パリ大会と今後のオリンピックの針路―期待と課題―


日本オリンピック・アカデミー名誉会長、早稲田大学招聘研究員
元駐ギリシャ大使 望月敏夫

パリ大会の評価

 五輪大会の成否は二つの側面により判断するのが適当である。第1は大会成功の土台となる側面で、そこに不可欠の要素を五つに絞ると、①スポーツの中核であるアスリートへの配慮 ②祝祭感の創出 ③治安と安全の維持 ④社会的課題への対応 ⑤一般国民による支持である。いずれも五輪の歴史(特に近年)が積み重ねてきた要素である。第2は開催地の独自性や斬新なアイディアを付加する新機軸の側面である。これらはいわば下部構造と上部構造と言え、両者が相まって実現されれば高い評価の大会となり、欠ける要素が多いと凡庸な大会と評される。 
 パリ大会は第一の土台の側面で成果を挙げ、先行五輪の伝統・レガシィを確実に受け継いだと言える。IOCが大会開催と運営の指針として作成し最重視する「オリンピック・アジェンダ2020+5」にも従っている。評価に差があるが何と言っても“元祖”クーベルタン男爵の出身国で100年ぶり3回目の開催という大いなる遺産を活かす責任感とプライドが原動力となったと思われる。
 目立った取り組みの例を5つの要素の順に挙げると、先ずアスリートの利益をソフトとハードの両面で貫いた。東京大会は致し方なかったが、アスリートには観客あってのものだねとのスポーツの原点も再認識させた。組織能力が好評価を得た東京大会との引き合いで、個人主義的フランス人にも綻びはあったが集団的実行力があることが示された。開幕前は低調だった祝祭感は開会式で急速に盛り上がり大会期間中持続した。古来より祭りは住民の一体感と活気を醸成したが今も変わらない。フランス人の人生観を成す「生きる喜び(joie de vivre)」をパリ大会のキーワードにしたことが功を奏したようである。戦時下の五輪のためマクロン大統領が最大の懸案であるとした治安対策も幾つかの事件とテロ未遂はあったが大事に至らず乗り切った。パリ中心部の五輪ゾーンは軍と警察に囲まれた厳戒の2008年北京大会を当初想起させたが、パリ警察の市民への対応は普段の悪名高い威圧的態度と様変わりで、多数の女性警官の配備と共に雰囲気を軟化させた。五輪だけで終わらなければ良いが。スポーツSDGs達成を標榜し環境保全、ジェンダー平等等の社会的課題の解決に国民の意識を高め日常的で細やかな取り組みが多数見られた。但し一部専門家やマスコミは平和構築を含む社会的貢献無しに五輪の意義や大義は無いと声高に叫ぶが、スポーツ分野だけで解決できない課題も多く賢く現実的に対応すべきである。理想論一筋で五輪に過大な負担を負わせると、却って五輪への不信を招きかねない。
 こうして大会閉幕後の複数の世論調査で国民の肯定的評価率は60%台から70%台を示した。
(注)パリ大会に至る背景、仏人の国民性、国際情勢等の詳細については、本年3月1日付け霞が関会HP掲載の拙文(http://www.kasumigasekikai.or.jp/パリ・オリンピック大会の展望―意欲的な開催計画と国際政治リスク―)を参照願いたい。

