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日本メキシコ外交関係樹立130周年


駐メキシコ大使 高瀬 寧

 今年、2018年、日本とメキシコは外交関係樹立130周年を迎えている。1988年11月30日ワシントンで署名された日墨修好通商航海条約は、メキシコにとってアジアの国との最初の条約であり、日本にとってはアジア以外の国との最初の平等条約であった。この条約をはじめとしてメキシコは日本の外交に新たな地平を開いていてきた歴史的友好国である。130周年の機会に、この条約締結の背景を中心として、日本とメキシコの友好の歴史を振り返ってみたい。

400年を超える長い友好の歴史

 日本とメキシコの交流は今から400年以上前までさかのぼることができる。1609年、フィリピンの総督代理であったロドリゴ・デ・ビベロがメキシコ(当時のヌエバ・エスパーニャ)へ帰国する途次、一行の乗った船が千葉県御宿の沖合で難破する。これを御宿の漁民や海女さんが助けたのが両国の交流の始まりであった。ロドリゴ・デ・ビベロは徳川家康にも謁見し、家康の支援を得て1年後無事メキシコに帰還する。1611年には、ヌエバ・エスパーニャの副王が家康の支援に感謝する使節を日本に送っている。さらに1614年には、支倉常長の率いる慶長遣欧使節団がメキシコに到着する。使節団の目的の一つは日本とメキシコとの間の直接貿易を始めることであったと言われている。

1888年日墨修好通商航海条約

 修好通商航海条約の締結を働きかけてきたのはメキシコ側だった。1882年(明治15年)、当時の在ワシントン・メキシコ公使マティアス・ロメロは米国務省で遭遇した日本の高平小五郎臨時代理公使に対し、先述の17世紀初頭の日墨交流の歴史に言及しつつ、メキシコ政府として両国間に通商の道を開き、条約をもってその貿易を保護することを希望している旨を伝える。

 メキシコは1821年に独立した後も内外に混乱を抱えるが、このころには政治的にも安定し、1876年(明治9年)に就任したポルフィリオ・ディアス大統領の下、近代化と経済開発を進めている。東洋貿易の復活と東洋移民の受け入れにも関心があった。なお、マティアス・ロメロはメキシコの著名な外交官の一人で、メキシコ外務省研修所にその名前が冠されている。

 当時の日本も明治維新後の近代化と殖産興業を進めていた。また、徳川幕府の下で締結された不平等条約、安政諸条約の改正を進めており、メキシコから働きかけのあったころは、井上馨外務卿の下、欧米11か国との条約改正会議を開催していたところだった。

 そのような中、メキシコからの提案に対し、井上外務卿はおおむね次のように答えている。メキシコとは昔から交流もあり、また地理的にも太平洋に面し米にも接近しているので、貿易を始めれば将来の双方の利益は少なくないと思われるが、目下は欧米と条約交渉中であり、これが完結すれば交渉も可能かもしれないが、当面は困難である。

 これに対し、メキシコのマリスカル外務大臣は、日本の状況に理解を示しつつ、メキシコはいつでも日本と完全に平等な国として修好条約を結ぶ用意がある、それは日本の不平等条約改正に向けての前例となるであろうとのメッセージを返している。

 その後、1887年には日本国内で反政府運動が起き、列国との条約改正会議は無期延期となり、井上外務大臣も辞任する。ここでメキシコは再び日本に条約交渉を申し入れる。各国と個別に条約改正交渉を進める方針であった大隈重信外務大臣はこれを受け入れる。日本側の最終的な提案は、メキシコが日本の裁判管轄に従うことを条件にメキシコ国民に対し日本の内地を開放するというものであった。大隈外務大臣の狙いは、他の欧米諸国が最恵国待遇を主張してメキシコと同様に内地開放を求めてくれば、領事裁判権の放棄を条件とすることにより不平等条約の改正を進めようというものだった。日墨条約に関する閣議請議の中で、大隈外務大臣は、メキシコに内地開放の特権を与えても実際にこれを利用するメキシコ人はほとんど皆無であろうこと、他の欧米諸国が特権の均霑を求めてきたときは我が国の有条件主義の最恵国待遇を主張し、これが認められればその後の条約改正が容易になるであろうこと等を述べている。さらに、万一、我が国の主張が受け入れられない場合に備え、メキシコに与える内地開放の特権を我が国から一方的に廃止することができることを定める特別機密条項も用意した。

 メキシコ側にも逡巡が見られた。特に、米の享受している既得権を阻害することを恐れたようである。メキシコは米国務省に照会するが、これに対し米国務省は日メキシコ間の条約締結に反対しない旨回答している。

 1888年11月15日、陸奥宗光駐米公使は、条約署名のメキシコの同意が取れたとして、全権委任を請訓する。これに対し東京は、ある条件の下でメキシコ人に内地を開放する用意があるが、電報では意を尽くし難いので郵送する旨回答する。しかし、陸奥公使は交渉の遅延により条約締結の機会を失うことになると東京に督促し、電報を通じて訓令を受け取り、交渉をまとめる。

