霞関会理事長対談 第2回 「日本の「信頼」はAI時代の外交資産―ODAからAIインフラへ」

伊藤 錬(Sakana AI 共同創業者・代表取締役社長)
× 川村泰久(霞関会理事長)

川村理事長:伊藤さんは外交官のバックグラウンドをお持ちですが、AI企業の経営者同士の国際ネットワークは、国家間の外交的つながりと比べて違いがありますか。
伊藤社長:グローバルな共通課題に取り組む仲間意識がある点では、外交官時代と似ています。一方で、AI企業はどこも活動の舞台がグローバルなので、国籍が違っても競合相手になります。人材の採用や資金調達でも、世界中の企業が同じパイを奪い合う緊張関係があります。

AI時代の外交を支える民間の知見


川村理事長:オープンAI、アンソロピックなど、世界のトップAI経営者と対話されてきましたが、そうした交流から何を感じますか。また、伊藤さん自身は今、どんな問題意識を持ってこの仕事をされていますか。
伊藤社長:面白いのは、AI企業では、技術開発と公共政策を切り離して考えられないことです。日本のAI競争力をどう高めるのか。AIは自由主義的な国際秩序の後退を加速させるのか、それとも新しい国際協力を生み出すのか。外交官時代に考えていた問題が、今の仕事に直結しています。
 外交はかつて国家間の交渉が中心でしたが、次第に企業や市民社会などの非国家主体の参加が広がり、民間の知見が国際的なルール作りに欠かせなくなりました。AIはその流れをさらに進めています。技術の進歩があまりに速く、開発の最前線を知らなければ、政策の方向性すら見定められません。これまで民間企業は主に意見を求められる立場でしたが、今や分野によっては、民間が公共政策や外交政策の議論を主導するくらいでなければ、実効性のある政策は作れないと感じています。
川村理事長:AIが国家の枠を超えて主導的に動く状況が到来して、民間が国際的なルール作りや秩序形成に関わらないと物事が進まなくなってきているということですね。
伊藤社長:そう思います。例えば、私が経済局で勤務していた頃には、国際協力にはある種の定番の手法がありました。モデル条約を作って共通のルールを目指す、各国の規制を調和させる、といったものです。もちろん、そうした手法は今も重要ですが、AIの分野はそれだけでは追いつきません。AIモデルの共同開発や共通のデータ基盤、規制の調和といった構想は聞こえがよいものの、各国の利害や技術的な制約を考えると、実現は容易ではありません。
 私が今、特に重要だと考えているのは、AIの安全性を国際的にどう評価するかという共通の枠組み作りです。何を、どのような基準で、誰が評価するのか。まさに技術的な細部が成否を左右する課題です。こうした現場の技術的な議論と、首脳レベルの政策判断をどう結びつけるか。AI時代の外交には、これまで以上に難しい舵取りが求められていると思います。

AIの「自由貿易」をどう守るか


川村理事長:米中首脳が民間と共にAIに関して難解で高度な技術案件を扱った結果、それが今後の日本などの技術・市場へのアクセスを制約してしまうような枠組みとなってしまうことを個人的には懸念しています。この点に関して現在どのような動きが進んでいますか。
伊藤社長:まさに、世界最先端のAI技術へのアクセスを各国がどう確保するかは、非常に重要な問題です。
もともと米国の輸出規制は、先端半導体というハードウェアが中心でしたが、今ではAIモデルそのものやソフトウェア、さらにはそれらを構成する要素技術へと規制の議論が広がっています。規制の対象が物理的な製品から技術や情報そのものへと広がるにつれ、何をどこまで規制するのかという線引きも難しくなっています。こうした規制やアクセス条件が、日本などの国々の十分な関与がないまま決められてしまえば、最先端のAI技術へのアクセスが制約され、不利な立場に置かれる可能性があります。だからこそ、日本を含む各国がルール形成に積極的に関与し、最先端のAI技術へのアクセスと、開かれた国際協力の枠組みを守っていくことが重要です。
 G7の議論を見ていると、米国以外の国々には共通する問題意識があると感じます。もちろん、米国を排除しようということではありません。自由主義的な国際秩序やグローバルな協力体制が揺らぐなかでも、それをできるだけ守っていこうという気概が根底にあります。AIの分野でいえば、いわば「AIの自由貿易」を守ろうということです。最先端のAIモデルや技術が国境によって不必要に分断されず、各国がアクセスし、活用できる環境を維持したい。もちろん安全保障上の制約は必要ですが、安全性への懸念が技術へのアクセスを過度に制限する理由になってはなりません。
 そこで重要になるのが、先ほど申し上げたAIの安全性評価に関する国際協力です。大きく分けると、AIモデル自体の能力や安全性、偏りなどを評価することと、実際に社会で使われたときのリスクや影響を評価することがあります。各国が共通の評価基準を持ち、AIの安全性を客観的に確認できるようになれば、安全性への懸念を理由とするアクセス制限を緩和・解除する根拠にもなります。共通の評価を通じて相互の信頼を高め、最先端のAI技術へのアクセスを維持・拡大していく。安全性評価は、単にAIのリスクを抑えるためだけでなく、開かれた国際協力を支えるためにも重要なのです。
 同時に、どの技術へのアクセスを確保すべきか、規制がどのような影響を及ぼすかを判断するには、個々の技術を詳しく理解するだけでは足りません。技術を抽象化し、全体の構造を捉えることが必要です。AIは、半導体、データセンター、AIモデル、そして実際のアプリケーションという複数の階層から成り立っています。ある階層へのアクセスが制約されると、ほかの階層にどのような影響が及ぶのか。逆に、半導体やデータセンターが十分にあっても、優れたAIモデルを利用できなければ、全体として競争力を発揮できません。個々の企業や製品を見るだけでは、こうした全体像は見えてきません。技術の各階層とその相互依存関係を理解し、どこに戦略的な弱点やボトルネックがあるのかを見極める。こうした抽象的かつ体系的な思考が、AI時代の外交や国家戦略には欠かせないと感じています。

