コロナ時代の東京五輪・パラリンピック大会の意義


日本オリンピック・アカデミー会長 望月敏夫
(日本障がい者スポーツ協会パラリンピック評議員、早稲田大学招聘研究員、元駐ギリシャ大使)

【要旨】
 延期された東京五輪・パラリンピック大会まで残すところ1年弱となったが、コロナ流行の影響をもろに受け、主催者のIOCや日本側の強い開催意欲にも拘わらず、日本の世論は懐疑的、否定的な意見が半数以上を占めている。このままでは来夏開催の足を引っ張りかねず、日本の社会や外交にまで悪影響が懸念される。
 日本国民の支持を取り戻すためには、(1)先ずは“新常態”に即した新しい五輪像を提示し国民の疑念、不安を払拭すること(安全・安心な大会、費用の最小化、大会の「簡素化」につき目下具体化作業が急がれている)(2)次に重要なことは、五輪はスポーツ面だけでなく「社会貢献機能」があり、コロナ禍からの復興への寄与(国民の自信や連帯の回復、経済効果、国際協調等)、及び、その後の社会改革(「地球規模課題」等への取り組み)に貢献する力があることに国民の理解を得る必要がある。
 この様な五輪・パラ大会の効果は絵に描いた餅でなく歴史的に実証され成果を出しており、しかもコロナ時代にも応用可能だとの認識が国民レベルで深まれば、来夏大会の開催を強く後押しするものと期待される。

1.はじめに―問題意識
 水泳の池江璃花子選手は去る7月23日、延期された東京大会の1年前行事で「世の中がこんな大変な時期に、スポーツの話をすること自体、否定的な声があることもよく分かります。」としたうえで、「ただ、一方で思うのは、逆境から這い上がっていく時には、どうしても希望の力が必要だということです。1年後にこの場所(新国立競技場)で希望の炎が輝いてほしい」と述べた。これはアスリートとして、来夏大会を「希望の力」にしたいとの強い思いが表れている。また大会を組織する側として安倍前総理は「コロナウイルスに打ち勝った証しとして来夏に開催したい」と繰り返し述べており、菅新総理も継続性を強調している。
 一方、これと裏腹に、各種世論調査では来夏の開催に懐疑的、否定的な意見が6割以上を占め、識者やマスコミの論調も押並べて警戒的である。コロナが再拡大した8月に入ると来夏開催支持が20%台に下がった調査も出てきた。
 池江選手や政府側の意欲と世論とのギャップが大きい。これはコロナ災禍や自然災害に翻弄されている国民の心理状態が巣ごもり的な縮小均衡に陥っていて五輪開催の意義を見出していないためと思われる。未曾有の災禍の下で無理からぬ反応であるが、その後は内政上の変化もあり民心が更に揺れる恐れもある。このままで良いだろうか。
 この小論では、「コロナ併存時代になぜ五輪か、その意義は何か」の問いかけ対し、国民の多くが納得出来るよう具体的に説明し、来夏大会の実現を後押しする一助にしたい。

2.来夏開催を巡る今後の焦点とリスク
 現在、日本側とIOCは万全のコロナ対策を講じて来夏の大会を実現するという強い決意の下、1年延期で生じた課題を含め着々と準備を進めている。常識的、合理的に見ればこのまま開催に漕ぎつくこととなろうが、感染拡大のヤマ場と言われるこの冬を越えた時点で、日本を含む206の大会参加資格国・地域の感染状況次第では、開催か中止かの判断を迫られる場面が出て来ないとも限らない。専門家が科学的に判断してノーと言えば涙を呑んで中止を選択せざるを得ないだろうが、このような極端な場合を除き、コロナ感染は当面終息しないとの前提で、それとどう折り合いをつけ開催の道筋を見出すかが最大の課題である。その際には、ワクチンや治療薬の普及状況のほか、判断の決定的要因でないにせよ日本の国内世論も併せて勘案されるだろう。現在のような低い支持率次第では、開催の方向を後押しするどころか足を引っ張りかねない。
 首尾よく開催出来ても、ネガティブな世論が続く場合には、大会実施への協力や盛り上がりに欠き低調な大会になる恐れがある。2012年ロンドン大会では英国民の支持率が低くそっぽを向くが如きであり、その序盤は何とも寂しい雰囲気で、IOC等の関係者は心配していた。
 この関連で、五輪のオーナーであるIOCは放映権等の莫大な収入を犠牲にしても安全な道(中止)を取る可能性が無きにしも非ずであることを頭の隅に置いた方が良い。良くも悪くも「機を見るに敏なIOC」(猪谷千春IOC名誉委員の言葉)としては、開催国国民から歓迎されない不人気な大会を嫌う。加えて感染症で混乱が予想し得る中で強行開催したとなると、そうでなくても世界中で五輪批判、五輪離れが高まっている折、IOCは更なる批判を気にして来夏開催に躊躇してもおかしくない。これまでもそうだったが、君子は豹変する。
 なお、コロナ危機が五輪の負の側面(肥大化、華美、商業主義、政治癒着等)を浮き彫りにし国民の支持率低下につながった面がある。これを放置すると今後の五輪運動自体への無関心や反感として定着し、日本のスポーツの発展や国際的地位の低下に連なる恐れがある。国際スポーツ大会の誘致や国際スポーツ界の役員人事にも影響するだろう。

