エジプトから見たガザ・中東情勢と日本の対応


前駐エジプト大使 岡 浩

ハマスのテロ攻撃と地域への紛争拡大
 2023年10月のハマス等のパレスチナ武装勢力によるガザ地区からのイスラエルに対するテロ攻撃から1年が経過した。イスラエル軍はハネイヤ、シンワルと続けてハマス指導者を殺害し、ガザ地区でハマス掃討作戦を進めているが、人質解放は進まず、終わりは見えていない。この間、パレスチナ人市民に4万人を超える犠牲者が生じ、その半数は児童で、多くのインフラが破壊された。更に、ガザでの戦闘と並行して、イスラエルとレバノンのヒズボラの交戦、イスラエルとイラン間の初の直接軍事攻撃も発生し、エジプトが繰り返し警告していたように地域全体に紛争が拡大いている。こうした状況は、安定的な地域環境の中で国内改革を追求する地域諸国にとって迷惑な展開。エジプトは、ハマスとの連帯を唱えるホーシー派による紅海での攻撃を避けて多くの船舶が喜望峰の迂回路を選好し、スエズ運河の航行量と貴重な外貨収入源である通過料収入が半減。IMFと連携して経済構造改革への取り組みを進めている最中のエジプトは、ガザ戦争から最も大きな実害を受けている国の一つ。
 ハマスに続き、イスラエルはヒズボラ及びイランに軍事攻撃を畳みかけ、両者の支援に依存していたシリアのアサド政権があっけなく崩壊した。シリアにおけるISILの「イスラム国」活動を契機とするイスラム過激派の「シリア解放戦線」が、シリア北部から電撃的な速さで南下し、アサド大統領がロシアに亡命。アラブの春から13年後、父ハ―フェズ・アサド時代から約50年続いた少数アラウィ派(シーア派)を基盤とするアサド政権が瓦解した。これにより、イランを軸とし、シリア、ハマスや、ヒズボラをはじめとする中東各地に点在するシーア派と連携した「抵抗の枢軸」は大きな打撃を受けた。今後のシリア情勢の帰趨は、中東における戦略バランスに大きな影響を及ぼす。  
 シリアでは、多数派スンニ派の改革を求める動きから生じた「アラブの春」の混乱に乗じて、ISILがイラクからシリアに侵入し「イスラム国」樹立を宣言。これに対し、ロシア、イラン、ヒズボラがアサド政権を、米が北東部のクルド勢力を、トルコが北西部のスンニ派系の反政府勢力を、それぞれの思惑から支援。「イスラム国」の支配地域は消滅し、シリアは3派(アサド、クルド、反政府勢力)の勢力下に3分割された均衡状況が続き、昨年、「アラブの春」以来アサド政権をボイコットしていたアラブ連盟へのシリアの復帰が実現したばかりだった。もっとも、アサド大統領は復帰後もアラブ諸国から期待した支援が得られないとこぼしていたと言われる。
 アサド政権の瓦解は、シリアの制空権を握りアサド政権の後ろ盾役を任じたロシアや、ヒズボラ、イランがアサド政権維持に兵力を割く余裕がない状態にあることを露呈した。地中海においてロシアが自由に使用できる唯一の軍港(タルトゥース)を失うことになれば、ロシアにとって大きな戦略的な損失。また、シリアはイランがレバノンのヒズボラに兵站を陸路供給する上で不可欠な通過路であり、イランと同盟関係にあるアサド政権が倒れたことにより、イランのヒズボラ支援が困難となれば、ヒズボラは酸欠状態に陥りかねない。イスラエルにとっては望んだ展開であり、シリアの一部である戦略的要衝のゴラン高原を第三次中東戦争で占領しその後併合しているイスラエルにとって、弱く混乱したシリアは支配地域の拡大を既成事実化する千載一遇の機会と考えよう。一方で「シリア解放戦線」率いるシリアがイスラエルに対しどのようなスタンスを取るか不明。「イスラム国」がアサド政権と拮抗して存在してた当時、イスラエル当局者は、未知の相手より、手の内を知っているアサド政権の方が与しやすいと述べていた。
