<帰国大使は語る>インド洋の「真珠の首飾り」・モルディブ


前駐モルディブ大使 柳井啓子

 2018年10月から2021年12月まで駐モルディブ大使を務めて最近帰国した柳井啓子大使は、インタビューに応え、モルディブの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

―モルディブはどんな国ですか。その魅力は何ですか。

 サンスクリット語で「島々の花輪」を意味するモルディブは、約1200の島々が南北に連なることから「真珠の首飾り」とも表されます。多くの日本人は、モルディブと言えば美しい珊瑚礁の島々と水上コテージのあるリゾートを思い浮かべるかもしれません。確かに水上飛行機から見るどこまでも碧く吸い込まれるような海の美しさは一度見たら忘れられません。一方、3年間の勤務を終えてその魅力はと聞かれれば、私は素朴な住民島の人々の暮らしと答えると思います。
 モルディブは「1島1リゾート」のコンセプトが成功し、観光業が急速に発展したことから、2011年に後発開発途上国を卒業し、その後国民一人当たりのGDPも1万4千ドルを超え上位の中所得国に分類されました。外国の投資家とブランドホテルチェーンが運営する一流の設備を備えたリゾート島は、本来のモルディブとは全く異なる世界を提供しています。それと対照的に住民島は非常にシンプルで、時間はゆっくり流れます。
人口55万人の小島嶼国モルディブは、200近い住民島と150のリゾート島が点在し、領域の99%は海で陸地面積は無人島を含む全ての島を合わせても東京23区の半分しかなく、主な移動手段は船になります。船のエンジンはヤンマーとヤマハです。3年前に中国が建設した橋により空港島と首都マレ島が繋がるまではマレへのアクセスは水上交通手段しかありませんでした。今でも日常の仕事では車での移動時間よりスピードボートの乗船時間の方が長い気がします。船酔いにもだいぶ強くなりました。
 モルディブは穏健なイスラム国家で、マレにあるモルディブ最古の珊瑚石のモスクを見たときは感動しました。釘などを使わず珊瑚石のみで造られたモスクは全国で21箇所あり、そのいくつかはユネスコ世界遺産の暫定リストに載っています(写真1)。

(写真1)モルディブ最古の珊瑚石のモスク

―住民島での人々の暮らしはどのようなものですか。

 成人男性の大半は漁業に従事するかリゾート島に出稼ぎに行っており、日中見かける住民の多くは女性と子供です。住民島ではコミュニティ全体が子供中心に回っており、学校は朝7時から始まり昼過ぎには終了するため、午後の一番暑い時間帯は外を出歩く人はほとんどおらず、時が止まっているようにさえ感じます(写真2)。
各島には独自の伝統工芸や、食文化があります。例えば、黒とオレンジのコントラストが目を引く漆工芸品や、い草を編んだ敷物、女性の民族衣装に施される金糸・銀糸を使った刺繍などがよく知られています。普段の食事は質素で、ガルディヤと呼ばれる鰹をベースにしたスープをご飯と混ぜて食べたり、スパイシーな魚のカレーがポピュラーです(写真3)。因みにモルディブで獲れる鰹は鰹節に最適で、(株)ヤマキは2016年から日本向け鰹節工場を当地で稼働させています。
 モルディブ人の知り合いに島を案内してもらうと、すれ違う人たち全てと立ち話をします。島の住民全員が大家族のようなものです。数百人規模の島では住宅以外にはモスク、学校、小さな小売店がある程度です。病院は比較的大きな島のクリニックに行くか、検査が必要な場合はマレの病院まで行く必要があります。緊急時の移送には救急艇が使われますが、数は限られており応急手当ができる設備もないことから、昨年日本は荒天にも対応でき応急処置設備の整った救急艇の供与を決定しました。因みに遠方からの緊急搬送には平常時はモルディブ領海内をパトロールしているインド国軍のヘリコプターが使われます。
 最近は島の観光資源を活かして収入を得るために住民島にゲストハウスがオープンしています。手ごろな価格でのんびりとした住民島の良さを味わえることから観光客に人気が出てきました。ただしビキニで島内を散策したり飲酒したりすることは禁止されています。
 近年住民島も気候変動や近代化に伴う問題を抱えています。海岸浸食や珊瑚の白化現象は漁業や観光資源に依存する住民にとって深刻な問題です。廃棄物処理にはどの島も例外なく頭を抱えています。多くの島は処理施設がなく、ゴミは島の一角に堆積し、いずれ燃やすか、風雨で海洋に流されることになります。プラスチックゴミが美しい珊瑚礁の海に大量に浮いているのを見ると心が痛みます。
 浄水の確保も課題の一つです。人口の3割以上が集中する首都マレは日立製作所が水道公社の経営に参画し、海水淡水化装置を稼働させていますが、多くの住民島は雨水を飲用水として使用しています。下水も未処理のまま海に流しているところが多く、下水管から漏出した汚水が生活用水となる地下水を汚染するという悪循環が起こっています。

