アフリカ開発会議と西サハラ問題
元駐モロッコ大使 花谷卓治
TICAD会合へのポリサリオ戦線の参加を巡る混乱
8月24-25日、都内で開かれたアフリカ開発会議(TICAD)閣僚会合にポリサリオ戦線の代表が入り込み、「サハラ・アラブ民主共和国」(Sahrawi Arab Democratic Republic:SADR)の席札を立て、これを取り払おうとしたモロッコ代表団員がアルジェリア代表団員に押し倒されるという騒ぎが起きた。このような会議場の混乱は今回が初めてではない。2017年8月、モザンビークのマプトで開催された、TICADVI(ナイロビ)のフォローアップ会合で、モザンビークが勝手に招待したポリサリオ戦線代表が会議場に入ろうとした際、これをモロッコ代表が阻止しようとして混乱が生じた。
我が国はSADRを国家承認しておらず、会議にも招待していないのに、なぜ彼らがTICAD会合に参加しようとしてモロッコと衝突を繰り返すのか。我が国は会議主催者としてなぜポリサリオ戦線の行動を取り締まらないのか。不思議に思う人も少なくないだろう。これは、我が国が2018年にそれまでの方針を変更し、ポリサリオ戦線のTICAD会合参加を容認することにしたからである。
この問題は我が国とモロッコの良好な二国間関係に悪影響をもたらしており、小生はそのことを憂慮しているが、それだけでなく、TICAD全体の健全な発展のためにも、さらには我が国外交全体の観点からも、現在のままで良いのか再検討してみる必要があると思うので、以下の点をまとめてみた。
西サハラ問題の現状
西サハラ地域(モロッコの南側約26.6万平方キロの広さ)はその領有権を巡ってモロッコとポリサリオ戦線が争っている。この地域を植民地支配していたスペインは1975年11月のマドリード協定で北半分をモロッコに、南半分をモーリタニアに引継ぐことで合意し、翌年2月に完全撤退した。その後、アルジェリアの支援を得たポリサリオ戦線が「サハラ・アラブ民主共和国」(SADR)の独立を宣言して、モロッコ、モーリタニアとポリサリオ戦線との間で武力衝突が起きた。国連仲介の下、西サハラ地域の帰属は住民投票で決めることとされ、国連西サハラ住民投票監視団ミッションも設立・派遣されたが(1991年の安保理決議第690号)、有権者の範囲について当事者間の合意が得られず、住民投票も実施されないまま今日に至る。
現在西サハラ地域の大部分を実効的に支配しているモロッコは積極的に同地域の開発を進める一方、国連の場ではモロッコの主権下で自治権を付与する旨の提案を行った(2007年)。特に2017年アフリカ連合(AU)加盟以降、モロッコは積極的に外交活動を展開し、自国の立場への支持国を増やしている。国連安保理決議はこのモロッコの自治提案を「真摯かつ信頼にたる」努力として歓迎し、上川外務大臣も本年5月に訪日したモロッコのブリタ外相に西サハラ問題解決に向けたモロッコの提案を歓迎する旨伝えた。
多くの国はこの問題に中立的立場をとっているが、その他の国はモロッコ支持派とポリサリオ戦線支持派に分かれている。SADRはAU加盟「国」であるが、そのAU内部も分裂しており、モロッコ支持派の方が多い。我が国外務省調べでは、AU54か国のうち、西サハラへのモロッコの主権を認めている国は23か国、SADRを国家承認している国は18か国である。
モロッコ政府によれば、現在世界全体で40か国、AU加盟国の24か国が西サハラに対するモロッコの主権を認め、同地域に領事館を開設したり開設の意図表明を行っている。この中には米国やイスラエルも含まれる。また、フランスのマクロン大統領も、本年7月30日に即位25周年を迎えたモロッコ国王モハメド6世に宛てた書簡で、「西サハラの現在と未来はモロッコの主権の枠内にある」と述べ、西サハラ問題でモロッコ支持の立場を表明した。
TICADとOAU/AUの関係及び政策変更
1993年のTICAD創設当時、南アフリカはアパルトヘイト問題のためアフリカ統一機構(OAU)から除外されており、モロッコはSADRのOAU加盟に抗議してOAUを脱退していた。南アフリカとモロッコのTICAD参加を確保しつつ、OAUやAUに加盟しているSADRの参加を排除するために、TICADはOAUやAUの枠組みとは離れて、アフリカ各国との対話の場を提供してきた。我が国は国連、国連開発計画(UNDP)、世界銀行を共催者としてTICADプロセスを運営してきたが、OAUやAUの機関を共催者に加えなかったことには合理的理由があったのである。
アフリカのオーナーシップを尊重すると言う名目で2010年にAU委員会(AUC)がTICAD共催者に加わると、共催者会議の場で発言力を増すようになった。ただし、AUCが共催者になっても、すぐにポリサリオ戦線のTICAD参加問題が起きた訳ではない。実際、2013年のTICADV(横浜)とその前後の関係会合も平穏に開催された。我が国はAUCを共催者に迎えるに当たって、西サハラ問題を巡る対立から無用の混乱が生じぬよう、TICADの参加フォーマットにつきAUCの了解を取り付けていたに違いない。
