<帰国大使は語る>巧みな外交力を持つ中東の国・カタール


前駐カタール大使 須永和男

 2019年9月から2021年11月まで駐カタール大使を務めて最近帰国した須永和男大使は、インタビューに応え、カタールの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

―カタールはどんな国ですか。その魅力は何ですか。

 カタールは、秋田県より少し小さいくらいの面積と約280万人の人口を有する、中東の湾岸地域でも比較的小さい国です。しかも、アジア等から受け入れている外国人労働者の比率が非常に高くて、カタール人は25万人から30万人と言われています。
 一人当たりGDPは約6.9万ドル(2019年IMF)ですが、その大部分をカタール人が独占していますので、彼らは非常に豊かな生活をしています。カタール人はイスラム教徒で、その戒律を守りながら、美しく先進的な街づくりを進めています。実際に首都ドーハを散策してみると、モダンな高層ビルが林立し、その中では世界的にも有名なレストランやブティックが軒を並べていて、壮観な風景を演出しています。基本的なインフラもよく整備されていて、治安は日本よりよいくらいなので、生活するには快適です。カタールの富は、天然ガスをはじめとする豊富な資源によってもたらされています。カタールの天然ガス埋蔵量は全世界の約13%(世界第3位)を占めていて、生産能力を現在の7700万トン/年から1億1000万トンに増産するという計画を打ち出しています。天然ガスは温室効果ガスの排出が少ないため、今後も世界的に需要が増加することが見込まれており、長期にわたりカタールの経済を支えて行くことでしょう。
 豊かな資金力を背景にして、カタールは、大規模な国際会議や文化スポーツ行事を次々に開催し ています。一例を挙げると、カタールは毎年ドーハ・フォーラムという大規模な国際会議を主催し、世界中から政治指導者や学識者を招待して、現下の諸課題について議論しています。私が在勤中の2019年12月のフォーラムには当時の河野防衛大臣が参加されました。同じ年の10月には世界陸上競技会が開催され、日本からも多くのトップアスリートが参加しました。2020年以降は、コロ ナ禍のため大規模な行事は控えられていますが、2022年秋にはFIFAワールドカップが予定されており、現在、着々と準備が進められています。カタールに限らず、発展を続けている国は活気があり、国民も明るく自信に満ちています。それがカタールのいちばんの魅力ではないでしょうか。

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 2019年9月から2年間の在勤中、いろいろなことがありました。まず申し上げたいのは、カタール断交問題です。サウジアラビア、エジプト、UAE,バハレーン等が断交を発表したのは2017 年のことで、国交正常化の条件として、13項目の要求をカタールにつきつけており、これが断交の理由と考えられています。その中には、イランとの外交関係の縮小、ムスリム同胞団等テロ組織との関係断絶、アルジャジーラの閉鎖、カタール国内のトルコ軍の撤退が含まれています。カタールにおいては、断交の当初、外交関係だけでなく、貿易、通信、陸海空の交通も遮断されてしまい、悲観的な空気が覆っていたようですが、カタール政府は、不当な断交には決して降伏しないと宣言して、毅然としてサウジアラビア等に向き合ってきました。それを可能にしたのは、先程申し上げた資金力とともに、カタールの巧みな外交力であると私は思っています。カタールは、断交以前には食料品をはじめとしてサウジアラビアに過度に依存する経済体質になってい ましたが、断交後は、トルコとイランとの関係を強化し、更にインド等アジア諸国も含めて貿易の多角化を図りました。同時に、必需品の国内生産も促進し、経済の自立化が進みました。また、外交的には多方面に積極外交を展開し、孤立化を回避しました。特に、カタールには米空軍の中東最大の基地が置かれていて、米国との関係が良好であることは有利に作用したと思います。
 私が赴任した2019年9月の頃は、カタールも断交諸国側も譲らず、膠着状態といった感がありましたが、2020年になると少しずつ打開に向けた動きが見られるようになりました。そして 2021年にはサウジアラビアのウラーで第41回湾岸協力会議(GCC)首脳会議が開催され、湾岸諸国の関係回復を謳ったウラー宣言が発出されました。ただ、これで断交問題が全て解決された訳ではなく、断交国それぞれと二国間交渉がまだ行われています。9月時点で、サウジアラビアとエジプトからはドーハに大使が着任するなど、交渉は進展しているようです。また、アラブ首長国連邦(UAE)との間でも空路が再開されました。私自身、今年の夏にカタール航空の東京便がUAE上空を通過する時には、機内で断交解除を実感した次第です。この過程でカタールが13項目の要求に応じた様子はありません。カタールの指導者達は、断交諸国に屈することなく、この危機を乗り切ったことで、自信を深めていると思います。
 もう一つの大きな出来事はアフガニスタン問題です。先程申し上げたとおり、カタールは米国と堅固な関係を築いていますが、一方、タリバーンとも一定の関係を維持してきました。2013年以来、タリバーンは対外窓口となる政治事務所をドーハに置いています。このためドーハを舞台に して、米国とタリバーン間の協議が行われるようになり、2020年2月には和平合意が署名されました。それ以降、カタールは、アフガニスタン政府とタリバーン間の和平交渉でも、ドーハにおいて会議をホストするなど、仲介努力を行ってきました。更に、本年8月にアフガニスタン政府が崩壊してからは、アフガニスタンからの外国人等の退避やカブール空港の復旧、タリバーンとの折衝等において主要な役割を担っています。日本も、大使館やJICAに関係するアフガン人を多数退避させる過程で、カタール政府には、カブールからの空輸等で大変お世話になっています。このようなカタールの仲介外交や人道的な支援は、米国とタリバーンだけでなく、中東地域を中心に多方面にバランスよく展開されたカタールの外交力があったからこそ、可能となったと考えられます。私も、離任直前までカタール政府との間で交渉や情報 収集に多忙な日々が続きましたが、私のカウンターパートであったカタール政府関係者は優秀な人が多くて、カタールの外交手腕からは学ぶことが多いと感じています。日本では、天然ガス等経済関係に関心が偏りがちですが、もっとカタールの政治外交面での役割にも目を向ける必要があるのではないでしょうか。
 昨年のコロナ禍におけるカタール航空の役割も忘れることができません。中東アフリカ地域で コロナウィールスが蔓延する中、日本だけでなく多くの国の大使館が、これら地域から本国への帰国者の対応に忙殺されました。一時期は、中東地域でカタール航空だけが運航している事態となり、多くの国から定期便の継続やチャーター便の運航を求める声がカタール航空に殺到しまし た。カタール航空は、コロナ禍という困難な状況にもかかわらず、これに丁寧に対応してくれたと 思っています。これも、カタールの重要な国際貢献と言えるでしょう。

