活発化するインド太平洋地域でのバイデン経済外交

外務省参与、和歌山大学客員教授、元駐グアテマラ大使  川原英一

1.はじめに

 5月20日から24日まで、バイデン米大統領は、初のアジア訪問先として、韓国と日本を訪問した。訪れた日本では、23日に日米首脳会談があり、引き続いて同日午後には米国が提唱するインド太平洋経済枠組み(IPEF)に関する13か国首脳級初会合があり、翌24日には、昨年9月以来2度目の対面方式のQUAD(米・日・印・豪)首脳会合が開かれて、メディアが大きく取り上げた。

 注目された点として、日米首脳共同記者会見の際に記者から、台湾有事の際に台湾防衛のため、軍事介入するつもりはあるか(”Are you willing to get involved militarily to defend Taiwan, if it comes that?”)との問いに対して、バイデン大統領が即座に「然り(Yes)」と一言で応答したため、米国が従来から取り続けてきた台湾防衛に関する戦略的に曖昧な立場を変えたのかとメディアが注目した。但し、その後、米大統領府(ホワイトハウス)から米国の従来の立場に変更はないとの説明がなされたこと、又、バイデン大統領と岸田総理との日米首脳会談の中で、今後国連改革が進めば、日本の常任理事国入りを米国は支持するとの発言が大統領からあったことなどが報じられた。

 一連の動きの中で、筆者が注目したのは、5月23日午後、バイデン大統領が、岸田総理とモディ・インド首相が同席する中で、他の10参加国とオンラインで結んで、インド太平洋経済枠組み(IPEF)の立ち上げに関する首脳級会合が開かれて、その場で岸田総理をはじめとして、各国から歓迎と今後の連携への期待が表明されたことである。対面とオンラインでのハイブリッド会議には、ミャンマー・カンボジア・ラオスを除くASEAN7か国の代表、インド、日本、韓国、豪、NZ及び提唱国の米国の13か国が参加している。

 IPEFは21世紀の課題とされるデジタル経済・貿易の共通ルール、半導体などサプライチェーンの強靭化、脱炭素・インフラ支援、強固な税制・汚職防止のルール策定など4分野を掲げており、参加した13か国の間で、その中身について今後協議が始まる。いよいよ活発化しはじめたインド太平洋地域におけるバイデン経済外交としてのIPEFに焦点をあてて、内外の公開情報を見ながら感じた個人的印象・見方を以下申し述べたい。

2.米国が提唱するIPEFとは?

(1)ホワイトハウスから情報発信しているファクト・シート(※注)は、米国国内向けに、IPEFの重要性について、比較的わかりやすく纏めているように思われる。インド太平洋諸国との貿易により、300万人以上の米国人雇用が維持されており、米国から同地域への2020年の直接投資額は9690億ドルであり、他方、同地域から米国への直接投資額は9千億ドル近い、また、世界人口の6割を占めるこの地域は、世界経済規模(GDP)の4割を占め、今後30年間以上、世界の成長に最も貢献する地域になるとの予測があると紹介する。

 さらに、米国はインド太平洋地域の経済大国であり、この地域において米国の経済的リーダーシップを拡大することが、米国労働者・企業にとり、また、この地域の人々にとって良いことである。 IPEFは、サプライチェーンの強靭化・コスト削減により米国の最優先課題であるインフレとの戦いに役立つ。また、今後数十年間における参加各国が成功を収めるかどうかは、各国がいかにイノベーション、特にクリーンエネルギー、デジタル、テクノロジー分野で進行中の変容(transformations)を活用して、脆弱なサプライチェーンから汚職、タックスヘイブン(租税回避地)までの様々な脅威に対して各国経済を強固なものにできるかに左右される旨指摘する。