 イスラム文明の中心地の一つであるダマスカスを擁するシリアは肥沃で中産階級が厚い民度の高い社会。また、スンニ派が多数とはいえ、イエス・キリストと同じアラム語を話すキリスト教徒やドルーズ等、スンニ派以外の多数の少数宗派がモザイク状に存在。フランスによってキリスト教が多数のレバノンを切り取られ、第三次中東戦争の敗北でアラブ民族主義に幻滅し、その直後から長く続いた少数アラウィ派を基盤とするアサド政権の崩壊は、シリアが、エジプトのように宗派・民族を越えた国民国家としてのシリア人のアイデンティティを涵養できる初めての歴史的な機会。しかしこれには時間がかかる。先ずは、アサド政権打倒を主導したスンニ派のイスラム過激派「シリア解放戦線」が、少数派に配慮した包摂的な政治プロセスを行って民政を安定させ、国連決議が求める政治改革を進められるかどうか、シリアの新しい指導者の賢明なリーダーシップが問われている。なお、「アラブの春」で政権が崩壊した国の中で、安定を回復したのはエジプトとチュニジアのみであり、両国では統治機構が維持されていた。
 シリアの安定には、周辺アラブ諸国の支援や、イスラエル、トルコ、イランといった地域の主要国が介入を手控え、シリアが国内の安定に専念できるような安定した地域環境を提供することが不可欠。
 アサド政権を倒した反政府勢力はアルカーイダ系過激派やムスリム同胞団系を含む多様な組織の寄せ集めであり、イスラム過激派やムスリム同胞団の影響が自国に及ぶことを嫌う周辺アラブ諸国は、「シリア解放戦線」の下でのシリアの統治の実相を見極めようとしている。また、ゴラン高原でのイスラエルの軍事作戦に加え、シリア北部への影響力を強めるトルコの動きにも要注意。シリア周辺国がシリア国内の宗派とのつながりを利用してシリアでの影響力を強めようとすると、シリアは安定せず、地域の周辺国の意向に翻弄されるレバノンの二の舞になりかねない。
 シリアでの包摂的な国内政治プロセスに向けて一番大きな課題はユーフラテス川以東を実効支配するクルド人組織(YPG)の扱いであろう。YPGは対ISILの観点から米が支援しているが、トルコは国内でテロを繰り返すPKKと同根と見なしている(トルコは一般のクルド人には敵意はない)。YPG支配地域の存続は米の対シリア政策にかかっている。YPGのトルコへの浸透を防ぐために国境地帯に軍を展開しているトルコのエルドアン大統領は、この機に乗じて攻勢をかけているが、気脈を通じるトランプ次期大統領と一定のアレンジに合意するかもしれない。
イ スラエルには、ゴラン高原併合を容認した第一次トランプ政権の再登場への期待があるのかもしれない。しかし、ガザ情勢を契機にグローバルサウスの中東への関心が強まり、ウクライナ戦争を契機に法の支配への国際社会の感度が高まっている状況下で、地域アラブ諸国からイスラエルに対し従来通りの微温な反応を期待できる可能性は高くないかもしれない。
 国内・地域諸国の取組みと並んで、国際社会の支援も重要。シリアの民生安定にはシリア制裁の緩和・解除が不可欠であり、イスラム過激派「シリア解放戦線」により誕生する新シリア政府が、国際社会に制裁解除を説得できるか。安定し豊かなシリアは、安定した地域環境を望む地域諸国や、中東地域の安定から裨益する国際社会にとって実現すべき大きな挑戦である。日本は歴史的負債もなく長年の電力等のインフラ支援や灌漑農業等の技術協力を通じてシリア人の信頼を得ている。日本が、シリア新政府の民生安定に向けた取り組みを踏まえつつ、2023年に新たに立ち上げた日本・エジプト・ヨルダンの三者外相協議の枠組み等を通じて地域諸国や、米はじめG7諸国等と連携し、日本の平和構築の経験を活かしてシリアの復興を支援することは、中東地域の安定に大きな役割を果たすことになる。

エジプトの取組みと日本の支援への評価
 ハマスによるイスラエル人を対象としたテロ攻撃は、「アラブの価値で是認できるものではない」(エジプト元外相)との非難は、アラブの春のさなかにハマスと政治信条を共有するムスリム同胞団に政権を奪取されハマスに強い不信感を抱くエジプトにとどまらない。アラブ連盟は、ハマスを名指ししないものの、アラブとイスラエル双方の一般人に対する攻撃を非難する外相声明を発出した。これは、アラブ連盟史上初であり、アラブにとってもいかに衝撃が大きかったかを示している。
