<帰国大使は語る>リベラルな富裕国に変身したアイルランド


前アイルランド大使 北野 充

 2019年8月から2022年12月まで駐アイルランド大使を務めて最近帰国した北野充大使は、インタビューに応え、アイルランドの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

―アイルランドはどんな国ですか。その魅力は何ですか。

 アイルランド島は、欧州大陸の西方、英国の大部分を占めるブリテン島のさらに西方に位置しています。その北東部以外の大部分を占めるのがアイルランドです。面積も人口も北海道とほぼ同じくらいの国です。歴史を遡ると、12世紀以来、「750年に及ぶイングランド/英国の支配」を受けてきましたが、対英独立戦争を戦い、100年前の1922年にアイルランド自由国として独立しました。一方、アイルランド島の北東部(32県のうち6県)は、プロテスタント系住民が多く、カトリックが多数を占めるアイルランドの一部となることを嫌い、英国の一部として残ることを選びました。これが北アイルランドです。

 アイルランドは、かつては西欧の最貧国と言われていたが、現在では、一人当たりGDPで世界第2位の活力に溢れる経済を有するに至っています(IMF、2021年)。ちなみに日本は28位です。また、かつては、カトリック教会やその信仰の影響が強く、妊娠中絶、同性婚はもちろんのこと、避妊具の販売や離婚も認められない保守的な国でしたが、今ではゲイであることを公表している首相(現首相のレオ・ヴァラッカー)が生まれる世界でも有数なリベラルな国となっています。

 アイルランドの魅力といえば、「人」、「景観」、「文化」の三つを挙げることができます。まず「人」ですが、オープンで、親切で、話し好きです。私がアイルランドに赴任すことが決まった際に、アイルランドの友人がマグ・カップをプレゼントしてくれました。そこには、雨が降っているイラストとともに、”It rains a lot. But people are nice.”と書いてありました。赴任してみて、雨が多いのも、人が良いのもどちらも本当だなと実感しました。

 小さな国ですが、魅力的な「景観」に溢れています。「スター・ウォーズ」シリーズでルーク・スカイウォーカーが隠遁する絶海の孤島をご記憶の方も多いと思いますが、これは、スケリッグ・マイケルというアイルランドの最南西部の島でロケをしたものです。

 人を惹きつける「文化」も多種多様です。賑やかだがどこか物悲しいメロディーを奏でるアイルランドの伝統音楽、リバーダンスに発展したアイリッシュ・ダンス、ケルトの文化伝統、ギネス・ビール、アイリッシュ・ウィスキー、アイルランドの伝統スポーツと、興味深いコンテンツに事欠きません。

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 私が在任中のアイルランドは、いくつもの課題に直面し続けてきた時期であったと言って良いと思います。英国のEU離脱、新型コロナウイルス感染症、ロシアによるウクライナ侵略の三つを挙げることができます。

 私が着任した2019年の夏、アイルランドが直面していたのが英国のEU離脱の問題でした。「ブレグジット」と通称されるこの問題は、2016年6月の英国における国民投票以来、非常に長いプロセスとなり、現在も、EUと英国との紛議は継続しており、過去のものとはなっていない状況です。アイルランドは、英国のEU離脱によって最も大きな影響を受ける国となりました。焦点は、英国にとって事実上、唯一の陸上国境である、英国の一部をなす北アイルランドとアイルランドとの間の500キロに及ぶアイルランド国境です。1960年代後半から1998年まで、3000人以上の犠牲者を生んだ北アイルランド紛争を記憶している方も多いと思います。この紛争は1998年のベルファスト合意によって平和解決の道が開かれましたが、プロテスタント系コミュニティーとカトリック系コミュニティーとの対立は解消しておらず、アイルランド国境の扱いによっては、北アイルランドの「法と秩序」の問題が再燃しかねません。また、和平プロセスが進んだこと、英国とアイルランドの双方がEUの加盟国であったことから、アイルランド国境を自由にまたいでの経済活動で構築されてきたことへの影響も懸念されてきました。アイルランドは、アイルランド国境がハード・ボーダーとならないことを優先事項として対応してきました。英国の首相は、テリーザ・メイ、ボリス・ジョンソン、リズ・トラス、リシ・スナクと転変を繰り返してきましたが、ジョンソン政権の際から、自らが締結した離脱協定中の一部である北アイルランド議定書をひっくり返そうとの姿勢をとり、未だにアイルランドを含むEUとの間で解決策が見出されていない状況です。

 2020年2月からは、新型コロナウイルス感染症の問題です。アイルランドは、EU諸国の中でも厳しい行動制限措置をとり、結果的に感染の影響は比較的軽微な状況で推移しています。

 コロナの問題が終息に向かっていた2022年2月からは、ロシアによるウクライナ侵略です。アイルランドは、欧州の各国の中でも最前線に位置する国ではありませんが、この問題は、アイルランドが長年とってきた軍事的中立政策に大きな課題を投げかけました。アイルランドは、第二次世界大戦で中立の立場を取って以来、軍事的中立政策をとり、NATOにも非加盟です。ロシアによるウクライナ侵略が起こり、欧州で「中立国」と呼ばれてきた国々の中で、フィンランドとスウェーデンはNATOへの加盟を申請しました。アイルランドは、われわれは、軍事的中立ではあるが、政治的中立ではないとしてロシアを厳しく批判し、ウクライナを支援する立場を取ってきています。軍事同盟に参加しないというアイルランドの政策には変化はない見通しですが、安全保障・防衛政策をギア・アップする方向になると思われます。

