新体制に向けてのEUの現状と課題―欧州選挙の結果を踏まえて―
欧州連合日本政府代表部大使 相川一俊
激動の世界情勢の下、欧州連合(EU)は、貿易、競争政策の権限を通じた単一市場を目指す共同体から、フォン・デア・ライエン(VDL)欧州委員会委員長自ら唱えるような「地政学的主体」への変貌を遂げようと模索している。ウクライナ戦争と欧州防衛産業強化、欧州産業の競争力強化は待ったなしの課題である。
過去5年間VDL政権(EUの実態としては「VDL政権」と呼称することが最も現実に近いと思われることから本稿ではこの名称を便宜的に使用する)はコロナ禍対応、当面のエネルギー危機を乗り切ると共に、環境分野、デジタル分野で先駆的な政策を次々と打ち出し「ブリュッセル・エフェクト」と言われるように国際的なルール形成において主導的な役割を果たしてきた。
その一方で、ウクライナ戦争は欧州に戦争遂行に必要な弾薬を生産する能力すら欠けていることを露呈させ、また、近年欧州においてはIT分野をはじめとする先進分野で世界をリードする企業は出てきていない。また、過去5年間EUが推進してきた環境政策は、現在欧州における太陽光パネルのほとんどが中国産品、さらに欧州の電気自動車(EV)の2割は中国製と言われる現実を生み出す一因になった。
そうした課題に如何に対応していくかは現在のEU、VDL政権の最大の問題意識となっており、そうした課題に対応していくためにEUにとって日本との政策協調の重要性がますます高まっていることは筆者が日々強く感じるところである。また、逆に不透明な国際環境の中でEUが如何なる取組を行っていくかは日本にとって示唆するところも大きい。
本稿においては、まず、本年のEU内の動向、特に6月の欧州議会選挙の結果とその影響に触れた上で、今後の見通し、日本への影響に関して述べることとしたい。
欧州議会選挙とその後の展開
世界の選挙年と言われる本年、EUにおいても5年に1度の欧州議会選挙が6月に実施された。
これまで欧州勤務の経験がなく昨年12月に前任地のイランからブリュッセルに着任した筆者にとって、今回の欧州議会選挙はEUの政治プロセスに直接触れる格好の機会となった。EUにおける欧州議会の役割の重要性に関して議論はあるが、国民の選挙で選ばれない3万2千人のブリュッセル官僚で構成される欧州委員会、欧州の民意を反映する選挙で選ばれた720名の議員からなる欧州議会、そして27の加盟国を代表する欧州理事会の間の複雑な関係の中で、近年、民意を代表する欧州議会の役割の重要性が増しているように筆者には見える。
欧州議会選挙ではEU各国の国民が欧州議会議員(定員720名)が直接選挙によって選出される。各国の議員数はドイツの96議席からキプロス、ルクセンブルク、マルタの各6議席まで人口比によって数が決められており選挙のやり方も基本的に各国毎の選挙手続きに委ねられている。各国国民も各国それぞれの政党の候補者を見て投票するので、欧州議会選挙はいわば欧州各国の個々の選挙結果を単に束ねたものと言ってよく、欧州全体として選挙が統一的に行われるのではない。
今回の選挙においては、事前には物価高、エネルギー価格高騰、移民などの社会不安も影響し、右派、極右派が躍進すると見られていたが、選挙の結果は、VDL委員長の出身母体である独のキリスト教民主同盟を中心とする中道右派の「欧州人民党」が9議席増、独、スペインの社会民主党を中心とする中道左派の「社会民主進歩同盟」は議席数2減に踏みとどまった。マクロン仏大統領が主導する中道リベラル派の「欧州刷新グループ」は議席数21減と大幅に議席を失ったものの、それら左右の中道勢力が「緑の党」会派の支持を加えて欧州議会議席の過半数を獲得して、VDL第2期政権の成立が確実なものとなり、これまでの5年間と同様の政権運営構造が継続されることとが確定した。
議会選挙後に注目されたのは選挙結果を踏まえ、欧州議会の運営の基本である各政党間の会派形成に向けての交渉、合従連衡であった。特に、VDL委員長が、今回の選挙で議席を増やしたメローニ伊首相が主導する右派会派を政権与党に取り込むか、それともこれまでの政権与党を基盤としていくかに注目が集まった。結果的にVDL委員長は緑の会派も含めこれまでの政権与党の下での政権運営を選択した。
その一方で、独、仏というEU主要国において極右勢力が大きく票を伸ばしたことには留意する必要はある。また、合従連衡は特に右派において顕著で、これまでどの会派にも参加が叶わなかったハンガリーのオルバーン首相が主導する勢力がフランスのルペンが主導してきた極右「国民連合」主体の会派を取り込む形で「欧州愛国者」会派を結成した他、独の極右政党は独自の「主権国家の欧州」会派を結成し、伊のメローニ首相が主導する会派と併せれば、右派が3会派に分かれて活動することになった。しかしながら、「欧州愛国者」会派、「主権国家の欧州」会派は欧州議会副議長や各委員会委員長といった要職は得られず、今後の議会運営に大きな影響力を持つ可能性は少なくとも短期的には低くなっている。なお、前回5年前の選挙で大躍進した「緑の党」会派は今回の選挙で議席を大きく減らした。
加盟国の政治状況の変化と政策面への影響
欧州議会選挙はそれ自体の結果もさることながら加盟国各国の現政権への信任投票の側面も持ち合わせており、今回の選挙の結果は主要国の国内政治に大きな影響を及ぼした。
