フィンランドから見た欧州安全保障


駐フィンランド大使 岡田 隆

 フィンランドには、この国の国防体制、市民防衛体制を視察するために世界各地から訪問団が押し寄せています。ロシアと1340キロの国境で接する人口560万人の小さな国ですが、平時2万8千人規模の国防軍は有事には予備役動員により28万人規模となりドイツや英国を上回ります。レオパルドII戦車を200両有し、火力のレベルはポーランドに匹敵すると言われ、空軍には64機のF35の導入が進められています。人口の85%を収容できるシェルターが整備され、有事にも最低限の国家機能を維持する対策が用意されています。
 冷戦後、西側諸国は軍備の削減をすすめ「平和の配当」を享受しましたが、フィンランドは冷戦後も徴兵制を維持し、装備の近代化・NATO標準化を進め、西側との安全保障協力を深化させました。同時にロシアとの関係を維持しNATOには加盟しませんでした。そのフィンランドが、ロシアによるウクライナ侵攻を契機にNATO加盟を申請し、今はNATOの強力な加盟国として、ロシア批判、ウクライナ支援の先鋒に立っています。フィンランドは現在の安全保障情勢に如何に対応しようとしているのか、NATOとロシアの最も長い国境線はどのような状況にあるのか。一年半の在勤中にフィンランド官民の安全保障関係者と議論して来ましたが、彼らの考えを筆者なりに整理して述べたいと思います。

1.フィンランドの対ロシア警戒感
 フィンランドはロシアのバルト海へのアクセスを塞ぐ位置にあり、国境はサンクトペテルブルクの西150キロ程度のところから、北方艦隊の母港である不凍港ムルマンスクの200キロほど西の辺りまで南北に続いています。国境に並行するムルマンスク鉄道は第二次世界大戦時、連合国側のソ連への補給ルートでした。ロシアから見ればフィンランドは決して敵側に渡すことができない領土であることが分ると思います。
 他方、フィンランドから見れば、ロシアは異質な世界です。民族的、言語的に異なるだけでなく、12世紀以降、スウェーデンの一地方となったフィンランドは、西欧社会の中で発展し、宗教改革、王権の議会による制限、法の支配の拡大を経験し、専制君主に支配され農奴制が長く続いたロシアとは全く異なった発展を遂げました。また、スウェーデンがロシアと戦う度にフィンランドは戦場となり、度重なるロシアの侵入や占領を経験しています。第二次世界大戦時には、フィンランドは二度ソ連と戦いました。1939年には、スターリンからの領土割譲要求を拒んだフィンランドにソ連は突然侵攻し、フィンランドは善戦しますが領土を一割失います(冬戦争)。41年には、独・ソ戦を契機にソ連に攻め込み失地挽回を挑みますが(継続戦争)、二度の戦争の結果として、領土一割を失い、30万人の難民が発生し、過酷な賠償を負いました。フィンランド国民の集団的記憶には侵略者は東から来ることが深く刻み込まれています。

2.冷戦期の安全保障:「フィンランド化」の現実
 第二次世界大戦終結時の英米ソ連による勢力圏分割において、フィンランドはポーランドや1940年にソ連に併合されたバルト三国とともにソ連の勢力圏下とされ、マーシャルプランにもNATOにも参加できませんでした。それにも関わらずフィンランドがソ連に併合されず、ワルシャワ条約機構にも飲み込まれなかった理由は、一つは、二度ソ連と戦い甚大な被害を赤軍に与えフィンランド制圧のコストの高さをスターリンに認識させたことにありました。さらに、フィンランド指導者は、ソ連の関心は西側国境の防衛にある、故にフィンランドがソ連の敵陣営に加わらず友好関係を維持する限り侵略はないと冷徹に計算し、ソ連との友好関係維持に腐心しました。その結果、スターリンはフィンランドの独立という「妥協」を受け入れたのでした。もちろん、フィンランドはソ連を信用しませんでした。フィンランド経由のソ連侵略を防ぐために保有を許された軍事力を持って「仮想敵国ソ連からの侵略に常に備えていた」(国防省高官の発言)のです。外交上の制約を受け、さらにソ連共産党と良い関係にない政治家は指導者になれない、反ソ的言論を自己検閲するといった高い代償を払いましたが、フィンランドは、いざとなればソ連と戦う覚悟で、自力で独立を守り抜きました。「フィンランド化」とは小国が独力で大国から独立を守るための極限のサバイバル政策でした。

