国際政治の変容と日本外交


同志社大学特別客員教授 兼原信克

ドナルド・トランプのアメリカ
 11月の米大統領選挙では、トランプ前大統領が大方の予想を裏切って圧勝した。アメリカ・ファーストを掲げるトランプ大統領は、「米国で売るものは米国で作れ。関税を上げよ。移民を排斥せよ。」と連呼した。早くもメキシコとカナダには、25%の関税を課すと宣言した。彼の声は、保守的な低所得層の心に響いた。これまで米国政治で、光の当たらなかったホワイト・トラッシュと呼ばれる人々や、進歩的な政治スローガンについていけない保守的な移民層である。大衆劇場型のトランプ大統領は、彼らの心をつかんだ。そこから湧き上がってくるのは、強烈な反エリート主義であり、孤立主義であり、保護主義である。日本がなじんできた東海岸、西海岸のアメリカとは違ったもう一つのアメリカの顔が表に出てきた。
 トランプ氏の言うとおりに関税を上げれば輸入品の物価は上がる。移民を排斥すれば賃金は上がる。トランプ氏は、インフレ撃退とドル安を主張するが、高関税と移民排斥は、インフレ圧力を呼び、金利は下がらないからドル高が続く。対米輸出はかえって増える。トランプ氏は、シェールガスを掘ってガソリン価格を下げるというが、油価が上がらなければ、コスト高のシェールガスは採算が合わない。
 両立し得ない目標をごたごたと並べるのがトランプ流である。トランプ氏はお構いなしである。トランプ氏は、コンピューター制御で緻密なダイヤを組んだ鉄道貨物列車のような走り方はしない。遊園地の子供用ゴーカートのように、あっちにぶっつけ、こっちにぶっつけしては、慌てて方向を変えていくやり方である。ただし、そのメッセージは一貫している。「米国社会底辺の労働者を守っているのは自分だ」というメッセージである。それがトランプ劇場の観客が求めていることだからである。知的で論理的な政策とは無縁の政治家である。「トランプだよ、全員集合」なのである。

「パックス・アメリカーナ」の時代
 米国共和党は変質した。米国政治も変質した。おそらくその変化は不可逆である。米国は依然として世界最大最強の国家であるが、その絶対的な指導力には陰りが見え、徐々に内向きになっている。前世紀末に世界GDPの半分を占めた米国経済は、既に25%へと激減している。産業革命以来、長い間、世界経済の殆どを占めてきたG7でさえ、その総合的な経済規模は、既に世界GDPの半分を切る。西側の相対的な縮小が始まっている。
 オバマ大統領は、米国は世界の警察官ではないと断言した。そしてトランプ大統領は、アメリカ・ファーストを掲げる。世界政治経済の大黒柱である米国の揺らぎは、西側諸国がよって立ってきた自由主義的国際秩序を揺るがさずにおかない。戦後世界は、まさにパックス・アメリカーナだったからである。
 大日本帝国海軍による真珠湾の一撃で目覚めた米国は、孤立主義と絶対平和主義の殻を脱ぎ捨てて、大魔神になってナチス・ドイツを叩き潰し、大日本帝国を破壊し尽くした。20世紀後半、第二次世界大戦をほぼ無傷ですり抜けた米国は、英米で起草した大西洋憲章の理想を次々と現実にしていった。圧倒的な国力を背景に、国際社会を思うように作り直していったのである。
 力による平和を掲げて作られた集団安全保障体制が、国際連合である。自衛戦争以外の戦争は禁止され、米国を筆頭に英仏中露の安保理常任理事国が選ばれ、国際社会の平和と安定に責任を持つこととされた。冷戦の開始とともに国連安保理は機能を停止したが、米国はNATOを立ち上げ、日韓豪比タイの太平洋同盟網を組み上げ、ソ連のアフガン侵略に対抗介入して、ソ連共産圏の拡張を食い止めた。
 何より、米国自身が大きく変わった。植民地から身を起こしたアメリカ人は、「すべての人は平等であり、自由と生命を守り、幸福を追求する天賦の権利を与えられている。それを守るために政府を建てる。その正統性は人々の同意に基づく。」と独立宣言に記した。
 それを引き継いだ米国憲法の精神は、奴隷制に対する悔恨を生み、南北戦争を引き起こした。人種差別は米国南部を中止に根強く残ったが、20世紀後半の50年代、60年代にはキング牧師が率いた公民権運動が、制度的人種差別を引きずり倒した。人種差別撤廃の動きは瞬く間に世界中に広がった。
