(コロナ特集)「コロナ政局」となったイスラエル


駐イスラエル大使 相星孝一

1.はじめに
 8月にイスラエルが米国の仲介により西岸併合の棚上げを条件としてUAEとの関係正常化に合意したことは国際社会の注目を集めましたが、これはイスラエル国内においても連日、1000人を超える新規感染者が報告され、新型コロナの第二波の収束が見通せない中で久しぶりの前向きなニュースとして受け止められました。
 しかし、その後も新規感染者は急増し、8月末から3000人を上回る日が続き、9月9日時点で累計感染者数は13万人を超え、当初は低く推移していた死者数も1040人に達しました。


 イスラエルの内政を振り返れば昨年4月以来、三度の総選挙を行いながらも、明確な過半数を得たブロックが形成出来ず、行き詰まりの状態が続いていました。しかし、コロナ禍への対応を契機として野党勢力が分裂し、ガンツ党首の率いる中道政党「青と白」はネタニヤフ首相のリクード党との緊急連立政権樹立に合意、5月中旬にはコロナ対応のための「挙国一致内閣」が発足しました。その後、予算案の取り扱い等を巡り、連立政権内の亀裂が深まり、8月末には年内に四度目の総選挙が実施される可能性が高まりましたが、コロナへの対応が優先され、それはとりあえず回避されました。このように今年のイスラエル内政はコロナを巡る状況と切り離すことのできない「コロナ政局」の様相を呈しています。

2.ダイヤモンド・プリンセス号が契機となり導入された厳しい水際対策
 イスラエルでコロナに対する危機感が高まったのはダイヤモンド・プリンセス号に15名のイスラエル人客が乗船していたことから始まりました。ネタニヤフ首相はイスラエル人乗客への対応のために直ちに保健省の担当次官補を日本に派遣し、日本側との調整を経てチャーター機にてこれらの乗客を帰国させましたが、その中から2名に陽性反応が確認されました。同じタイミングでイスラエルを訪問していた韓国人旅行者グループの感染が判明し、イスラエルは韓国、日本をはじめとするアジア諸国からの渡航者にいち早く入国禁止措置を打ち出しました。その結果、イスラエルに到着した大韓航空機がイスラエル人乗客のみを降ろして、そのまま韓国へ引き返すことを余儀なくされるといった事例も起きました。その後、イスラエルは次々に入国禁止措置を拡大し、3月上旬には全ての外国人の入国を禁止しました。この時点で判明していた国内の感染者はわずか50人に過ぎず、一部の島嶼国を除けばおそらく世界で最も早く「鎖国」政策を打ち出した国でした。

3.軍や治安・諜報機関も動員しての矢継ぎ早の制限措置の実施
 しかしながら、その後、海外からの帰国者の感染事例などもあり、感染は拡大し、特に人口密度の高い地域に大家族で居住し、密閉された建物内での祈祷を日常的に行う超正統派関係者の間での感染が増えました。これに対して感染防止のために、外出可能距離の制限、都市間の移動禁止、集会人数の制限、商業・娯楽施設の閉鎖、テロ対策用の通信傍受システムを活用した感染者の追跡・足取り公開、感染者の搬送・隔離、感染率の高い地域の封鎖といった広範な措置を次々に実施に移しました。同時に、無症状の感染者の発見・隔離のためにドライブスルー方式の検査を早期に導入するなど、PCR検査を大量に実施するようになりました。これらの一連の措置は国家安全保障評議会NSCが全体を調整し、警察のみならず公安庁、モサド、イスラエル国防軍まで動員され、制限措置は罰金や懲役刑を伴う強制性を有するものでした。これだけ厳しい措置が導入された背景には先進国の中では脆弱な医療インフラ(少ない病床数、高い病床占有率、医療従事者不足等)しか有していないとの危機感に加えて、過去の度重なる安全保障上の危機を醸成された厳しい措置を受容する国民感情があったものと思われます。
 その一方で超正統派出身のリッツマン保健大臣(当時)が行動制限を遵守しなかったために感染し、その結果、ネタニヤフ首相自身も隔離されるといった事態も生じましたが、一連の措置が功を奏し、新規感染者数の押さえ込みに成功し、5月中旬には1日の新規感染者数が5名まで減少しました。まさにそういうタイミングで連立政権が発足し、これでコロナは収束に向かうかと思われた次第です。この間、ネタニヤフ首相は連日、政府の対応について記者会見を行っており、ある世論調査によれば74%がネタニヤフ首相のコロナ対応を評価すると回答していました。
 当時の私自身の生活を思い起こせば、海岸への出入りも禁止されたために日課としていた早朝の海岸の散策が出来なくなり、当国唯一のゴルフ場も閉鎖され、大使館事務所への出勤と週一回の食料品の買い出し以外は外出もままならず、閉塞感のある毎日でした。イスラエル側との会合は基本、ビデオ通話で行われ、毎年恒例の大統領主催の独立記念日レセプションはZOOMを利用して各自グラスをもってパソコンの前に集合してのオンラインレセプションとなり、ホロコースト記念日の式典も事前に録画したものが放映されるという具合でした。