 1888年(明治21年)11月30日、日墨修好通商航海条約は、日本側陸奥宗光駐米公使とメキシコ側マティアス・ロメロ駐米公使によりワシントンで署名される。条約は全11条と特別機密条項からなり、第4条でメキシコ国民が日本国皇帝陛下の領地内に入来し、滞在居住し、職業に従事する特権を与え、また、第8条でメキシコの人民は日本国の法律を遵守し、かつその裁判管轄権に服従すべき旨を定めている。第5条で有条件最恵国待遇を、第7条で輸出入税の最恵国待遇を規定している。

 1889年6月6日、ワシントンで批准書が交換され、条約が発効する。日本がアジア以外の国と締結する初めての平等条約であった。なお、「アジア以外の国」との限定をつけるのは、日本が1871年に清との間で平等条約を結んでいるからである。ただし、日清修好条規はお互いに治外法権を認め合うという意味で対等であったので、法権確立の観点からは、日墨修条約が最初の平等条約であったといえよう。

 日墨修好通商航海条約の署名を契機として、大隈外務大臣は条約改正交渉を進め、1989年にはアメリカ、ドイツ、ロシアとの間で新条約を調印する。しかしながら、再び国内に反対運動が起こり、これら3か国との新条約は発効しないままに終わっている。治外法権の全廃が達成されるのは日英改正修好通商条約が調印された1894年になる。この日英条約の要点は、治外法権を全廃する、その代わりに内地を全面的に開放する、最恵国待遇は相互対等主義とするということであり、日墨条約が日本の条約改正の先駆となっていたことが確認できる。

日本外交の地平を開くメキシコ

 日墨修好通商航海条約にみられるように、メキシコは日本の外交において何回か重要な先駆的役割を果たしている。

 1897年には、榎本植民団がメキシコのチアパスに到着する。これは中南米における最初の組織的移住であり、その後、ペルー、ブラジルへと続いていく。また、戦後、メキシコは対日平和条約の早期締結を国連に提案し、実際に1951年に2番目の締約国としてサンフランシスコ講和条約を批准している。

 2005年に発効した日墨経済連携協定は、2002年に発効した日シンガポール経済連携協定に次ぐ、我が国にとって2番目の経済連携協定であった。筆者はその交渉の立ち上げに携わった。交渉立ち上げはなかなかに困難であったが、ひとたび立ち上げてしまえば、日シンガポール協定の例に倣えば良いであろうと、たかを括っていたところがあった。しかし、ひとたび交渉となると、メキシコはNAFTAやEUとの自由貿易協定交渉を経験した百戦錬磨の交渉官をそろえており、交渉は難航した。サービス貿易交渉において、日本は、初めてネガティブ・リスト方式を採用することになる。市場アクセス交渉においても農産品を中心に実質的な関税引き下げが必要となる。交渉を立ち上げて約1年後の2003年10月にメキシコのフォックス大統領を国賓で招聘し、交渉の大筋合意を目指したが、日本側の閣僚3人(川口外相、亀井農水相、中川経産相)がメキシコ側と午前1時まで交渉しても大筋合意に達することはできなかった。その後筆者は在外勤務となり、日墨協定は2004年9月に署名されることになる。

130周年を迎えた日墨関係

 日墨修好通商航海条約が署名されて130年を迎える2018年の両国関係は良好かつ緊密である。

 日墨経済連携協定の締結により、両国間の貿易は約2倍に増えている。日本は従来からアジアの中でメキシコへの最大の投資国であるが、特に近年急速に拡大しており、メキシコ進出日本企業の数は過去5年間で2倍以上に増えている。2017年には1,182拠点を数えている。これに伴い在留邦人の数も増え、11,000人を超えている。さらに昨年から成田とメキシコシティーの間に毎日2本の直行便が就航しており、メキシコを訪問する日本人の数も15万人に達している。日本に対するメキシコ人の関心も高まっている。メキシコシティーでもラーメン屋や居酒屋を含む日本レストランが新しくオープンしており、メキシコ人でにぎわっている。日本語を学習するメキシコ人の数も増えている。昨年11月に広島で開催された日本メキシコ学長会議には両国それぞれ25以上の大学から学長またはその代理が出席した。日本とメキシコの大学の間の協力協定も400を超えている。対米関係の偏重を改善したいメキシコは政治・外交面でも多角化を図っており、アジア太平洋への関心も高い。昨年の北朝鮮の核実験、ミサイル発射に対して、在メキシコの北朝鮮大使を追放するという措置もとっている。また、TPP11の署名国として、日本とともに、自由貿易の推進に努めている。2018年のメキシコはNAFTA再交渉や大統領選挙といった不透明な要因も抱えている。そのようななかでも、外交関係樹立130周年を契機として、良好な二国間関係を更に強化していくとともに、日本の外交に新たな地平を開くような事業も探していきたいと考えている。

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タイトル:日墨修好通商航海条約(機密特別条款)
分類:CJA-AHD/JPN-14-1
調印日・場所:1888年11月30日・米国ワシントンDC
所蔵:メキシコ外務省外交条約史料館

メキシコ市レフォルマ大通り。
大使館もこの通りにあります。

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