余談雑談(第99回)自己認識

元駐タイ大使 恩田 宗

 人は自分の容姿や性格について自分では正しく分かっていないものである。
 年とり姿勢が崩れてきても他人(ひと)に言われて初めて気付く始末である。動物の目は餌や外敵など生存環境の察知のためのもので自分自身を立体的に見得るようには付いていない。自分そっくりのアンドロイド人形に対面すると誰もが自分はこんななのかと不思議がり、声や仕草にも違和感を持つという。米国での心理学実験によると、被験者の顔写真一枚とそれに手を加えたもの何枚かを混ぜて並べ真正な写真はどれかと聞くと殆んどの人が少し魅力的に修正したものを選び、他人の写真の場合は正確に選ぶという。自分の顔は朝晩鏡で確かめていても自分の最も気に入った角度や瞬間のものを記憶に刻んでしまうものらしい。

 性格は変わるか否かで心理学論争があり前世期末に収斂したという。現在通説となっているのは性格は揺れ動き一貫性のあるものではないということらしい。「意識とは何か」(茂木健一郎)を見ると、自分という意識がどう成り立っているかまだ解明できていないが、人間は相手と場合により違う自分を立ち上げており、関係性の数だけ自分があると言えると書いてある。確かに、職場では厳しく家庭では優しいとか空腹時には気難しく食後には和やかなどという人がいる。J・D・ロックフェラーは石油市場を独占するため非情苛烈な手段を用いて倒産させた人達からは冷酷だと恨まれたが慈善事業に熱心であり自分では慈悲深い男だと思っていたのではないだろうか。伝記作者によれば「矛盾した人物」である。

 「自分」が揺れ動くものであれば揺れの総和を要約しそれを自分の性格と考えるしかない。揺れの巾や頻度・方向は各人で異なりそこに個性の違いが現れてくる筈である。問題は自分がどういう場合にどう感じどう行動したかの全てを自分では覚えていられないことである。人間は自分に都合よいことは記憶しその逆は忘れやすい。記憶を都合よく加工してしまう習性もある。第三者に聞くにしてもこちらの気に障ることは言ってくれない。独裁者は己が暴君だと覚らず、吝嗇家は自分がケチだとは思わず、グズは決断力不足を自覚しない所以である。自分のことを近くでよく見てくれていて本当のことを言ってくれる友人は貴重である。

 博物学者南方熊楠は深酒をして喧嘩するなど奇行奇癖の人だった。妻の松枝は夫の癇癪にも上手に耐え研究を手伝い「主人昼食ビフテキ」などと夫の行動記録のような日記をつけていた。さすが剛毅な大学者も自分のことを観察し自分以上に分っている妻を恐れるところがあったらしい。「さし足でわが酒盗む寒さかな」と詠んでいる。一般に、人の性格は長年つれ添っている配偶者が一番よく知っている。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。