ウィップス・パラオ大統領の日本に対する大きな期待
駐パラオ大使 折笠弘維
日本とパラオの「トクベツ」な関係
2025年1月16日、スランゲル・ウィップス・ジュニア・パラオ大統領の就任式がパラオの首都マルキョクにある国会議事堂の中庭に設けられた式典会場で開催された。先にオイロー副大統領が、続いて「ウィ」大統領が第11代大統領として、それぞれ宣誓し二期目の「ウィ」大統領政権が始動した。日本は、パラオ重視が不変であることの現れとして、岩屋毅外務大臣が就任式に出席した。未だ日本の総理大臣のパラオ訪問は実現していないものの、「ウィ」大統領は、一期目の4年間で5回訪日し、岸田前総理とは6回(うち1回は国外)の首脳会談を実施、日本の外務大臣のパラオ訪問も2019年の河野太郎大臣、2022年の林芳正大臣と今回が3回目であり、最近の両国間の要人往来は極めて活発である。

しかし、この日本とパラオの「トクベツ」(パラオ語)な関係を知る日本人は、太平洋戦争の中でも激戦の地として有名なペリリュー島、及びアンガウル島での戦闘等で亡くなったパラオ戦没者16,200人の関係者を除けば、決して多くはない。日本とパラオは、九州・パラオ海嶺を介した地理的近接性に加え、1821年の神社丸のパラオ漂着から日本の委任統治時代を含め200年以上の長い歴史がある。それに委任統治時代は、住民の約四分の三、多い時には2万5千人の日本人が居住していたこともあり、今でも国民の約25%のパラオ人が日系である。パラオ語になった日本語は約1,200語にも上る。日々の会話では、日本語からの借用語である「ヤキュウ」、「センキョ」、「ベントー」、「デンワ」等が飛び交い、地名もシミズ(清水村)、モッコ-(木工徒弟養成所)、スコージョー(飛行場)等があり、国務大臣はアイタロー、下院議員はウメタロー、大統領府官房長官はコタロー(女性)と日本名を持つパラオ人は多い。お正月には「オシルコ」を食し、「サシミ」、「スシ」、「ショウユ」等の日本食が一般化した、世界でも希に見る親日国である。
危機に晒される戦略的要衝パラオ
この日本と「トクベツ」な関係にあるパラオが、危機に晒されている。パラオは、委任統治時代から「海の生命線である南洋群島」と言われた南洋群島、現在の太平洋島嶼国の戦略的要衝であり、南洋庁の本庁があった場所である。その地政学的な重要性は、戦前も今も変わらず、このパラオが台湾承認国との事情も相俟って「一帯一路構想」の中国と「自由で開かれたインド太平洋構想」の日本、米国、台湾、豪州等の自由主義ブロックの「陣取り合戦」の最前線と化している。2019年にキリバス、ソロモン 、そして2024年にナウルが台湾との外交関係を断絶し、中国との外交関係を樹立したのは記憶に新しい。中国はパラオの国内総生産(GDP)の約4割を占める観光業における中国人客の大きな存在感を利用し、2015年には約10万人の観光客を送り込み、一方で2017年にパラオへの団体旅行を禁じて揺さぶりをかけるなど、経済的圧力を通じて台湾との断交を求めてきている。この中国のアプローチに対して、「ウィ」大統領は、「中国側から台湾と断交して国交を結ぶよう複数回にわたり持ちかけられた。国内の約2,200室あるホテルを満室にする、空港も港も建設する、投資も増大する、中国と一緒なら何でも出来るが台湾だとそうはいかないとも言われたが、主権の問題だとして台湾との断交は拒否している。」と述べている。