(写真2)地方島の昼下がり、ジョーリに腰掛ける女性たち
(写真3)モルディブの朝食:ロシ・マスフニ・魚カレー

―モルディブと日本との関係はいかがですか。在任中に力を入れられたことは何ですか。

 特に援助関係に焦点を当ててお話します。モルディブは伝統的な親日国で、今年、日・モルディブ外交関係樹立55周年を迎えます。モルディブは2007年に日本に大使館を開設しましたが、首都マレに日本大使館が開設されたのは2016年と比較的最近です。一方、1985年以来、日本はモルディブにとって最大の二国間援助供与国の一つとなり、モルディブ人と話をしていると日本が建てた学校に通った人や青年海外協力隊に水泳やバレーボールを習った人など沢山いるのに驚きます。
 日本の支援の象徴として常に話題になるのは1987年から2002年まで15年間に亘り実施したマレ島護岸建設事業で、2004年のインド洋大津波から首都を救ったとしていまだに深く感謝されています。現在JICAがその修復と更なる強靱化を計画中です(写真4)。
 私が着任した2018年末は、中国の支援に大きく依存していた政権から多国間外交に舵を切ったソーリフ新政権が誕生した時でした。汚職・腐敗を撲滅し民主主義の定着を目指す政権と共に私もスタートしたわけですが、今思い返すと、新設公館と新政権が手探り状態で案件形成を進めていた気がします。優先事項は何かと尋ねると「全て」と答えが返ってくるのには困りました。
 私が在任中特に力を入れたのは、他の有志国や国際機関との連携です。モルディブはアジアの最小国で、自然災害に対する脆弱性を抱え、さらには債務持続性への懸念もあり、各国・機関が提供できる資源は極めて限られています。それらを有効活用して最大限の効果を得るためには、支援の重複を防ぎ、それぞれが得意分野とする支援を組み合わせるなどドナー間の協調が何より重要です。
 成功例を挙げれば、日本が供与した救急車・医療機材と米国によるパラメディック研修の組み合わせ、国連薬物犯罪事務所(UNODC)との国際機関連携による海上救命コーディネーションセンターの設置・訓練プロジェクトがあります。UNDPとの中小企業支援や農業分野での協力も、モルディブのニーズに合った女性・若者の支援に繋がる良い案件と言えます。
 日系企業支援にも力を入れました。モルディブのような小規模経済国には日本の大手企業はなかなか注目してくれません。もちろん中小企業や研究機関が持つ技術も貴重です。ちょっとした接点を持つ日本企業を見つけたら、投資先としてのモルディブの「売り込み」を開始します。セールスポイントは、より大きな島嶼国への進出を目指してモルディブを実証実験場として使ってほしい、また小国であるが故に「日本」と言えば大臣レベル自らが動いてくれるという点です。有り難いことに我々の小さな努力の積み重ねが功を奏して複数の企業がモルディブ投資に関心を持ってくれるようになりました。
 現在、モルディブにとって喫緊の課題である環境・気候変動対策分野での新たな支援として、再生可能エネルギー導入や廃棄物処理に係るプロジェクトを検討しています。例えば太陽光発電と海水淡水化処理を高精度のエネルギー制御システムで接続したプロジェクトなども有力候補の一つです。また、モルディブのニーズに合いかつ当国で実現可能な日本の再生可能エネルギーや電力制御システムを含む先端技術を結集した「スマートアイランド構想」も議論されています。因みに、オランダの企業は当地でフローティング・アイランドのパイロット計画を進めています。

