新ローマ教皇レオ14世の登壇―歴史的パースペクティブに照らせばー


元駐バチカン大使 上野景文

 ローマ教皇フランシスコ逝去に伴い行われた新教皇選出選挙(コンクラーベ)で、米国出身のプレボスト枢機卿が選出され、レオ14世を襲名した。本稿では、14億人とされるカトリック教徒のトップに立つ新教皇選出の背景、意味、着目点などに触れると共に、展望を試みたい。

はじめに───改めて感じさせた存在感

 4月21日のフランシスコ前教皇の逝去を機に、バチカンを取り巻く環境は目まぐるしく「回転」した。すなわち、僅か18日という短期間に、前教皇の葬儀(同26日)から、世界各地に散らばる130余人の枢機卿のローマへの招集、コンクラーベ(教皇選出選挙)の実施(5月7-8日)を経て、プレボスト枢機卿の選出、レオ14世の就任に至る「大転換」が、整然と繰り広げられた。
 さて、BBC、CNNは、カトリック国とは言えぬ英米両国の代表的メデイアであるが、お気づきのように、かれらは節目、節目に長時間の現地実況を執拗に続けていた。おかげをもって、カトリック世界を超え、広く世界各地の人々が、臨場感をもって葬儀、コンクラーベ、就任ミサなどの模様につき―――参加した世界的超VIPの顔ぶれはもとより、即興的に行われたトランプ・ゼレンスキー面談を含め――その展開を映像で直接見守る機会を得た。ごく素朴な意味で、かれらの報道により、バチカンはその存在感を改めて世界に印象付けることが出来たと言える。

 その存在感の根っこにあるものは何か。ここで深入りをするつもりはないが、世界に分散する14億人の信徒を纏めていると言う数字的ファクターもさることながら、歴史の荒波を耐えて、2000年にわたり継続してひとつのレジームを守って来たことに伴う「重み」「質感」、ひいては「権威」のようなものが、キーワードとなろう。歴史的背景は異なるが、日本の皇室が醸し出すある種の「なつかしさ」「有難さ」にも通じる。バチカンは多分に皇室的な空気が感じられる世界である。

意外性と穏当性───────初の米国出身教皇

 今回の新教皇選出については、驚かされた面があったが、冷静に振り返ると、穏当な結果だったと言って良かろう。

 先ず、米国出身者が選出されたこと自体には意外性があった。と言うのは、バチカン内外では、政治面の覇権国(ヘゲモン)である米国の出身者に、精神面な面でもヘゲモニー(覇権)を与えることは如何なものかと言う雰囲気が、目に見えるものではないが、従来は支配的であったからだ。

 他方、世界のカトリック教徒の50%近くが米州大陸にいる。データ的に言えば、2回に1回は、米州出身者が教皇になってもおかしくないと言うことであり、米州出身者の教皇が2代にわたり続くこととて、左程奇異なことではない。今回の結果は穏当だったと言える。

 因みに、コンクラーベに参加した枢機卿のうち米州出身者は3割に過ぎない。米州のカトリック教徒数が5割近いことに照らせば、同州は「割を食っている(=冷遇されて来た)」と言える。現に、フランシスコ教皇以前には一人も教皇を出したことがなかったのだから。カトリック教徒が2割に過ぎないのに4割近い投票権を与えられ、もって、歴代の教皇を輩出して来た欧州と比べると、えらい違いだ。繰り返す、これまで冷遇されて来た米州のことゆえ、教皇が2回続いたとしても、これまで恵まれなかったのであるから、ええじゃないかとの声が聞こえてきそうだ。

 ところで、メデイアの多くは、教皇が米国出身という点に焦点を当てて報道した。間違いではないが、新教皇は、そのキャリアの多くをペルーで過ごし、ぺル―国籍を有している。また、コンクラーベでかれに票を投じた人の中には、南米人として推した人が少なくなかったと思われる。然も、プレボスト枢機卿は、若い時分、助祭、さらに、司祭として叙任された際、進歩色の強い司祭がこれを手がけてくれた言う点も見逃せない。と言う背景もあり、同枢機卿は、この20‐30年宗教ナショナリズム色を強めて来ている米国カトリック教会(加えて、トランプ氏再選に貢献した)とは、肌合いを異にしているようだ。また、組織論的に言っても、同枢機卿はペルー・カトリック教会の人間として認識されていた訳であり、米国の教会と繋がっているとは見られていない。米国色が薄い人物だ。ただ、それはこれまでのことであり、今後同人は、南米でも北米でもなく、世界全体の教会を代表する教皇と言うことになる。

