軍縮外交の現在地~対人地雷禁止条約と核兵器不拡散条約を中心に~

軍縮代表部大使 市川とみ子
筆者は2023年12月に軍縮会議日本政府代表部(在ジュネーブ)に着任以来、当地及びNY(国連総会第1委員会、NPT)を中心に軍縮外交に取り組んでいる。他のマルチ外交と同様軍縮の分野も厳しい国際安全保障環境の影響を大きく受け、米中ロが参加する枠組みではコンセンサスは不可能に近くなっている。軍縮外交の現在地について、2024年12月~2025年12月に筆者が第22回締約国会議の議長を務めた対人地雷禁止条約(APMBC・オタワ条約)と、2026年4~5月に開催された核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議での経験を中心にご紹介したい。
1.対人地雷禁止条約
対人地雷禁止条約は、筆者が議長に就任した2024年12月時点で164か国が締結していたが、米中ロ、イスラエル、イラン等は含まれず、対立的な議論が会議の雰囲気を悪化させることもまれな「幸せな条約」と言われていた。ところが、筆者の議長期間中に①欧州5か国(バルト3国及びフィンランド、ポーランド)が条約脱退を決定し、②ウクライナが条約の「運用停止」を宣言し、③タイ・カンボジア国境紛争に伴う対人地雷事案を巡ってこれまで使われたことのない遵守手続実施の可能性が提起されるという、「前代未聞」の事案が3件(一部は同時並行で)起こった。

(1)3つの事案の概要と対応
①欧州5か国の脱退決定
欧州5か国の脱退決定とウクライナによる条約の「運用停止」宣言は、いずれもロシアによるウクライナ侵略を受けたものである。脱退を決定した5か国は全てロシアとの陸上国境を有し(最も長いフィンランドは1300km以上)、ウクライナにおける陸上戦の様相を目の当たりにして、国境防衛には対戦車地雷(条約で禁止されていない)に加えて対人地雷も必要となることを予期したと考えられる。脱退決定のタイミングが2022年ではなく2025年となった理由について当事国から明確な説明はなかったが、米トランプ政権の仲介によりロシア・ウクライナ間で停戦あるいは和平合意が成立する可能性が出てきた中で、その場合にロシアが陸上兵力をこれら5か国との国境方面に移動させ、軍事的威圧を強める可能性が意識された模様である。
締約国の脱退はオタワ条約史上初めてであり(過去にエリトリアが脱退手続を開始したが撤回)、議長としては残念であったが、これら諸国が安全保障上のやむを得ない決定と述べる事情は理解できるところもあった。筆者は議長としての5か国への働きかけに加え、脱退諸国が締約国に直接説明する機会を設け、5か国が通告期間(6か月)中引き続き条約上の義務を遵守し、可能であれば脱退後も地雷除去支援等の貢献を行うよう促すなど、秩序立ったプロセスを心がけて対応した。脱退の一方で、元・前議長以来の働きかけが功を奏し、トンガの条約批准(署名国の中で唯一未批准であった)及びマーシャル諸島の加入というポジティブな進展もあった。しかし脱退については、筆者が議長を務める締約国会議で、脱退が(通告期間中であったため)未発効の5か国も参加する中で議論し、慣例であるコンセンサスで最終報告を採択する必要があるとの難題が生じた。
②ウクライナの「運用停止」宣言
ウクライナによる条約の「運用停止」宣言は、さらに困難な課題であった。オタワ条約は、締約国が脱退手続を開始しても、通告期間満了時に武力紛争下にあれば脱退は紛争終結まで効力を発しないと規定し(第20条3)、武力紛争の原因が非締約国側にある場合も例外ではない。さらに、オタワ条約は締約国による留保を認めておらず(第19条)、脱退関連条項の適用除外も許されない。ウクライナも欧州5か国と同様に脱退を検討したがオタワ条約の規定の下では脱退できないと認識し、条約の「一般法」であるウィーン条約法条約を援用して「運用停止」を宣言するに至った模様である。ウクライナの決定も2022年ではなく2025年であったが、これは戦場の現実(米の軍事支援減少などにより大規模な反転攻勢の可能性が減り、現在の陸上防衛線を一層強化する必要に迫られた)を反映し、対人地雷も使用せざるを得ないと判断したものと考えられる。
