プラボウォ新大統領のインドネシア(日本はどう対するべきか)


駐インドネシア大使 正木 靖

 2024年に就任したプラボウォ大統領の率いるインドネシアは、同大統領就任後一年を迎え、大きな変革期を迎えていると言える。その経済・社会の抱える課題は根深いものであり、政治状況も政権にとり盤石であるとは言いがたい。グローバルサウスの雄とも言われる同国が、今後どの様な方向に向かうかは、日本を始め国際社会にとって無視できないものである。この2年、現地に駐在した大使として、直接目にして、現地の人々と交流したことを踏まえて、思料することを率直に書きたい。なお、本稿の内容は筆者の個人的見解であり、日本政府の立場を表すものではない。

1.インドネシアの現況
 インドネシアは独立80周年を迎え、スハルト独裁政権崩壊後、民主化の歩みを進め、四半世紀余り、着実に発展を遂げている。汚職、不正など様々な問題を抱えながらも、1億数千万人の有権者が、これだけ広い国土、島々で、五年に一回、大統領、議会議員を直接選挙してきていることは、他のASEAN諸国と比べても、民主主義は着実に国民に根付いていると言えよう。また、千を超える民族と多くの異なる言語を抱えながら、人口の九割がイスラム教であるにも関わらず、ヒンズー、キリスト、仏教の国民も包摂し、建国の理念であるパンチャシラ(多様性を認め共存する概念)を国是とし安定を維持していることには、深い敬意を表すべきである。その多様性は、同時に中央政府主導の強力な政策推進の阻害要因となり、貧富の格差、鉱物資源に依存する産業構造が常に大きな問題であることは事実だが、スハルト以来の開発独裁、直近のジョコウィ政権の時代を経て、着実に全国のインフラが整備され、貧富の格差が小さくなり、産業構造も少しずつであるが高度化している。統計上は、成長が年率5%を超え、一人あたり国民所得が年5000ドルに迫り、二十年後にはGDPが日本を超えるとも言われている。外交上もスカルノ大統領の提唱したバンドン会議の伝統をアセットに非同盟中立を国是として、いずれのブロックにも属せず、あらゆる国と対話をする立場を取ってきており、昨今はグローバルサウスと呼ばれるグループの中でも、アジアではインドと並びその存在感を発揮してきている。
 しかし、現況を見るに、その内部は大きな問題も抱えていると言える。第一に、経済状況は平均年齢30歳という切り札を抱えるも人口ボーナス(若い人口構成がもたらす経済的なプラス効果)が持続するのは今後十数年と言われており、直面する課題解決に顕著な前進が見られない。化石燃料、鉱物などの資源に依存しすぎた産業構造から脱皮できていない。これら豊富な資源もその付加価値を自国のみでは作れず他国の協力をかりて輸出しているありさまである。世界最大埋蔵量を有するニッケルが、中国企業により一方的に開発輸出されているのが典型的である。現プラボウォ大統領の掲げる産業の「下流化」政策(国内で出来るだけ付加価値をつける政策)は未だ成果が見られない。貧富の差が縮小しているとはいえ、国の所得・富を数パーセントの華人を中心とした財閥、富裕層が独占し、本来経済発展の過程で増加していくはずの中間層が逆に縮小し貧困層に落ちていることは、統計上も現れている。ジャカルタを表面的に見れば高層ビルが建ち並び東京以上の大都市にも見えるが、一歩路地に入れば、屋台と貧しい労働者が多くたむろして、一つの都市とは思えない程である。地方出張した際に地方で目にするのも、これ以上の格差存在である。その一方で、商業モールでは、他国では見られないほど様々な高級店が建ち並ぶが、そこで多く見かけるのは、華人系の富裕層のみである。また、ジャカルタでさえ上下水道の整備は半分以下で、視察した近辺のゴミ処理場には、昔の東京の「夢の島」と見誤る程の20年以上累積した数十メートルのゴミ山から煙が出て、周辺住民が立ち入り売れるゴミを物色している。車は勿論、二輪車はあふれるばかりで渋滞を生み、ジャカルタの空気汚染は世界ワースト10位の常連である。また、医療水準はまだまだ低く、少し深刻な病気を抱える富裕層はシンガポールなどの海外にいき、多くの国民は定期的な検診をうけることもできず、助かる命も多く失われている現実がある。