 なお、プレボスト枢機卿は全世界の司教を監督・任命する司教省の長官を務めていたことから、世界各地、特にバチカンに不慣れな「南」の枢機卿や司教の間でも知名度が高い。この点が、今回の選挙に際し、有利に働いたものと思われる。フランシスコ前教皇は、その点を十二分に承知の上で、つまり、次期教皇に選出される可能性がそこそこあるとの前提で、2023年に同枢機卿を長官職につけた。すなわち、前教皇は、「この人物であれば、(教皇に選ばれた後も)自分の意思をきちっと継いでくれる筈だ」と見込んで、同枢機卿を司教省長官職に就けたものと思われる。よって、前教皇は、草葉の陰から、否、天にあって、「(ものごとは)自分が想定した筋書き通りに進んでいるのう」と言って満足気にほほ笑んでおられるものと想像する。

新教皇への期待

 次に、カトリック世界を始めとする各方面が、新教皇に期待する重要事項につき、5点触れる。

⓵「橋渡し役」の期待────教会内の対立の緩和

 今回、コンクラーベが紛糾することなく、すんなりと穏当な結論を出せたことの背景として、カトリック教会を覆う危機感に目を向けたい。昨今、カトリック教会内における保守派とリベラルの間の対立が深刻化し、教会の分裂が憂慮される中で、コンクラーベ参加枢機卿の多くが、今回最も重要なことは、リベラルに偏することもなく、保守過ぎることもなく、双方から受け入れ可能で、両派間の「橋渡し」の任に堪えるような人物を選ぶことだ、との暗黙の了解を共有していたようである。それ故、中庸・中道を旨とする人物に白羽の矢が立ち、スムースに結論が出せたと言うことだ。就任スピーチで、新教皇が「団結」を呼びかけたことも肯ける。

 すなわち、バチカンでは近年、特に中絶や同性婚、LGBTQ(性的少数者)への対応など生命家族倫理の問題で、教義の厳格な適用を重視する保守派と、世間の流れを汲み入れようとするリベラル派の対立が先鋭化していた。かかる環境下、教理・教義にこそ手を付けなかったが、女性の幹部登用やLGBTQ信者の教会儀式参加を容認するなど、柔軟な面を持ち合わせていたフランシスコ前教皇に対する保守派の反発には、無視し得ぬものがあった。

 こうした中、米国をはじめとする各国の保守強硬派は、来るべきコンクラーベでは、フランシスコ教皇のような人物が選ばれることだけは阻止すべしとの観点から、この数年、独自のブログを通じて、各地の枢機卿の一人一人につき、教皇に適格かどうか審査・評定を実施し、当該情報をばらまいて来ている。前教皇に極めて近いとされていた数人の枢機卿が、高い下馬評にもかかわらず、選ばれなかったのは、かれらの「工作」が影響した面があるのかもしれない。中絶問題等でリベラル派とは一線を画し、より穏健と目されるプレボスト枢機卿は、保守派の拒絶対象にはならなかったのであろう。

 と言うことで、レオ新教皇は対立の緩和に腐心するものと目される。ただ、カトリック教会内の対立には,厳しい面があり、教皇の必至の努力にもかかわらず、現状が大幅に改善されることは望み薄であろう。

②「実務家」としての貢献───前教皇の遺産の肉付け

 フランシスコ前教皇は、バチカン官僚が固める「中心」とは無縁の存在であり、「周辺」、すなわち、南米の前線で活動を続けて来た現場派であり、組織の論理、場の空気に左右されることなく、自ら選択した道を果敢に進むことが多く───人事、海外出張、機構改革などにつき───バチカン官僚との間で軋轢が絶えなかった。