「ウィ」大統領は、大の中国嫌い。中国当局による「観光客の武器化」、「中国人の流入による汚職、マネーロンダリング、密輸、麻薬、不法滞在・不法就労等の犯罪増加」、「賃借権を駆使しての土地の占有」、「EEZ内での中国調査船や中国漁船による違法行為」、「サイバー攻撃」、「パラオ国内メディアを利用しての情報操作」等に対して、個々の事例を上げて内外で舌鋒鋭く中国を批判してきている。他の太平洋島嶼国のリーダーが、米中を含む外部勢力争いに巻き込まれたくないと考え、「friends to all and enemies to none」との外交方針を掲げ、経済援助額の増大を外交的な勝利と捉えた対外関係を選択し、「気前の良い新たなドナー」中国に対して穏当な発言に終始しているのとは対照的である。「ウィ」大統領は、「どの家庭でも、自分の子供に対して社会にはいろいろな人が居る、誰とでも友達になることは理想だが、良い友達を選びなさいと教えるはずだ。現下の混沌とする国際社会、そして力による現状変更を試みる中国がその圧力を強める太平洋島嶼国地域において、国家としてのアイデンティを失う可能性がある中国の支援は求めない。特に、パラオは、国内に約1万2千人しかパラオ人が居住していない小国である。中国当局に「経済の扉」を開き、投資目的等の名目で中国人が1千人移住してきたら、中国に乗っ取られてしまう。私は、民主主義、自由、基本的人権という共通の価値観を共有する日本、米国、台湾等を友人と考えている。」と主張する姿は、清々しささえ感じさせる。
石破総理との首脳会談
「ウィ」大統領は、昨年11月の大統領選以前からパラオの安全保障の根幹である経済安全保障を確保するために、大統領就任式終了直後に訪日し、石破総理に挨拶したいとの要望を日本側に伝えてきていた。この要望に対して、官邸、及び外務本省のご支援を得て、国会開会中、そして総理の米国訪問直後という多忙な時期であるにもかかわらず、2025年2月10日から13日の4日間の訪日が実現した。12日の首脳会談は、和やかな雰囲気の下、FOIP、ALPS処理水問題、日本人戦没者の遺骨収集等についての更なる協力を確認するものとなった。また、パラオは2026年のPIF議長国、そして2027年PALM11の共同議長国であり、両首脳は、日パラオ二国間関係強化のみならず、太平洋地域の平和と安定の維持にために協力していくことを確認した有意義な会談となった。
今回の訪日の背景には、自らが導入を進めた多選禁止によってで、3期選連続しては立候補できないため自らが立候補できない2028年の大統領選挙後を見据える「ウィ」大統領の深慮遠謀望遠深慮がある。「ウィ」大統領が中国嫌いであることは前述したが、中国による「エリート層取り込み工作」に籠絡された中国と関係の深い伝統的リーダー、有力政治家、経済界のリーダー、メディア関係者が国内に一定数存在することも確かであり、中国は虎視眈々と次の機会を伺っている。「ウィ」大統領は、そのため二期目終了後の2029年には、中国と関係の深い人物で構成される政府ができることを前提に、それまでにパラオは日、米、台湾等の連携が強固であり、中国がパラオにおける影響力拡大は困難であると諦めるほどの具体的な防衛策を確立しておく必要があると考えている。
パラオは、1994年の独立に際して、米国と50年間有効の「自由連合盟約( Compact of Free Association:COFA)」を締結し、安全保障に関しては米国が統轄することを認める代わりに、財政支援を受けている。そのため「ウィ」大統領は、中国の海洋進出による安全保障への脅威に対し、米国によるマラカル港の軍港化、ペリリュー島とアンガウル島の滑走路、及び防衛レーダー等の整備実施による米軍のプレゼンス拡大を求め、対抗することを考えている。同時に、日本に対しては、既存の強固な信頼のもと、安全保障の根幹である経済安全保障のパートナーとなって欲しいと要望している。可能であれば、既にパラオ国会に於いてその準備委員会設立決議が承認済みの経済安全保障に係るコンパクト版とも言える、「日・パラオ特別経済協定」(仮称)を締結し、気候変動、インフラ整備、農業・漁業振興、医療・公衆衛生、教育・文化、観光、司法、人道援助、スポーツ等の分野で、引き続き協力し、実りある成果を上げ、相互繁栄と互恵のパートナーシップの深化させることを期待している。その要求レベルは非常に高いが、その布石としての第一歩が今回の石破総理との首脳会談であった。
2015年の天皇皇后両陛下のパラオ御訪問10周年と戦後80周年
