆者はこれを「Look at Each Other(互いを見つめ合う)政策」と呼んでいる。マレーシアのハラル認証制度は日本の食品企業のグローバル展開に不可欠な基盤を提供し、マレーシアの高度化しつつあるデジタルインフラと人材は日本のIT企業の成長機会を提供している。AI技術を活用したデマンド型交通(DRT:Demand Responsive Transit)のように、日本のスタートアップの技術がクアラルンプールの交通渋滞解消に貢献し、その成功モデルがジャカルタやバンコクといった他のASEAN諸都市のスマートシティ化に貢献する──こうした双方向の価値創造こそが、これからの日馬経済協力の本質であると確信している。
 来年2027年には日馬外交関係樹立70周年を迎える。本年は「Visit Malaysia 2026」としてマレーシア政府が観光振興に注力する年でもあり、教育やビジネスを含む幅広い分野で双方向の人的往来がさらに活発化することが期待される。高市政権の成長戦略17分野は、日本の国内産業政策にとどまるものではなく、その多くがASEAN、とりわけマレーシアとの国際経済協力の文脈で具体化しうるものである。成長戦略の国際的な展開という視点からも、マレーシアは日本にとって最も重要なパートナーの一つであることを、当地から改めて訴えたい。
 マレーシアが高所得国への移行を進める中、資源、エネルギー、GX、教育、デジタル化、スマートシティといった課題は日本にも共通するものである。両国が連携してこれらに取り組むことで、ASEAN全体のモデルケースとなる可能性がある。「ルックイースト」から「Look at Each Other」へ──この転換を具体的な成果につなげていくことが、大使としての筆者の使命であると考えている。霞関会の皆様からの御知見と御支援を賜れれば幸いである。