2.プラボウォ新政権の課題と現況
 この様な中、2024年就任したプラボウォ新大統領は、10年ぶりの政権交替ということで刷新感を出す政策を矢継ぎ早に打ち出している。たとえば、汚職と貧困の撲滅をスローガンに、食料とエネルギーの自給達成を目標に新政策を打ち出している。しかしながら、学校給食の無償化のような貧困層へのばらまき政策が目につき、当国の抱える構造的な問題の本質に手を入れたとは言えない。そのため、いたずらに国家財政を逼迫し、必要なインフラ整備や教育の予算などに悪影響が生じ始めている。また、軍人出身であることから、親しい軍人の恣意的な登用が目立ち優秀なテクノクラートや経営者が能力を発揮出来なくなっている。また、強権的な政策も目立ち、プレスの表現の自由の制限など、進みつつある民主化の発展を阻害するような動きも見られるようになっている。
 25年8月末に全国で起きた暴動と混乱は、プラボウォ政権の抱える深刻な問題を浮き彫りにした。きっかけは議員の高額な手当問題であるが、人々の日常生活への不満は大きく高まっており、最も脆弱なデリバリーサービスのバイク運転手達が抗議の声を上げ、警察との衝突の中で死者が出たことで、学生等様々な民衆が、議会や公的建物、政治家の家などを攻撃した。関係者と話をしても1998年のスハルト退陣時の暴動にも近づく恐れがあった。また、暴動を契機に様々な勢力がこれを利用して、反プラボウォを掲げるジョコウィ前大統領派が、プラボウォ勢力の追い落としをはかり、逆勢力がジョコウィ勢力の追放を図るなど、利権もめぐり様々な勢力が介入して混乱したようである。一時は、一部勢力が非常事態を宣言してクーデタが図られていたと言うものもいる。これは、盤石と見えたプラボウォ大統領の政治基盤が極めて脆弱であることを露呈した。また、今回生じたジョコウィ勢力とプラボウォ勢力との亀裂は修復不能であり、選挙での勝利を可能にした同盟関係が崩壊して、今後政治状況は不安定化する可能性が高い。国内の経済情勢に改善の兆しはなく、内外の信頼が高く安心材料であった経験豊かなスリ財務大臣の交代により、ルピアの対米ドルレートの下落が続き、経済政策の不透明感も増している。直近で民間の世論調査機関が行った非公表の世論調査では、政治、経済、治安のいずれの指標も2025年1月と比較して倍近く悪化し、大統領のパフォーマンスに対する満足度も79.3%→58.9%へと急落している。2026年に向けて肯定的な兆しはなく、国民の生活が悪化し、8月末と同様のデモなどが予想され、小さなきっかけで政権を揺るがす暴動に発展する可能性は排除されない。

 外交では、内向きであったジョコウィ前大統領と対照的にプラボウォ大統領が首脳外交をリードしていることは大いに評価するも、伝統的に強力な当国外交エキスパートの知見が生かされず、その目指すところ、拠り立つべき理念が未だに明確でない。就任直後に訪中して、これまでインドネシアが係争の存在を認めてこなかった海域での共同開発に合意して従来の立場を譲歩したり、本来外交ツールとして最大限生かすべきバンドン会議周年行事を予算上の理由で開催しなかったことなどが好例である。結果的にロシア、中国寄りとのイメージが先行しておりバランス戦略が欠けているように見受けられる。その原因は、トップダウンの政策決定が過ぎ、外務省の専門家の知見が全く反映されていないことによる。また、暴動による危機的な状況のため外遊を中止する中で、習近平主席の要請をうけ、急遽トンボ帰りで対日抗戦勝利軍事パレードに出席し、プーチン大統領、キム・ジョンウン総書記と最前列で並ぶなど象徴的な場面も見受けられた。

