歴史が重すぎる国?:北マケドニア

駐北マケドニア大使 河原節子
はじめに
北マケドニアに関する拙稿にご関心を持っていただき、ありがとうございます。北マケドニアは、日本人にとって馴染みのある国とは言い難いので、拙稿が少しでもこの国に対する皆様のご関心やご理解を深める一助になれば嬉しく思います。
筆者は、欧州勤務が長く(語学研修も含めれば、合計15年以上)、北マケドニアでの生活や仕事にすぐに馴染めるだろうと思っていたのですが、それは大きな間違いでした。赴任直後には、ある種のカルチャー・ショックをしばしば経験しました。その意味では、「ヨーロッパ」の多様性と奥深さを知る良い機会になったと思います。カルチャー・ショックの一例は、重要な公式行事の招待状が2,3日前に届くこと。特にドイツや日本での前広な準備に慣れているので、戸惑いました。
また、人々の容貌が様々なので、現地職員に「典型的なマケドニア人の容貌ってどのようなものか?」と質問したら、「仲の良さそうな若い女性が5人一緒にいて、みんな違う国籍のように見えたら、それがマケドニア人だよ」との回答。なるほど文化や民族の交差点、と納得しました。
1.過去・現在・未来、そしてアイデンティティー
(1)「北マケドニアってどんな国?」と日本人の知り合いに聞かれた場合、筆者の一番簡潔な答えは、「旧ユーゴスラビア連邦共和国の崩壊により生まれた国で、面積は長野県・群馬県・栃木県の合計、人口は栃木県民と同じくらい」というもの。多くの人は、比較的小さく、新しい国と思うでしょう。
しかし、この国の人はよく、「小さな国にしては、歴史が重すぎる」と言います。ある欧州の大使は、「この国では、過去が現在に存在する(Past is present)」と言っていました。
(2)「歴史が重すぎる」「過去が現在に存在する」という言葉は、様々に解釈できますが、そのポイントは、この地域が、古代マケドニア、古代ローマ、ビザンチン帝国、オスマントルコ、セルビア王国等、様々な帝国・王国の支配を受け、そうした近隣諸国による支配や干渉の影響が現在の政治・外交にも強く現れていることです。


(3)その顕著な一例が、ギリシャとの国名をめぐる争いでしょう。1991年に独立宣言をした際には、「マケドニア共和国」と自称しましたが、これについては、ギリシャがアレキサンダー大王の「マケドニア」の継承者は自国であるとして、「マケドニア」を含む国名に強く反発。また、古代マケドニアの紋章と類似した「ヴェルギナの太陽」の国旗としての使用に反対し、経済制裁(貿易封鎖)を実施。北マケドニアが内陸国であることを踏まえると、ギリシャを経由した輸出入の停止がどれほど大きな経済的ダメージを与えたかは想像に難くないでしょう。ギリシャは、国名・国旗を理由として、この国の国連加盟にも反対。1993年、国連安保理が「マケドニア旧ユーゴスラビア連邦共和国(FYROM)」との暫定的名称で国連加盟を認めるよう総会に勧告し、ようやく加盟が実現。しかし、この名称にもギリシャは満足せず、経済制裁は継続。1995年、国連の仲介により両国の間で「暫定合意(Interim Accord)」が結ばれ、ギリシャはFYROMの名称での国際機関加盟をブロックしないことを約束した一方、北マケドニア側は「ヴェルギナの太陽」を国旗として使用しないことで合意。