しかし、南アフリカのドラミニ・ズマがAUC委員長(2012~2017)となってから変化が生じる。2015年6月のAU執行理事会決定でAUのパートナーシップ会合にはすべてのAU加盟国が参加する資格があることを確認し、この決定を根拠にしてポリサリオ戦線のTICAD参加を要求するようになったのである。(この時期は、モロッコがAU加盟を目指して根回し活動を行っていた時期と重なるので、AU内のポリサリオ戦線支持派はAUのルール変更を含めモロッコ対策を講じていた可能性がある。)その結果、2016年のTICADVI(ナイロビ)や2017年のマプト会合では、会議ホスト国が我が国の了承を得ず勝手にポリサリオ戦線をTICAD会合に招待するという事態が生じた。これはアルジェリアや南アフリカ等のポリサリオ戦線支持勢力が、自分たちの立場を強化するためにTICADの場を政治的に利用し始めたからだと思われる。
我が国は、AUCの要求を受け入れないとAU全体の反発を招き、TICAD会合への参加国が激減するかも知れない等の懸念から、TICAD成功のためにポリサリオ戦線が何らかの形でTICAD会合に参加できるよう「柔軟な対応」をとることにした。
すなわち、ポリサリオ戦線の会議参加を容認しても、それがSADRの国家承認と見なされなければよいのであるから、会議場では「我が国が承認していない『国』を名乗る団体が着席している場合であっても、その事実は我が国の国家承認をめぐる立場に一切影響しない」とのディスクレイマーを発して我が国の立場を明確にする。SADRの旅券での入国は認められないが、ポリサリオ戦線がアルジェリア等第三国の旅券で入国し、会議に参加することは黙認する。SADRの旗・席札や代表団席は用意しないが、彼らが自作の席札を作成し、立てる場合、これを強制的に排除することはしない、などである。
しかし、モロッコはこの「柔軟な対応」の詳細内容を承知していないので、ポリサリオ戦線が「自国の席札」を立てているのに、会議主催国の日本が何もせず放置している理由が理解できず、日本の対応に困惑し、不満を抱いているものと思われる。
今後の検討課題
この問題についてAU加盟国の間でコンセンサスに基づく統一的な立場はない。だから、ポリサリオ戦線のTICAD参加は必要かと聞いても、AU加盟国ごとに意見は異なり、AUとしての統一見解は出て来ない。モロッコ政府によれば、AU加盟国54か国のうち24か国が既に西サハラ地域に領事館を開設または開設の意図表明をしており、さらに11か国はSADRを国家承認していない。このような状況で、西サハラ問題及びポリサリオ戦線のTICAD参加問題につきAUの統一見解など出せる筈がないのである。AUとしての統一見解を出せないなら、ポリサリオ戦線の会議参加を求めるAUCの要求に正当性はなく、我が国が妥協して「柔軟な対応」をする必要があるのか、再検討の余地があるように思われる。
米国、EU、中国、ロシア、インド、アラブ連盟、南米諸国など多くの国、地域がアフリカとのパートナーシップ会合を開催しているが、招待していない団体(ポリサリオ戦線)の会議参加を巡って会議が混乱した例は聞かない(ただし、EU・AU会合は機関同士の会合なのでポリサリオ戦線も招待され出席している)。AUCは中国やロシアに対してもポリサリオ戦線の会議参加を要求しているのかも知れないが、右は実現しておらず、その結果、AU側が会議をボイコットしたかというとそのような事態は生じていない。TICADについても、ポリサリオ戦線の参加を容認しないと本当に会議が「失敗」することになるのか、改めて検討してみる価値があるように思われる。 (了)
【参考】アフリカ開発会議(TICAD)
TICADとはTokyo International Conference on African Development(アフリカ開発会議)の略であり、アフリカ開発をテーマとする国際会議である。1993年の第1回会議以降、2013年の第5回会議までは5年に1回開催され、2016年に初めてアフリカ(ケニア・ナイロビ)で行われた第6回会議からは、3年に1度の開催となった。我が国政府に加え、国連、国連開発計画(UNDP)、世界銀行及びアフリカ連合委員会(AUC)がTICADの共催者となっている。
1993年10月TICADI(東京)
1998年10月TICADII(東京)
2003年9月TICADIII(東京)
2008年5月TICADIV(横浜)
2013年6月TICADV(横浜)
2016年8月TICADVI(ナイロビ)
2019年8月TICAD7(横浜)
2022年8月TICAD8(チュニス)
2025年8月TICAD9(横浜)