とはいえ、オタワ条約には「運用停止」の規定はなく、ウクライナの状況には同情しつつも、武力紛争中の脱退を認めない条約の起草趣旨に照らして「運用停止」も認められないとする締約国は少なくなかった。一部の締約国はこうした立場を書面で明らかにし、市民社会や国際赤十字(ICRC)を含め、ウィーン条約法条約の援用という手段が国際人道法一般にもたらす影響を懸念する声もあった。条約寄託者である国連事務総長(及び事務局)が見解を示さない中で、締約国会議ではこの問題についても、全締約国が受入れ可能な内容の最終報告をまとめる必要があった。
③タイ・カンボジア国境の対人地雷事案
タイ・カンボジアの国境紛争に伴う対人地雷事案は以前もオタワ条約の場で提起されたことがあったが、2025年夏以降国境紛争が激化する中でタイ兵士の地雷による負傷事案が続発し、タイがカンボジアによる対人地雷敷設であると非難し、カンボジアはこれを強く否定するとの応酬が繰り返された。タイは地雷事案の発生を深刻に捉え、条約の遵守関連規定(第8条)の中で、通常まず行われる協力的協議(同条1、議長が委員長を務める協力遵守委員会を通じて実施)を待たずに国連事務総長を通じたクラリフィケーション(同条2)の手続きを開始し、これまで発動されたことがない同条3以降の規定(特別締約国会議(同条5)、事実調査団派遣(同条8以降)等)に進む可能性も示唆した。
他方、カンボジアは自国の内戦中に敷設された対人地雷被害に苦しみ、地雷対策を国家の最優先事業と位置づけて長年取り組み、近年ではその経験・知見を他の被害国に共有するなど、「地雷対策の優等生」を自負している。日本も長年にわたって支援を行い、他の被害国への知見の共有も日本と協力して実施されている。カンボジアは2024年末には、オタワ条約の第5回運用検討会議をかつて地雷汚染が深刻であったシェムリアップで開催し、これまでの成果を内外に誇示したばかりであり、タイの主張は「でっちあげ」であると激怒した。国境紛争の激化により両国の国民感情が悪化した中で両国とも譲歩できず、主張が真っ向から対立したまま締約国会議を迎えた。
(2)締約国会議の結果と若干の感想
このように3つの難題を抱えて締約国会議に臨むこととなったが、筆者は議長として関係国との丁寧なコミュニケーションに意を用い、会議の最終報告を慣例どおりコンセンサス採択できるよう、あらゆる努力を尽くした。結果として、①5か国の脱退決定については、遺憾をもって留意する(note with regret)一方で脱退国の立場を聴取したことも記載し、②ウクライナについては、条約は「運用停止」を認めていないことを一般論として記載した上で、ウクライナに対して条約の枠組みで引き続きエンゲージするよう呼びかけ、③タイ・カンボジア問題については、最終報告の他の部分の協議からは切り離して議長と国連事務局が両国と舞台裏で調整を続け、手続事項と両国の立場を聴取したとの事実関係に絞った記述で決着した。この最終報告は、脱退5か国も退席せずに参加する中で、コンセンサス採択することができた(ウクライナは会議に不参加)。
1年間の議長としての活動の中で強く感じたのは、日本外交の幅の広さと奥行きの深さ、先人の方々の努力により築かれた各国との二国間関係の有難さであった。5か国脱退の動きを受けて、筆者が議長としてジュネーブで、また、各国の首都でも日本大使館が主導して関係国と共に働きかけを行ったが、バルト3国を含む5か国全てに大使館を有する日本の外交体制の充実ぶりは、多くの国に尊敬と羨望の念を持って受け止められた。5か国全てと緊密な二国間関係を有し、これらの国々が有する対ロシア脅威認識も十分理解している日本の大使である筆者が議長として本件を丁寧に扱ったことに対し、いずれの国からも感謝が示された。ウクライナからは、(オタワ条約議長との重複は偶然であるが)2025年10月にウクライナ地雷対策会議を日本が主催したことを含め、日本からの様々な支援に対して何度も謝意が表明された。タイ・カンボジアについても、カンボジアに対する長年の地雷分野での日本の支援、両国との緊密な二国間関係を踏まえた国境紛争解決に向けた日本政府の努力、バンコク及びプノンペンの日本大使館を通じたタイムリーな情報を背景としつつ、両国と緊密に協議できた。