 エジプトはガザに直接接する唯一の国であり、またハマスとのコミュニケーションのチャネルを有し、人質の解放と停戦実現に向け、米やカタールと連携しつつ、最大限の取組を行っている。また、人道支援の面でも「エジプトは中心的な役割」(カーグ国連調整官)を果たし、エジプトを訪問した日本赤十字関係者は、「エジプトが国際社会から提供された人道支援物資のガザへの搬入というロジ的支援のみでなく、エジプト自身による多大な支援物資の提供や、多くのパレスチナ人の傷病者の治療のための受入れなど、人道支援面で大きな役割を果たしていることをよく理解した」と述べていた。エジプトが治療のために受け入れたパレスチナ人傷病者には多くのこどもが含まれ、イスラエルの空爆により家族が死亡する中で辛くも生き残ったものの下肢の切断を余儀なくされた少年や、両親を失った乳幼児に病院の看護士が母親代わりに哺乳瓶から授乳している場を目にすると心が痛む。
 ガザからの邦人及び関連のパレスチナ人家族の退避においても、エジプト政府は格段の配慮を行ってくれた。パレスチナ代表事務所とガザ在住邦人との綿密な連絡や在イスラエル日本大使館からイスラエル政府への粘り強い働きかけのおかげで、ガザからの外国人退避者の第一陣の中に邦人及びパレスチナ人家族が含まれ、2024年11月1日、エジプト外務省からの夜半の直接の電話連絡を受けて直ちに在エジプト日本大使館館員は館用車にて真っ暗なシナイ半島を夜通し10時間かけて横断し、翌朝ラファハの通行所に到達したところで、日の丸と目立つジャケットを着用し、携帯の電波も繋がらない中で、邦人を保護し、また旅券を所持しないパレスチナ人家族に対しては現場で渡航証を発給するなど機転をきかし、彼らを乗せて再びカイロまで夜中にシナイ半島をとって返した。邦人の中には特別の医療的配慮が必要な方がおり、そのためにエジプト政府は空軍機を飛ばす配慮を行ってくれ、カイロの空軍基地で出迎え、その無事な様子を目にした時は大いに安堵した。
 イスラエルとの平和条約はエジプトの安定の鍵であり、反故にする考えはない。また、イスラエルもエジプトの平和条約のおかげで対レバノン、イラン、シリアに対する軍事作戦を憂いなく展開できている。イスラエル・エジプト両国による平和条約の遵守の監視のためにシナイ半島に展開する「多国籍平和監視団(MFO)」の重要性を強調し過ぎることはない。日本は、MFOに対する従来からの財政・物資支援に加え、平和安保法制の制定を受けて、非国連PKOへの初の参加としてMFOに自衛隊から司令部要員を派遣。彼らの士気高く真摯な取り組みが好感され、要請を受け、従来の2名から4名に増員されている。中東の平和維持のために日本が実質的貢献を行っていることは喜ばしい。
 エジプトにとってのレッドラインは、イスラエル軍の軍事作戦によりガザを追われたパレスチナ人の強制移住である。ガザに帰るあてのないパレスチナ人を受け入れることは、1948年の第一次中東戦争に続いて新たな難民を生じさせることになり、また、ガザからパレスチナ人を追い出すことは、ガザと西岸にパレスチナ国家を樹立する二国家解決の可能性を閉じることになる。更に、移住したパレスチナ人の中に過激派が含まれていて対イスラエル攻撃を行うことになると、中東の安定の根幹であるイスラエルとエジプトとの和平を損なうことになりかねない。エジプト政府関係者によれば、米国は、当初エジプトが多額の財政的支援の見返りにガザのパレスチナ人を受け入れると予想し、エジプトを含めアラブ諸国に国別に受け入れの割り当てを打診してきたが、さすがに受け入れるアラブ諸国はおらず、最終的に米国も翻意した由である。しかし、エジプトは、イスラエルが宗教的信念のもとにガザへの支配を強め、パレスチナ人をエジプトに追いやることを狙っているのではないかとの深い猜疑心を有している。
 ガザ情勢に関するエジプト政府の考えについて、アブデルアーティ外相は、2024年10月末にアジア大使を招いた会合で以下の通り包括的に述べている。「ガザは非常に劣悪な状態に置かれており、その人道的惨禍にできるだけ早期に終止符を打てるように、米、カタール等と連携して人質解放と停戦に向け最大限の努力を行っている。一方で、地域の緊張はエスカレートし地域全体が戦争の一歩手前の状態にある。しかし、ネタニヤフ首相には和平を実現する意思はなく、現状では問題解決の見通しはない。国際社会がイスラエルに真の働きかけを行う意思に欠け、国際法違反の状況が継続していることは恥ずべきこと。ガザ戦争前は日に700台のトラックがエジプトからガザに入っていたが、今や4~50台の水準に落ち込んでいる。パレスチナ人の民族自決権を実現する独立国家なしに地域が持続可能な平和・安全を享受することはない。」