 これに対し、プレボスト枢機卿は、ぺルーの前線で活動する一方で、ローマにあって修道会を含む大組織経営面で腕を振るって来ており、CEO的なマネージメントの素養があることで定評がある。「中心」における振舞い方に通じた組織人と言うことだ。然も、前教皇のように果断に行動するのでなく、各方面に目配りするバランスのとれた人物と目され、保守、リベラル両派が受け入れやすい人物である。

 このため、前教皇が遺した「負の遺産」」(数々の軋轢)を「清算」するクリーニング役として、また、前教皇がやりかけた改革を肉付けする面で、新教皇の実践力・実務力に期待する向きは多く、しっかりと成果を残すものと思われる。

③フランシスコ改革───「脱欧入南」───の継続

 前教皇は、2013年にバチカンに乗り込むや否や、「教会は、貧しい人、恵まれない人に寄り添うと共に、『南』を向いて仕事せよ」と号令し、以後、「北」(欧州)向きであったこれまでの姿勢を転換、人事面、機構面、教皇の海外渡航面を含め、「南」、すなわち、グローバルサウスへの配慮を深めてきた。たとえば、これまでバチカンと縁が薄かったモンゴル、パプアニューギニア、トンガなどの出身者を枢機卿に就け、枢機卿に占める「南」の割合を着実に増やして来た。反面、「北」、特に、欧州出身の枢機卿の割合は、前教皇の治世下、大きく減った。これに対して、既得権を奪われた欧州系高僧からの反発が強かったことは言うまでもない。

 カトリック世界全体を俯瞰すると、世俗化が進み、信徒数が減り気味の欧州とは対照的に、アフリカ、アジアでは信者数が増え続けている。これら「南」の地域に教会の将来・命運を託すことは理に適ったことだ。欧州中心主義が強かったカトリック教会を、真に「全世界的教会」に転換するための第一歩を踏み出したと言う意味で、前教皇の功績は大きい。

 前教皇が踏み出したこの「脱欧入南」路線を、新教皇レオ14世が、大枠として維持してゆくことは、確実と見る。なぜならば、新教皇は、前教皇同様、弱者、虐げられた人、更には、「南」への配慮を重視する点で、共通するからだ。因みに、新教皇が「レオ」を襲名した理由の一つは、先代、すなわち、レオ13世が労働者、すなわち、当時の弱者に寄り添うことを重視したことに共感したことによると聞く。

 ただ、バチカン官僚の抵抗がことのほか強く、最もセンシティブな人事については、前教皇の大胆さが数々の軋轢を生んだことを念頭に、レオ14世が、「北」への配慮にも意を用い、より慎重な取り扱いを示すことになる可能性はある。

④カトリック教会の拡大───全世界における宣教の強化

 新教皇の最重要使命は、言うまでもなく、「南」であれ「北」であれ、世界各処で宣教を充実させること、すなわち、カトリック教徒を更に増やすことにある。ただ、バチカン・カトリック教会は、特にこの20‐30年次々と明らかになった聖職者による児童の性的虐待事件の後遺症に苦悩させられており、この問題が新教皇の宣教活動、カトリック教会拡大の足を引っ張ることは十分想定される。新教皇を頂いた教会は、引き続き、傷ついた信頼性をどう取り戻すか、優先事項として取り組む必要がある。

⑤教皇のメッセージ力の更なる活用
 
 歴代教皇の最大の仕事のひとつは、平和、和平、非核化、貧困、移民、温暖化などの諸問題、すなわち、社会正義に関わる問題につき、世界に対し、教皇メッセージを発出することだ。レオ14世も、かかる「平和の使節」、「平和の宣教師」としての役割を踏襲・強化するものと想定される。

 その際、特に、ガザ紛争、ウクライナ紛争、スーダン紛争などにつき、強く和平を求めることになろう。なお、内外には、ウクライナ和平問題について教皇が仲介することになるとする向きがあるが、それは過度な期待ではないか。伝統的に、バチカンが仲介に動くときは、目に見えぬ形で、密かに、静かに動く。関係国からの、或いは、メデイアからの雑音が騒々しい中で、バチカンが表立って仲介に動くことは想像し難い。ましてや、トランプ氏が失敗した後、そのしりぬぐいをと言うようなことは、あり得ないことだ。

