民主国家の基盤である文化、その歴史的危機を日米でともに乗り越える


前駐リトアニア大使 尾崎 哲

 この寄稿のきっかけは、現在CULCON(日米文化教育交流会議、The US-Japan Conference on Cultural and Educational Interexchange)の事務局長、杉田明子さんとのご縁です。
 筆者は、世界的な文化的危機のなかで、日米両国が文化・教育面での自国の危機をともに乗り越え、世界的なイニシアチブを発揮すべきではないかと思い、常々CULCONはその最適なプラットフォームではないかと考えていました。日本が米国の支援で復興し国際社会に復帰するにあたって「イコール・パートナーシップ」による日米信頼関係の成果として設置された委員会という歴史を見つめ直すことも大切だと思いますし。また、たまたまCULCONの日本側・米国側パネルの委員長はそれぞれ佐々江賢一郎さん、チャールズ・D・レイク IIさんで、お二方とも存じ上げておりましたので、いずれCULCONにコンタクトしてみようと思っていました。
 そして、後述する筆者の参加している地元鎌倉での最近の取り組みに関連して、何か具体的にCULCONと連携が出来ないかと考え、これもたまたま日本側委員のお一人に筆者が理事をしている津田塾大学の髙橋裕子学長がいらっしゃったので、髙橋学長に杉田事務局長をご紹介いただいた、という次第です。早速、杉田さんにお会いし、問題意識をお話しましたら、偶然にも米国のJ.Dヴァンス副大統領を支援し、米国の文化的退廃に警鐘を鳴らしている代表的なお二人の方が、去年今年と続けて国際交流基金の国際対話部主催イベントで訪日しているというお話を伺いました。昨年が、「アメリカン・コンパス」の創業者・代表のオレン・キャス氏、今年が著作「リベラリズムはなぜ失敗したのか」で著名なパトリック・J・デニーン教授で、杉田さんのご配慮でデニーン教授の講演とパネル・ディスカッションを最前列で拝聴する機会をいただいたのが6月4日でした。誠に有難いご縁をいただきました。