(2)具体的協議として、「連結された経済」、「強靭な経済」、「クリーンな経済」、及び「公正な経済」の4分野に分けて説明をしており、米国の意図がうかがえる。

 国境を越えたデータの流れ、データの現地化(localization)基準を含むデジタル経済について高水準のルールを追求し、オンライン情報保護、人工知能の無差別利用の是正、中小企業が成長著しい電子商取引から利益を得られるよう各国と協力を進め、強力な労働・環境基準や企業の説明責任規定を模索する。

 強靭な経済を創出するため、コストの増大・価格高騰を防ぐため、サプライチェーンの中断を予測・防止する早期警戒システム、重要な鉱物のサプライチェーンのマッピング、主要セクターにおけるトレーサビリティ、および多様化の努力に関する調整を行う。

 クリーンなエネルギー、脱炭素化、及び高賃金の雇用を促進するインフラを確保する。再生可能エネルギー、脱炭素、エネルギー効率基準、メタンガス対策など、気候危機への取り組みを加速させる具体的で野心的な目標を追求する。

 公正な経済を促進するため、既存の多国間ルールに沿った効果的な税制、マネーロンダリング防止及び贈収賄防止レジームの制定と施行を求める。腐敗を取り締まる努力を強化するため、税務情報の交換、国連基準に従った贈収賄の犯罪化など規定を含む。

(※注;FACT SHEET: In Asia, President Biden and a Dozen Indo-Pacific Partners Launch the Indo-Pacific Economic Framework for Prosperity | The White House

(3)レイモンド米商務長官は、離日後の5月26日、ダボス会議の対談企画での発言として、

 ①グローバリゼーションが進む中、開かれた貿易を実現するには、ルールに基づいて行動すべき(we play by the rules)であり、中国の産業政策により、米国の労働者・企業は、極めて不利な立場に置かれている。他方、インド太平洋地域には米国が経済面で指導力を発揮することへの大きな期待がみられる。

 ②各国経済が共により良く機能する(to make our economies work better together)ことが重要であり、IPEFはそのための野心的かつ包摂的な試みであり、同じ志を持つ国々とともに、従来の貿易取極めを超えたルールに則った半導体・希少資源などサプライチェーンの確保、デジタル、労働・環境基準、脱炭素化、インフラ、AIの使用方法など新たな基準設定を行う必要がある。もし実現しなければ、中国やロシアのルールを押しつけられて苦しむことになりかねない、米国を含むインド太平洋13か国がルール策定づくりは極めて重要な作業になると述べている(※注2)。

(※注2 : A Conversation with Gina Raimondo, United States Secretary of Commerce > World Economic Forum Annual Meeting | World Economic Forum (weforum.org)

 一方、米USTRのタイ代表は、今年3月末の米下院歳入・歳出委で行った長時間の証言の中で、IPEFに関連した議員からの問に対して、不当に安い賃金労働、強制労働への規制も視野に入れていると述べ、また、同時期の上院財政委では同代表が、持続的食糧システム、科学的根拠に基づく農業基準、並びに優良な規制慣行と貿易円滑化に向けた措置も含まれる旨発言している。

 今後始まる参加各国とのIPEF各分野の具体的協議の中で、インド、ASEAN諸国との間で、どのようなルール策定について合意形成がされるのか注目される。

3.IPEFに参加した各国首脳の反応は?

日本:5月26日夕、日本経済新聞主催国際会議でのスピーチの中で、岸田総理から、IPEFについて、米国によるインド太平洋地域への経済的関与を再確認するものであり、大いなる戦略的意義を有すると評価した上で、日本は米国と東南アジア諸国との懸け橋として可能な限りの貢献をしたいと述べたことが報じられている(5月26日付Nikkei Asia紙電子版記事)。

インド:バイデン大統領とともにIPEF立ち上げ首脳級会合に直接出席したインドのモディ首相は、「世界経済を成長させるエンジンとしてのIPEFは、われわれの強い意志の表れだ。インドは参加各国とともに、包摂的で柔軟なIPEFの構築に取り組む旨述べたと報じられた。

