外国語オタクの勧め(その2)


元駐ブラジル大使 島内 憲

 昨令和5年5月、「外国語オタクの勧め」という表題の拙稿をこのホームページで発表させていただいた。同稿の趣旨は、英語、スペイン語及びポルトガル語を学んだ経験に基づき外交活動における語学学習の重要性・有用性、そして、楽しさを訴えることにあったが、ありがたいことに読者の方々から様々なご意見やコメントを頂いた。本稿は、その続編である。日本人(組織としての外務省を含む)が外国語を敬遠・忌避する原因などを頭の片隅に置きながら、外国語学習に関し筆者が日頃考えていることを共有させて頂きたい。

外国語学習はライフワーク

 外国語の学習は学校を卒業した時点、或いは、外務省や企業の海外語学研修を修了した時に終わると考えるべきではない。研修が終わった途端仕事に忙殺され、言葉の勉強どころではなくなることが多いのは事実だが、真に仕事や外国生活に役立つ外国語を身につけることができるのは、むしろ海外の最前線に出てからであることを忘れてはならない。さらに言えば、語学の勉強は、現役引退後も続く。むしろ引退後の方が勉強を楽しむ時間と手段を多く持つことができる。

 筆者は現役を引退して10数年経つが、語学の勉強に使う時間が多くなっている。高齢者同士でもeメールで連絡を取り合う世の中になって久しいが、そのおかげで外国にいる親戚や友人・知人と外国語でやりとりをすることができるようになった。ブラジルの友人からポルトガル語(60歳から第三外国語として勉強を始めた)でメールが届くと、少しパニックしてしまうが、辞書を引き引き、必死になって返事を書いている。

 語学オタクにとって何よりも有難いのは、様々なテーマについて、YouTubeビデオなどに収録されている豊富な情報が画像・音声入りでいつでも入手できることだ。外国語のいわゆる「会話教室」に限らず、例えば、シェークスピア時代の英語の実際の発音、英国とアイルランドの英語の違い、英国、米国の地方訛り等に関するオタク向きのビデオが無数にあるし、スペイン語とポルトガル語ついては、ヨーロッパと中南米の違い、アラビア語との関係などに関するものが豊富にある。英語に最も近いとされるフリジア語(オランダ北部を中心に使われている言語)の特徴などといった極めてニッチなテーマのビデオもある。また、(専門外の分野・地域だが)ロシア語とウクライナ語の類似性やヘブライ語とアラビア語の関係など、現在ホットなテーマの背景の理解に役立つビデオもある。

外国語は「話す」より「聞く」方が難しい

 日本人は外国語の会話について「相手が言っていることはわかるが、うまく話せない」とおっしゃる方が少なくない。しかし、本当にそうなのか。筆者の経験で言えば、ヒアリングの方がはるかに難しい。理由は簡単だ。話す方は、単語力と構文力がある程度身につけば、自分の意思や考えを伝えることができる。しかし、ヒアリングは、自分のペースでは如何ともしがたい部分がある。相手の出身地、職業、年齢等による発音や単語の違いがあるほか、滑舌の良さ(悪さ)や聞き取り良さにも大きな個人差があるからだ。筆者は、20歳代に始めたスペイン語で自分の言いたいことは大体言えるが、ヒアリングについては、今でも相手によって苦労することがある。例えば、カリブ海の島や沿岸部のスペイン語の発音(特に街の言葉)はほとんど理解できないことがある。20歳代の駆け出しの頃、ベネズエラとの首脳会談の通訳で先方の発言が十分聞き取れず躓いてしまった苦い思い出がある。ブラジル着任後、60歳から始めたポルトガル語は発音が難しく(母音の発音が14種類ある)、話す方も相当苦労したが、ヒアリングは地域差と個人差が大きいためそれ以上に難しかった。講演会で冒頭プレゼンテーションをポルトガル語で行った後、恥ずかしながら質疑応答のうち、ポルトガル語の質問だけ通訳をお願いせざるを得ないこともあった。なお、筆者はヨーロッパのポルトガル語(発音がロシア語に似ているとも言われる)をほとんど聞き取れない。