<「日本型リベラルアーツ」:経済同友会~リトアニア(杉原千畝)~鎌倉>

 さて、筆者が参画する鎌倉での取り組みは、「日本型リベラルアーツ」を広げようという様々な取り組みの一つですが、そこに至る過程で様々なご縁がつながりました。
 以前野村證券時代に経済同友会で教育改革系の委員会を中心に議論に参加していましたが、象徴的に三人の方とのご縁をいただきました。お一人は土居征夫さん。元通産省高官で政財界の多様なネットワークを駆使して精力的に活動しておられ、在家禅の「釈迦牟尼会」の常務理事も担っておられた方です。土居さんは、日本の教育改革のため「日本型リベラルアーツ」の普及を率先すべく、2018年に一般社団法人「世界のための日本のこころセンター」を自ら立ち上げられました。そして2021年、同センターは日本型リベラルアーツの「自啓共創塾」を開始、筆者がその初代塾長を拝命しました。そしてこの「世界のための日本のこころセンター」の顧問団に、岡山大学名誉教授の荒木勝さんと鎌倉マインドフルネス・ラボの創業者の宍戸幹央さんがおられ、このお二方の鎌倉でのイニシアチブが、米国との連携に至らないかと考えている取り組みで、あとで詳しく述べます。
 経済同友会でのご縁をいただいたもうお二方は、経済同友会の教育改革に関する有志の集まりである「教育を語る会」でお世話になった、当時神田外語大学学長で三菱商事ご出身の宮内孝久さんと、当時聖心女子大学学長だった高祖敏明神父です。宮内さんには、筆者が駐リトアニア大使を拝命した際に、一般社団法人「杉原千畝記念財団」の松本洋代表理事ほか多数の財団メンバーとともに壮行会を開催していただきました。また神田外語大学は、学生の留学先としてリトアニアを重視しており、大使在任中にも同大学の好奇心旺盛な留学生と沢山お会いしました。この宮内さんと高祖神父とは鎌倉でのご縁があり、それは鎌倉の老舗出版社である「かまくら春秋社」の伊藤玄二郎代表を通じたものです。
 伊藤玄二郎さんが率いる「かまくら春秋社」は、毎週土曜日に建長寺の正受庵で「親と子の土曜朗読会」を20年以上にわたって一度も欠かさずに続けられており、まもなく1100回を数えます。この朗読会は、般若心経の唱和と5分間の坐禅からはじまり、内外の名作を朗読のプロや経験者が朗読し、その後車座で意見交換を行うという学び多き貴重な取り組みです。この朗読会の朗読家のお一人に宮内さんの奥様の宮内啓子さんがおられ、先日もご夫妻で参加され、啓子さんの朗読による太宰治の「葉桜と魔笛」を楽しみました。なお、この「朗読会」は、つい最近、仏教精神に基づいた青少幼年の情操教育活動で顕著な業績をあげたとして「第50回正力松太郎賞」を受賞しました。実は、昨年リトアニアの絵本「パンのかけらとちいさなあくま」を、朗読会に初期から参加されている葉山在住の女優牧三千子さんに朗読していただき、続いて筆者がリトアニアに関するお話を行ったこともありました。さらにこの8月には杉原千畝に関する児童向けの本の抜粋を筆者が紹介し、夏休みで参集する子供たちに杉原千畝の「命のビザ」とそれをとりまく風景を平易に語るという極めて難易度の高い取り組みを拝命しました。
 この「かまくら春秋社」が近年立て続けに刊行したキリスト教関連の大作が二編あり、一つは「潜伏キリシタン図譜」(2020年刊行)、もう一つは「図説天正遣欧使節」(2025年刊行)です。この「潜伏キリシタン図譜」の発行人筆頭が高祖敏明神父で、「図説天正遣欧使節」の監修も高祖さんでした。双方ともに冒頭に前ローマ教皇フランシスコのお言葉が掲載されています。なお、「図説天正遣欧使節」は、前教皇に高祖さんと伊藤玄二郎さんがバチカンで直接手渡しし、お喜びいただいたそうですが、その後まもなく教皇は帰天されました。
 さて先ほどご紹介した荒木先生と宍戸幹夫さんは、昨年から鎌倉で取り組みを始められ、今年その活動を軸に「鎌倉逍遥塾」を立ち上げられました。
 荒木先生は、1980年代の前半にポーランドに滞在され、当時のワレサ議長による「連帯」という運動に大いに触発され、そのエネルギー源をたどり、それがマルクスやレーニンではなくトマス・アクィナスの「神学大全」だったと知り驚かれたそうです。独立系労働運動「連帯」のベースが社会主義や共産主義ではなくキリスト教であった、と。そこで「神学大全」を読み込むとアリストテレス哲学を深堀りせざるをえず、ついにはギリシャ語やラテン語も学ばれて本格的なアリストテレス研究へと進まれたということです。余談ですが、筆者が駐リトアニア大使を拝命した際には、リトアニアを知るにはポーランドも知らねばならないとして、大変貴重なアドバイスをいただきました。そして2018年、トランプ米大統領の登場に象徴された歴史的な危機を受け、『明治以降、日本が学んできた近代的思考を超えて、改めて、人類が構築してきた古典的知恵といわれている知的遺産から多くを学ぶ』ために「東京逍遥塾」を立ち上げられました。ここでは、『とりわけ、2000年間、西洋、東洋を超えて人類の知性に語り掛けてきたアリストテレスを中心とする古典の世界に分け入り』、『東京逍遥塾の基本的なヴィジョンとして、日本の国家ヴィジョンのあり方を模索しつつ、世界に通用する真の教養の深化のために、日本的リベラルアーツの再構築を』目指す取り組みを精力的に始められたわけです(『』内は「設立の趣旨」より)。この「東京逍遥塾」の派生として、鎌倉でのリュケイオン的な散策(逍遥)を含む活動が、今年「鎌倉逍遥塾」として発足し、筆者も参加させていただいている次第です。なお、「東京逍遥塾」の現在の事務局長は、三菱商事に勤務されており、次世代へ如何にいい日本を残すかという問題意識で「Japan Prideイニシアチブ」を立ち上げられた栗原康剛さんです。栗原さんは、前述の土居さんの「自啓共創塾」の創業メンバーでありすでに6年にわたり塾頭を務められていますし、「鎌倉逍遥塾」にも参加されています。
 何故「東京逍遥塾」から「鎌倉逍遥塾」が派生したのか。荒木先生は、最近、鎌倉時代の真言律宗の僧で、鎌倉の極楽寺の開山ともなった忍性の研究もされておられます。忍性は、貧民救済や医療・土木など社会福祉活動を主導、鎌倉幕府からも信頼され、神仏儒統合の智慧に基づいた宗教的ないわば崇敬共同体をかたちづくったということで、これが日本の共同体の歴史的な一歩なのではないか、と研究されています。古代ギリシャのポリスも、実は神々への祭祀を重視した崇敬共同体であり、神々への崇敬、祖先への敬意と家族の重視を軸にした自由人が共通善を追求していた共同体であったようです。
 そして、今日の日本の大きな課題は、コミュニティで共通善を追求すべき私たちにそのような意識が希薄になっている、要は民主主義の根元が揺らいでいるのではないか、では忍性を研究しながら、鎌倉というコミュニティから何か意味のある活動ができないか、というのが荒木先生や宍戸さんの率いる「鎌倉逍遥塾」の志です。