気がかりなその他の諸点

 以上に加え、レオ14世出帆にあたり、特に気がかりな4点につき、概述する。

⓵米政権との関係────緊張をはらむこと必至

 前教皇の時代もそうであったが、バチカンは、トランプ政権を含む歴代共和党政権との間で、社会正義の諸問題、すなわち、非核化、軍縮、環境・気候変動、貧困、途上国支援、移民、国際機関との連携などの問題につき、異なる哲学・立場を有しており、両者の関係が摩擦をはらむことは十分にあり得る。なお、日本国内には、今回の選出の背景として、トランプ氏を意識したものとの解釈を示す向きがあるが、的外れだ。

 因みに、トランプ、バンス両氏は、表面的には、教皇・バチカンに敬意を払っているように見える。来年の中間選挙に備えると言う面から、穏便に振舞っているのであろう。が、一皮めくると、違う相が見えて来る。すなわち、前教皇の時代になるが、トランプ氏の懐刀であったバノン氏はバチカンを何度も訪れ、フランシスコ教皇の「倒閣」運動を目し、反フランシスコの旗を掲げていた米国出身のバーク枢機卿(バチカンの最高裁長官職にあったが、前教皇がこれを罷免)と懇ろに協議していた趣である。そのバノン氏に近いグループの中には、既にして、「レオ14世はフランシスコ教皇と同じDNAを有している」、「レオ14世は前教皇同様、共産主義者だ」と言った悪態をついている人がいる。そこに、かれらの本音が見える。どうやら、トランプ・グループは、「表の顔」(建前)と「裏の顔」(本音)のふたつを巧みに使い分けようとの算段と見受けられる。何れにせよ、レオ14世的世界とMAGA派的カトリック保守とでは、水と油並みの差異があると見る。

②中国との関係の進展───進展はスローダウンするだろう

 前教皇は、2018年に、中国との間で、長年にわたる懸案であった司教の任命問題につき、「歴史的和解」(いわゆる暫定協定を締結)にたどり着いた。更にこの数年、バチカンを含むカトリック教会と中国カトリック教会との交流は、少しずつではあるが、進捗を見ている。他方、中国と和解に至る過程で、バチカン内外の保守派からは、強い反発があった。慎重派で、実務家肌の新教皇は、こうした保守派の反発にも一定の配慮をするのではないか。つまり、対中関係で、これまでの歩みを緩める可能性はあると見る。

③新教皇の人気を占う

 フランシスコ前教皇は清貧、質素、現場上がりという新鮮なイメージから、また、気さくに人々と交わる庶民派として、更に、教徒の魂に響くようなメッセージを、素朴な表現で発することに長けたことから、カトリック教会を超え、広く世界各地で、高い人気を誇った。ある種のカリスマ性を備えていたと言うことだ。新教皇も、前教皇同様、清貧、質素、謙譲などの美徳に富むが、ハ方に気配りする慎重な性格もこれあり、フランシスコ教皇のような派手な振舞いは苦手で、一般社会で高い人気を得ることにはならないであろう(=一般紙の「見出し」を飾るような振舞いや発言は、あまり期待できない)。

④訪日の実現が望まれる───熱心な働きかけが必要
 
 フランシスコ前教皇は在任中、広島、長崎を訪問し、被爆者らを前に核廃絶を訴えた。新教皇レオ14世も、「平和のメッセンジャー」として被爆地を訪れ、核廃絶のメッセージを世界に向け発信せんとの意欲は十分あると見る。日本はカトリック信者数が少ないので、外遊のトップリストには入らないであろう。が、教皇は69才とまだ若いこともあり、5-10年待てば、実現の可能性はあるだろう。日本政府に加え、日本カトリック中央協議会が、熱意をもって訪日を働きかけることが期待される。

総まとめ───波は少しばかり静かになるであろう

 以上の諸点をざっと整理すれば、先ず、新教皇は、フランシスコ教皇の「改革路線」を大枠では踏襲するものと思われる。他方、個人としての教皇に着目すれば、個性が強く、突破力が高かった前教皇と、実務力に富み、気配りの人でもある新教皇では、持ち味は大分異なる。新教皇レオ14世が、如何なる教皇像を目指し、独自色を固めてゆくことになるか、楽しみだ。全体として、前教皇の時代より、波は少しばかり静かになるのではないか。(5月29日記)