パリ大会の新機軸の側面

 パリ大会は実験的とも言える斬新なアイディアを用いて五輪の形を進化させた。大会のスローガンは「広く開かれた五輪」(Ouvrons grand les Jeux!)だが、仏語を忠実に訳すと「さあ皆で五輪を広く開こう」と社会への呼びかけの意味になる。「広く開こう」の先は伝統的な競技場を飛び越えて、一般市民、若者、女性、ジェンダー少数者、障がい者、都市空間、デジタル空間、更に難民にまで広がる。具体的には、開閉会式を公共スペースで実施し多彩なストーリーを演出、街中の名所旧跡と競技の融合、「チャンピオンズ公園」や「皆のマラソン」等でアスリートと市民を緊密化、若者主体の都市型競技を追加実施、学校や地域で五輪クラブを設立しスポーツを普及、男女同数の出場枠設定、女子マラソンを大会の「トリ」に設定、温室効果ガスのロンドン大会以降最大削減、100%再生エネルギー使用の選手村、ペットボトル持ち込み禁止など、先行大会にない斬新できめ細かい配慮が施された。音楽、絵画、舞台等の文化的伝統に基づくフランス人のエスプリと演出力がものを言った。これ見よがしに披露するフランス人のナショナリズムも若干鼻に付いたが、それも大会の原動力であったと言える。
こうしてパリ大会はその標語どおり「Younger, more inclusive, more urban and more sustainable, plus full  gender parity」を華やかに実施した。新潮流の中でバッハ会長が
 eスポーツ大会開催を発表したのも時宜を得ていた。土台をしっかり築きそれに新味を加えた「パリ・モデル」と呼べる。世界中、特に欧州でポピュリズムや極右勢力が伸長し、五輪離れ、反五輪の風潮がはびこる中で、五輪に市民を直接巻き込み「市民参加型」にして逆風を阻止するとの大会関係者の意図が概ね実ったものと思われる。
 一方、オリジナルなものを尊重するフランス人は優れた演出法を使い、先行大会で積み上げてきた伝統的な取り組みをあたかも初物、新機軸であると喧伝する。それはそれで国民を惹きつける効果はあったが、実態は伝統的価値の応用と進化である。例えば男女選手出場枠が完全均等になったことを大会の目玉として宣伝し、バッハ会長のスピーチでもしばしば引用されたが、東京大会で既に女性比率は49%に達し今回パリで1%上乗せしただけである。環境、温暖化対策、省資源等の分野でもパリのチームが東京大会の現場で熱心に学習していたのを思い出す。今回組織委員会に務める筆者の友人は東京の実績を徹底的に研究し採用したと述べていた。

パリ大会の批判

 様々な不平不満や予期せぬ問題が起きるのは大規模イベントの定めであり、興味本位であら捜しをするマスコミも健在である。パリ大会でも選手村の仕様、冷房、食事、競技会場へのアクセス、セーヌ川の水質と水泳、開会式でのパフォーマンスや「悪ふざけ」、劣化しやすいメダル等多数の批判が起きた。大会側との感性や趣味の違いも背景にあったであろうが、自己主張が強く自分の価値観を押し付け我が道を行く傾向があるフランス人は外国人選手や観客の一般常識と摩擦を起こした。これは五輪だけでなくフランス外交にもよく見られる傾向で他国はうんざりする。ただこれらの問題の多くは大会の進行を脅かすようなものではなく、アネクドート程度のものもあった。一部は素早い改善措置も取られた。
 一方、パリ大会で生じ今後に持ち越す問題として、誹謗中傷問題、競技の判定・審判、報奨金問題等がある。ロンドンや東京大会で問題化したサイバー攻撃は軽微だったようだが、各種の偽情報が世界中に拡散しており、IOCは対応に努めている。

パリ以降の五輪大会の流れ

  向こう10余年の大会開催地の流れを見ると、夏大会では2028年ロスアンゼルスと2032年ブリスベン、冬大会では2026年ミラノ・コルティーナ、2030年フランス・アルプス、2034年ソールトレークシティ及び2038年スイス(未定だが優先的検討)が決まっている。これら既定の大会を筆者は「先進成熟国型五輪」と呼ぶ。かなり先まで決定済みだが、世界中の五輪離れの中で途切れることない開催を最優先とするIOCが従来の投票による招致方式を「対話」による方式に変更したためである。透明性欠如との批判はあるが複数都市を同時決定して逃げられないようにした。
 近年の先進成熟国型五輪の典型は2012年ロンドン大会であり、そのビジョンと運営方式がレガシィ(この概念もロンドン大会から広まった)としてその後の大会に引き継がれた。筆者が参加した東京招致活動ではロンドン大会を手本にする旨を強調したが、これが投票するIOC委員に安心感を与え勝因の一つになったと感じている。ロスとブリスベン大会もこの延長線上にある。
直近の両大会のビジョンと開催計画は、公表された文書や声明(IOC調整委員会報告、開催都市契約、組織委員会発表、本年7月のIOC総会報告等)に記載してあるが、双方ともオリンピック・アジェンダに則りパリ大会の成功部分を引き継ぐとしている。ロス大会は1984年ロス大会のレガシィである民間資金中心の財政モデルと女性参加を重視し、ローカルな目玉として「太陽の国のスポーツ大会」と銘打って太陽を活用するエネルギー革命を起こすことを目指している。最大の魅力はハリウッドの舞台を五輪に提供することによりスポーツとエンターテインメントを融合し、「斬新な五輪ブランド」を作る意欲を燃やしており、パリと良い勝負になろう。
ブリスベン大会も先進成熟国型五輪の基本的要素の上に立っているが、特に豪州人の「Love of sport」を最大限活かす大会を目指すとしている。また国民の支持を得るため先住民族を含めた国民統合や地域発展を重視し、豪州人が神経質なまでに実施している環境保全も強調している。