トンガの批准及びマーシャル諸島の加入についても現地の日本大使館と緊密に連携し、具体的な成果につながった。さらに、議長として様々な被害国の地雷対策当局者と懇談したが、多くの場合に日本大使館やJICAを通じた日本の継続的できめ細かい支援への感謝の言葉が述べられ、筆者の方が日本による支援について勉強する機会となることも多かった。3つの難題への議長としての対応については幸い多くの国から評価を得たが、こうした日本外交の底力に支えられてこそ可能であった。多くの先人を含む関係者の方々の努力に心から敬意を表したい。
5か国脱退決定とウクライナの「運用停止」について、軍縮という筆者の担当分野の文脈で実感したのは、オタワ条約が成立した1990年代と比較した現在の国際安全保障環境、特に欧州における情勢の劇的な変化であった。オタワ条約の交渉が行われた1990年代後半は、世界の武力紛争の9割以上を内戦が占め、紛争下の文民を救うための「人道的介入」が盛んに議論された時代であった。 アンゴラの地雷原を歩いたダイアナ妃に象徴されるように、条約交渉においても内戦中に使用された地雷による文民被害が主に念頭に置かれていた。条約交渉を主導した欧州諸国は、国家間戦争、ましてやウクライナにおけるような第一次大戦型の塹壕戦が欧州の地に戻ってくるとは想像もしていなかった。
オタワ条約は対人地雷の使用をいついかなる場合でも(never under any circumstances)禁止し(第1条)、上述のように武力紛争中の脱退も認めていない。国際人道法は武力紛争中にこそ遵守されるべきとの理念に基づく規定である。一方で、ロシアによる国連憲章無視の侵略と無差別の文民攻撃(広範な対人地雷使用を含む)という遙かに重大な国際人道法違反に直面したウクライナが、国家の存亡をかけ国土・国民防衛にあらゆる手段を動員する中で対人地雷も選択せざるを得ない現実、また、ロシアとの陸上国境を有する欧州5か国における脅威認識の高まりと防衛上のニーズを受けた脱退の決定、これらを議長として受け止めた中で、筆者としては、オタワ条約が目指した1990年代の「人道的軍縮」の理想と2020年代の安全保障の現実との隔絶を強く感じざるを得なかった。
2.NPT運用検討会議
国際安全保障環境悪化の影響は、2026年4~5月に開催されたNPT運用検討会議においてさらに強く実感された。NPT運用検討会議は通常5年に1回開催されるが、前回の会議はコロナ禍の影響で2020年から2022年に延期され、その直前に始まったロシアのウクライナ侵略の影響を受けて成果文書のコンセンサス採択に至らなかった。2015年にも中東を巡って合意できなかった経緯があり、運用検討会議が3回連続で成果文書を採択できなければ、「NPTの空洞化につながりかねない」との危機意識もある中で、今回の会議が開催された。(なお、NPT運用検討会議の手続規則においては、実質事項につきコンセンサスによる合意を目指してあらゆる努力を払うとされている一方、コンセンサスが成立しない場合は投票による決定も手続規則上可能ではあるが、これまで投票による決定がなされたことはない。)
(1)運用検討会議の結果と締約国間の「遠心力」
結論から述べると、今回の運用検討会議でも成果文書の採択には至らなかった。また、議長を務めたベトナムのヴィエット国連大使は最終的に成果文書案を提示せず、自らコンセンサスの不成立を宣言したため、2015年及び2022年の会議終了時には存在した、「この部分以外についてはコンセンサスが成立していた」との共通認識を締約国が持つテキストも公的にはない形で会議が終了した。合意に至らなかった主な要因は米とイランの対立であったと言われているが、背景には複雑な事情があり、日本代表団もコンセンサスを目指して最後の瞬間まで水面下で様々な協議・働きかけを行ったが、合意には至らなかった。
NPTの「3本柱」(核軍縮、核不拡散、原子力の平和利用)の中で筆者が担当した核軍縮の分野から見ると、今回の会議に向けては、締約国の立場にこれまで以上に強い「遠心力」が働いていたとの印象が強い。この「遠心力」には様々な関係国と方向があるが、筆者が特に感じたのは、①核兵器国と非核兵器国の間、②「核の傘」の下にある非核兵器国と非同盟諸国(NAM)の間、さらに③急進的な核兵器廃絶推進派とそれ以外、という多層構造であった。
