(コロナ特集)南アフリカの新型コロナウィルス対策


駐南アフリカ大使 丸山則夫

 政治学者フランシス・フクヤマ氏がForeign Affairs誌 (July August) に発表したThe Pandemic and the Political Orderが話題になっている。同氏はコロナ危機の対応は国家機能のストレステストであると指摘し、コロナ危機により①国家の能力の有無、②人々の政府に対する信頼、③指導者のリーダーシップが試されているとする。
そしてコロナ危機は科学者等のプロフェッショナリズム、科学的知識が重視され、これらを理解する政治家であるか否かが人々に見抜かれるとする。

 また、フクヤマ氏は今回の危機によりナショナリズム、孤立主義、ゼノフォビア、リベラルな世界秩序への攻撃が加速し、今後、貧困国、人口密度の高い都市、公共医療システムの脆弱な諸国が最も困窮し、扇動的なデマゴーグの政権奪取による汚職の進行を懸念する。その一方で、このような規模の外的ショックは、いままで停滞していた政治秩序の改革が進む可能性があり、長い間実施できていない構造的な秩序の変革につながり得るとも指摘する。
このようなフクヤマ氏の洞察力に富む問題提起に共感する人は多く、これまでも多くの人々が氏の切り口から各国の新型コロナウィルス対策を論じてきている。

 拙稿でもこの問題提起を念頭に、以下、南アフリカ(南ア)が新型コロナウィルスでどのような影響を受けたのか、政府はいかなる対策をとったのか、その概略を見ていくことにしたい(字数制約もあり、割愛せざるをえなかったトピックスも多々あることをあらかじめお詫び申し上げる)。

まずは南アの感染状況から見てみよう(数字は9月16日時点)。

演説するラマポーザ大統領。大統領府提供

 南アでは3月27日からロックダウンが継続中。ただし、5月から段階的に緩和し、9月16日現在,警戒レベル2(5段階。最も規制が厳格なのがレベル5)。経済的活動はほぼ再開され、国内の移動は自由となったが、国境の閉鎖は続く(9月16日,ラマポーザ大統領は国民向演説で9月20日真夜中の時点で警戒レベル1に引き下げる旨発表)。
 3月15日に発動された「国家的災害事態」も延長を繰り返し、拙稿の執筆時点では10月15日まで延長。累計感染者数は約65万人。世界8位。ちなみに南アの人口は約5900万人。新規感染者は8月以降から減少傾向。毎日1000〜2000人程度。検査総数は約396万件。累計死亡者数は約2万5千人。死亡率は約2.4%。

新型コロナウィルスは世界各地で様々な分断と対立を映し出し、それらを加速しているが、南アも例外ではない。

 南アで映し出されたのはアパルトヘイトの傷跡である。四半世紀たち、克服しているはずの分断が克明に浮かび上がり、アパルトヘイトが残した人種間の格差を新型コロナウィルスは際立たせてしまった。
 南アの人口約5900万人のうち、およそ400万が白人(ヨーロッパの中規模国の人口に匹敵)、5500万が黒人を中心とする白人以外の人種である。そしてその間には深淵な格差が今なお厳然と存在する。
 その象徴的な存在が大都市近辺に点在するタウンシップと呼ばれるアパルトヘイト時代から残る旧黒人居住区(非白人居住区)である。現在の南アでは人種別の居住地規制はもちろんないが、所得格差もあり居住形態は容易に変化しない。旧黒人タウンシップには今でも多くの異なる言語・文化の黒人が生活し,インフォーマルなトタン屋根のスラム地域を含め総じてその環境は劣悪であり、凶悪犯罪,高失業率、貧困、女性に対する暴力等、南アが抱える殆どの問題がそこに集約されている。

 しかし、タウンシップは隔絶された場所ではない。
近隣の大都市にてサービス業で働く者、家政婦、警備員、単純労働者の多くはこのタウンシップに住み、ここから公共交通機関を利用し、富裕層が多く住む地区に通い、そこで働いている。そのため、欧州などから帰国した人や旅行客から自ずとタウンシップに感染が広まり、一度タウンシップで蔓延すれば更に都市部にも拡散する。

 ある社会学者は新型コロナウィルスのタウンシップ内での感染経路を特定することが何よりも重要であると強調する。劣悪な環境にあるタウンシップは今回の危機に対応できるような設計にはなっていないと指摘し、タウンシップに蔓延する問題を解決しない限り、ワクチンや治療薬の開発が進んだところで意味を成さないだろうと警告する。

 南ア政府がロックダウン直後、タウンシップでのPCR検査を最優先とし、いち早く最貧困層への生活保護の上乗せや食糧配給を手当したのも、また、ロックダウンが長期化し、そうした策だけではもたない、職場に戻す必要があると判断するや、感染のピークを迎える前であるにもかかわらず、タウンシップの住民の多くが従事する飲食業等のサービス業解禁に踏み切ったのも、自国のどの部分が脆弱かを十分に把握できていたためであろう。