 同じ50年代、60年代、数百年にわたって植民地支配されてきたアジアとアフリカの国々が大挙して独立し、自由と主権と誇りを取り戻した。西アジアのインドでは47年に聖者ガンジーが、「サティヤグラハ(愛と真実)」を掲げて一発の銃弾も放たずに独立を果たした。東アジアでは、大日本帝国が太平洋戦争の緒戦で東アジアの全ての欧米植民地を一撃で葬り去ったが、日本敗戦後、フィリピンを独立させた米国を除き、英仏蘭の欧州勢はアジアの再征服に戻って来た。しかし、ホーチミンやスカルノは実力でこれを跳ね返した。
 アジア、アフリカの新興国が大挙して登場するときに、米国がベトナム戦争を終わらせ、人種差別を撤廃したことは、米国の国際政治におけるリーダーシップを確固たるものにした。
 そして1991年には、戦後の国際秩序を形作った冷戦が終わった。膨大な数の核兵器を抱えて、米国と対峙したソ連邦が崩落し、東欧の共産圏が倒壊した。自由主義と共産主義という絶対的な価値観の対立によって、地球社会が分断される状況が終わった。自由を取り戻した東欧諸国は、大挙してNATOや欧州連合に飛び込んでいった。
 今、多様性が尊重され、一人一人が持つ良心と愛に基づいて公に発言し、討論し、議会を通じて国民の一般意思を練り上げて、政府を縛るという考え方が、当り前になった。そういう国々が集まって作るのが、自由主義的国際秩序である。
 また、経済面に目を転じれば、途上国の発展が始まった1980年代から、自由貿易体制は世界経済の姿を大きく変えた。大西洋憲章から米国が力強く主張してきた多角的自由貿易体制は、GATTとなり世界貿易機構となって結実した。日本はその恩恵を受けて、敗戦の灰燼から立ち上がり、経済大国の地位に上り詰めることが出来た。80年代から、先進国企業の多くは多国籍企業化し、最も効率的な生産体制を求めて、途上国に移っていった。直接投資の形で、資本と技術だけではなく、工場自体が移転していった。
 その結果、先進国の産業は空洞化したが、世界経済の富全体が膨らんでいった。世界全体の総生産、貿易量、投資量は飛躍的に増大している。それが、グローバルサウス登場の直接の原因である。今や途上国の多くが、経済援助のみならず、先進国から投資を呼び込み、先進国のマーケットに参入することを夢見ている。
 前世紀前半はひどい時代だった。二度の世界大戦と革命で数千万人の無辜の命が奪われた。何十億の人々が植民地に貶められて主権と自由と尊厳を否定され、肌の色で差別された。大恐慌後の世界経済はブロック化した。20世紀末に私たちが見た自由主義的国際秩序は、初めからそこにあったものではない。膨大な命と人生を吞み込んだ戦争や、革命や、混乱や、差別を乗り越えて、ようやく前世紀末に実現した国際秩序なのである。21世紀の国際社会は、20世紀に比べて、明らかに倫理的に成熟している。
 
自由主義的国際秩序の拡大と日本の役割
 そのパックス・アメリカーナが動揺している。国連安全保障理事会常任理事国のロシアが隣国ウクライナを侵略し、思うままに蹂躙している。強大化した中国は、南シナ海を中国の海と呼んではばからず、周辺国を恫喝して一方的な現状変更に余念がない。日本の尖閣諸島にまで押しかけてくるようになった。その中国が、自由の島となった台湾制圧の野望を隠さない。大規模テロに端を発したガザ紛争は南レバノンの対ヒズボラ戦争に飛び火したが、暴走するネタニヤフ首相をだれも止めることが出来なかった。
 パックス・アメリカ―ナは、人類社会を大きく変えた。国際社会は普遍的価値観のグローバルな共有を進め、自由主義経済は世界経済の富を増している。しかし、その自由主義的国際秩序を支えてきた大国間関係の安定が大きく崩れ始めている。米国を筆頭とする西側諸国の国際政治経済における比重が縮小し始めているからである。今日、グローバルサウスの台頭と呼ばれている問題である。それだけではない。かつての共産圏の大国であった中国とロシアが、自由主義的国際秩序に対決姿勢を取り、かつ、協調しつつあるからである。