 日本のガザに対する人道支援や、ガザへの人道支援を支えるエジプトに対する支援はSNSを通じてエジプトで高く評価され、また、国連でのパレスチナ決議に関する日本の姿勢は、「主要先進国の中で日本のみが法の支配の観点から首尾一貫した対応をおこなってくれている」(ザキ・アラブ連盟事務総長室長)と良く認知されている。

(写真)ガザへの日本(JICA)の人道支援物資の様子(JICA提供)
(写真)ガザ地区への日本の人道支援物資が到着した様子(在エジプト日本大使館提供)

風前の灯のパレスチナ問題の「二国家解決」
 ガザ戦争は、国際社会に対し、パレスチナ問題が解決しておらず、パレスチナ人の抑圧が継続し、パレスチナ問題の解決なしに地域の安定が実現しないことを改めて想起させることとなった。
 例えば、国際法違反の西岸での入植地建設は止まることなく、2001年にクリントン大統領が離任前に取り組んだ合意案(クリントンパラメーター)において、パレスチナ国家は西岸ガザの94~96%を維持することが検討されたが、今や西岸の入植地は格段に増え、70万人を越える入植者の存在は、イスラエルが二国家解決を実施することを事実上困難にしている。ガザ情勢を受け、「これまで、米やイスラエルのみならず、アラブ自身もパレスチナ問題の解決に十分に真剣に取り組んでこなかった」、「我々は、「パレスチナ問題は周縁化しておりイスラエルとの外交関係開設はパレスチナ問題を犠牲にするものではない」とのイスラエルのナラティブ(言いぶり)を受け入れ過ぎたかもしれない」と述懐するエジプト人有識者もいる。
 1993年にアラファト議長とラビン首相によるオスロ合意により開始された和平プロセスは、ユダヤ過激派によるラビンの暗殺(95年)により推進力を失い、後を継いだペレスやバラクの取組にも拘わらず、和平プロセスに反対するパレスチナ過激派のテロが起きるたびにイスラエル世論から和平への支持が失われてきた。これまで繰り返されてきたパレスチナとイスラエルとの憎悪の連鎖を断ち切る転機とするためには、パレスチナ国家実現に向けた展望が不可欠であり、アラブ連盟事務総長は、「何十年かけてもパレスチナ人の正当な民族自決権を実現する」と述べている。しかし、今回のハマスによる攻撃の犠牲者が千人を超えている衝撃は大きく、イスラエルの住民レベルで身の安全についての安心感が広がらない限り、パレスチナ国家の樹立を通じて占領地の返還と平和の実現をうたう二国家解決へのイスラエル国民の支持が広がることは考えにくい。
 二国家解決実現には国民の支持とともに指導者のリーダーシップも不可欠だが、ネタニヤフ首相は巧妙に二国家解決を避けてきた。パレスチナ側も、アラファト議長の死亡(2004年)後、ガザ地区ではオスロ合意の根幹であるイスラエルの生存権を認めないハマスが選挙でガザ地区の多数をとった翌年(2006)から実力で支配し、西岸を治めるパレスチナ自治政府とのライバル争いは、パレスチナがワンボイスで発信することを困難にし、立場を弱めている。
 オスロ合意に基づく和平プロセスについて、「その本質的な欠陥は、最終的な解決を、国(イスラエル)と国未満(パレスチナ)という「立場の異なる当事者」の「交渉」に委ねた点にある。パレスチナ自治政府は、イスラエルに対する自らのレバレッジは限られ、入植地の拡大を止められず、独立国家樹立に向けた見通しも立たない状況下で、交渉を前に進めるためにイスラエルが求める治安の確保に努めなければならず、パレスチナ自治政府はイスラエルの治安維持の下請け機関のようである」(マーク・ヘラー)との見方もある。このため、和平「プロセス」という用語は人気がない。
