(コロナ特集)新型コロナウイルス感染拡大がロシアに与える影響


駐ロシア大使 上月豊久

 現在,新型コロナウイルスは世界全体を覆う大変深刻な問題です。コロナ禍はロシアを直撃し,露国内感染者総数は60万人を超えましたが,これは6月下旬現在,世界で3番目に高い水準,欧州では最大となっております。
 今回,本特集への寄稿の機会を頂きまして,読者の皆様に①ロシアでは,どのように新型コロナウイルスの感染が拡大していったのか,②プーチン政権が本年描いていたであろう政治シナリオに感染拡大がどのような影響を与えたのか,③プーチン政権として,どのようなシナリオの立て直しを行おうとしているのか,そして,④現下,日露はコロナ対策の分野でどのような協力を行っているのか,について,私見を述べたいと思っております(本稿執筆は6月下旬)。

写真1:ロックダウン中のモスクワ市内ショッピングモール(著者撮影)

1新型コロナウイルス感染拡大の深刻化
 1月下旬以降,中国を中心とした新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ,ロシアも水際措置を徐々に導入していきました。最も初期の段階で取られたものとしては,1月30日,ミシュスチン露首相が新型コロナウイルスの拡散防止に係る措置の一環として,極東における露中間の国境を閉鎖する決定を行ったことが挙げられます。その後,韓国,イラン,イタリア等と入国制限対象国が拡大された後,3月16日には,外国人に対する全面的な入国制限措置がとられました。
 3月中下旬頃は,欧米諸国と比較すればロシア国内は低い感染者数に抑えられており,露国防省はイタリアに自軍の医療チーム派遣を決定するなど,余裕もありました。しかし,3月末にかけ,露国内の感染者数が急増し始め,2000人を超えることとなり,これと前後して,政府は海外からの感染流入対策に加え,抜本的な国内感染抑え込み対応に追われ始めます。3月25日,プーチン大統領は会見で,3月30日から4月3日までを非労働日とするとの宣言を行いました。なお,これは相次いで延長され,5月初旬まで非労働日が続きました。同時に,3月27日から,ロシア国民の本国帰還のための特別便及び政府の個別に決定した便を除き,全ての定期便及びチャーター便の運航が停止されることとなる等,より一層の移動の制限策がとられました。
 露国内での感染の中心であったモスクワ市では,4月11日に交通機関・自家用車を利用した市内の人の移動を一定程度コントロールする電子通行証制度が発表されました。同月15日以降,市民は通行証を取得しなければ遠距離への移動が事実上不可能となり,モスクワの主要幹線道路は封鎖でもされているかのような静けさとなり,普段ショッピング客でいっぱいのショッピングセンター等(注:食料品店など,一部店舗は非労働日中も営業)もまるでゴーストタウンのような状態となりました。

2新型コロナウイルス「以前」のロシア
 新型コロナウイルスの問題は,ロシアに政治・経済的に大きな影響を与え,プーチン政権の描く政治シナリオの大幅な変更を余儀なくしました。まず,新型コロナウイルス「以前」に,ロシアはどのような課題を抱え,これにどのように取り組もうとしていたかを説明したいと思います。
(1)経済成長の達成
 2018年5月,プーチン大統領は再任後直ちに国家プロジェクトの推進を提唱し,国民生活の質の改善と経済成長の実現に取り組んでいます。しかしながら,これは容易ならざる課題で,必ずしも成功裏に進んでいるとは言えません。1月15日,メドヴェージェフ内閣(当時)が総辞職し,実務能力に秀でたテクノクラートとしての評判の高いミシュスチン連邦税務庁長官(当時)が首相に指名されました。
(2)政権の求心力の向上
 プーチン大統領は「専制君主」のように言われることもままありますが,実際には国民の支持を確保するために注力してきました。政権の求心力のためには,経済成長を裏付けとする生活の向上も重要ですし,同時にクリミア「併合」,シリアの作戦など,自らの外交・軍事上の「成果」を国民の支持獲得に利用してきました。更に,国民の愛国心も国民の支持を得る重要なツールです。そこで,本年は戦後75周年の節目であり,5月9日に予定していた「大祖国戦争戦勝75周年記念式典」(注:対独戦勝利75周年記念の式典)を盛り立てることで,第二次大戦の戦勝国としてのアイデンティティを想起し,国民の愛国心を高揚させ,結果として政権の求心力を高めることが重要な課題でした。そのため,この式典の成功のため多大な努力が払われていました。
(3)プーチン大統領の現任期後のロシア統治のあり方
 プーチン大統領は2012年の再選以降,連続2期大統領を務めることとなりましたが,現行憲法には連続3選禁止規定があることから,2024年には任期を終えることとなります。これに関連し,ロシア国内では,①2024年以降,誰が大統領となるのか,②2024年の任期終了までプーチン政権がレームダック化してしまうのではないか,といった問題が避けて通れないものとなりました。
 このような中,本年1月,首相の交代と同時に憲法改正が提案されました。改正案によれば,今回の新憲法改正が成立すれば,プーチン大統領がこれまでに務めた大統領任期の数はゼロに「リセット」されることとなり,プーチン大統領には,2024年以降,更に2期12年,大統領職に留まる道が開かれます。この憲法改正案は議会を通過し,そのための「国民の投票」は,4月22日に予定されていました。