<デニーン教授の志、リベラルアーツと日米連携>

 デニーン教授の6月4日の公開講演会は、国際交流基金国際対話部長の原秀樹さんの司会進行で始まり、国際交流基金理事の道傳愛子さんの主催者挨拶、ジャーナリスト・思想史家の会田弘継さんのイントロダクション、デニーン教授の講演、デニーン教授を挟んで会田さんと東京大学社会科学研究所教授の宇野重規さんの鼎談、という順のプログラムでした。
 道傳さんの挨拶にもありましたが、デニーン教授の問題意識は、建国250周年の米国の底流文化を本源から問い直すものであり、今後の日米交流の新たなあり様をしめすというものでした。以下、講演、鼎談、その後の質疑を通した筆者のテイクアウトの一部です。

・(真鶴の小学校訪問を振り返って)故郷ニューイングランドのcitizenship as a disciplineを思い出す。トクヴィルの言うtownship of democracyに触れた気がする。
・アメリカは20世紀半ば以降イデオロギーと戦い続け、逆にアメリカがとてもイデオロジカルになってしまい、結果、リアリズムを失いみな茹でガエルのよう(緩やかな環境変化に気づけず、気づいた時には手遅れになっている状況)になってしまった。
・レーガン革命は家族の復活等を唱えたが、ミルトン・フリードマンが完全なる自由を掲げ、極端なリベラリズムに陥り、「失敗」に拍車をかけた。
・以来、共和党も民主党も、この流れを変えることは出来なかった。「スイング・ステート(浮動票の多い激戦州)」というのは、極端なリベラリズムに疲弊した人々が4年毎に違う政党に望みを託す行動をとる州のことだ。だがどちらの政党もミドルクラスが依存していた文化を破壊してしまった。
・今後は間違いなくコレクション(軌道修正)が起きる。それを我々の手でいい方向へのコレクションにしていこう(拍手)。
・コモングッド(公共善)の尺度は、要は人々が普通の人生を楽しめているかどうか、それは食であり、水であり、家であり、健康であり、家族を持ち子供を育てること、である。
・AIで獲得した自由な時間を含め、リベラルアーツをもっと深く学ぶべし。
・時計の針を過去に戻しても何も生まない。だがアメリカは、地域的な独自性という意味でもっと多様だった。最近のmulticulturalismの危機は、absence of cultureになりつつあるということだ。

 デニーン教授は、著書「リベラリズムはなぜ失敗したのか」でも、本来のリベラルアーツの重要性に何度も言及されていますが、それはこの稿でご紹介した「自啓共創塾」や「東京逍遥塾」、「鎌倉逍遥塾」での「日本型リベラルアーツ」と同じです。要は、単なる教養人ではなく「公のために行動できる人材」になることを、そのための「人格形成」を目的としているということです。CULCONを通じて、この共通の問題意識を軸に連携し、お互いの文化的危機を乗り越える動きができればと思います。
 最後に、リーマンショックの直前に日本語版の出た「暴走する資本主義」でおなじみのロバート・B・ライシュの「The Common Good」(2018、日本語版「コモングッド」は2024)からの一節を引用します。問題意識は同じです。

・”高等教育はますます職業訓練的になっていった。・・・ありていに言えば、「教育」は「公益」ではなく、「私的投資」とみなされるようになったということだ。“
・“人々が、教育は民主主義の基盤となる「公共善」なのだと理解したとき、質が高く誰でも受けることができる教育機会を確保する責任は、私たち全員が負うべきものとなるのである。”