日本とパラオの二国間関係を語る時、パラオ人は、必ず2015年4月に天皇皇后両陛下(当時)がパラオを御訪問されたことを感慨深く語ってくれる。太平洋戦争の激戦の地であったペリリュー州は、両陛下が御訪問された4月9日を州の祝日として、毎年、世界の平和と安定、日パラオ二国間関係の強化、更には、両陛下の「ぺ」州再訪を願い、毎年、「ウィ」大統領を含む政府関係者、伝統的リーダー、日系人を含む州民等が集って式典を開催している。現状では、両陛下の10周年の再訪は難しいとは思われるが、その求道心溢れる姿を目の当たりにすると、何とか期待に応えたいと思うのは、筆者だけではないだろう。また、御訪問時に両陛下が献花された「ぺ」州にある「西太平洋戦没者の碑」の地から、遠くの海上に向かい一礼されたアンガウル島の州憲法第12条には、「日本語が公用語」と定められていることを付記しておきたい。現在パラオ人の日本語話者は、アンガウル州に限らず高齢化により極めて少ない。米国との自由連合盟約の下、パラオ人は、米国での就学、労働に査証が不要であり、奨学金制度も極めて充実していることも相俟って、若者は米国指向が強い。そのため日本語学習、及び日本留学を志す者は多くはないが、日本語からの借用語が多いパラオにおいては、少なくとも日本語学習については比較優位がある。日本とパラオの絆の維持としての日本語教育の振興を含む日系人を核としたパラオ国民との連携は、当館の重要な業務であると考えている。
外交の現場に長年携わっていると、遺骨収集、慰霊、史跡保存、場合によっては歴史問題の場面に立ち会うことがある。遺骨収集、慰霊、及び史跡保存にパラオほど協力的な国、及び国民を筆者は知らない。ペリリュー島も含め、パラオには、数多くの戦争当時の戦車、大砲、司令部、洞窟などの戦跡、そして戦後建立された数多くの慰霊碑が、観光資源としてのみならず、戦争の悲惨さ、平和の大切さを次の世代に伝えるために、大切に残されている。今年は、戦後80周年であるが、パラオにおいては遺骨収集活動、地雷及び海中の不発弾処理、慰霊訪問、及び史跡保存活動が、現在進行中である。また、慰霊訪問に当地を訪れる戦没者の御子息、御令嬢はもう80歳を超える方々だが、ペリリュー島の地雷の埋まるジャングルに向かい「お父さん」と絶叫する姿、日本帰国直前に「ふるさとの歌」を歌い、あるいは般若心経等を唱え、最後に「お父さん、明日一緒に日本に帰りましょう。」という姿には、何度立ち会っても、涙が自然と溢れてきてしまう。きっと戦没者の誰もが、家族や恋人や友人とまだまだ多くの時間を過ごしたかったであろうと思うたびに、記憶の風化を防ぎ、地道に戦争の悲惨さを伝え続け、平和への誓いを新たにすることが、当地に在勤する大使館職員の役割であると考えている。先日当地を訪れた慰霊団のお一人が、「最近の子供たちは8月15日が何の日か知らないのですよ。」と寂しそうに語っていたのが忘れられない。
大きな期待を大きな失望に変えない日々の外交努力の大切さ
パラオは、国際場裡において、日本の安保理常任理事国入り、捕鯨問題を含め各種の決議・選挙において一貫して日本を支持してきている。また、ALPS処理水問題については、日本が参加できない太平洋島嶼国同士の各種会議等において、同問題に対する批判的文言、決議等に身を挺して反対を貫いてきている。更に、「ウィ」大統領は、ALPS処理水問題への日本支持をより確固たるものにするために外国元首としては、はじめて2023年6月に福島第一原発を訪問し、福島県沖で水揚げされた魚の刺身を美味しそうに漁業関係者と共に食した。パラオは、我が国にとって、大使館を置く国としては、最小の国の一つである。そして、パラオは、常時国際社会において中心的な役割を担う国ではないが、太平洋を挟んで僅か東京から3千2百kmのところに、日本への強烈な思いを持つ国、及び国民がいることを知っておいて頂きたい。日本に対する大きな期待があるが故に、その期待に応えられない場合には、その失望も大きいことを肝に命じつつ、当館館員一同が日々の外交活動に従事している。

(了)