3.コロナ時代の五輪の意義を説く必要性
 コロナ感染は収束せず不確定要因とリスクが存在するとの前提で、来夏の開催を確固たるものとするためには、①コロナ併存時代に即した新しい五輪像を提示して国民の疑念・不安を払拭する、加えて、②五輪大会はコロナ危機からの復興とその後の社会改革に寄与する力(「五輪の社会貢献機能」)があるとのポジティブ面に国民の目を惹きつけることである。
 “機を見るに敏な“IOCのバッハ会長も手をこまねいて事態を見ているのではない。4月末には、「Olympism and Corona」と題する危機対応戦略を発表し、更に7月のIOC総会ではコロナ時代に五輪運動が果たす役割を強調し来夏の東京大会実現に意欲を示した。同会長肝入りの「オリンピック・アジェンダ2020」(2014年策定。40項目の五輪改革の指針)に新規範(“New Norm”)を加えて五輪改革を加速するとともに、コロナ危機でニーズが高まったとして、地球的規模の政治、経済、社会問題の解決に五輪運動を活用しようと提言している。従来は掛け声だけに終わる例もあったが、今回のコロナ危機は待ったなしの実現を迫っており、同会長が「危機管理」という言葉を使い強い決意を示している点に注目したい。

4.新しい五輪モデル
 当然日本側もIOCと危機意識を共有し、国民一般に受け入れられるような新しい五輪像を模索してきた。大会組織委員会は、①万全の感染症対策による「安全・安心な環境での大会」②開催費用の最小化 ③大会の「簡素化」の3本柱を開催指針として打ち出した。「安全・安心な大会」の具体化は、武藤敏郎大会組織委事務総長が月刊誌で述べたように「今後の最大の懸案」であろう。来日する選手等や観客に対する感染症対策は言うは易く行うは難しの典型だが、成案に至れば国民も安心して大会開催に同調するだろう。
 第3の柱の「簡素化」は新しい五輪の目玉と言えるが、これまで繰り返し提案されてきた五輪改革の論理的な当然の帰結であり、感染症対策の一環でもある。聖火リレー、開閉会式からIOC委員の接遇を含む200項目余にわたり精査されている。コロナ禍の下で万事「自粛」が当然のようになった国民にとって簡素化を旨とする大会は受け入れ易くなろう。2本目の柱の開催経費の最小化もこのような国民心理に沿うもので、大会延長に伴う追加経費問題の処理に当たっては、国民の目線に注意を要する。

