【霞関会編集長インタビュー】日中関係の低迷打破のため「戦略的互恵」のアクションを取れ
前駐中国大使 垂秀夫
(聞き手・川村泰久)
―日中関係の現状評価をうかがいます。
(垂前大使)日中関係は低迷しているというべき状況ではないでしょうか。コロナ期より首脳級の要人往来は一切できていませんし、外相間でもコロナ禍の時期に王毅外相が来日し、昨年春林外務大臣(当時)が北京を訪問しただけです。それ以外の閣僚級の訪問は一切ありません。ただ劉建超中連部長(中国共産党中央対外連絡部長)が本年5月末に来日したことは良かったと思っています。諸外国と中国との関係と比べてみても日中関係は相当冷えていると言わざるを得ない現状です。
―現在の日中関係において改めて「戦略的互恵関係」を強調する意義をどうお考えですか。
(垂前大使)「戦略的互恵関係」というのは2006年の第一次安倍政権の時に日本側から打ち出した構想です。私はその構想作りに関わりましたが、「戦略的互恵関係」というのは一種の「ネーミング」です。中国は相手国との関係を考える際、最初に必ず大きな枠組みの中で状況判断をします。大局観なくして中国が個別の議論をするのは対米関係くらいです。それゆえ日本として対中関係を進めたいと考えるのであれば、まずは大きなフレームワークを作らざるを得ません。残念ながら日本の対中外交はこのようなマクロの視点が弱く、個別の問題が二国間関係の殆どを占めています。最近でいえば、邦人拘束、尖閣諸島周辺の状況や福島第一原発ALPS処理水問題などです。中国という国を相手にしてこれらの問題や状況に対応するためにはまずは大きな枠組みを構築する必要があります。
中国側は総理就任前から安倍総理に対し、小泉(前)総理よりも警戒していました。著書の「美しい日本」を読めばいたしかたなかったかもしれません。安倍総理は、最初の訪問国として中国を選ぶというサプライズを打ち出されましたが、そのためには、まず中国を日本に振り向かせる必要がありました。その際、中国を日本に振り向かせる「魔法の言葉」が「戦略的互恵関係」であって、最終的には、当時の谷内外務次官が当時の安倍官房長官に相談され決まったものです。
―では「戦略的互恵」の枠組みの下で日中が協働する具体的な分野が想定されていますか。
(垂前大使)誤解を恐れず申し上げれば、大きなフレームワークを作り、中国に日本を振り向かせ、そして日本も中国を振り向くということが大事だったのです。ところが、近年、中国は米国が主導している現下の国際秩序は公平でもなく合理的でもないとして、これを変更する必要があるとしています。日本の周辺では、東シナ海、南シナ海そして台湾海峡を含めて現状変更を試みているわけです。これは、日本からすれば現下の国際秩序に対し戦略的にチャレンジしているとしか言いようのない状況です。それゆえ日本は安保三文書において、中国の「これまでにない最大の戦略的な挑戦」を認定したのです。ただし、中国側からすれば、これはこれまでの「戦略的互恵関係」という枠組みが壊れたという意味に映ることにもなるのです。そのような中、昨年夏に私が一時帰国した際、岸田総理は日中首脳会談を開く必要があるということでご指示をいただき、秋葉国家安全保障局長の出席も得ながら、中国側と交渉し「戦略的互恵関係」の再確認という方向に持っていったのです。日本側としては中国側の戦略的挑戦を認定しつつも、だからといって一度壊れた「戦略的互恵関係」という「枠組み」を再確認することとは矛盾しないということで、昨年11月サンフランシスコで開かれた習近平国家主席との日中首脳会談開催につなげたのです。
日中首脳会談で「戦略的互恵関係」を再確認することはできました。しかし、その後双方でフォローアップが取られていないことに問題があると思っています。勿論日中関係低迷の大半の理由が中国側にあり中国はその責を負うべきと思います。他方で日本側としても考えないといけないことが沢山あります。戦略的互恵関係を再確認すると言った以上、もっと具体的なアクションが東京から出てくるべきであったと思います。例えば閣僚クラスでの交流の拡大や次官・局長級の接触といったことです。ところがこれまでのところ動きが見られない。こうなってくると「戦略的互恵関係」という題目を何百回、何千回唱えても何の意味もありません。「戦略的互恵関係」の再確認が首脳会談を開くためだけの「再確認」になってしまっているわけです。私は非常にもったいないと思います。
今年3月7日に全人代が開かれて王毅・外交部長が記者会見を開きました。過去20年間、外交部長の記者会見では必ず日本が取り上げられてきました。厳しい内容を伝えることもありますが、日中友好のメッセージを出してくることもありました。しかし、この全人代後の記者会見で外交部長は初めて日本関連の質問を一切取り上げなかったのです。会見に先立ち記者は外交部に質問を出すのが慣行で外交部は事前に誰を当てればどのような質問が出るかわかっていたわけですが、中国側は敢えて日本関連質問をさせなかったのだと思います。これは何を意味しているかというと中国にとっての日本の重要性が大きく落ちているということなのです。言い換えると中国としては、米中関係さえ整えていけば日本はついて来ると思っているのです。これは相当深刻な状況だと思います。
―では「戦略的互恵関係」の再確認に対して、中国側としても具体的に前向きな反応なり、新しい動きを示すということなくこのような「日本パッシング」の状況に至っているということですか?