(写真4)インド洋大津波からマレ島を護った護岸記念碑

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 やはり、国内人口の5人に1人が感染したとされる新型コロナウイルス感染拡大がもたらした経済・社会的影響への対応です。観光業に国家収入の4割近くを依存するモルディブは、新政権誕生後1年で観光収入の激減(2020年のGDP成長率はマイナス32%)と経験したことのない財政難、そしてそれに伴う社会経済開発の大幅な遅れといった数々のチャレンジに直面しました。その影響は内政面にも及び、昨年の地方議会選挙では与党が苦戦し、首都マレ市は野党が市長職と市議会の過半数を奪取しました。
 モルディブは約1年半ハードロックダウンとソフトロックダウンを繰り返しましたが、日本はいち早くコールドチェーン整備のための緊急無償資金協力やワクチン供与を行いました。加えて、極めて例外的措置としてコロナ対応のための危機対応緊急支援円借款も実施しました。新規観光客ゼロが長期間続く中、このような日本による支援は政府関係者やモルディブ国民に深く感謝され、私自身も本省との連携やモルディブ側とのチームワークを心から有り難く思いました(写真5)。
 モルディブ政府は首都マレ島と地方の住民島との往来を一切禁止する中で、世界の観光地に先駆けて2020年7月に国境を再開し、リゾート島のみへの移動を認めました。国外から入った人々がリゾート島のみに留まることになり、「1島1リゾート」が事実上の隔離施設となったわけです。その後、観光客は徐々に増え、昨年は10月時点で既に年間百万人目標を突破する勢いとなりました。

(写真5)COVAX を通じるワクチン供与

―日本の役割と今後の展望についてどうお考えですか。

 モルディブが直面する課題と日本が果たしうる役割について、政治・安全保障面と経済協力の二面からお話しします。
 観光業が回復傾向にある一方で、GDPの約一割を割かれる燃料をはじめ、食料・日用品までほぼ全ての物資を輸入に頼るモルディブは、今回のパンデミックの経験から産業の多角化と地方分権の必要性を改めて痛感し、住民島の若年層の雇用創出にも繋がる水産加工業の拡大と農業の復興に力を入れ始めました。また、昨年のCOP26でも繰り返し強調された気候変動による生活環境や産業への悪影響と自然災害に対する脆弱性への対応も急務となっています。
 このような分野で日本の持つ信頼性の高い優れた技術は応用の幅も広いと考えられます。モルディブへの適用を考える場合、地理的にも類似した環境にある沖縄の技術に我々は注目しています。「沖縄リソースのモルディブへの適用」について現在JICAを中心に検討が進められています。既に沖縄科学技術大学院大学(OIST)によるリゾート島での波力発電実証実験や沖縄で開発された高性能小型焼却炉チリメーサーの住民島への導入計画が進んでいます。日・モルディブ外交関係樹立55周年に当たる本年、更なるプロジェクトが形成されることを期待します。
 また、政治・安全保障面では、アジアと中東・アフリカ地域を結ぶインド洋シーレーン上の要衝に位置するモルディブは、日本にとって「自由で開かれたインド太平洋」を実現するための重要なパートナー国であることを忘れてはなりません。海洋国モルディブにとって海洋安全保障は健全な経済活動を支える根幹です。我が国が国際社会と共にモルディブの持続的発展と繁栄に力を貸すことは南アジア地域全体の安定と海洋安全保障の確保の観点からも重要な意義を持ちます。
 政権交代後、モルディブはいち早く英連邦に復帰し、昨年はシャーヒド・モルディブ外相が国連総会議長に就任するなど国際社会でのプレゼンスを高めています。現政権による特定国のみに依存しないバランス外交は日本としても高く評価できます。政府は2年後の大統領選挙に向けてパンデミックで失われた1年半を取り戻すべく社会経済開発プロジェクトを加速させています。それを支援することも重要ですが、日本の援助は10年、20年後をも見据えた中長期的視野に立った持続可能な経済成長と社会開発に貢献するものであるべきと考えます。

―最後に一言。

 皆さん、モルディブに行かれる際は、リゾートだけにとどまらず、独自の文化と素朴な生活、そして温かい人々の心に触れることのできる住民島にも是非足を伸ばして下さい。日本としては、地方の住民島がその魅力を残しながら生活の基礎インフラの問題を解決できるよう支援の手を差し伸べていくことが重要であると考えます。