5.五輪の社会貢献【その1;復興段階での効果】
 五輪を通じて社会の発展に貢献するという目標は、「五輪の社会性」の論理的帰結であり、スポーツと並んで五輪運動の両輪を構成している。今回どこの国でも予防と復興を含む危機対応が後手に回り国民の不満を買っているが、復興の時期に五輪大会が開催されたらどのような効果が期待出来るか、コロナ禍で打撃を受けている分野ごとに見てみたい。
(1)先ず、コロナ禍は不寛容、利己主義、差別などを社会全体に拡大させているが、五輪大会は犠牲者の鎮魂と生への感謝を表す機会を提供し、スポーツが感動を呼び、良い意味でのナショナリズムの覚醒が疲弊した人々に自信と活気を与える。閉塞状況から脱出して相互扶助と連帯をよみがえらせる契機になる。これはオリンピズムの中核を成す人間の尊厳、フェアプレー精神等の倫理的、道徳的価値が発揮されるお陰であり、更にスポーツだけでなく文化・芸術・教育の祭典でもある五輪大会が人の心を一層豊かにするためである。戦後復興後の1964年東京大会や東日本大震災後の来夏大会も「復興五輪」の意味合いを持っている。 
(2)障がい者スポーツはコロナ禍でスポンサー数まで減るなど注目度が落ちているが、パラリンピック大会開催は国民の関心を取り戻し、共生社会の建設に向かう機会を提供する。障がい者は感染症の重症化率が高いと言われるが、五輪・パラ大会はスポーツを通じ健康増進と感染症予防に役立つ旨WHOは強調している。パーソンズ国際パラリンピック委員会(IPC)会長も8月23日の開幕1年前メッセージで、コロナ併存時代だからこそパラ大会は重要だと訴えた。
(3)気候変動を含む環境問題はコロナ問題の陰に隠れたかに見えるが、マラソンと競歩競技の札幌移転に見られたように、来夏の大会を巡る議論はこの問題の重要性を再認識させるだろう。大会組織委員会は省エネ、省資源、脱炭素を大会運営に取り入れて模範を示している。
(4)コロナ禍のため世界中で戦後最悪のGDP下落が伝えられているが、各国ともコロナ感染との兼ね合いを見つつ経済再生の機をうかがっている。日本では今夏から徐々に自由化され経済全体は徐々に上向いている(いわゆる二番底を懸念する専門家もいるが)。このトレンドの中で来夏の大会が五輪に付き物の多角的経済効果を発揮させて本格的な回復の助けとなることを期待したい。
(5)世界的なコロナ危機で、近年顕著な一国主義、保護主義、覇権主義的権力外交、偏狭なナショナリズムが先鋭化している。国際協調主義や多元文化主義が後退し、対立や紛争が増加している。間隙を縫って空き巣泥棒的な力とカネの外交を繰り広げる国もある。来夏の東京大会の国際環境も決して平穏とは言えず、過去の五輪大会と同様に各種の政治問題が起きる可能性がある(北朝鮮、米中関係、ロシア、世界各地の地域紛争の持ち込み等)
 国際政治の基本力学である国家間の「競争・対立」と「協調・共存」の二面構造は簡単に変わらないが、五輪大会は後者の面で諸国民の相互理解、友好、協力に向け世論喚起、機運醸成、場の提供等を行ってきた。幻想は禁物だが「平和の祭典」としての五輪大会のデモンストレーション効果は大きく、併せて関係国の外交努力があれば緊張緩和の芽が出る事案も期待される。それは開催国日本の国際的評価上昇の期待となり大会開催への国民の支持につながるだろう。

6.五輪の社会貢献【その2;社会改革の契機】
 コロナ禍は社会的、経済的矛盾を顕在化させ、弱い立場にある人々にしわ寄せが行き格差を拡大させているが、これを奇貨として、中長期的な社会課題の解決に目を向け“世直し”のチャンスとすべきだとの意見が広がっている。各国の専門家やバッハ会長のほか、日本政府も7月に閣議決定された経済運営の骨太方針において「世界が今、大きな変化に直面する中で、我が国は新たな時代を見据え未来を先取りする社会変革に取り組まねばならない」としている。
 このような中長期的課題の解決の糸口として、上記4.の復興段階で述べた五輪の社会貢献機能が有用である。復興と未来先取りの改革は両立する。特にこれらは国際社会全体で取り組む必要があるので、ユニバーサルリズムを旨とする五輪運動の対象として馴染みやすい。従来も、多くの分野の「地球規模課題」(人権、人種、宗教等の差別、女性の地位向上等のジェンダー問題、途上国開発、気候変動を含む環境問題、保健、国民統合、分断国家問題、民族紛争、難民等)が五輪大会の目標テーマになったり、大会期間中の事件発生の原因にもなった。そしてその都度国際世論を喚起し、その後の解決を探る契機となった。難民選手団や人種差別反対の「表彰台パフォーマンス」など最近話題になったが、大会開催が課題取り組みへの端緒となるとの期待が高まれば、国民の共感も得られよう。
 なお同様の目標を幅広く掲げ世界中で実施され、日本でも一種の流行して広く取り組まれている「持続可能な開発目標(SDGs)」を政策的に併用すれば、“世直し“のシナジー効果が期待できることを指摘したい。

7.おわりに―“スマート五輪”の実現
 薬の効能書きのように五輪の価値と効用を並び立てたが、理念・理想だけのきれいごとではなく、いずれも五輪・パラ大会の実践の中で確立したものであるので、来夏の大会に応用可能である。3本柱から成る新しい五輪モデルと併せて五輪の社会貢献機能を発揮させる大会を“スマート五輪(Smart Olympics)”と呼びたい(言葉遊び的だが、英語本来の「賢い」の意味と日本語の「細身でカッコ良い」の意味を込めた)。このコンセプトが来夏開催を正当化し国民的合意の形成に役立つことを期待したい。“スマート五輪”の実現は疫病が併存する「新常態」でも五輪の理念を貫いた大会として世界から高く評価されよう。それは半年後の北京冬大会、パリ大会そしてロサンゼルス大会へレガシーとして継承されるだろう。