新興国・グローバルサウス五輪

 2032年ブリスベン大会の後は、オリンピック運動が転機を迎えそうである。2036年大会の開催地は、昨年末IOC担当者の発言によれば二けたの数の都市が関心を示している。インド、インドネシア、トルコ、エジプト、カタール、メキシコ、中国のほか、韓国、ドイツ、ポーランドである。グローバルサウス有力国のオンパレードで、先の都知事選挙や自民党総裁選挙のような様相を示している。このうちインドはモデイ首相が昨年ムンバイでのIOC総会で事実上立候補宣言をしており、同国の影響力、五輪の普遍性、地域バランスからして有力との見方が強いが、国際情勢の推移、新IOC会長の意向等からして不確定要因もある。
 新興国にとり五輪開催は国民統合、経済発展、都市開発、国際的地位向上等の観点よりメリットが大きく、何よりもスポーツ水準の底上げになる。五輪開催はジェンダー、環境等の社会的取り組みが遅れている国に課題解決への認識を広げる。一方、新興国の政治、経済状況、社会的成熟度等からして、五輪を開催しても先進国が積み重ねてきた五輪の価値(パリ・モデル)を十分実現できないであろう。権威主義的、強権的政権が多数存在し続けると見られるので、過度の国威発揚や政治的思惑が突出する可能性もある。新興国は欧米流の民主主義は自分たちにそのまま適用できないとよく言うが、その論理を五輪に使うかもしれない。
 オリンピック運動の発展のためには、新興国側に短期的な完璧さを求めずにソフトとハード両面でスポーツの基盤整備をすることが望ましい。2016年リオデジャネイロ大会が好例である。このためにはIOCの「ソリダリティー」事業の強化や日本政府が成功裏に実施した「スポーツ・フォア・トモロウ」事業の継続・拡充等による支援が欠かせない。

国際政治の影響

 国際スポーツ界はパリ大会を前にウクライナ侵攻への対応で揺れた。特にロシアとベラルーシ選手の扱いをめぐりバッハ会長の舵取りが迷走し、G7沖縄声明に共感する多くの国や国際陸連等IFの慎重論をよそに「中立個人選手(AIN:Athlete Individuel Neutre)」方式で妥協に至った。結局AIN方式で大会参加を許された選手は通常のロシア代表団300人超と較べると極く少数で(ロシア出身者15人、ベラルーシ出身者17人)、ウクライナ選手が握手を拒否した以外、懸念されたような摩擦は起きなかった。一方、五輪の存立に大きなダメージとなるのは開閉会式の欠席でなく大会の全面的ボイコットである。今回AIN方式に反対したウクライナや同情国による警告はあったが内外情勢を考慮して自重したためか不発に終わった。
 ガザ攻撃もパリ大会に陰を落とし、イスラエル参加反対の声が諸国から上がり街頭デモも起きた。中東問題は根が深く国際社会の対応も割れており、IOCとフランスによる対応は微妙であった。結局IOCは選手派遣の任に当たるイスラエルNOCに咎は無いとの苦しい論理で押し通したが、ダブルスタンダードとの批判が続きイスラエル選手との対戦拒否が目立った。
 紛争、人権、人種問題等が止まない最中の大会だけに表彰台上やピッチ上の仕草や膝つき等の抗議活動が起きると懸念されたが、大きな混乱はなかった。IOCは競技場内での選手の政治的表現に五輪憲章に則り厳格であったが、米国等の動きに抗えず条件付き許容に変わった。ロス大会等での動きに注目したい。リオ、東京に続く難民選手団は初めてメダルを取り、国際紛争の存在と解決への意識を高めた。
 かつて五輪を悩ませた分裂国家問題は終息したかに見えるが、パリ大会では一部応援団が「チャイニーズ台北」でなく「台湾」を使用し揉める事件があり、また韓国卓球選手とセルフィした北朝鮮選手が帰国後に思想検閲、自己批判又はそれ以上の処分を受ける恐れが報じられた。東アジアの緊張激化が底流にある。毎大会に付き物の選手や役員の亡命事件は明るみに出ていない。ドーピング問題は常連のロシアチームに代わって中国水泳選手23人のドーピング判定が再燃し、糾弾する米国とIOC・WADAが対立した。米議会でも取り上げられ米中対立の余波を感じた。