次に南アの医療事情を見てみよう。

 南アは先進国並みの医療水準、病床数を有している。
 1日3万件以上の検査体制、毎日詳細に公表される感染者数統計は、他のアフリカ諸国にない透明性、南アの持つ公衆衛生システムの高さを示しているとも言える。

 しかし,私立病院と公立病院の医療格差は深刻である。
 富裕層が利用する大都市の私立病院は潤沢な資金により、充実したICU病床や、豊富な医療関係者を有し、欧米並みの高い水準の医療を提供している。南アは感染者数で世界のワースト5位であるが,こうした病院では医療崩壊などは生じていない。その一方で、公立病院には検査キット、病床、医療機器、医療関係者のいずれもが不足し、個人防護具などの不足から医療関係者がストライキを起こしたり、医療関係者を守る体制にない劣悪な職場環境に対する告発が散見された。

 そうした状況に南ア政府のガバナンスの悪化が拍車をかける。南アは10年続いたと言われる汚職の影響に今も悩まされている。至るところでガバナンスの悪化は深刻である。公立病院が何ヶ月経っても必要な人材や物資等を思うように調達できないのも州政府のガバナンスの欠如のためとも言われており、対応の限界が懸念されている。

 南アは,HIV/AIDS感染者が多い国であることも忘れてはならない。南アの死因のトップは圧倒的にHIV/AIDSである。南ア全土に新型コロナウィルスが蔓延すれば,タウンシップの脆弱性と相まって、その犠牲者の数は想像を絶するものとなるとロックダウン当初はとまことしやかに噂された。

 しかし,幸いなことに、南アの死亡率は執筆している9月初めの時点で2%台にとどまっている。世界的に見ても低い数値である。その理由としてよく言われることは南アの人口が若いということ、私立病院の医療水準は高いこともあり、総じて医療インフラは整っていること、また、早期に厳格なロックダウンを行ったことで感染者の急激な増加をおさえることに成功し、その間に病床や隔離施設を増強することができたことなどである。

南アの経済は今回のコロナ危機でどのような影響を受けたのであろうか。

 ロックダウン導入時の3月下旬には,南ア経済は最悪の状態にあった。
国営企業の改革の遅れは国民の生活を直撃し(電力公社は電力を供給できず、「計画停電」を繰り返す)、財政は悪化を続け、失業率(2020年上半期で約30%)は下がる気配がない。それに追い打ちをかけるかの如く、これまで三大格付け会社のうち唯一南ア国債を投資適格としていたMoody’sもジャンク級(Ba1)に引き下げた。
 そうした、南ア経済の悪化は,ロックダウンによってさらに加速している様相を呈している。

 南アの2020年の経済成長率予測について、6月に世銀から発表された世界経済見通しレポートではマイナス7.1%と予測されたものの、財界有力者の中にはこの数字はマイナス10%かそれ以上、失業者数も700万人に増加する可能性があると警鐘を鳴らす。

 累積公的債務は、既に4兆ランド、GDP比の約8割に達することが明らかにされているが、格付け会社によればこの数字はさらに悪化する可能性があり、さらなる格下げの可能性も警告されている。実際、3月のMoody’sによる格下げとロックダウンを受け、通貨ランド安は相当に進行している状況にある。

 今回の新型コロナウィルス対策として、政府はGDPの10%にも及ぶ5,000億ランドの社会的救済と経済支援策パッケージを表明した。しかし,更なる財政出動を求めるエコノミストや有識者グループと、公的債務削減のためには財政支出削減が不可欠とする三大格付け会社(Moody’s、S&P、Fitch)の双方から批判を受ける形となり,政権は難しい舵取りを迫られている。

 そうした状況の中、南ア政府はIMF他国際機関より約70億ドルの融資を受ける旨表明した。特に南ア政府が初めてIMFから融資を受ける決断をしたことは、今回の融資は構造調整を伴わない緊急融資ではあるが、注目に値する。IMFからの支援受け入れにあたっては、政府内でも相当な議論があったことは想像に難くないが、本件についてはのちほどもう一度言及したい。

政治面においてはどうか。
南アの指導者は危機において求められるリーダーシップを発揮できたのだろうか。

ラマポーザ大統領を出迎える筆者

 ラマポーザ大統領が率いる与党アフリカ民族会議(ANC)は多様である。
 大統領のように経済界(大企業)が支持するグループ、ズマ前大統領派のように地方の有力者の支持を受けているグループ、労組を支持基盤とするグループが共存し、さらには共産党議長も重要閣僚の一人として入閣している。
 新型コロナウィルスが世界を揺るがし始めた年初の頃は、ANC内の反ラマポーザ派の動きが毎日のようにマスコミを賑わし、来年の総会を待たずに大統領は窮地に追い込まれる、と言う論調が主であった。
 こうした中でリーダーシップを発揮するのは簡単ではない。
 しかし、新型コロナウィルス危機に直面した大統領の決断は早かった。
 いち早く、政策判断にあたっては科学者からなる閣僚諮問委員会の助言を中核に据えることを決定し、科学的エビデンスを前面に,速やかに党内のコンセンサスを形成、感染の初期段階に厳格なロックダウンを実行することに成功した。
 これにより感染拡大のピークを遅らせ、ピークに備えた諸準備を行うことが可能となった。この決断で救われた人命(感染爆発して医療体制が整わず失われた人命)は2万人に上ると試算する科学者もいる。