4.第二波の到来
 この間、厳しい制限措置によりイスラエル経済は疲弊し、無給休暇の離職者を含めた失業率が25%を超えるなど、国民の間には制限緩和を強く求める声が高まっていきました。発足した新政権はこれに応え、集会人数の上限引き上げ、教育機関の再開、商業施設やレストランの再開を実施に移し、その結果、新規感染者数は急増、7月下旬には1日当たりの新規感染者数が2000人を上回り、7月末時点では人口100万人当たりの感染者数は米国を超えました。新規感染者の増加にも拘わらず、新政権は第一波の際の対応とは異なり、緩和策を前倒ししてその結果、更なる感染者の増加を招くという事態を招きました。その後、制限措置を一部復活させたり、感染急増地域の封鎖等で対処しようとしましたが、もはや感染拡大に歯止めをかけることは出来ませんでした。

 何故このような事態に陥ったのか様々な要因が上げられると思います。ネタニヤフ首相が強権を発動して一連の制限措置を実施した第一波の際とは異なり、連立政権の下で西岸併合や首相自身の裁判を巡る問題など、他の政治的案件が山積する中でコロナ関連措置は関係省庁の調整に時間を要し、当初案から後退したり、更にはメディアや議会からの反対を受けて撤回・修正に追い込まれるようなケースが出るなど、コロナ対応のための連立内閣であったにも拘わらず新政権は時宜を得た施策を打ち出すことが出来ませんでした。また、超正統派やアラブ系の住民が多く居住する地域では感染防止策が十分に実施できておらず、特にネタニヤフ政権の支持基盤である超正統派に対して厳しい措置をとれていないことが主たる要因の一つと見られています。そして国民の不満は専らネタニヤフ首相に向けられ、6月末に首相公邸前で始まった首相の辞任を求めるデモはその後、国内に拡大し、毎週末実施されるようになりました。

5.外国との人的往来
 聖地エルサレムに加えて死海、ガリラヤ湖など豊富な観光資源に恵まれたイスラエルにとって観光業はハイテク産業とともに成長産業と位置づけられ、昨年の外国人訪問者数は400万人という大台に乗りました。そして今回のコロナ禍により一番大きな打撃を受けたのが観光分野でした。現状では未だ第二波が収束しておらず、9月末まで外国人の入国は原則禁止となっていますが、日本と同様に一部のビジネス客については相手国との合意に基づき、PCR検査等を経て二週間の隔離期間を一律に課することなく、より簡素な手続きにて往来を認めるようになってきています。また、感染率の低い一部の国・地域については8月16日以降、二週間の隔離なしで空路による人的往来を再開しました。
 具体的にはクロアチア、ブルガリア、ギリシアの一部についてイスラエルとの間で隔離措置なしでの往来が認められるようになり、また、「グリーン国」と定義されるイタリア、英、独、ヨルダン等の21カ国・地域からの渡航者が隔離なしで入国出来るようになりました。これらの措置は2週間毎に見直すこととされ、8月31日には国交正常化が発表されたばかりのUAEを含む9か国・地域が追加されました。おかげで同日、UAEへ歴史的な訪問を果たしたイスラエル代表団は、帰国後に隔離に入る必要がありませんでした。

6.おわりに
 最後にコロナを巡る我が国との関係についても触れておきます。コロナ禍が生じる前、日本とイスラエルの間では経済交流の加速を受けて人的往来も活発化していましたが、イスラエル側からは日本人観光客が日本の人口に比して少なく、それは日本側がイスラエルに発出しているレベル1の渡航情報に起因するとの指摘がなされることが度々ありました。そういう中で 2月下旬に日本からの渡航者にいち早く入国禁止措置が打ち出された際には正直、当惑しました。事前に日本側に十分な説明もないままに実施され、当時イスラエルを訪問していた日本人旅行者の中にはフライトがキャンセルになったり、予約していたフライトへの搭乗を拒否されたために空港でしばらく身動きがとれなくなった方もおられ、その直後に開催された天皇誕生日レセプションでの私の挨拶の中でイスラエル側の措置に不快感を表明した次第です。ちなみにこのような日本人旅行者は数十名でしたが、韓国の場合は1000名を超える旅行者が立ち往生し、チャーター機を準備する事態に至ったということでした。
 3月11日にはイスラエルの民間航空会社であるエル・アル航空による成田への直行便が就航する予定になっていましたが、これも延期となりました。その後エル・アル航空はコロナ禍を受けて全旅客便が運休、ほとんどの従業員も無給休暇の状態になり、経営状況が苦しくなった同社の買収を巡る交渉も始まり、直行便就航についても具体的な見通しは立っていません。
 そういう中でも明るいニュースはあります。当地に駐在している日本企業関係者の多くは主としてオンラインでのビジネスを継続、今年前半の日本からイスラエルへの投資額は昨年同時期を上回る実績額に達したとの報告があります。
 これからイスラエル人の移動が多くなるユダヤ暦の新年やインフルエンザとの同時流行が危惧される冬を迎えますので引き続き感染予防のために注意していくことが求められます。その上で1日も早い有効なワクチンが開発され、本格的な経済・社会の回復が図られるとともに、日本との間の人的往来が早期に再開されることを祈念致します。