 二国家解決に向け、米には公平な仲介者としての役割が期待されていた。ガザ情勢の発生後も、「バイデン大統領はシオニストとしての心情と大統領としての職責を良くバランスさせ」、「ハマスと一般のパレスチナ人を区別しているように見える」(エジプト有識者)との期待を込めた見方にも接した。しかし、パレスチナ人が人道上の惨禍に見舞われるに伴い、「米はイスラエルべったりで、地域における米に対する共感を大いに損なっている」との声が大統領府からも聞こえるようになった。米大使も「残念ながら国民レベルで米は人気がないが、エジプトの役割は重要であり、エジプトと意思疎通に努めている」と述べている。興味深いことに、ガザの人道的惨禍がエジプトの若者を覚醒させたように、イスラエルを支持する米においても、特に若者の間でパレスチナへの共感が芽生え始めているようである。
 最近、イスラエル、ハマス双方から停戦・人質解放交渉の合意への期待を示唆する発言が聞かれる。「これまで4回、合意間近まで行った停戦交渉はイスラエル側の一方的行為によりいずれも実現しなかった」(エジプト外相)が、まだ論点は残っているものの、「数日中に合意の可能性がある」(シュタイエ前PA首相)。停戦が合意されればガザの再建が現実の課題になる。圧倒的な軍事力を展開するイスラエルは、2百万人のパレスチナ人が居住するガザの民生をいかに安定化し、西岸にどう向き合っていくのか。土地の支配を広げていくのか。仮にガザでのイスラエルの軍事的なプレゼンスが継続する場合、かつて米軍のイラク駐留に反対するスンニ派過激派の抵抗活動の中心地となったファッルージャの二の舞になりかねないと危惧するエジプト人もいる。
 エジプト政府は、ガザの不安定化を避けるため、国連組織と連携してガザへの人道支援の拡大に取り組むとともに、ハマスとファタハの合意のもとに双方の関係者が集まって、ガザにおける民生に関わる行政を担う非政治化した組織作りのための取組みを進めている。こうしたエジプトの取組みは、ガザにおける人道支援、復興支援の円滑な実施のみならず、二国家解決の存続に向け、ハマスがファタハ・PLOに歩み寄りPLOの政治綱領に賛同するよう働きかけているのではなかろうか。
いずれにせよ、イスラエルの出方が解決に向けた鍵を握っているという意味で、パレスチナ問題は、今や「イスラエル問題」と言っても良いかもしれない。
  
世界の多極化の中、中東地域で進行中の地殻変動の動き
 数年前までは、中東情勢について、イランを巡って「イラン対サウジ、イスラエル」という対立軸と、ムスリム同胞団に関して「トルコ対エジプト、サウジ、UAE」という二つの対立軸を中心に説明するのが常であった。しかし今や、イランとサウジは外交関係を正常化し両外相の相互訪問がビジネスライクに行われている。また、ムスリム同胞団等の政治イスラムに対する見方で対立していたトルコとエジプトも、両大統領の相互訪問を通じて関係が正常化している。中東では、対立より緊張緩和を選好する地殻変動とも言うべき変化が生じている。  
 背景には、爆発的に増加する若者層(エジプトの総人口は40年前に6千万人であったものが今や1億人を越えている)の過激化を防ぐために改革と経済開発を進めることがアラブ諸国共通の待ったなしの国家安全保障上の課題となり、国内の改革推進のために安定した地域環境が不可欠な事情である。エジプトでは、歴史上初めて軍や公的機関の経済における役割を縮減する画期的な、しかし困難な改革に取り組んでいる。
 加えて、湾岸戦争以後、地域諸国は安全保障において米国の後ろ盾を当てにしていたが、近年では、米国の内向き志向や政権交代に伴う政策の振幅、中東への米の関心の相対的な低下(アジア太平洋へのピボット政策)、更に、米国は中東のために戦ってくれないという中東諸国側の認識なども、地域諸国が地域の緊張緩和を柱とする新しい地域秩序を選好する背景にある。
 もっとも、こうした地域の緊張緩和に向けた動きは、従来の対立が解消されたことを意味しない。例えば、エジプトも、トルコとの間で、ムスリム同胞団を含む政治イスラム運動についての立場を一致させたわけでもない。しかし、トルコとの関係正常化は、ソマリアなどエジプトの後背地であるアフリカの角地域においてトルコと意思疎通できる大きな安心感をもたらしている。また、2006年のイスラエルとヒズボラとの戦闘でヒズボラが「勝利」したと報じられた際、私が会話していたサウジの諮問評議会議員が真っ先に示した反応は、「(シーア派の多い)サウジ東部州に呼応した動きはないか」という懸念だった。サウジはイランの核開発の進展にも神経を尖らせており、こうした対イラン警戒感が消失した訳ではない。