3.冷戦後の西側への接近
 ソ連が崩壊しその頸木(くびき)が緩んだ時、フィンランドは真っ先に政治安全保障面での西側への接近を図りました。EUに加盟し、欧州諸国が軍備削減を進める中、放出された最新兵器を購入して装備のNATO標準化に取り組み、NATOとの協力を深化させました。「ソ連崩壊後のロシアが『普通の国』になるとの期待もあったが、ロシアを信じ切れなかった」(国防省高官)ためでした。
 他方で、フィンランドはNATOには加盟しませんでした。十分な自前の防衛力があるので、NATO加盟でロシアを刺激する必要はなく、良好な関係を維持し安全保障コストを抑え、貿易で利益を得つつ、NATO加盟はロシアを牽制するカードとして懐に入れておく戦略をとりました。

4.NATOへの加盟
 ロシアのウクライナ侵攻後、フィンランドはNATO加盟を決断します。その背景には、プーチン大統領のロシアに対しては、これまでの計算がもはや成り立たたないという認識がありました。冷戦中のソ連が現状維持勢力であったことと異なり、現在のロシアは欧州の秩序に不満を持ち勢力圏の再設定を目標としている、よって、ウクライナの一部を手に入れても目標は達成されず、さらなる勢力圏の拡大を求め続けよう、矛先は再びウクライナか、バルト三国かフィンランドに向かうかもしれないという危機感です。また、ロシアは、目的達成のために膨大な軍事力を集中投入して一隣国に侵攻し、核兵器の使用を威嚇しました。権力がプーチン大統領とその少数の側近に集中した結果、意思決定の予測可能性が極端に下がりました。凶暴に牙を剥き行動予測が困難な隣国から自国を守るには、これまでの備えでは不十分であり、NATOに加盟し核の傘を含めた抑止を確保する必要があるとフィンランドは考えました。

5.NATO加盟国としての国土防衛
 フィンランドとスウェーデンのNATO加盟により、バルト海は完全にNATOの内海となり、ロシアの西側国境にはフィンランド、スウェーデン、ノルウェーが連なり、北方艦隊の母港ムルマンスク、ロシアの核戦力が集中するコラ半島に睨みを効かしています。両国をNATO加盟に押しやったことは、ロシアにとっては大きな失策と言えるでしょう。
 ロシアとの1340キロの国境の多くの部分は、森、湖、沼、荒れ地であり、道路によるアクセスが限られ大規模な軍事行動には限界があります。フィンランドは警戒監視を強化してロシア側の動向を詳細に把握しており、現状では、ロシア軍がウクライナに注力する結果、国境沿いの配備は手薄で、「ロシアからの差し迫った軍事的脅威は存在しない」(外交安全保障戦略2024年)としています。
 フィンランド国防軍の能力はNATOでも高く評価されており、バルト三国とは異なりNATO軍を常時配備することは想定されていません。ただし、NATOの前方展開地上軍(FLF)の司令部機能を北部に予め設置し、有事にはスウェーデンが中心となる部隊が迅速に展開できる用意を進めています。また、北欧諸国との防衛協力を強化し、米国とは二国間の防衛協定を結んで米軍の基地使用を認め、今後、物資の事前集積などを進めることとなっています。さらに、広大で人口が希薄、厳しい気象という恵まれた訓練環境をNATO諸国に提供し、同盟国軍隊のプレゼンスを確保する戦略をとっています。

