余談雑談(第95回)動物と人間

元駐タイ大使 恩田 宗

 「ニルスのふしぎな旅」はスウェーデンの腕白少年の冒険物語である。彼は妖精をいじめたため小人にされてしまう。そこから冒険が始まり飼っていたガチョウに乗ってガンの群に加わり全国を南北に縦断往復し各地の地理・産業や風習・伝説を学ぶことになる。小人になったため動物の言葉が話せるようになり彼等の間に友人を作り助け助けられつつ幾多の危機を乗り越え成長して家に帰り元のサイズに戻る。

 現実の動物は言葉を持たない。然し人間と同じに複雑な感情は持っている。「ゾウがすすり泣くとき」(J・マッソン他)は動物が悲しみ怒り喜び愛し驚き怯え恐れ嫌う様子を観察した多数の事例を掲載している。連れ合いを亡くし悲嘆にくれるハヤブサ、涙を出して泣くゾウ、遊びに耽るアリ、戦争をするチンパンジーなど様々である。マッソンは、人間の心情を表す言葉を動物に当てはめるのは非科学的だとの批判はあるがその方が動物をより良く理解できる、と言う。動物は羞恥心、同情心、正義感、美意識などは持たないとされているが、失敗してきまり悪がるチンパンジー、老齢の仲間をいたわるゾウ、復讐するオオム、夕日に見惚れるクマなどの例を挙げている。

 動物は皆同じ先祖から派生しており原始的な種から人類まで連続している。仏教は命あるもの全てに仏性ありとして殺生を戒め、回教は食用に動物を殺す時は苦しませるなと教える。魚類研究者J・バルコムはINYT紙に、魚も考え感じている、漁業者に獲られる魚は苦しみ悶えての窒息死をする、それを思うと魚は食べられない、と書いている。

 人間が動物と大きく違うのは言葉を持つか持たないかである。「言葉の誕生を科学する」(岡の谷一夫他)によると人間は言葉を持つことにより時間を発見した。パントマイムでは時間(例えば来年)を表現できないように時間を示すには言葉が要る。動物の意識は現在に集中し時間的な広がりを持たない。イエスが言ったように空の鳥は明日のことを思い悩まない。人間は明日を考えることができるようになり死がくることも知った。

 生物の世界は遺伝子の進化・繁栄のため個体は子孫を残したらこの世を去るという原則で貫かれている。遺伝子にとっては生き物の死は理に合っている。然し、死は免れないことを知った個体である人間にとっては、生きることに楽しみを覚えさせてくれながら死への恐怖を忘れさせてくれず、いつまでも長くといくら願っても時が来れば残酷に命を絶たれる、という生かされ方は理不尽に思える。

 ニルスがガンの群と学校や工場や病院の上空を通ると下から「何処に行くの~」と聞いてくる。其処に在る教科書や工具や病床などが一切ない処と答えると必ず「一緒に行きた~い」という叫びが返ってくる。人は現状に満足しているわけではないからである。空高く飛ぶ渡り鳥の編隊は何ものにも束縛されない自由さと遥か遠くの幸いの住む地を想わせる。誰もが彼等と一緒に飛んで行けたらとの思いに誘われるのは当然である。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。