AI脅威論をめぐる賢人たちの見解


川村理事長:ただ、政府の力にそもそも限界があり、AIが自ら暴走するようなことがあるとAI企業、さらにAIを設計する人の良心をどこまで信用するのかと問いたくなります。
伊藤社長:難しいのは、AIが人間の制御を離れるような深刻なリスクが目前に迫っていると警告するノーベル賞受賞者もいれば、そうした事態はまだ遠い将来の話だと考える研究者もいることです。世界の第一人者の間でも、見解が大きく分かれています。
川村理事長:確かにトロント大のヒントン教授は、ラスベガスのAi4 2026の「三賢人討論会」でAIの危険性を主張していましたが、後の二人(アンドリュー・ングとフェイフェイ・リー両氏)は必ずしもそれに同意していないように見えました。
伊藤社長:ヒントン先生もそうですが、Google DeepMindのデミス・ハサビスも、技術だけでなく、社会のあり方や倫理について大きな影響力を持っています。いわばAI業界の賢人、ある種の聖職者のような存在です。今年6月、エビアンでのG7首脳との昼食会に同席した際も、各国首脳がデミスに対して、経済から哲学に至るまで、次々と質問を投げかけていたのが印象的でした。デミスは、私には心から人類の未来を案じているように見えます。自ら世界有数のAI企業を率いて技術開発を進めながら、同時に、その進歩には必要に応じてブレーキをかけなければならないという信念を持っています。
 一方、ヤン・ルカンのような別の大家は、AIの脅威はまだ差し迫ったものではなく、むしろ今は技術開発をさらに進めるべきだという立場です。私には、どちらも自分たちの利益のためにポジショントークをしているようには見えません。真摯な信念に基づく見解が、これほど正反対になり得る。そこにもAIの難しさがあると思います。
川村理事長:ヒントン教授にはノーベル賞を受賞される前にトロントでお会いしましたが、アメリカというシステムとカナダのシステムを比較した上で、カナダに移って研究することを決めたと言っていました。
伊藤社長:Sakana AIの共同創業者は私を含めて3人なのですが、1人はトロント大学出身のカナダ人で、ヒントン先生とも親しく交流しています。もう1人はウェールズ出身の英国人です。つまり、日英加の3人で日本にAI企業を立ち上げたわけです。一方、投資家の多くはGoogleやNVIDIA、米国西海岸のベンチャーキャピタルなどの米国勢です。