 自由主義的国際秩序の命運は、西側が団結してグローバルサウスの新興国を責任ある新しいリーダーとして取り込んでいけるかどうかにかかっている。豪州、韓国は言うに及ばず、インド、インドネシア、ベトナム、フィリピン、タイ、サウジアラビア、トルコ、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、南アフリカなどの中露を除くG20の面々である。
 日本の役割は3つある。第一に価値観である。長い間、植民地支配され、人種差別されてきたアジア、アフリカの人々の腹の底には、自らは殿上人のように自由、民主主義、経済発展を謳歌しながら、肌の色を理由に自分たちを下人のように貶め差別してきた西側諸国に対する黒い恨みがとぐろを巻いている。決して心の底から許してはいないのである。
 日本のメッセージは明確である。近代産業社会のような動きの激しい社会では、民意を汲み上げる仕組みとしては民主主義しかない。それだけではない。欧州生まれの民主主義制度が機能するのは、倫理的に成熟したキリスト教社会がその下にあるからである。しかし、それは仏教、ヒンズー教、イスラム教が育んだ文明でも同じことである。「人間がみな平等であり、持って生まれた温かい心で、弱者を守る優しい共同体を作ることが出来る。そのための政府であり、政府は人々に奉仕するためにある」というような考え方は、アジアのどこにでもある。また「権力の所業は常に天が見ている」という考え方は法の支配に通底する。
 日本語から韓国語、中国語になった「自由」とは本来「己に依る」という意味の仏教用語である。それは「仏心は己の中に見出すしかない」「仏心とは慈悲である」という意味である。それはキリスト教徒の「神の国は汝の内にある」、「神とは愛である」という教えと通底する。ルターが、「キリスト者の自由」の中で、自らを「(法皇からも)自由」と呼び、同時に「万人の僕である」と叫んだように、愛と良心に突き動かされて自己を実現することが本来の自由の意味であり、それは幸福追求と同義である。だから、自由、民主主義、法の支配は、普遍的価値観なのである。
 このような考え方を広げて、実はほとんど大西洋共同体でしかなかった西側社会をグローバルな自由主義的国際秩序に変貌させようとしたのが、「自由で開かれたインド太平洋構想」であった。それが価値観外交の真髄である。 
 第二に、自由貿易である。自由貿易のメリットについては先に述べた。日本は、今世紀に入り、TPP、RCEP、日EU・EPAと3つのメガ自由貿易圏創設を主導した唯一の国である。自由貿易の堅持と、直接投資と、市場の開放が、世界経済を成長させる鍵であり、グローバルサウスの新興国こそが自由貿易から最も裨益しているというのが、日本の第二のメッセージである。
 第三に、中国、ロシアによる自由主義的国際秩序の破壊や動揺を防ぐことである。大陸国家の雄である両国のもつ軍事力、経済力は大きい。ロシアはクリミア併合でG7を追われた。自由貿易から大きく裨益してきた中国も、今では米国と大国間競争に入りつつある。価値観の共有も、経済的繁栄も、その基盤となっている大国間関係の安定があってこそ維持可能である。日本の負う責任は重い。ソ連赤軍の重圧に耐えてきたのはNATOである。しかし、台湾を狙う中国に主力として対峙できるのは日米同盟しかない。米韓同盟は北朝鮮抑止に力を割かざるを得ないし、米豪同盟は遠すぎる。米比同盟は弱い。しかも、中国人民解放軍は強大である。
 欧州防衛には消極的なトランプも、対中政策は強硬である。岸田政権は、防衛費GDP2%を掲げたが、円安でドル建てでは大幅に目減りしている。日本の国家予算全体以上の国防費を積むトランプ政権は、GDP2%では生ぬるいと言い始めるだろう。
 中国は孫子の国である。葉隠の武士道とは無縁の国である。戦わずして勝つことを最上とする。また、兵形は水に象るとして、強い敵には決して歯向かわない。弱いところだけを攻める。日米同盟を強化、深化し、QUAD(日米豪印)、日米韓、日米豪、AUKUS等のミニラテラルを中心に、自由で開かれたインド太平洋の国々をまとめるとともに欧州の国々を引き込んで、中国に冒険心を起こさせないようにすることが、今世紀日本外交に求められる最大の課題であろう。(了)