モロッコ近況―「西サハラ」領有権問題を巡って

 
前駐モロッコ大使 倉光秀彰 

 本稿では、モロッコが外交上の最優先課題としている「西サハラ」領有権問題を縦軸に、これに関連してTICADとの関係及びマグレブ諸国との関係を横軸にして、モロッコの最近の状況について報告することとしたい。

「西サハラ」領有権問題の現状

 「西サハラ」領有権問題は、1975年にスペインが保護領としての権利を放棄してから50年、1991年に国連が国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)を派遣してからでも34年が経過しているが未だに解決に至っていない。その最大の理由は、投票権を有する住民の範囲について、モロッコとポリサリオ戦線の間で合意ができないことにある。サハラウィ(もともとこの地に住んでいたとされる遊牧民)の大半はアルジェリア南西部のティンドゥフ・キャンプに収容されているが、国連の度重なる要請にもかかわらず過去一度も同キャンプの国勢調査が実施されておらずその正確な人口さえ把握できていない。他方で、現在の居住者の多くは「西サハラ」に移住したモロッコ人であるが、なかには1975年の緑の行進と呼ばれる大動員でこの地に移動した人々やその子供世代も含まれていて、長年この地で生活してきた彼らを住民投票から排除することも現実的に難しい。すなわち、いずれにしても投票者リストを策定することは非常に困難であり、住民投票の実施はほぼ不可能というのが衆目の一致するところである。
 この領有権紛争がにわかに国際社会の注目を集めたのは、2020年12月、第1次トランプ政権の末期に米国が「西サハラ」に対するモロッコ領有権を承認したことによる。この決定は、トランプ政権が「世紀のディール」と謳ったアブラハム合意にモロッコの参加を得るためのバーター取引であったが、モロッコにとっては千載一遇のチャンスとなった。アメリカのお墨付きを得たモロッコは、ここぞとばかりできるだけ多くの国からモロッコに対する支持を取り付けるべく、積極的(時には攻撃的)な外交を展開し始めたのである。モロッコとの経済関係が緊密な南欧諸国を中心に、これ以降、2007年にモロッコが国連に提出した「自治提案」を支持する形でモロッコ寄りの姿勢を明らかにする国が増えていった。そして、この流れを決定づけたのは、2024年7月のマクロン大統領発モハメッド6世宛書簡である。その中で仏は「「西サハラ」の現在と将来はモロッコの主権の枠組みの元にある」と述べた。マクロン政権は、領有権の承認という直接的な表現は避けつつも、モロッコの「西サハラ」領有権を事実上認めることで、この地域での経済的な利権の確保に向けて舵を切ったのである。この書簡を契機に、モロッコは冷却化していた仏との関係を全面的に見直し、同年10月のマクロン大統領の国賓訪問を皮切りに、両国間の閣僚レベル・民間企業トップレベルの往来が活発化している。ちなみにバイデン政権下の米国は、領有権承認こそ取り消さなかったものの、「西サハラ」地域へのODA供与は見合わせていた。第2次トランプ政権が今後どのような政策をとるか本稿執筆時点では不明であるが、その出方次第では、上記の流れがさらに加速化する可能性もある。
 マクロン大統領がこうした政策決定を行った背景は大きく2つある。第一に、この地の再生可能エネルギー開発に関する巨大な可能性である。国連の調査によれば、この地は世界でも最も再生可能エネルギー開発に適した好立地にある。約二十七万平方キロにわたる砂漠地帯は年間を通じてほとんど降雨がなく、わずか40万人の人口はほとんど大西洋沿岸地域に居住しており太陽光パネルの設置に異議を唱えることもない。フランス開発庁が「西サハラ」地域に対して最初に表明した開発協力案件がダフラ(「西サハラ」南部の主要都市)からカサブランカまでの送電線建設事業であったことを見れば、仏政府の目論見は明白であろう。もう一つ、見落としてはいけないのは、この地域の安全保障上の位置づけである。ここ数年、フランスはサヘル地域からの撤退を余儀なくされ、もはやサヘル地域の軍事的なコントロールを喪失してしまった。その結果、この地域からのテロ、麻薬、武器そして不法移民の流出が欧州諸国にとって大きな脅威となっている。アフリカの地図をご覧いただければ一目瞭然であるが、「西サハラ」はモーリタニアの北部を挟んで、サヘル地域と大西洋を隔てる「瓶のふた」に位置している。モーリタニア北部は同国政府の管理が行き届いておらずテロリスト集団が横断することを妨げる障害はほとんどないと言われている。したがって、もし「西サハラ」が政情不安に陥れば、このルートを通ってさまざまな問題が大西洋に噴出し、沖合に浮かぶカナリア諸島を経由してEU諸国に流れ込んでくることになる。筆者はこれこそが、アルジェリアの猛反発が確実であったにもかかわらず、マクロン大統領がモロッコ支持の決断に踏み切らざるを得なかった原因であると考えている。仏のこの政策変更を受けて、これまでは「西サハラ」問題を静観していた北欧諸国およびバルト諸国が相次いで「西サハラ自治提案」への支持を表明したことも興味深い。これら諸国にとって、経済利権という点では関係の薄いモロッコであるが、不法移民対策ということでは、仏と足並みを揃えることが自国の国益にかなうと判断したのであろうと推測している。