―アイルランドと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 アイルランドと日本とは、民主主義、人権、法の支配など基本的価値観を共有する相互補完的な関係です。西側先進国の多くが日本にとってこのような国に当てはまりますが、アイルランドの特徴を挙げると、小国であることを意識しており「法による支配」を重視していること、核不拡散条約(NPT)の最初の提案国であることに示されるように、マルチ外交で独特の強みを持つこと、規模では日本が勝るものの日本より活力がある経済を持っていることなどいくつかの点を挙げることができます。

 近年、両国首脳の相互訪問が行われた2013年、外交関係樹立60周年の2017年と両国関係発展の節目となる年がありましたが、昨年の2022年は、アイルランドのミホル・マーティン首相(当時)が7月に訪日し、岸田首相との間で「共通の野心によるパートナーシップの前進」と題する共同声明を発出するという両国関係を従前以上に高める重要な年となりました。

 今後、この共同声明に基づいて、国際場裡における同志国としての協働、経済関係、人的交流と幅広い分野での両国関係の発展が期待されます。

―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。

 着任以来、今後の両国のあり方のビジョンとなるような両国間の新たな基本的文書を作成し、そこに、今後、両国間で協力すべき事項を盛り込むことにするべく準備をしてきました。それが、先ほど述べた共同声明となりました。

 先ほども触れた通り、アイルランドはマルチ外交で独特の強さを持っているので、国際場裡における協力を重視しました。アイルランドは2021年、2022年と安保理非常任理事国を務めました。日本は、これに続く2023年、2024年と安保理非常任理事国を務めます。安保理をめぐる両国の協力の意義は大きいと思います。

 経済面では、日本として、アイルランドの経済活力をどのように活かすかが大事なポイントであると思ってきました。アイルランドの2021年の実質GDP成長率は13.6%と、EU加盟国で随一の数字でした。IT、製薬・医療機器などで強みを持っています。アイルランドの国内市場はさほど大きくはありませんが、これらの産業は、アイルランド市場をターゲットに目指してしているわけではなく、グローバル市場をターゲットにしています。アイルランドは、航空機リースという産業の国際的な中心地となっています。ボーイングやエアバスといった航空機製造会社から機体を買い取り、エアラインなどにリースする産業です。これもまた、グローバル市場をターゲットにしています。日本からも、金融業、リース業など幅広い分野から航空機リース産業に投資が行われていますが、グローバル市場の成長力をアイルランドをプラットフォームとする産業で取りに行っているわけです。アイルランドは、小国であるだけに、外に開かれた経済で発展を目指すとの姿勢が明確で、かつ、世界経済の変化に即応していく柔軟性を持っているので、製薬・医療機器、航空機リース産業に限らず、自国をプラットフォームとしつつグローバル市場をターゲットにする産業の育成に余念がありません。日本として、こうしたアイルランドの経済活力を活用することには大きな可能性があると考えてきました。

 人と人との交流も、力を入れた分野です。日本語教育は、両国の絆を深める大事な分野です。中等教育段階では、人口当たりの学習者数が西欧諸国の中でトップ、ところが高等教育段階になると、学習者がガクッと減るという問題がありました。この原因を考え、アイルランド側と改善策を議論してきました。スポーツの面では、私の赴任の直後の2019年秋にはラグビー・ワールドカップ、2021年には東京オリンピック・パラリンピック大会と日本が続けて大きなスポーツ・イベントをホストしましたが、アイルランドはスポーツ好きの国であるため、現地大使にとっては、大きな外交的なチャンスが提供されることとなりました。普段はなかなかアクセスが容易でないミホル・マーティン首相とは、東京オリンピック大会の選手団の帰国歓迎式典、東京パラリンピック大会参加の祝賀行事でお目にかかり、言葉を交わす機会がありました。こうして首相の知己を得たことは、首相が2022年に訪日する際、非常に助けになりました。マーティン首相との間では、訪日の事前ブリーフ、その後のフォローアップでさまざまな関わりが生まれましたが、そうした関係のベースを作ってくれたのが日本のスポーツ・イベンントの主催でした。

―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 私は、大国といわれる国から、その周辺の中小国までさまざまなタイプの国に在勤する経験を持つことができました。それを通じて、世界をいろいろな角度から見ることの重要性を感じました。

 われわれは、往々にして大国の視点から世界を見がちなのではないでしょうか。大国は、メディア、有識者、シンクタンクなどが量・質ともに充実しており、国際的なパーセプションを形成する力を持っています。また、国際政治はリアリズムで動いているので、大国の見方は重要です。

 一方、大国の視点だけでは、こぼれ落ちてしまう部分が大きいのも事実です。

 ブレグジットの問題を考えると、先にも述べた通り、アイルランド国境の問題が重要ですが、この問題は、2016年の英国の国民投票の際には、英国内ではほとんど議論となりませんでした。当時の英国での主な関心事項は、移民、主権といった問題でした。ところが、アイルランドでは、仮に英国がEU離脱を選択した際、アイルランド国境はどうなってしまうのかという問題意識は鮮明でした。実際、2016年の国民投票以来、現在に至るまでブレグジットをめぐる討議の大きな部分はアイルランド国境の問題をどうするかになりました。

 アイルランドを離れて、これまでの在勤の経験について言えば、私は、中国とベトナムの双方に在勤しましたが、中国から世界がどう見えるかとともに、ベトナムから中国がどう見えるかの双方を経験できたことは貴重なことでした。

 アイルランドを含む在外勤務を通じて、世界をさまざまな観点から見ることを経験できたことは大変貴重なことであったと感じています。

(2023年2月14日)