3新型コロナウイルス感染拡大を受けた政治シナリオの変更
 このように,3つの課題に対して新しい取組が進められようとしていたところで,4月30日,ミシュスチン首相自身が新型コロナウイルスに感染し,そのほか3閣僚や大統領報道官もその後相次いで感染が発覚するなど,ロシアにおける新型コロナウイルス感染拡大の波が本格化し,政権は,その政治シナリオの見直しを余儀なくされました。

グラフ:ロシア国内での新型コロナウイルスによる感染者・死者数推移

(1)「経済成長の達成」について
 コロナ禍を踏まえ現在では,政府予測にてGDPは前年比-5%成長,本年末の失業者は530万人に達する可能性が言及されています。
(2)「政権の求心力の向上」について
 大規模な大祖国戦争戦勝記念式典は延期となりました。新たな日程については,1945年に対独戦終戦直後の戦勝パレードが実施された6月24日に白羽の矢が立ちました(5月26日発表)。
(3)「プーチン大統領の現任期後のロシア統治のあり方」について
「プーチン大統領の現任期後のロシア統治のあり方」の試金石となったであろう,4月22日に予定されていた憲法改正案に関する「国民の投票」も延期となりました。これについては,7月1日の実施が決定されました(6月1日発表)。
(4)新たな政治シナリオ
 このように,まさに戦勝記念パレードで高揚した愛国心の波に乗り,その一週間後に国民の投票が行われる,というシナリオが新しく描かれたようにも見受けられます。
 この動きを補強するかのように,6月8日,モスクワ市内の電子通行証制度の終了が発表され,あわせて,6月23日以降は市内でとられていたほとんどの制限が撤廃されるということも公表されました。自己隔離からの「解放」というムードの下で,政権としては憲法改正案に関する「国民の投票」で高い投票率と得票率を確保したいとの狙いがあるのでしょう。
 7月1日に予定される憲法改正案に関する国民の投票を前に,テレビでは投票の意義を訴える短いインタビューや投票を呼びかける政策広報が一日中流れています。憲法改正案には,公的年金(給付額)の物価スライド制,文化の保護,領土の一体性の維持といった国民の目を引くものが多く盛り込まれており,政権の必死さが現れているとも言えるでしょう。
 しかしながら,経済について言えば,石油価格の下落,投資がうまく呼び込めていないといったことを踏まえると,当面は低迷が続くことが予想されます。そのような状況の下で,来年の議会下院選挙はどうなるのか。2024年の大統領選挙に果たしてプーチン大統領は出馬するのか。引き続き目が離せません。

写真2:日露共同開発の検査キット

4日露協力
 新型コロナウイルス対策分野でも日露協力は進展しており,3月17日にプーチン大統領が公の場で日本の名前を挙げてこれに言及しております。日本では余り知られていないので,ここで少し御紹介したいと思います。新型コロナウイルス感染拡大対策において,より速く,多数の検査を,高い精度で行えることは重要です。これに関し,日露の協力案件の一つを紹介します。
 それは,日露合弁企業により開発された,「日本発の迅速検査手法であるSmartAmp法(等温核酸増幅法)を用いた新型コロナウイルス感染症の迅速検査キット」です。このキットには,①常設のデバイスにおいても活用可能であるのみならず,ポータブル型の小型検査機器(スーツケース2つに収まるサイズ)により,あらゆる場所で利用可能である,②検査に要する時間は30分程度であり,従来のPCR検査に比べて非常に短時間で検査可能である,③非常に高い精度(90%以上)で新型コロナウイルス検出が可能である,という3つの画期的な利点があります。
 2016年5月に安倍総理からプーチン大統領に提示した8項目の「協力プラン」において,一番目の項目には「医療分野」が掲げられていますが,「検査キット」の成果は,まさにこの「協力プラン」下で進められてきた「携帯型感染症診断システム」の実用化に向けた協力案件を基礎として得られたものです。更に,今回の検査キット事業には,同「協力プラン」の下で2017年に設立された日露共同投資枠組からの投資が行われることが合意されています。この検査キットが,新型コロナウイルス感染拡大阻止にうまく活かされることを期待しています。

5結語
 モスクワでは人々の生活も元に戻りつつあります。私もようやく少しずつ会食等を再開しているところです。

写真3:現在(6月下旬)のモスクワ市内の様子(著者撮影)

 当地における新型コロナウイルス情勢を踏まえ,Stay homeを呼びかけ,ロシアの方々に日本を知ってもらうための広報活動に力を入れてきました。在ロシア大使館では,本年5月から8月まで,様々な日露の団体の協力を得ながら,Japan Online Festと題し,日本文化に触れていただくイベントを47件(6月30日時点)オンラインで開催してきています。また,私自身も,公式Facebookページ(https://www.facebook.com/Ambassador.Kozuki/)で,相撲大会について,ロシアで初めて行われた流鏑馬について,そして日本人バレエダンサーのロシアの劇場での活躍やロシアで育った日本人ピアニストの演奏等について紹介しました。また,ロシアの図書館のプロジェクトの枠組で,15分程度の柔道に関する講義も行い,その動画も掲載しております。ロシア人向けのFacebookのためロシア語ですが,画像・動画も豊富ですので機会があれば皆様も笑覧下さい。
 最後に,日本が,そして世界がこのコロナ禍を一刻も早く乗り越えることを心より祈念します。