 世界の多極化が進行し、域外の大国が自国の意思を中東に押し付けることができないとの見立ては、開発のための資金や技術に飢えている中東各国が自国の国益追求のために機会主義的に動く余地を拡大させている。例えば、UAEやエジプトの本年からのBRICs参加もそうした動きの一環と考えることができる。もっとも、エジプトについては、世界最大の小麦の輸入国で供給の3~4割をロシアに依存しながら、「法の支配の原則」を重要視し、国連で累次のロシア非難決議に賛成していることを付言したい。
 第一次トランプ政権は、イスラエルを支持する政策を推進し、大使館をエルサレムに移転し、いわゆる「アブラハム合意」を通じてア首連やモロッコ等のアラブ数か国とイスラエルとの国交樹立を実現させ、また、イランに最大限の圧力を行使する政策を追求した。トランプ大統領は、オバマ大統領と異なり、アラブ諸国の政治改革には関心を寄せず、最初のバイの訪問先は、イスラエルとサウジアラビアだった。エジプトは、9.11を契機に、米の中東への関心が中東和平から対テロ、アラブ諸国の政治改革に移る中で、「米は重要だが居心地の悪い」(元外相)状況が続いていたが、シーシ政権(2014年~)はオバマのアンチテーゼとしてトランプ政権を歓迎し、対米関係も改善した。
 第二次トランプ政権を迎える中東地域では、第一次政権以来、以下のような変化が生じている。
 第一に、ハマス、ヒズボラ、イランに対する一連の軍事作戦により、イスラエルの圧倒的な軍事的な優位性が証明された。一方で、ガザ情勢を受けて、パレスチナ問題解決の必要性についての認識が、アラブのみならずグローバルサウスの間で広がっている。その際、ロシアのウクライナ侵攻により「法に基づく国際秩序」の必要性が論じられる中で、アラブ諸国は、パレスチナ問題への対応を「法の支配」の試金石として重要視し二重基準を批判している。また、法の支配の観点からICJやICCがイスラエルに対する手続きを進めている。
 第二に、イランの影響力や核開発を抑制する政策はアラブの琴線に触れる。「抵抗の枢軸」が総崩れとなり、地域におけるイランの影響力が押し込まれているのは事実。一方で、トランプ政権のイランへのアプローチが、イスラエルと連動し仮にイランに対する実力行使のレベルにまで達するような場合には、地域の緊張緩和を追求する方向に舵を切りつつあるアラブ諸国の対応は慎重なものになるであろう。
 第三に、アラブ諸国も自国の国益追求を優先する姿勢を明確化している点は、トランプ大統領の「MAGA」と波長が合う。一方、アラブ諸国の強い開発意欲に対し、中国が資金・技術面で巧みに応じ影響力を強めており(在エジプトの企業数は、日本(80)、独(1300)、中国(2000))、米国以外の選択肢を得て、アラブ諸国が米国との関係も自国の国益追求の観点から検討する余地を生んでいる。トランプ大統領のアブラハム合意の締めくくりとして、サウジとイスラエルとの外交関係開設に向けての米との交渉の進捗が注目される。サウジのMbS皇太子はパレスチナ問題解決のために東エルサレムを首都とするパレスチナ国家独立の必要性に言及したと言われており、「米との交渉の中で、サウジがパレスチナ国家独立についてど

格段に強化された日・エジプト関係
 中東情勢の先行きが不透明な中、イスラエルとの平和条約を堅持し、ガザや混乱が続くリビア・スーダンと国境を接するエジプトの安定の重要性は、世界貿易の1割以上がスエズ運河を経由することを考えても、誇張し過ぎることはない。日本にとって、エジプトは中東外交の重要なパートナーであり、レバレッジ強化のための特効薬はないものの、エジプトのプライオリティが開発にあることを踏まえ、パートナーとして可能な限り資金・技術やキャッチアップの経験を共有することを通じて、信頼を勝ち得ていくことが重要。