 しゃべる方はどうか。筆者はマイペースでよいと思う。米国で語学研修をした人は米国の発音でよいし、英国研修者は英国式でよい。無理して現地の発音に合わせなくても十分通じる。気をつけるべきなのは、ネーティブの発音を一生けん命真似するあまり発音が崩れてしまうことだ。早口で話すのも良くない。大事なのは明瞭でわかりやすい発音(diction)だ。

 スペイン語についても、スペインの発音でも、中南米の発音でもよい。筆者が1970年代にスペインで研修をしていた頃は、中南米人が自国の発音で話すと現地人に上から目線で直されたり、わからないふりをされたりすることがあった。スペインが立派な先進国となり、中南米からの出稼ぎ者等も増えた今日、そういうことはなくなっているのではないか。

言葉はどんどん進化する(「ポリコレ」は要注意)

 言語の進化は世界中で起きている。我が国でも生活様式の変化、技術の進歩、「ポリティカル・コレクトネス」(ポリコレ)の浸透などにより日常的に使う言葉が変化している。また日本の若者言葉は増え続け、筆者のような高齢者には、わからないものがほとんどだ。ただ、「ウザイ」とか「キモイ」などは使い勝手がよいので(周回遅れではあるが)時々使わせてもらっている。最近の英語やスペイン語の若者言葉は聞いてもわからないであろう。

 近年、技術の進歩、特に最新のITが日常生活の隅々まで及んでいるが、技術を理解しない高齢者は次々と造り出されるIT用語にはついて行けない。日本語でも、馬鹿にされるのではないかといつも戦々恐々としているのに、外国語(基本的には英語)はもっと大変だ。取り残されないよう頑張るしかない。

 近時、英語で厄介なのはポリコレである。米国等で仕事や勉強をされている現役の皆さんはご苦労が多いに違いない。例えば、ジェンダー代名詞の使い方が変わってきている。かつては、「everybody」、「somebody」を受ける代名詞として、男性型の「he」、「him」が用いるのが普通だったが、今は、文法的には正しくない「they」、「them」を使うことがよくあるようだ。ある時、ドロップボックスのサイトに照会メールを出したところ、「he」や「she」などを一切使わない、ジェンダー・ニュートラルの文章の回答が戻って来て驚いた。一方、このような動きに対し、反発もある。米国人の半数近くが、ジェンダー・ニュートラル代名詞に違和感を持っているとの世論調査結果(2022年Pew研究所調査)がある。もう一つ例を挙げると「latinx」なる新造語だ。米国では近年、中南米系の人々をかつての「ヒスパニック」(スペイン系)に代えてブラジル人を排除しない「ラティーノ(latino)」(男性形)、「ラティーナ(latina)」(女性形)と呼ぶようになっている。ところが、最近これをジェンダー・ニュートラルにするために新たに「latinx」(ラティンエックスと読むらしい。複数形はlatinxs)という言葉が生まれた。ただ、これは、肝心のラテン系の人々の間であまり評判が良くないようだ。いずれにしても、今の米国ではジェンダー・イデオロギーを巡る論争に巻き込まれないためにも、出来る限りジェンダーを示す単語を使わない文章を考えるのが最も無難かもしれない。

非英語国でも英語は重要

 非英語国の仕事や生活において現地語を使うのが望ましいことは、昨年の拙稿で述べたとおりである。もっとも、現地語ができても、英語で話した方が良い場合がある。例えば、外務省のカウンターパートと英語の用語が広く国際場裡で使われているテーマについて議論する場合は、英語で話した方が手っ取り早いかも知れない。また、現地のレストランで政府関係者などと機微な話をする場合、英語が得意な相手であれば、英語に切り替えることもある。ただし、これにはリスクもある。これは日本での経験であるが、ある寿司屋のカウンターで家内と二人で食事をしていたところ、英語の達人として知られる某大手メーカー経営者が同僚と一緒に入ってきて同じカウンターに座った。先方は、我々(日本人のジイサン・バアサン)の存在が気になったせいか、急に会話を英語に切り替えた。筆者は聞き耳を立てていたわけではないが、時々聞こえてくる彼らの英語は発音といい、言い回しといい実に見事だった。英語が(日本並み或いはそれ以上に)通じない国は多数あるが、そういうところでも油断は大敵だ。