6.ウクライナの今後と欧州の将来
 フィンランドは、ロシアは欧州の勢力圏の再設定を狙っている、故にウクライナでの戦闘が止んだとしても、それは欧州の平和を意味しない、ロシアは体制を立て直して次の攻勢に備えよう、よって欧州もロシアとの次の戦争に備えねばならない、と考えています。欧州は米国の協力を得ながら、防衛力を抜本的に強化し、防衛産業をスケールアップし、抑止力を高める必要があります。フィランドの防衛費はGDP比2.4%ですが、これをNATOの決定に沿って引き上げねばなりません。
 フィンランドはウクライナに自らの過去を重ねて見ています。大国の線引きにより戦後苦しんだ同じ運命をウクライナは負うべきではないと考えています。同時に、厳しい現実の中で、ウクライナと欧州にとり最善のオプションは何か冷徹に考えています。その際、第一に、和平はウクライナの頭越しに大国が決めるものではなく、ウクライナ自身が決めるものと主張しています。また、領土が直ちに回復されない現状は受け入れざるを得ないが、それを公式に認めるべきではないという立場です。ロシアが違法な侵略行為により国境線の変更を達成すれば、第二次世界大戦後、国際社会が目指し、欧州では50年前ヘルシンキに於いて全欧安全保障協力会議(CSCE)最終文書で確認された原則を否定することになります。その上で、現在の境界線内でウクライナの独立を確保し、そこに民主的で経済的に繁栄し軍事的に強力なウクライナを再建すべしと考えています。独立とはロシアによる内政干渉の否定であり、将来のNATO加盟の自由であり、軍備保有に制限は受け入れないということです。強いウクライナは、ロシアの軍事力をウクライナ沿いに釘付けにすることができます。
 この言わば「朝鮮半島モデル」は、ウクライナの事実上の属国化を「根本的解決」という言葉で求め続けるロシアの立場と隔たりが大きく、その実現には、戦場でのウクライナの情勢を改善し、ロシアに対する経済制裁を強化してロシアを追い詰めていくしかありません。そのためには米国の支持が不可欠です。ストゥッブ大統領は、トランプ大統領と個人的関係を構築し、英独仏など主要国を支援する形で働きかけを続けています。さらに、ウクライナに対する堅固な安全の保証が必要です。ここにも米国の関与が望まれます。将来、ロシアが停戦を破った時、または、ハイブリッド工作でウクライナの不安定化を試みる時、NATOがロシアとの対決を恐れて断固とした対応を一致して採れなければ、ロシアはウクライナを内から崩し、NATOや欧州の分断に成功することになります。結果として、ウクライナがロシアの手中に落ちれば、その軍隊、軍需産業、技術力がロシアのものとなり、欧州に向けられることになるのです。
 EU、そしてNATO内において、ロシアに対する脅威認識に加盟国間で大きな違いがあり、対ロシア政策において全体での意思決定が難しい場合があるのは現実です。そこで、フィンランドは厳しい脅威認識を共有する国々、具体的には北欧、バルト三国、ポーランド、英国などと協力して、EU、NATOをリードして行こうとしています。英国主導のJEF(Joint Expeditionary Force)には、北欧5カ国、バルト三国、オランダが加わり、バルト海での海底インフラ損傷事件に迅速に対応して警戒監視ミッションを行っています。

7.日・フィンランド関係
 フィンランドがロシアから独立を模索していた20世紀初頭、帝国陸軍はフィンランドの独立運動を支援しました。また、第二次世界大戦当初には、フィンランド軍将校が冬戦争の経験を日本陸軍に共有したことや、ソ連の暗号解読で両国が協力したこともありました。21世紀になり、ロシアが欧州における平和な国際秩序の破壊者として現れ、フィンランドがNATOに加盟した結果、日本とフィンランドの安全保障防衛協力は急速に深まりつつあります。フィンランドの防衛産業は、規模は小さいですが随所に高水準のテクノロジーを活かした光るものがあります。陸上自衛隊はパトリア社の装輪装甲車の導入を進めており、防衛装備品・技術移転協定の交渉も始まっています。シェルター建設、経済安全保障の分野でも担当省庁間の対話が行われています。6月にはストゥッブ大統領が訪日して石破総理大臣と会談し、国際情勢について大変に嚙み合った議論がなされ、発出された戦略的パートナーシップの下での協力強化に関する文書は、安全保障に重点を置いた内容となっています。日本とフィランドの間には、高い技術力、経済力を有する成熟した民主主義国同士の協力の可能性が広がっています。そうした協力が実を結ぶよう微力ながら貢献したいと思っています。(8月12日 ヘルシンキにて)

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