 大統領府関係者は、「日エジプト関係はこの3年間で格段に強化された」と述べた。具体的には、2023年4月の岸田総理のエジプト訪問の際に、シーシ大統領との間で長年の友好関係を「戦略的パートナーシップ」に格上げすることに合意した。また、首脳会談において、シーシ大統領は自ら「フォイプ」と発言し「エジプトはFOIPに関し日本にとって頼れるパートナーでいたい」と述べて、「FOIP」の下での具体的協力を進める強い意欲を示した。更に、中東外交を地域のパートナー(エジプト、ヨルダン)と連携して面で展開すべく、日本のイニシアチブで、日・エジプト・ヨルダンの三者外相協議のプロセスを立ち上げ、既に2023年と2024年、2回にわたり実質的な協議が行われている。

(写真)日エジプト首脳会談(2023年4月)
(在エジプト日本大使館提供)
(写真)日・エジプト・ヨルダン外相会合(2023年9月)
(在エジプト日本大使館提供)

 また、日本とアラブ連盟との関係も同様に格段に強化された。岸田総理はエジプト訪問時に日本の総理として初めてアラブ連盟本部を訪問し、直後のアラブ連盟本部での第4回日・アラブ政治対話(日本(林外相(当時))とアラブ連盟諸国との外相会合)の共同声明(2023年9月)には、「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序と海上・航行安全の重要性」について日本の提案が一字一句変わることなく盛り込まれた。2024年7月の日本での第6回日・アラブ経済フォーラムに合わせて訪日したアブルゲイド・アラブ連盟事務総長は、上川外相(当時)との間で、あらゆる面で日本とアラブ連盟との協力を強化することで一致した。国際世論形成においてアラブ連盟との意思疎通は意義が大きい。
 シーシ大統領の日本への強い信頼の背景には、日本が進める対エジプト開発協力の成果に対する大統領の高い評価がある。首脳会談に続く共同記者会見で、シーシ大統領は、日本との誇るべき協力の成功例として、「エジプト日本科学技術大学(EJUST)」、「エジプト日本学校(EJS)」、及び「エジプト大博物館(GEM)」の3プロジェクトをあげた。
 前二者は、大統領訪日(2016年)の際に大統領が日本の教育に感銘を受けて開始された「エジプト日本教育パートナーシップ」の成果であり、エジプトの強いオーナーシップが特徴的。日本式の工学教育導入のために10年前に設立されたEJUSTは、2023、24年のタイムズ紙大学世界ランキングで2年連続でエジプト第一の大学(世界で5~600位)と評価され、日本の大学と比較しても、広島大学(6~800位)、慶応大学(6~800位)、早稲田大学(800位~)より上位にランクされる。特筆すべきは、EJUSTをアフリカ全体の知の拠点とすべく、日本とエジプトが協力してTICAD奨学金をアフリカの優秀な学生600名に提供していることである。また、エジプトは、自発性や協調性等の非認知能力を涵養するために、日本式の教育(特別活動「特活」)をエジプトの公立小中学校(計17,000校)のカリキュラムに取り入れた。恐らくこうした例は世界で他にない。このカリキュラムに従い、既に13,000人のエジプト人学生が日本式教育実施のために新設された50のEJS校に通学し、4年後には、全公立学校の1割に当たる1,700校で日本式教育(特活)が教授される予定。シーシ大統領は、「教育は国作りの根幹であり、普通は他国に任せないが日本は特別である」と、日本への強い信頼を述べている。
 「エジプト大博物館(GEM)」は、エジプトが誇るツタンカーメン王の遺物を中心に単一の文明を対象とした博物館としては世界最大で、要請を受けて日本のみが資金・技術協力を行っている。王の下着や木製の玉座など、日本の遺物修復技術が遺憾なく発揮されており、予定の倍の時間をかけて視察した岸田総理は、「遺物の展示は素晴らしく、一つ一つに英語・アラビア語そして日本語で同じ解説が付されており大いに感動した」と感想を述べられた。GEMでは吉村作治博士が発見した世界最古の木造船の復原修復作業も行われる予定であり、「GEMは日本のソフトパワーを実感させる賢い協力」(元エジプト外相)である。
 大統領が空手の黒帯を締め、外相が若い頃に在京大使館経験者として、両者ともに日本に強い親近感を有する親日国エジプトは、日本が中東・アフリカ外交を展開する上でかけがえのないパートナーであり、日本がエジプトと連携しながら、中東アフリカ外交を展開していくことを期待している。 (了)