 しかし、ロックダウンが段階的に緩和されるに従い,長引くロックダウンへの各方面の鬱積した不満が表出する。白人社会は、政府による個人の権利の不必要な抑制に反発,ロックダウンの違憲・無効化を求め提訴もなされる事態にまで発展した。
 ロックダウンで日銭を稼ぐことが出来なくなった貧困層は「我々はコロナでは死なない。空腹で死ぬ。」と窮状を訴えた。
 教員組合は教職員の感染の危険が高まるとし、公立学校の再開に反対、他方タクシー組合は乗客の「密」にはお構いなく、ミニバス・タクシーの乗車率100%を訴えた。
 そうした声はロックダウンの段階的緩和の中ですべて受け入れられることとなる。

学校登校時。大統領府提供

 各方面からの早期の経済活動再開を求める切実な訴えは、野党、与党各派を突き動かした。こうした中、大統領は党内各派との調整を繰り返し、科学者の意見に耳を傾けた結果、感染の完全な収束を待つことなく、感染予防を徹底することを条件に経済活動の段階的再開を決断するに至った。
 厳しいロックダウンは貧困層のみならず中小企業経営者や個人事業主等中流階級にも大きな所得減をもたらし、国民間の不平等をさらに助長してしまったことも決断の背景にあると思われる。

 ここでフクヤマ氏の次の指摘を思い出していただきたい。
 「このような規模の外的ショックは、いままで停滞していた政治秩序の改革が進む可能性があり、長い間実施できていない構造的な秩序の変革につながり得る」 このことは南アにもあてはまる。
 財政健全化と国有企業改革、そしてより根源的な問題としての汚職対策である。

 先に触れたIMF支援受け入れは、まさに「長い間実施できていない構造的な秩序の変革につながり得る」ものであり、ラマポーザ大統領を支持する南ア財界が強く期待する財政健全化に向けての大きな一歩である。今回は緊急融資であり、構造調整は伴わないものの、次の一歩に向けての大統領の本気度を示す強いメッセージとなったのではないか。
 また新型コロナウィルス危機と軌を一にして南アは電力公社ESKOMの立て直しと国営南ア航空の再建が待ったなしの状況である。党内の反対勢力を押し切り、ここにも改革のメスを入れることができるであろうか。

 汚職ということでは、今回の新型コロナウィルス対策に関連しても、公的資金にまつわる汚職や不適切な管理が摘発されているのは残念であるが、ラマポーザ大統領は厳格に対応していくとの強い決意を示している。大統領の決意に期待したい。

 フクヤマ氏はコロナ後の「扇動的なデマゴーグの政権奪取による汚職の進行を懸念」するが、新型コロナウィルス危機をめぐる一連の対策は果たして南アの汚職を切り崩すきっかけとなるのであろうか。ラマポーザ大統領と対立する元ズマ大統領派の動きは危機の初期においては静かであったが、7月に入り一時中断されていた元ズマ派に対する汚職追及が再開されたのと同時に、ラマポーザ大統領に対する反発が強くなり、汚職対策をめぐり党内での対立は鮮明になってきた。メディアは賑やかである。

最後にラマポーザ大統領が実行した主な対策を振り返り、結びとしたい。

― 最初の段階から、科学者からなる閣僚諮問委員会の助言を中核に据え、科学的エビデンスを前面に政策判断を行うことを決断した。
― 死者ゼロの時点で、特に脆弱なタウンシップ等での感染爆発を防ぐために厳しいロックダウンを実施。それにより感染ピークを遅らせ、脆弱であった各州の検査・隔離施設、仮設病院の建設、既存病棟の拡充等を実施し、医療崩壊をおこさずに世界でも低い部類の死亡率を実現した。
― GDP10%の規模となる支援パッケージを発表するとともにタウンシップ等に住む最貧困層への生活給付の上乗せ、食料配給を迅速に決定し、それだけでは持たないと判断するや即座に感染ピークを待つことなくサービス業を解禁し、職場に戻すことを優先した。
― 党内のバランスを重視し、異なる方向からの要望を可能な限り受け入れ、経済活動再開に向けてロックダウンを段階的に緩和する一方でIMFからの支援受け入れを実現することにより長年大統領自身の支持母体でもある南ア財界が求めてきた財政健全化に一歩踏み出した。

 現在南アは総感染者数こそ多いが、死亡率は2%台。医療崩壊は起こっていない。経済活動はほぼ全面的に再開。長年の懸案であった「構造的な秩序の改革」も視野に入ってきた。

 さて、フクヤマ氏が指摘した国家の能力の有無や指導者としてのリーダーシップ。
 読者の皆様は、南アについてはどのような評価をくだされるであろうか。

コロナ禍の挨拶。大統領府提供
モールでのソーシャルディスタンシング。大統領府提供