―カタールと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 カタールは大変親日的で、国民も日本の文化や伝統に高い関心を持っています。日本とカタールは、1997年に初めて液化天然ガス(LNG)を輸入して以来、経済分野を中心に良好な関係を築いており、これが両国関係の基盤になっています。日本にとってカタールはオーストラリア、マレーシアと並ぶ主要LNG供給国です。また、カタールは、日本企業にとり重要な投資先となっていて、私の在任中も、LNGプラント拡張事業、ハマド国際空港拡張事業、ソーラー発電事業、発電造水プロジェクト等の大規模案件を日本企業が受注しました。すでに運用されているドーハメトロという地下鉄も日本企業によるものです。カタールは日本企業に厚い信頼をよせています。これは、日本企業の関係者が長年積み重ねてきた努力の賜物ですが、もう一つの理由は、カタールが豊かな国のため、投資において「カネ」とともに「質」を重視しているからだと私は考えています。カタールの要人に日本の「質の高いインフラ投資」の考え方を説明すると一様に賛意を表してくれますが、これも外交辞令ではなく、本音だと受け取ってよいと思っています。
 今年は、日本カタール外交関係樹立50周年に当たり、いろいろな記念行事が計画されています。8月には茂木外務大臣がカタールを訪問し、ムハマド外務大臣との間で第1回戦略対話が開催されました。両外相は、中東地域における主要問題について意見交換を行うと共に、幅広い分野での関係強化策について話し合いました。今後、この戦略対話に基づいて、経済・エネルギーだけでなく、環境、科学、文化等を含んだ重層的な両国関係の発展が期待されています。

―大使として、カタールの人々とどのように交際していましたか。

 まず、カタール人はイスラム教徒ですので、彼らが守っている戒律を尊重しなければなりません。彼らを招待した際の食事会の献立はもとより、特に私の家内は招待を受けた時の服装に気をつかっていました。結婚披露宴にも何回か招かれましたが、男女別々に宴を催すので、ほとんど私一人で参加しました。当然、新婦を見ることはできません。イスラムとは関係ありませんが、カタール人をお招きする時に留意したのは、日本や和食をよく知る人を除いて多くのカタール人が、長い時間着席したままの状態で1品ずつ供される料理を食するというスタイルを堅苦しいと感じてしまうということでした。カタール人に招かれた際も、ほとんどビュッフェだったので、私も、着席、退席自由のビュッフェにして、好きな時に好きなものを楽しめるように工夫しました。
 カタールの有力者は、邸宅の一角にマジュリス(majlis)という離れ屋を持っていて、中には、バスケットボールのコートが入りそうな巨大なものもありました。ここでは、有力者が集会を開き、政治経済から、人事、陳情、噂話等様々な話し合いをします。有力者は、住民の声を汲み取り、更に上位の有力者が主催するマジュリスに参加し、最終的には閣僚や首長の耳まで住民の声を届けるそうです。あるカタール人は、カタールには西欧型の民主主義は無いかもしれないが、マジュリスを通して、首長は国民の声を聞いていると語っていました。民主主義と言えば、私が離任する直前の10月2日に初めての諮問評議会選挙が行われました。いわば初めての国政選挙で、45 議席の内、30が選挙により決まり、残りの15は首長の勅選です。カタールにとっては大きな改革で、今後の動向が注目されています。

(写真)結婚披露宴の風景

―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 外交官に限ったことではありませんが、やはり、歴史や宗教をよく理解することは、仕事だけでなく、交友を深めるためにも大切だと感じています。逆に、歴史や宗教の無知が思わぬ失敗を招くこともあります。できれば、赴任国だけでなく、その地域や世界全体のことを幅広く勉強しておくとよいでしょう。私が経験したことですが、以前ニューヨークに勤務していた時、ユダヤ系米国人の知人にアルメニア教会に連れて行かれたことがありました。私は、教会の中にアフリカ人が大勢いるのに気づき、知人に質問したのですが、知人は怪訝そうな顔をして、アルメニア人とエチオピア人は、教義が類似している古くからのキリスト教を信仰しているので不思議なことではないと教えてくれました。その時は、私のキリスト教に関する知識不足が露見しただけですみましたが、パーティー等でもっと深刻なケースに出くわしたこともあります。無知は罪なりという ことかもしれませんね。