 スペイン語圏でも英語が得意な人々はスペイン語よりむしろ英語で話したがる傾向があり、そういう場合は先方の希望に合わせることにしていた。スペイン語国でも、スペイン語と英語をTPOで使い分ける場合があるということだ。ただ、スペイン本国では、筆者は「本場スペインで語学研修をしました」という看板を掲げて仕事をしていたので、英語が流暢な相手でも英語で話すことはなかった。

「ネーティブ・チェック」なる言葉は使わない方が良い

 外務省をはじめ外国語を扱う日本の組織では重要な英語のスピーチ、書簡などは、「ネーティブ・チェック」を経て最終案を仕上げることが多い。しかし、筆者は予てからこの「ネーティブ・チェック」なる言葉に疑問を感じている。日本で格調高い日本語の挨拶案や書簡を書ける「ネーティブ・ジャパニーズ」が多いかと言えば、決してそうではなく、むしろ、極めて少数であろう。外国においても事情は同じだ。「然るべきネーティブ」に見てもらわなければ、良いスピーチや書簡ができないどころか、使いものにならない代物が出てくる恐れさえある。特に、スピーチは自らスピーチを経験したことがある等パブリック・スピーキングで十分場数を踏んだベテランでなければ、気の利いたものは書けない。

 ところが、(最近の事情は知らないが)筆者の現役時代、ネーティブに見てもらえば、それだけで完璧なものができるという思い込みが外務省の一部にあり、「ネーティブ・チェック」という言葉が濫用気味に使われていた。しかし、筆者自身「ネーティブ・チェック」を

 経たとされる英文を多数見たが、合格点をつけられないものが少なくなかった。「ネーティブ」が張り切りすぎて直す必要のないところに手を入れたり(或いは直してはならい)ところを修文したりしてしまうことがあった。一例をあげると、ある時、米国人の若手メディア・コンサルタントに、筆者が書いた英語の文章を見せた。その中で「improve」という単語を使った次のパラグラフで繰り返しを避けるために「upgrade」を用いたところ、同コンサルタントはこれを「improve」に直して戻してきた。同じ単語は極力繰り返し使わないというのが、西欧言語の文章作成の基本であるが、同人はこれに気づかず「直すために直した」のように思われた(なお、スペイン語では英語以上に同じ単語の繰り返しが忌避される)。経験豊かな本物の「然るべきネーティブ」は、このような基本的ルールはもちろん心得た上で、必要があればよりピッタリとした表現を提案してくれるはずだ。文章作成者の個人的スタイルも尊重してくれる。なお、最近のマイクロソフトWordの英文校閲機能には戸惑うことがある。例えば、二重否定を使った表現は「わかりにくい」として修正案を押し付けてくる。余計なお節介と思ってしまうが、現代英語ではなるくシンプルでわかりやすい表現が好まれるようだ。筆者は基本的には賛成だが、「トランプ節」だけはご勘弁願いたい。

 なお、外国語のスピーチ、書簡の原案は可能な限りその言葉で起案すべきである。日本語で起案し、決裁を経た後で、これをそのまま外国語に翻訳すると、日本語的発想の外国語になり勝ちだ。外国語で同じ趣旨を述べる場合、センテンス、場合によってはパラグラフの順番を入れ替えるなど思い切って構成を変え、表現も創造力をもって工夫する必要がある。外国語と日本語とではその根底にある考え方、更には文化が異なることを常に意識しなければならない。

 以上、筆者の個人的経験を紹介しながら、自称語学オタクのこだわり(その多くは独断と偏見)を述べてきたが、勉強すればするほど、自分の勉強不足を思い知らされる。最近、高齢者が語学学習を続ければ、認知症になりにくくなるとの研究を紹介する雑誌記事を見た。筆者は、この研究結果を信じて語学の勉強をこれからも頑張って続ける積りだ。

 筆者はまだ初級コースを卒業できないでいる。読者のご経験をお聞かせいただくとともに、ご批判を仰ぐことができれば幸いである。