① 核兵器国と非核兵器国の間
NPTはその締約国を、核兵器を「持てる国」と「持たざる国」に二分しており、核軍縮を巡る核兵器国と非核兵器国の間の対立は条約そのもの(さらにはその交渉過程)に起因する長い歴史がある。単純化すれば、非核兵器国は条約により核兵器製造・取得・受領を禁止され(第2条)、これを担保するための厳格な義務(保障措置)も受け入れている(第3条)。一方、核兵器国は核軍縮に関する誠実交渉義務を負っている(第6条)ものの、核軍縮、ひいては核廃絶に向けた十分な進展がない、というのが、多くの非核兵器国が有する不満である。
したがって、この対立軸は今回の運用検討会議に限った問題ではないが、過去には核兵器国側が核軍縮の必要性について柔軟な対応を示した時期もあった。特に、2000年の運用検討会議では、核兵器の全面廃絶を目指すとの核兵器国の「明確な約束」(unequivocal undertaking)を含む核軍縮に関する「13の実践的な措置」に合意し、2010年には、この決意の再確認を含む核兵器廃絶に向けた「行動計画」に合意した。しかし、今回の運用検討会議に向けては、過去のコミットメントの再確認という非核兵器国側にとっては最低ラインと言える対応についても、米国を初め核兵器国側から国際安全保障環境の変化などを理由に慎重な立場が示され、非核兵器国側の不満が高まっていた。
② 「核の傘」の下にある非核兵器国と非同盟(NAM)諸国の間
今般の運用検討会議サイクルで開催された3回の準備委員会の中で、筆者は2024年(ジュネーブ)及び2025年(NY)の2回に出席した上で今年の運用検討会議に臨んだが、この3年を通じて最も際立ったのは、「核の傘」やNATOの「核共有」に対する批判的な発言の増加であった。上述のとおり、NPTの下では「核兵器国」と「非核兵器国」という2つのカテゴリーしか存在しないが、ロシアや中国による対西側(特にNATO)批判が、核軍縮の進展の欠如に対するNAM諸国の不満に呼応する形で広がったのではないかと見られる。他方、ある非同盟国の専門家は筆者に対し、「核の傘」の存在は、「非核兵器国」の中に核兵器により「守られる国」と「守られない国」という差別を生み出しており、多くの「守られない国」には「守られる国」になる可能性も閉ざされている、と述べたことがあり、核兵器使用の懸念が高まっている時代背景の中で、こうした観点からの不満もあったと考えられる。中ロやNAM諸国による批判の中心は、非核兵器国への核兵器の配備と有事における非核兵器国の関与を含むNATOの「核共有」体制であったが、NATO諸国による度重なる発言や説明を受けてもこれら諸国の立場に変化の兆しは見られず、上述のとおり、時間の経過と共に発言はむしろ増える傾向にあった。また、核兵器の配備を含まない「核の傘」を含めた批判が行われることもあり、日本としても留意する必要があった。
③ 急進的な核兵器廃絶推進派とそれ以外
核軍縮の分野では、国連における伝統的なグループであるNAMとは別に、新アジェンダ連合(New Agenda Coalition: NAC)と呼ばれる急進的な核兵器廃絶推進派の国々が存在する。現在このグループに属するのはアイルランド、エジプト、ニュージーランド(NZ)、ブラジル、南アフリカ、メキシコで、少数ではあるが核軍縮の分野では強い発言力がある。また、オーストリアは、NAC諸国等とも連携しつつ核兵器の非人道的結末(humanitarian consequences)に関する協議プロセスを主導し、核兵器禁止条約(TPNW)成立へと導いた自負があり、核軍縮に強い見解を持っている。NACは、運用検討会議に向けて核軍縮に関する作業文書を提出するなど活発に活動していたが、一方でアイルランドとNZはNACに属さないスイスと3か国共同で核兵器国の透明性・説明責任に関する作業文書を提出し議論を主導するなど、グループの枠組みにとらわれない取組も見られた。