タイ:今年のアジア太平洋経済協力(APEC:中国と台湾を含む21か国・地域が加盟)のホスト国であるタイのプラユット首相は、東京で開かれた国際会議で、「コロナ流行、ロシアのウクライナ侵攻などによる供給混乱に対応する上から、開かれた、ルールに基づく市場こそが、アジア経済の再生に不可欠」と述べて、米国が提唱したIPEFは、今日、アジアの役割が如何に重要かつ適切であるかについての明確な証左である(”solid proof of how important and relevant Asia is”)、また、デジタル経済、再生エネルギーへの強い関心を示しながら、中国での労働コストが増大する中で、タイが電気自動車生産の一大拠点となりうること、タイの再生エネルギー・デジタル分野への外国投資の増大への期待を述べたと報じている(5/26付Nikkei Asia紙電子版記事)。

ベトナム:チン首相は、IPEF立ち上げ会合にオンラインで出席した後、協議は全ての参加国に開かれた形で進められる必要がある、地域と世界の平和・安定、発展・繁栄に効果的な内容になるよう、関係国と協力し、内容を明確化する議論を続けると述べている。

フィリピン:マルコス次期大統領が、5月23日、国内の記者会見において、自らの政権においてもIPEFを重視する意向を明らかにしている。

シンガポール:リー首相は5月20日、Nikkei Asia紙による独占取材に対し、「理想を言えば、米国とアジア諸国との自由貿易協定(FTA)を望むが、それを実現できなかった」と述べ、TPP(環太平洋パートナーシップ協定:12か国がこの経済連携協定に署名後に米国が離脱)への復帰が困難な現在の米国国内事情(※注3)があったと発言。その上でIPEFは、従来のFTAとは異なるも、地域に関連する項目で協力する米国の意思を反映した枠組みであり、FTAの代替案だと指摘。さらにIPEFの内容が前向きであり、「バイデン政権がアジアにおける経済外交の重要性を理解していることを示す貴重な兆候だ」と歓迎している。またIPEFの4分野中、関心分野として、デジタル経済、グリーン経済協力、持続可能なエネルギーとファイナンスを挙げた(同紙5/23付記事)。

(※注3: 米政権が他国とFTA交渉を開始する際、貿易促進権限(Trade Promotion Authority)を米議会から付与されることが必要である。同権限は、トランプ前政権が進めた、NAFTA(北米自由貿易協定)に代わる新FTAである米・メキシコ・カナダ協定(USMCA)交渉を最後に2021年7月に終了している。 新たに本格的FTA交渉を開始する際は、米連邦議会によるTPA承認が必要となる。しかし、連邦下院で多数を占める与党民主党が「労働者を中心とした」内外政策を標榜して、米国内の中小企業や労働者の雇用に悪影響を及ぼすとしてFTA交渉に反対の立場であり、与野党議員数が拮抗する米連邦上院での承認の可能性は極めて難しい。更には、今年11月に米国では中間選挙を控える国内事情がある。)

4.IPEF参加国の顔ぶれ

 5月23日のIPEF首脳級会合に、ASEAN10か国中、軍政下のミャンマー及び中国とのつながりの深いカンボジア・ラオスの3か国を除いた7か国が参加した。また、IPEF協議への参加国について、同地域で既にFTAが発効しているCPTPPやRCEP(ASEAN10か国に加え、日本、中国、韓国、豪、NZの15か国が加盟する地域包括連携協定)の加盟国との関係を示したものが下表である。CPTPPの11加盟国中、7か国がIPEFに参加しており、また、RCEPの15加盟国中、9か国がIPEFに参加している。

 付言すれば、IPEFへの参加国が今後増える可能性があり、26日にはフィジーが協議に参加するとサリバン大統領補佐官が述べたことが報じられている。他方、中国は米国が加盟していないRCEPに既に加盟しており、昨年9月にCPTPPへの加盟も申請している。また中国の提唱した巨大経済圏構想である一帯一路プロジェクトにアジア・太平洋諸国が参加しており、中国の経済的影響力が拡大している。当面TPPへの復帰予定のないバイデン政権としては、ASEANからの米国の同地域における経済的影響力の強化の求めに応じるため、IPEFに対して強い思いがあると思われる。

