余談雑談(第100回)集団の中の少数者

元駐タイ大使 恩田 宗

 ボブ・ディランはノーベル文学賞受賞晩餐会でのスピーチで公演の際の観客についてこう話している。5万人のためにも50人のためにも歌ってきたが50人に歌う方が難しい、5万人は一つの人格を持つが50人は各自がそれぞれ固有の世界を持っていて私と私の歌に実(じつ)があるか見定めるからである、と。
 5万人には別の怖さがある。音楽や政治経済の目的をもって一か所に集まった大群衆は相互作用で熱気を高め共通の雰囲気や意志を形成する。色々な人がいても多数派に同調共鳴し個我を捨て一つにまとまる。問題はそうなった群衆は興奮すると衝動的に破壊や襲撃に走ることがあることである。皆で渡れば怖くない、である。国家も群衆とは規模が違い高度に組織化されてはいるが所詮人間の集団である。成員の感情が沸騰すると外に向かっては後悔するような戦争を始めたり内にむかっては少数者(マイノリティー)を攻撃したり残酷な抑圧もする。

 1964年、ライシャワー大使が精神異常の日本人(19才)に襲われ重傷を負った。日本政府も国民も驚愕し米国の反応を恐れ心配した。翌日の読売新聞は社説で国辱事件だと断じ精神障碍者は「野放し」にすべきではないと論じ世人は犯人の家族に非難の目を向けた。精神衛生審議会は翌月「精神薄弱者は犯罪予備軍的色彩が強い」として「緊急保安処分」などで病院に収容するよう勧告した。当時欧米ではすでに精神病患者の治療とは彼等が社会で生きられるようにすることであり病院への隔離は逆効果だとして精神科病床を減らしつつあった。その頃の日本の精神科病院は患者の粗暴な扱いで不祥事が絶えず武見医師会長が「精神病院は牧畜業だ」と述べたくらいであった。然し事件を契機に病床数の上昇が加速した。2014年の統計では人口10万人当たりのOECD諸国の精神科病床は平均が68で日本は269と最多である。近年になり改善への努力が始まっているが病床数の多さは変わりなく2017年は35万で世界の五分の一を占めている。患者の身体拘束や電気ショックによる懲罰など人権無視の扱いも未だに絶えないらしい。

 精神障碍者の隔離は多数による少数者の抑圧である。彼等の危険性はその人権の侵害を正当化できる程大きくない。ただ精神障碍者の在宅治療には家族の負担の問題がある。老齢者や認知症患者の介護に通底する問題で認知症患者の病床は今急速に増加しつつある。心身の劣化と死という人生最後の試練に直面している者に家族や国がどう手を貸すか、均衡のとれたシステムの構築は個人主義と老齢化の進む日本国の直面している試練である。

 ライシャワー大使は虎ノ門病院での術後の病床で「これで私の体の中に日本人の血が流れることになりました」と笑顔で述べていたが手術の際の輸血で肝炎に感染しその後長く苦しんだという。然し自分の関わる事件で精神障碍者の隔離が進んだことを知れば悲しんだと思う。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。