米中競争の先にある「信頼できる」AI


川村理事長:米中のAI覇権争いについてどのように見ておられますか。
伊藤社長:中国は米国の先端半導体へのアクセスを確保し、自国のAIモデルが米国市場から排除されることを避けたい。一方、米国は自国のAIモデルが中国企業に無断で模倣されることなどを警戒しています。こうした利害を調整し、包括的な合意に至ることは容易ではありません。
 ただし、先ほどの安全性評価の文脈では、限定的な協力の余地があると思います。例えば、互いのAIモデルの能力や潜在的なリスクについて認識を共有し、重大な問題が起きた際には迅速に連絡・協議できる仕組みを作ることです。競争関係を解消するためではなく、誤認や不測の事態が安全保障上の危機に発展するのを防ぐための危機管理です。
 一方、世界に目を転じると、米中はそれぞれAIをめぐって各国を自らの陣営に引き入れようとしています。米国は日本やシンガポール、UAEなどと「Pax Silica」というイニシアティブを立ち上げました。それに対抗するかのように、中国も「WAICO(世界人工知能協力機構)」という国際的な枠組みを打ち出し、ラオス、ケニアなどが参加しています。両者は対象分野も組織の性格も異なりますが、AIをめぐる米中それぞれの陣営づくりを象徴する動きといえます。
 ただし、世界のAI勢力図が、親米の「Pax Silica陣営」と親中の「WAICO陣営」に二分されるという見方には、惑わされてはいけないと思います。グローバルサウスの国々にしてみれば、どちらか一方に与するのではなく、米中双方を天秤にかけ、できるだけ多くの選択肢を確保したいというのが本音でしょう。実際、カザフスタンはPax SilicaとWAICOの両方に参加しています。インドも米国との協力を進めながら、独自の戦略的自律性を重視しています。先月私が訪れたケニアもWAICOの設立に参加していますが、だからといって米国のAIを利用しないはずはありません。むしろ、米中双方との関係を維持し、両者を天秤にかけたいと考えているはずです。
 そして、ここに日本にとっての大きな機会があります。各国は米中を天秤にかけるだけでなく、米国でも中国でもない、安心して頼ることのできるAIという第三の選択肢も求めているのではないでしょうか。その際に決め手となるのが「信頼(トラスト)」であり、日本には大きな強みがあると思います。
 今年6月のG7エビアン・サミットで私が発言した後、ケニアのルト大統領とエジプトのシシ大統領が、私の話を面白かったと声をかけてくださいました。そこで私が申し上げたのは、AIにおける「トラスト」には、もう一段深い意味があるのではないかということです。欧州が重視する著作権やプライバシーの保護、有害コンテンツへの対策といった倫理的な基準も、もちろん重要です。しかし、それだけではありません。自分たちの情報を勝手に盗み見られないこと。政治的な事情が変わったからといって、ある日突然AIの提供を打ち切られないこと。国家が外国のAIに依存する以上、こうした信頼こそが本当に重要なのではないでしょうか。そして、日本はこの意味での信頼を提供できる国だと思います。技術力だけでなく、安心して長期的なパートナーシップを築けることが、日本のAIの大きな競争力になり得るのです。
 ルト大統領からは「ケニアに来るなら、ぜひ詳しく話そう」と声をかけていただき、その後実際にケニアを訪問しました。現在、具体的な協力案件も進んでいます。
川村理事長:AIサムライの武勇伝ですが、ケニアでの話し合いの結果はどうだったでしょうか。
伊藤社長:ケニアが最先端のAIモデルを自前で開発するには、技術や資金面で大きな制約があります。しかし、AIは積極的に活用していきたい。そこで、米国のAIを使うのか、中国のAIを使うのか、それとも信頼できる日本のAIを使うのか。米中双方との関係に気を配りながらも、日本のAIには大きな期待があると感じました。
 特に興味深かったのは、日本がこれまで築いてきたインフラとAIを結びつけることです。例えば、日本は長年、ODAを通じてモンバサ港の拡張を支援してきました。港には、どこから何がどれだけ出入りしているかという膨大な情報が集まります。こうしたデータは、経済活動だけでなく安全保障にも関わる、国家にとって極めて機微な情報です。港湾運営にAIを導入するとなれば、その情報を誰に預けるかが重要になります。日本なら安心して任せられる。これまで積み重ねてきた信頼が、AIという新しい分野でも強みになるわけです。

技術と信頼が拓く、日本の新しいソフトパワー


川村理事長:日本が長年築いてきた信頼が、AIの分野でも生きてくるということですね。
伊藤社長:そうです。日本は勝手に情報を詮索しないし、政治的な都合で突然サービスを止めたりもしない。そうした信頼と技術力の組み合わせが、これからの時代の新しいソフトパワーになると思います。日本がODAで築いてきたインフラの上に、今度はAIを載せていくという発想です。
しかも、単に日本のAIを海外に売って経済競争力を高めるという話ではありません。グローバルサウスの重要な国々のインフラに日本のAIが組み込まれれば、それらの国々と日本との間に、長期的で深い関係を築くことができます。自由主義的な国際秩序が揺らぐ時代に、日本はいかにして国際社会で道義的な優位性、いわば「モラル・ハイグラウンド」を維持するのか。私は、その答えの一つが「信頼とテクノロジー」だと思っています。グローバルサウスの国々が、日本の技術と信頼を評価し、重要なインフラを共に支えていくパートナーとして日本を選んでくれるのであれば、それは経済的な成果にとどまらず、日本外交にとっても非常に大きな成果になります。
川村理事長:それは今後数十年にわたって日本のアセットになるでしょうね。ODAでの信頼の積み重ねが今度はAIのインフラ構築でも活かされるということですね。
伊藤社長:そうですね。これは単なるソフトパワーの話ではありません。相手国の経済や社会を支える根幹のインフラを、信頼して任せてもらうということです。日本がこれまでインフラ整備で培ってきた信頼を、AIの時代にも引き継いでいきたいと思っています。

(了)

(注)2026年9月9日、Sakana AI本社(東京都港区麻布台)において本対談を行った。