余談雑談(第179回)日本語の発音


元駐タイ大使 恩田 宗

 2021年の芥川賞を受賞した小説家李琴峰(りことみ)は鉄道など通っておらずバスも何時間に一度という台湾の僻村に生まれた。日本語とは全く縁のなかった所らしい。子供の頃ふとした事から興味を抱き独学で習い台湾大学文学部で本格的に勉強したのだという。日本に来たのは文学研究の奨学金を得たからである。日本で人に会うと「日本語がお上手ですね」とよく言われ複雑な気持ちになると書いている。日本人は日本語をひどく難しい言葉だと思い込んでいて外国人が自分達と同じように話すと感心しそれを上から褒めているように感じられるからだと言う。
 日本語は最小限必要な単語が多く習得を難しくしているが世界にはよくあるごく普通の言語だという(「世界の言語と日本語」角田太作)。日本語は彼女も言う通り基本単語を覚えれば話すのは難しくない。母音5つと子音16(英語は各20と24)で発音が単純で易しく例外がないからである。言語の基本は音声による意思疎通である。発音が容易な言語は易しい言葉だということになる。
 日本語の和語は濁音を殆ど使わない。日本語を柔らかくしている理由の一つである。濁音はガンダム、ゴジラ、ゴロゴロなど大きい・強い・重いという感じを与える。瀬戸内海の特大のアジの名はギガアジである。日本語はそうした角張った感じを与える濁音をあまり好まない。英単語を取り入れてもバック(鞄)、ビック(大)、バトミントン(バドミントン)など濁音が二つあるとその一つを落としてしまう。英語でも女の名前は男の名前より濁音を含む可能性が少ないという。濁音が人に与える印象は共通かもしれない。「「あ」は「い」より大きい!?」(川原繁人)によると「あ」とか「O」のように周波数の少ない音が大きく丸く「い」とか「E」のように周波数の多い音は小さく尖った印象を与えるのは世界何処でも同じらしい。
 古代日本語ではハ行は半濁音(バビブ・・・)に近く発音されていたという。日本語は半濁音を次第に使わなくなり主にオノマトペ(ピカピカ)とか外国風の物(パン・ピン・ペン)や「っ」のつく語(一っ匹(ぴき))などに使われている。旗がパタパタとはためくのは旗が「パタ」だった名残で室町時代には「母」は「パパ」と呼ばれていたらしい。単語は時代が変われば消えて行く。三省堂は国語辞典の改編で削除した言葉を集め辞典にしている。近年消えた言葉は「同期の桜」「米帝(米国帝国主義)」「マホメット教(イスラム教)」「安ぽったい(安物のような)」「ぺちゃパイ・ぼいん(女性の胸)」「BG(会社勤務の女性)」等々で昭和は遠くなったと実感する。
(了)