まず、フランスでは、欧州議会選挙でのRNの大勝を受けてマクロン大統領が急遽、国民議会の解散を決断した。その後、7月の総選挙においてRNの勢いは失速したものの、与党連合は大幅に議席を減らして左派連合に第1勢力の座を奪われる結果となり、マクロン大統領の今後の政権運営は一層不透明なものとなった。
ドイツでも、ショルツ首相が率いる連立与党の「社会民主党」、「緑の党」が欧州議会で議席を大幅に失い、その後9月のドイツ東部の州議会選挙で極右政党が第1党を獲得するなど、ショルツ政権への逆風が続いている。
一方で、イタリアではメローニ首相が率いる右派「イタリアの同胞」は欧州議会選挙において議席を伸ばし、伊国内で第一党となった。ポーランドでもトゥスク首相が率いる中道右派の「市民連立」が議席を大きく増やした。ポーランドは来年前半のEU議長国であり、トゥスク首相は親EU派の指導者と目されておりブリュッセルでの期待感は高い。
今後5年間のEUの政権運営、施策は基本的にこれまでの5年間の継続ではあるものの、特に欧州理事会における個々の課題を巡ってのEUの意思決定のプロセスにおいて今後、独、仏、伊、ポーランド等の指導者間のバランス、影響力がどう変化していくかは注目されるところである。
具体的政策に関しては、環境政策面で一部の政策の延期、見直しを迫られるかどうか、EU拡大や移民対応といった右派の関心の高い政策分野がどうなっていくのか等に関心が集まっている。すでに、9月には独で移民対策として国境規制の動きが現れており、今後のEU内での調整が注目される。
外交・安全保障政策では、7月にVDL委員長が発表した第2期政権の政治指針においては「欧州防衛同盟」の確立に向け、防衛担当欧州委員の新設、NATOとの協力強化、域内防衛産業の基盤強化のための欧州防衛基金の強化などの政策が提案されている。
EU中国関係に関しては、ウクライナ戦争を巡る中露の関係強化、大幅な対中貿易赤字、中国の過剰生産問題などを背景に、近年EUの対中認識は極めて厳しくなってきている。先のVDL第2期政権の政治指針の中においても、中国の攻撃的な姿勢、不公平な経済競争、ロシアとの緊密な友好関係等により、欧州と中国の関係は協力から競争に変化しているとの記述も見られる。
具体的にも、EUは昨年から今年にかけて、特にグリーン分野の製品について中国からの輸入増の影響を緩和するための措置を講じており、欧州議会選挙後には中国産電気自動車(EV)に追加関税を賦課する暫定措置を発表した。さらに、欧州選挙直前に起こった独極右政党関係者の中国スパイ容疑での逮捕といった事態も生じている。
他方で、中国は近年、欧州各国と積極的な首脳往来や外相レベルでの会談を展開しており、各加盟国を個別に見ると対中投資、中国の国内投資を活用することに積極的な国も存在することも事実で、各国の立場には引き続き隔たりが見られるのが現状である。
今後の展望、日本の対応
VDL第2期政権に向けてのプロセスの次のステップとして重要なのは、VDL政権の閣僚とも言える欧州委員の顔ぶれとその担当分野をどう決めていくかというプロセスであるが、本稿の執筆時点では新たな欧州委員リスト、担当分野は公表されていない。欧州議会での厳しい公聴会手続を経て欧州委員リスト全体として議会から可決される必要があり議会の承認を得たVDL第2期政権がいつ正式に発足できるかは予断を許さない。日本にとっても、従来の貿易、環境、エネルギー、農業といった重要分野に加え、防衛、経済安全保障、競争力強化といった喫緊の課題に対応する新たな担当分野、担当委員の顔ぶれがどうなっていくのか注目されるところである。また、本年11月の米国大統領選挙の帰趨はEUでは特にウクライナ戦争への対応の文脈において決定的な意味を有するものとして固唾をのんで見守られている。
また、近年EUは様々な形でアジア太平洋地域への関与を深めており、安全保障分野における日EU間の連携には一層の余地がある。更に、環境、ITに加え、産業競争力強化、経済安全保障といった分野でのEUの今後の取組は、EUの国際ルール形成への大きな影響に鑑みれば日本として看過することはできない。
日本企業の欧州での活動も新規投資からM&Aまで多岐にわたるものとなってきており、そうした日本企業の利害を如何にEUの施策に反映していくかも日EU関係にとって重要であり、ブリュッセルにおいても政府と日本企業と一層の連携が重要となっている。
特に、欧州委員会、欧州議会、欧州理事会というEU主要機関との間で関係を築きEUのルール形成の過程の中に一層関与していくと共に、欧州各国との二国間関係をEUとの関係にも活かした「点」としてではなく「面」としての対応が一層必要になってきている。
ロシアによるウクライナ侵略が長期化する一方、中国による一方的な現状変更の試みが深刻化し、安全保障環境は一層厳しさを増している。そのような東アジアの状況下、基本的価値を共有し、また一度体制が固まれば5年間は比較的予見可能性の高い政権運営がなされていくEUとの間に安定した強固な関係を築いていくことは、日本にとって、またひいては国際社会全体にとってもますます重要となってきていることを最後に改めて強調しておきたい。(了)