(垂前大使)昨年11月のサンフランシスコでの日中首脳会談においては、「戦略的互恵関係」の再確認と共に福島第一発電所のALPS処理水の問題の取り扱いについても大きな方向性が決まりました。ALPS処理水の問題が解決すれば中国による日本の水産物禁輸の解除が期待できるのです。にもかかわらず、残念ながら未だ事務方でまとめることができていません。日中双方にそれぞれ言い分があるのでしょう。交渉ですから、中国側のみならず日本側も歩みよらないといけないのですが、それができていないのです。日中首脳会談を開いたにもかかわらず、「戦略的互恵関係」という言葉だけが躍って人が踊らないという結果になってしまっています。
確かに戦略的な挑戦を仕掛けてきている中国側により大きな責任があることは事実です。しかし日中関係を改善したいと考えるデマンデュールはどちらかと言えば、それは残念ながら日本なのです。日本側がもっと知恵を出さないといけないと思います。中国は長い間対米関係にエネルギーを注いできて、トランプ前大統領が再当選すればどうなるかわかりませんが、少なくともバイデン大統領との間では対米関係をある程度安定されば日本はついてくると思っているわけです。中国として日本を引っ張ろうという気は今は感じ取りにくい。正直なところ日本に機会があるのは投資だけです。ただ中国側が熱心に投資誘致を日本に求めて来ても、反スパイ法が改悪されたり技術を搾取される問題があるので中国の投資環境が非常に悪くなっていることは事実で、そのため日本側に対中投資意欲が湧かない状況になっています。もし中国の政策がそうであれば日本としては経済関係は数年間おいておき、しっかり対峙するというのであればそれはそれで一つの考え方と思います。しかし一方では日中首脳会談をやりたい、日中関係を進めたいという考えがあるのであれば、知恵を出す必要があると思います。
―確認ですが、「戦略的互恵関係」というマントラは習近平国家主席もコミットしているということですね。
(垂前大使)そのとおりです。そのために昨年サンフランシスコでの首脳会談を開いたのですから。中国の外交は全て国家主席の意向を反映するのが原則です。
―伝えられる中国の経済状況が悪いにもかかわらず習近平国家主席がそれほど経済回復を最優先していないように見えるのは、習主席が中国経済の現状を楽観視しているということなのか、それとも本人に正確な情報が上がっていないのか、あるいは西側の中国経済についてのアセスメントが正確でないからなのか、いずれであると考えますか?
(垂前大使)中国経済の状況は極めて悪いです。中国の不動産不況が起きていますが、中国の不動産の裾野は広く中国経済の3分の1は不動産に関連しているので経済活動全般に悪影響が及んでいます。このような経済状況が悪いという事実を知って日本も含めて西側も習近平国家主席は国内運営がさぞかし大変であろう、政治的に追い込まれていることだろうと考えがちです。しかし事実は逆なのです。鄧小平最高指導者の時代であれば経済発展が最も重要なことであったわけで、その時の基準で見れば現在の中国の状況は「大変だ」ということになります。しかし、習近平国家主席にとっては経済発展も大事ですが、「国家の安全」をより重視しているのです。これは、第二十期三中全会でも明確に示されました。
実は胡錦濤国家主席の時代は毎日数百件の暴動が起きていたのですが、今の中国社会で暴動など一件も起きていません。科学技術(監視カメラや盗聴)を駆使し、公安警察と情報機関の非常に強い権力で国民の不満を抑え込んでいるため暴動が起きていないのです。したがって「国家の安全」が一番大事と思っている習近平国家主席からすれば「中国は上手くやっている」と思っているわけで、この点日本や西側のチャイナウィッチャー、また多くの中国人ですら判断を誤っているのです。鄧小平氏の時代に見た中国の視点で習近平国家主席を語ろうとすると完全に間違ってしまうのです。
中国のプライオリティが経済から国家の安全に変わったのです。「国家の安全」とは中国の場合は「総体的安全保障観」と言われていてその範囲が非常に広くとらえられています。国防、反スパイ法だけでなく、食料、エネルギーの安定供給も含まれます。「生態環境の安全」をも含むので福島第一のALPS処理水の問題もここに入ってきます。なぜ中国があそこまで「水」の問題に拘るのか首をひねるのですが、それは「国家の安全」に関わる国家主席案件であるからです。
習近平氏は2012年に党総書記になり2013年に中央国家安全委員会を作りました。これを見て一部の西側の人達は中国もNSC(国家安全保障委員会)を作ったと考えたのですが、それは西側のNSCとは似て非なるものであったのです。中央国家安全委員会は国家の安全を司る最も重要な意思決定機関であり、2014年に「総体的安全保障観」という概念を発表しました。習近平国家主席は2012 年から10年かけて自身の時代の基礎を作りましたが、その結果として今や中国にとっては「国家の安全」が一番大事になっているのです。
―中国は国連などでは「中国を含む加盟国全体が合意」しているものを「国際法」として認め中国もそれを遵守する、という考え方を示していますが、中国としては「法の支配」をどう定義しているのですか?