今後の国際情勢と五輪運動の対応

 向こう10年余の諸大会も政治との向き合い方に苦慮するだろう。昨年と今年の外交青書は現下の国際情勢認識として、「冷戦終焉以降、歴史の大きな転換点にある」との趣旨を述べている。そこでは力による現状変更を試みる権威主義的強権国家が民主主義国家群をしのぐ勢いにあり、その間で新興国・グローバルサウス国が節操なく実利本位で動き回る。この状況は向こう10余年も変わらないと見て良く、更に自国中心的ポピュリズムや極右勢力の伸長ともあり、ユニバーサリズムに基づく五輪運動に逆風となる。既にプーチンは五輪に代わる「世界友好スポーツ大会」提唱し準備中だと言う。第三世界の雄スカルノ大統領が五輪に挑戦すべく「新興国スポーツ大会」を提唱したことを思い出す。
 今後の五輪運動は当然のことながら第一に、権威主義政権が多いグローバルサウスに対し民主主義に立脚する五輪の普遍的価値を根付かせる支援と圧力を続けなければならない。第二に伝統的な五輪価値自体も根幹の思想を尊重・維持しつつ、国際社会の構造的変化に適応させる必要がある。主権の侵害や人間の尊厳の軽視という極端な悪行に対しては伝統的な「スポーツの非政治主義、政治的中立」を「止揚」して政治・外交側と共闘すべきであり、さもないとスポーツをする人と場すら奪われる。ウクライナの帰趨は2030年までの任期に入ったばかりのプーチンの出方によるが(更に2036年までの居座りが可能となり、その時同人は83歳になる)、少なくもパリ大会で起きたと同様の問題が起きるだろう。民主主義国は引き続き確固たる態度を取り、新会長下のIOCをリードする必要がある。

日本との関係

 多くの日本人がパリ大会の斬新さと祝祭感に印象付けられ、また日本選手団の活躍に感動したと思われる。東京大会関連の不祥事で一気に冷めた日本国民の五輪イメージがこれにより改善したとは言えないが、五輪への関心と昔からの五輪好きの気持ちを再び目覚めさせる契機にはなったと思われる。閉塞感がある日本全体に活気をもたらすことにつながることも期待したい。ただ、開催懐疑論を引きずったまま汚職と談合容疑が発覚し、政治家や大会執行部はガバナンス不全にほおかぶりして責任を取らず、日本スポーツ界の国際的地位の低下を引き起こしたことに対し国民の眼は依然厳しい。日本のスポーツ界、政官界、関連業界は不祥事の裁判結果を心に刻み再出発の気概を世間に示し、国民の共感を呼び起こす努力が必要である。本邦開催や海外の国際競技大会への確実な対応や小休止した札幌冬大会招致活動の再開等が重要となる。IOC幹部も「パリ大会に東京大会のレガシィが活かされている。日本国内でパリ大会のTV中継の視聴者数が多いことは五輪運動が去っていないことを示す。今後はTV上の人気だけでなく本当に日本に五輪が戻るよう願っている」との趣旨を述べている(8月3日付時事)。
 ロス、ブリスベン及び有力候補インドでの大会は五輪運動拡大の好機である。開催国が「環太平洋」及び「インド太平洋」に集中するのは全く偶然であるが、この地域は自由貿易・経済連携や安全保障協力の枠組みが既に機能している。論理は異なるもののスポーツ分野が既存の政治、経済の枠組みと重なれば、地域内は一層一体感と親近感が高まりアスリートの活動や国民レベルの参加が促進される。この機会を十分に活かしたい。
 なお、7月のIOC総会ではIOC幹部や新委員が選出され、来年3月にはバッハ会長の後任が決まる。日本側はIOCとの意思疎通が不十分と言われたこともあり、新体制と密接な関係を築くとともに、IOC自身の体質改革ひいては新時代の五輪運動のため影響力を行使することが望まれる。
 なお、近年日本でもパラリンピックへの注目度が高まり大変意義深い。筆者は障がい者スポーツに長く関わって来た体験をふまえ日本選手が活躍したパリ・パラ大会の成果をまとめたが、紙数の関係で別稿にしたい。近年オリ・パラ一体化が原則として確立したので、五輪中心のこの小論の内容の多くがパラ大会にも適用可能であるので参照願いたい。
(この小論は筆者の見聞や体験をまじえた個人的見解であることを申し添える。)

2024年9月15日 記