運用検討会議において、NAMやNACは共同ステートメントを通じてこれらグループの原則的な立場を強調したが、過去数回の運用検討会議を経験した欧州の某外交官は、今回の会議ではNAMやNACが核兵器国との議論を主導する姿が見られないなど、存在感が非常に薄かったと述べていた。これらのグループ、特に急進派の国々が、コンセンサス達成のためには妥協もやむなしと考えた現実的対応であったかもしれないが、核兵器国側との突っ込んだ協議をあきらめていたのであれば、これも「遠心力」の一側面と言えるのではないか。最近の安全保障環境を受けてNAC諸国の間でも核抑止を巡る立場などに相違が見られるようになっており、グループ内でも「遠心力」が生じているのかもしれない。
(2)日本独自の取組:軍縮不拡散教育共同ステートメント
核軍縮を巡る情勢はこのように非常に厳しいが、日本独自の取組として今回の運用検討会議で特に力を入れ、過去を上回る成果を出せたのは、「軍縮不拡散教育に関する共同ステートメント」であった。「教育」と言っても狭い概念ではなく、核兵器使用の実相についての理解を深める活動を広く指しており、日本としては特に、被爆地訪問や被爆者の方々の証言を通じて核兵器使用の惨禍に対する理解を広めることを重視している。2010年以降のNPT運用検討会議で共同ステートメントを日本が読み上げ、参加国が着実に増加してきたが、今回は116か国という最多の参加を得ることができた(これまでの最高は2022年の89か国)。この中には、核兵器国やNAC諸国の一部など、核軍縮に関する基本的な立場が異なる国々も含まれており、国際社会の分断が進み「遠心力」が強まる中でも、多くの国々を束ねる共通のメッセージを出すことはできると示せたのではないかと考える。

軍縮・不拡散教育に関する共同ステートメント
(3)若干の感想と今後に向けて
NPTの文脈では、2022年以来の主な変化を見ても、冷戦終結以来の核戦力逓減傾向の反転、核兵器使用リスクの増大、米ロ間の最後の軍備管理枠組みであったNew STARTの失効など、核軍縮にとっての「大逆風」が積み重なってきており、こうした状況で開催された今回の運用検討会議で仮にコンセンサスが成立したとすれば、ほとんど奇跡的とも言えたのではないかと筆者は個人的には感じている。
こうした状況では、軍縮の分野で直ちに目に見える進展を図ることは容易ではない。各国の軍縮関係の外交官と話していても、フラストレーション、あるいはあきらめに近い発言を聞くことも珍しくない。そうした会話で筆者がしばしば行う2つのコメントを記して、今後に向けた心構えとしたい。
一つは、軍縮分野が長い欧州の某大使((1)③とは別人)が2022年のNPT運用検討会議後から述べている例え話である。軍縮をサッカーに例え、長年ゴールできていないが、サッカーをやめてしまったら、あるいはサッカー場の手入れを怠ってしまったら、将来環境が改善したときにもきちんとプレーできない、さらにはサッカー場が使えないという事態にもなりかねない。したがって、より良い日が来ることを願いつつ、日々のプレーと手入れを欠かさないことが大切、ということである。軍縮分野の様々な条約や会議体の現状も共通するところが多い。
この例え話は、筆者自身の経験にもつながる。筆者が1985年に外務省に入省した際の配属先は国連政策課であった。冷戦の最中の国連安保理は、米ソの対立により重要な国際情勢にほとんど関与できず、アパルトヘイト政策をとっていた南アへの経済制裁がほぼ唯一の主要案件であった。しかし、1992年に筆者が再び国連政策課に配属された時には、冷戦の終結直後で国連への期待が最高潮に達し、多くの紛争解決を受けてPKOが次々に設立されるなど、安保理も国連全体もフル回転していた(1992年から2年間、日本は安保理非常任理事国であった)。その後PKOも国連全体も様々な困難に直面したが、この「ユーフォリア」とも言える時代が1985年からわずか7年後に到来したこと、それを85年当時には想像もできなかったことを知る筆者としては、軍縮外交及び国連が、遠くない将来(1992年とは比較にならないまでも)現在よりは良い時代を迎えることを願いつつ、目の前の課題への取組を続けて行きたい。
