音楽の魔法

元国連事務次長、事務総長特別代表 山本忠通
私は音楽が好きである。
私が初めてクラシック音楽に強く惹かれたのは中学一年の時である。授業で聴いたベートーベンの田園交響楽に魅せられてレコードを初めて自分で買い求めた。当時のEP盤という小振りのレコードで、ジャケットはヨーロッパの美しい田園風景の写真であった。何度も蓄音機で聴いたが、佐世保という九州の地方都市では本物のオ-ケストラを聴く機会はなかった。それが中学二年の時に父がロンドンに赴任することになった。
英国は中高一貫教育である。学年を超えて生徒達が交わっている。ある日、年長のリーダー格の生徒が、低学年の我々がたむろしている所に来て、ロイヤル・アルバート・ホールのプロムナード・コンサート(通称プロムス)に行かないかと誘ってきた。プロムナード・コンサートは若い人向けに一流の音楽家が安い入場料でコンサートを行う祭典である。早速プログラムを見るとベートーベンの田園交響楽があった。当日は、初めて生のオーケストラを聴くことで興奮していた。サー・エイドリアン・ボールト指揮のハレ管弦楽団の演奏であった。会場の雰囲気もあったが音も違っていた。好きな曲だけに演奏を聴くと共にメロディーが頭の中に出てきて、それが自分が想い描いているよりも魅力的なのに魅惑され、身体全体が音楽にすっかり包み込まれてしまった。会場も酔いしれていた。コンサートが終わっても興奮は醒めず、一緒に行った仲間と夜道を歩くのが心地良かったのを覚えている。
音楽会では時々魔法が起きる。指揮者もオーケストラも聴衆も全てが一つになってしまうのである。そのような時は、指揮者が指揮しているのか、オーケストラに合わせて指揮者が身体を動かしているのか判らない。指揮者もオーケストラの弾き手も聴衆も全てが音楽の虜になって、音楽の命ずるままに音の作り出す渦の世界に引き込まれて溺れてしまうのである。プロムスの一夜はそのような魔法の夕べであった。
このような魔法は、その後も何度か経験した。
同じロンドンでのことである。しかし、時はずっと後で、既に大使館に勤務していた。妻と二人でロイヤル・フェスティヴァル・ホールに居た。指揮者はセルジュ・チェリビダッケ、オーケストラはロンドン交響楽団であった。当時のロンドン交響楽団は評判高く、チェリビダッケもリハーサルの鬼と言われていた。曲目はベートーベンの交響曲第9番で期待していた。始まると一糸乱れぬ完璧な演奏が流れ出した。チェリビダッケはお尻を振るような独特の指揮振りで、ちょっと滑稽な感さえあるのだが、音楽の厳しさにそのような印象は瞬く間に消えてしまった。完成度と迫力に圧倒され、瞬きをしたかさえも判らないほど椅子に金縛りになっていた。終わった後の緊張が解ける心地よさと本物の一流を味わった満足感が残った。周りの聴衆も満足しきった表情で立ち上がっていた。
より小さな演奏会でも魔法が起きることがある。
アイザック・スターンの死を悼むボストンでの友人を中心とする小さな催しで100人前後の集まりだった。故人の友人だったピアニストのエマニュエル・アックスが追悼の曲としてシューベルトのピアノソナタ第21番を弾いた。名前だけの簡単な紹介を受け、ネクタイも着けない出立ちで、すっと椅子に座るとゆっくりと弾き始めた。それまでに聴いたこのソナタのどれよりもゆっくりと、しかし太い音で語りかけてきた。ピアニストは泣いていない。しかし、音楽は泣いていた。集まったスターンの死を悼む人全てに替わって、この演奏は悲しみを込めて響いていた。
オペラでも魔法は起きる。
タングルウッド音楽祭でのことである。小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏で演目はサロメ。サロメを演じたのはメトロポリタン歌劇団所属のデボラ・ヴォイト。コンサート形式のオペラで、ヴォイトにとっては初めてのサロメであった。サロメは私の最も好きなオペラの一つである。最前列に陣取って楽しんでいた。ヴォイトのソプラノの声はサロメに良く合っていた。サロメが銀の皿にヨハナーンの首を載せて接吻するシーンで、ヴォイトはサロメになりきって恍惚として歌い上げた。サロメがヨハナーンの唇に接吻すると魔法が掛かった。ヴォイトの表情が恍惚として、声が更に透き通るとオーケストラが一つの生き物になった。奏者は彼女の声に釣られて身体を前後左右に揺らしながら踊っているかのように演奏し、指揮する小澤征爾氏は取憑かれた様な勢いで手を動かしている。聴衆は息をも呑めないでサロメの狂気の世界に引き込まれていった。
次に音楽の魔法に掛かるのが楽しみである。