TICADの「西サハラ」参加問題

 以上のとおり、「西サハラ」の領有権を巡る問題は、米国および大半の欧州諸国がモロッコ寄りの立場を鮮明にしたことで、その将来に向けた方向性については概ね決したと私は受け止めている。実際、ラバトにおいて観察する限り、ポリサリオ戦線には国家を統治できるような能力は不十分であり、また組織自体の持続可能性も乏しいという印象である。しかし、国際法上の領有権の確定にはまだかなりの時間が必要であろう。なぜなら、ポリサリオ政権がこの地に建設したと称する「サハラウィ・アラブ民主共和国」(SADR)はAUの加盟国として認められており、AU内にはイデオロギー的な視点からその独立を支持する国が複数存在しているからである。モロッコによる「西サハラ」の実効支配が強化されればされるほど、AU内での本件を巡る分断が先鋭化する可能性が高い。
 こうした中、TICADが国際社会にSADRの存在をアピールする数少ない場として一部のAU諸国により利用されており、これに反発するモロッコとの間で生じる摩擦は、TICADの運営に大きく影を落としている現状はまことに残念である。我が国が国家承認していないにもかかわらずSADRがAU加盟国であるという理由でTICADへの参加をごり押しするAUCはおよそ共催者という立場を逸脱していると考える。また、SADRの参加が認められないなら自国の参加も見合わせるといった主張をする一部の南部アフリカ諸国の姿勢も看過できるものではない。他方で、SADRの参加を場合によっては実力で阻止せんとするモロッコの対応も大人げないと言わざるを得ない。双方の対立は、領土問題という国家の存立にかかわる機微な問題であるが故に妥協の余地がないのであろうが、そのような紛争を第三国が主催する国際会議の場に持ち込んでも解決するはずがないことは明らかであろう。
 我が国としてはAUの問題はAUの中で解決してほしいという姿勢であるが、このような立場に終始していてはTICADが想定する成果を実現することが難しくなるのみならず、長年培ったTICADの評価も次第に失われていくのではないか。前述のとおり、本件を巡るAU内での軋轢は今後ますます先鋭化するであろうとの前提に立てば、一刻も早く、主催国として能動的な立場からTICADにおける「西サハラ」参加問題に決着をつける必要がある。

マグレブ諸国との関係

「西サハラ」領有権問題は、表向きはモロッコとポリサリオ戦線の対立であるが、実際にはモロッコとアルジェリアとの対立に他ならない。アルジェリアは、フランスからの独立戦争を勝ち取った歴史的経緯から、植民地の開放、民族自決を国の重要指針としており、それ故にSADRの独立を支持するとの立場をとっている。しかしながら、「西サハラ」問題は植民地からの開放でも民族自決問題でもない。スペインによる植民地支配は50年前に終了しているし、民族的にモロッコ人・モーリタニア人とサハラウィは同根であり、歴史的、宗教的、文化的な差異もほとんどない。よく知られていることであるが、ポリサリオ戦線のトップに立つブラヒミ・ガリは正真正銘のモロッコ人である。こうしたことは、この地を保護領として運営した経験を有するスペイン、フランスの両国にとっては当然の認識であろう。これが本件に関して、アルジェリアの立場に両国が冷淡な一因でもあると推測している。
 我が国は、今のところ「西サハラ」領有権問題については、国連の仲介による平和裏の解決によるべきということで、モロッコの「自治提案」に対しても中立の立場を維持している。その背景には、資源大国であるアルジェリアとの関係をいたずらに悪化させることは回避したいという発想がある。こうしたバランス外交的な方針は、我が国がマグレブ地域において国益に直結するような利害関係を有していない状況においては適切な対応であったかもしれない。
 しかし、TICADにおける「西サハラ」参加問題という踏み絵を踏まされている現状に鑑みれば、いよいよ旗幟を鮮明にすべき時期に至っていると感じている。どちらにもつかないという判断は、どちらからも評価されない、ということでもある。ましてTICADという対アフリカ外交の重要な枠組みを毀損することは日本外交にとって大きな損失であろう。すでに触れたように、この問題に妥協の余地はなく、双方が納得するような解は存在しない。
 我が国は、国際社会において責任ある地位を果たすべく努力を続けているはずである。そのような立場を念頭におけば、いずれの側にもつかないという姿勢を維持し続けることはゼロではなくむしろマイナスとなる場合もあるのではないか。きわめて短絡的な言い方になるが、安全保障理事会の常任理事国を目指すということは、対立する国際社会の個々の事案に対して、自国の立場を明らかにしなくてはならないケースもあり、多様化する国際社会においては、ますますそうした機会が増加するという覚悟を持って臨む必要があるということではないだろうか。(了)