3.日・インドネシア関係の現況と今後
 新幹線受注の突然の変更などで中国寄りと言われていたジョコウィ前大統領に比し、当選直後の訪日、2024年末訪問の日本側ビジネス関係者への歓迎、2025年1月の石破総理(当時)の訪問時の歓迎など、その立場の変化に期待感が持たれる。しかしながら、その後、夏前の訪日がスケジュール上の理由で直前に実現しないなど足踏みが見られる。逆にその後の中国訪問、ロシア訪問、BRICSサミットへの出席など、中国、ロシア陣営寄りの姿勢が目立つ。日本に対しても、目に見える大規模投資、多数の漁船供与、中古の防衛装備品の提供を求め、地下鉄建設などインフラ整備、再生可能エネルギー事業への投資、自動車産業の輸出ハブ化など、現に日本企業が成果を上げていることへの認識が低い。地政学的にも、中国の脅威、アジアの安全保障の向上のための連携の必要性については、自国も海洋では同様の脅威を受けているにも拘わらず、中国側の働きかけが功を奏して、日本と十分共有できていない。
 引き続き日本としては、戦後一貫して当国の発展を支えてきた「もの作り、人作り」への関与、国民の生活向上のために寄り添ったインフラ整備、生活改善事業への官民挙げての取り組み等の成果をアピールしていくことが肝要である。また、外交面では、アジアにおけるパワーバランスの現実理解を共有して、ようやく端緒を付けた海洋安全保障面での協力を推進していくことが不可欠である。プラボウォ大統領の要請する大型案件への投資(防潮堤等)については、是々非々で判断して、日本として出来ることを提示することしかできないだろう。ようやく具体化しはじめたOSAによる装備品供与、米軍なども交えた共同軍事演習など、引き続き進めていく必要がある。
 当地企業関係者は前述のような当国の抱える構造的問題の継続的な存在に不満を有しつつも、ビジネスを継続する以外ないと割り切っている。最新のJETROの調査でも殆どの企業が引き続き利益を上げており、完全撤退を考えているところは少ない。巨大かつ若い人口で構成される市場、豊富な資源の潜在性は計り知れず、まだまだ利益を生む国ということであろう。日本としても、貧富の格差、脆弱な生活インフラ、産業構造、汚職といった問題の解決に協力し、中長期的には、建国以来当国が良い方向に前進していることを肯定的に捉え、官民挙げて地道な努力を継続していくことである。そのためにも当国のOECD加盟、CPTPP加入の後押しは肝心である。そして、現プラボウォ政権が、民主化へのブレーキ、軍人の優遇など、国内に不安定要素を抱えており、先般の暴動のように国内が一気に不安定化する要因もあることを冷静に念頭におくべきであろう。当地の華人ビジネス富裕層はいまだにスハルト末期98年に起きたように彼らが国内の不満のはけ口となり、文字通り略奪、虐待されることを畏れている。既に移住後3世代以上を経て中国語を介さない子孫達も未だに現地コミュニテイーと同化していないのが現実でもある。
 現プラボウォ政権が、伝統的な非同盟・中立政策を継承すると宣言しながら、従来の方針を変更しBRICSへ加盟し、中国、ロシアと緊密な関係を構築していることは懸念材料である。同時にジョコウィ前政権の決定したOECD加盟、CPTPP加入の道を継続することも明確にしていることはそのような中、救いである。OECD加盟については、日本は、資金、ノウハウ移転の協力に既にリーダーシップを発揮しているが、CPTPPについても、日本は加盟国として、自由貿易を志向するインドネシアを関与させる方向でリーダーシップを発揮すべきであろう。
 その意味で、自由経済の重要性を理解し、専門的知見と経験を有するジョコウィ政権からの生き残りのアイルランガ経済担当調整相などを中心とする指導者、テクノクラートとの連携を更に強化していくことが肝心である。また、今後の大きな国内不安定化、新たな改革の到来を予想して、民主化の加速を唱える前大統領候補のアニス氏のような反政府勢力のリーダーとロー・プロファイルでパイプを強化していくことも重要である。
 加えて今後最も重要なのは「人造り」の一層の連携である。当国にとって教育の向上は長年の課題であるが一向に改善していない。インドネシアからの労働者が日本で増加する中で、これを当国の技術習得に結びつけ、職業訓練教育を両国で協力して進めていくことが大切である。また、高等教育についても戦後賠償の中で築き上げてきた日本留学経験者のリーダー輩出というアセットが失われ、中国などに奪われつつある中、改めて日本への留学生を抜本的に増やすため、日本全国の大学、特に理工系学部との協力を発展させていくことが重要である。また、双方向で日本から当国にくる学生などの人材を増やしていき、当国の若い潜在力と活力を吸収して、日本経済と社会の再活性化に生かすことが必要である。

4.日本の対インドネシア人材
 在インドネシア大使館は、本官約70名、現地職員を含めると約150名にも及ぶ日本の在外公館でも五本の指に入る大規模公館である。各省庁からの出向者も霞ヶ関ほぼすべての主要官庁から派遣されている。これは戦後一貫して当国の発展を二人三脚で支えてきた日本の立場をそのまま表していると思料する。特に経済の分野では、当地に2000以上の日本企業が進出し、在留邦人15000人(その内半数がジャカルタ)の殆どがビジネス関係者である。官民の関係は、筆者の知る限り、他の在外公館と比して、最も緊密なものであると考える。また、当国政府の政策、規制等の不安定性、不透明性を踏まえると、企業活動にとっても官との緊密な関係が必要である。JICA、JETRO、国際交流基金、JBICなどの事務所の活動も活発である。ASEANの中心国としてERIA(東アジア・ASEAN経済研究センター)との関係も緊密である。先進国入りの段階に目指して、日本のODAをどのように民間投資に結びつけていくか、良い意味で先端的な試金石でもあろう。
 日本のインドネシアの専門家は、官民問わず他国に比べても手厚いが、インドネシアがグローバルサウスの主要国となる中、グローバルな人材の一層の活躍が必要である。
 また、当国には広く多くの日本留学、研修を経験した者が存在する。留学、研修など様々なスキームで日本での滞在経験があり、彼らは皆、親日、知日派である。政府部内でも、財務省、国防省、軍、警察など多岐にわたり、幹部になっているものも多い。日本から当国公共事業省、環境省等に派遣されているJICAなどの専門家も多い。相互のネットワークを維持、活性化することが重要である。

 このように変革期を迎えるインドネシアの日本にとっての重要性は一層増すばかりである。戦後多くの先達の長年の努力により培われてきたアセットを礎に、両国の関係が今後とも深化、発展することを願ってやまない。(了)