(垂前大使)中国共産党は「法による統治」という言い方をします。それは西側の「法の支配」の概念とは全く相容れないものです。中国国内についていえばいわゆる「法の支配」はありません。「人治」ではいけないので「法で人民を統治する」という発想です。また法律については前文等で「中国共産党の指導の下」という言葉が入ります。これは憲法でも同じです。つまり中国共産党にとって都合のよい統治を法によって行うということが「法治」です。さて国際法についてどうかと言えば、中国は国際法というものをそもそも信用も信頼も重視もしていないのです。ただWTOの紛争処理メカニズムについていうならば中国は若干これを利用しているところはあります。ただこれも「利用する」という観点からやっているのです。つまり中国にとって都合がいいかどうかが重要なのです。南シナ海に関するフィリピンとの紛争についての仲裁判断についてもそうでしたが、中国にとって都合の悪い判決であればこれを「単なる紙切れ」だと言うのです。中国にとってこのような国際機関に判断を委ねるということは全く考えられないという発想です。
胡錦涛国家主席までの時代を「鄧小平時代」というならば、その時代は中国は国際秩序に参画することによって利益を得ようとしたのであり、そのような代表格がWTO加盟でした。しかし習近平国家主席の登場で中国は国際秩序そのものを変革しようとしています。グローバルサウスとともに、あるいは国連でグローバルサウスと共にという言い方をしています。中国の目からみれば国連においてはグローバルサウスを多く味方につけている国際機関ですから。国際秩序の最も重要な構成要素の国際法を中国は変革しようとしています。
―WTO紛争処理制度や国連などについて中国がこれを利用する利点を見出しているということであれば、むしろ日本としてはこのシステムを使って中国に改善を迫ればよいということになるでしょうか?
(垂前大使)少なくともWTO紛争処理については、中国として貿易の利益を守りたいと思っているところがあるのと、途上国に対して、WTO否定に動く米国との違いを見せたいというところがあって、紛争処理の判定に従うことが総体的にみて自分たちに利益になると考えている可能性があると思われます。トランプ大統領の時代に米国の政策が相当保護主義化しましたが、その時中国が「自分たちこそが自由経済を守っているのだ」と豪語していたこともありました。いずれにしても日本としては、WTOを含めて国際法を外交手段としてより積極的に使って闘える余地が大きいと思っています。
―先進諸国でも中国からの高度人材は重要な役割を果たしている場合が多い反面、国内政治への干渉、産業技術窃盗などの問題も深刻です。日本にも多くの中国人材が入ってきていますが、日本の発展と国益に貢献する人材を選別する方途をどのように築くべきと考えますか?
(垂前大使)「移民」という言葉を使うのがよいのかわかりませんが、中国人材が世界に貢献しているのは事実でしょう。例えば今や中国人科学者や技術者を抜きにして世界の発展は語れなくなっています。論文数を見てもそうです。しかし、多くの人が誤った認識を中国人に対して持っています。私はしばしば「中国共産党=中国」と思っているから「中国人は皆悪い」という発想になるがこれは誤りであると言っています。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という考えは捨てていかないと戦略的な発想はできないと思います。高度で良質な人材を獲得しつつ、日本の国益に背くような振る舞いをする者は出て行ってもらうような法体制を早急に整備する必要があります。率直に言って現在のリベラルな入管法では一旦日本に入国してしまえば刑法違反などの具体的な罪を犯さない限り追い出すことはできません。我々は主権国家として疑わしき者はどんどん出て行ってもらうべきです。その代わり来るべき人材は歓迎するというシステムを作っていかなくてはならないと思います。
―ビジネスマンを始め邦人が中国で拘束される事例が数多く起きていますが、中国への出張者にしても旅行者にしても気を付けるべきこと、そして拘束されてしまった場合にはむしろ声をあげて世界の同志国と共に闘っていくということの是非を伺えますか?
(垂前大使)中国という国は、誤解を恐れずに言えばかつてのソ連のような国と考えるべきです。出張者や駐在員を送り出す会社や団体は、そのような厳しい現実認識を持ち、しっかり社員研修などを行って対応ぶりを頭に叩き込んでから中国に送り出すようにすべきです。決して日本人と同文同種だなどといった甘い考えを捨て相当な覚悟をもって行くべきです。そのためには会社などは駐在員に対して特別な手当なども出すなど会社としても意識改革を行っていくべきです。中国では日本以外の国の人も相当逮捕されています。中国では「国家の安全」が一層重視されていることから、今後外国人は一層逮捕されていくと思われます。今年の4月末に国家安全部長が現代版「五反運動」を提唱していますが、その中にも「反スパイ」が明確に規定されています。我々としては一層警戒レベルを上げるべきと考えます。
(令和6年6月26日インタビュー、一部その後付加した内容あり。)