(米国によるASEAN諸国への事前の根回し)
 東京でのIPEF立ち上げに先立ち、5月12-13日に米国首都ワシントンでバイデン大統領が対面で主催した米ASEAN首脳特別会合で、シンガポール首相がIPEFを歓迎していたとの報道がみられる。バイデン政権は5月23日にバイデン大統領が東京でIPEFを立ち上げる以前に、ASEAN各国首脳に事前の根回をしていたことの一端がうかがえる。その結果、地域の中心に位置するASEAN10か国の中で7か国が、日、米、インド、韓国、豪、NZの6か国とともにIPEF首脳級会合に参加している。米国の外交手腕が印象に残る出来事に感じられる。

5.問題点・課題

 日本やアジア諸国から、バイデン政権に対して要望のあったTPPへの米国復帰が、国内事情から難しいことから、昨年来、バイデン政権の新たな経済貿易イニシアティブとして掲げたのがIPEFである。関税引き下げ・撤廃といった市場アクセスが含まれないため、米国の巨大市場へのアクセス拡大がないのは、参加国にとり魅力に欠ける面はあろう。

 他方、過去の事例を見れば、インドがRCEP(ASEAN10か国に加え、日本、中国、韓国、豪、NZが加盟する地域包括連携協定)の交渉終盤に、市場アクセスを付与することで中国からの輸入が急増し、インド国内産業に深刻な被害があることを理由に交渉から離脱した。また、ASEAN諸国の中でも、国内への影響・被害を少なくするため関税撤廃を出来るだけ長期間かけて実施したい途上国があり、マルチのFTA交渉は長期化する可能性もある。

 世界的に深刻さがつとに指摘されている新興技術に不可欠な半導体・希少金属などのサプライチェーンの安定的確保、また、脱炭素技術・インフラ支援、デジタル経済・貿易ルールに関する標準ルールの策定というニーズが極めて大きい諸課題に、同じ志を有する国々が共に取り組む意義は大きい。

 国際市場における不公正な競争を是正するためのルールづくりを、同じ価値観を共有する参加国の間で策定するメリットもあろう。中国は国営企業、補助金政策、外資企業への諸規制、労働環境や人権擁護面等で多くの問題を抱えていることは長年指摘されている。IPEFというマルチの協議の場で、21世紀のニーズに対応した高いレベルの共通ルールを策定し、米国と参加国間のビジネスを促進することから参加国が得るメリットは、小さくないと思われる。

 バイデン大統領が提唱したIPEFが、同大統領の交代と共に消え去るのではないかという可能性がないとは言えない。CPTPPやRCEPには米国が参加しておらず、中国はCPTPPへの加盟申請中である。IPEFの成果を参加国と共有できない場合、インド太平洋地域での米国の経済面での主導権は低下する。そうなれば、一帯一路や域内で最大の貿易相手国である中国の影響力がさらに高まろう。一国への過度な依存を避け、バランスを維持したいと願う国もある。政治・安全保障上の問題をめぐり、相手国への圧力手段として、貿易を武器として利用する中国のような恣意的規制措置、経済的脅威が増える可能性もあろう。

 ASEANや太平洋島嶼国と中国との政治・経済的結びつきが強くなる中で、米国がインド太平洋地域のメンバーとして、地域の安定と繁栄に向けて安全保障面のみならず、経済・貿易面からも寄与する意欲を示したものとして、米国によるIPEF提唱は高く評価されるべきであろう。日本としても、この機会をとらえて、域内での公正な貿易の確保に向けた共通ルールづくりへの貢献が期待されていると思われる。

(令和4年5月30日記)