それにも関わらず、2008年、ギリシャは国名問題を理由にFYROMのNATO加盟に拒否権を発動する(新規加盟には現加盟国のコンセンサスが必要)など、国名問題は長引きました(FYROM政府は、右拒否権が両国の暫定合意違反であるとして2011年ICJに提訴し、勝訴したものの、NATO加盟は実現せず)。その後長い交渉を経て、2018年に国名を「北マケドニア共和国」に変更することで合意(「プレスパ合意」)し、憲法も改正されました。これでようやくNATO加盟は実現。EU加盟手続きの進展も期待されましたが、直後に別の国が反対を表明したため頓挫。
(4)今度は、東の隣国ブルガリアです。ブルガリアは、2017年に締結された両国の善隣関係条約の履行状況が不十分だとして、2020年に北マケドニアのEU加盟交渉開始に反対。歴史を振り返れば、ブルガリアは、過去に何度も現在の北マケドニアにあたる地域を獲得しようとして戦い、結局実現しなかったという苦い経験があります。特に、露土戦争後、1878年サン=ステファノ条約で現在の北マケドニアの領域も含む「大ブルガリア公国」の設立が認められたものの、数ヶ月後のベルリン条約では、ロシアの影響力拡大を恐れた列強が右に反対し、オスマントルコに返還されました。このような歴史を踏まえ、ブルガリア国民には、「本来、北マケドニアはブルガリアに属するべき」「マケドニア語はブルガリア語の方言にすぎない」といった意識があるようです。これは、単なる過去の歴史ではなく、現在の国際政治にも反映されており、例えば、欧州議会で毎年採択される「国別報告書」の審議において、マケドニアの言語やアイデンティティーについての記載は、ブルガリア出身欧州議会議員の反対でことごとく削除されています。
2.EU加盟
(1)北マケドニアにとって、NATO加盟と並んで、EU加盟は最優先事項とされてきました。2005年に正式に加盟候補国となりましたが、ギリシャの反対、その後ブルガリアの反対により、20年以上経っても具体的な交渉は開始されていません。事態打開の方策として、2022年6月、仏がEU議長国の最終日にいわゆる「仏提案」を提出し、EU及び北マケドニア双方に受け入れられました。複雑なフォーミュラですが、ポイントは、①北マケドニアの憲法に、他の少数民族と並んで「ブルガリア人」を追加記載すること(憲法改正)を条件に、正式交渉を開始する、②加盟交渉においては、北マケドニア・ブルガリア間の善隣関係条約の履行状況が勘案されることの二点です。
(2)①は、一見簡単なようですが、2024年の総選挙で政権の座に復帰した現与党は、NATO及びEU加盟のため、すでに民族のアイデンティティーを犠牲にして、国旗や国歌を変更したにも関わらず、ゴールポストを動かされ、これ以上の追加的要求は受け入れられないというものです。そのため、これが唯一・最後の条件となる「保証」を要求しています。一方、EU側は、上記仏提案はあくまでも交渉開始の条件であり、長い加盟交渉中で、いずれの加盟国も反対をとなえる権利はある、追加的な条件は提示されないとの「保証」を与えることは不可能との立場。また、②の善隣関係条約の履行については、歴史教科書の見直しなども含まれており、一筋縄ではなく、今後明確な道筋は描けません。
(3)一方、ウクライナをめぐる状況も踏まえて、EU側は戦略的観点から、EU拡大に向けて大きく舵をきりつつあり、そのための様々な具体的な方策を提示している状況です(いわゆるgradual integration等)。国際戦略環境やEU加盟国の外交戦略により、EU拡大に追い風の時期と向かい風の時期があることは明らかですが、今は追い風の時期と言えるでしょう。但し、いつまでこの「機会の窓」が開いているかはわからず。このチャンスをつかむことが、この国にとって死活的に重要と思われます。
(4)EU加盟には、法制度、経済・社会制度の改革が必須です。この面では、ここ数年進展がみられる分野も多いです。EUより提供される加盟促進のための支援(加盟前援助基金<IPA>や成長ファシリティー)を活用して、コリドー8や10といった、西バルカンにおける戦略的に重要な交通・輸送網の整備が進展中です。金融面ではSEPA(単一ユーロ決済圏)の導入によりEU加盟国との決済が迅速化しました。通信分野では、EU圏とのローミングが無料になるなど、一般市民に裨益する改革もみられます。一方、最大の課題と見られているのが、法の支配や行政制度の効率化の分野です。司法分野では、公権力の濫用や汚職に対する刑期の短縮、時効の短縮を定めた刑法改正が問題視されており、本年中の改善が求められています。また、行政分野では、公務員の縁故採用・昇進、行政手続きの透明性の欠如など、様々な問題がみられます。こうした問題は根深く、単に法令の改正だけはなく、社会全体の意識や価値観の変革なしには、実現は困難でしょう。こうした分野の改善のために、精力的な活動を行っているNGOも出てきており、その成果がでるよう期待されます。
3.日本との関係
(1)我が国との関係については、大使館が設置されたのは2017年と比較的新しいものの、国民は非常に親日的です。もちろん、アニメや和食といった日本文化や、西バルカンで人気の高い空手・柔道といった武道も一因ですが、最大の要因は、建築家丹下健三氏の貢献と名声のおかげです。
(2)北マケドニアの首都スコピエは、1963年に大地震に見舞われ、1000名以上の市民が犠牲になったほか、市内の約8割の建物が崩壊しました。国連が、スコピエの復興を支援しようと、スコピエ市全体の復興計画を公募し、選ばれたのが丹下健三氏のマスタープランでした。同氏は、スコピエで他国の建築家と共に復興計画の実現に尽力し、1968年には旧ユーゴスラビア連邦政府より勲章を授与されました。資金不足等のため、同氏のマスタープランのうち、City Gateとなるスコピエ中央駅及びCity Wallと呼ばれる高層住宅群だけしか実現されませんでしたが、この国が最も過酷な環境におかれていた時に、人々に勇気と希望を与える近代的な都市復興計画を提示したことは、広く知られています。

(3)政治面では、我が国は1993年12月に国家承認を行い、3ヶ月後に外交関係を開設しました。その後、在オーストリア日本国大使館が兼轄していましたが、2017年にスコピエに大使館を構え、定期的な政務協議の開催、活発な文化交流活動など、両国関係の奥行きと深さは徐々に拡大しています。特に、2024年には、外交関係開設30周年を記念した大型文化行事が数多く実施され、大統領、閣僚、多くの市民の参加を得て、両国の友好関係をさらに豊かにする契機になりました。
(4)両国の関係強化に非常に大きな役割を果たしているのは、JICAの技術協力、特に訪日研修です。外交関係開設以来、長年にわたって訪日研修プログラムを実施しているため、公的機関、学術界、経済界等、非常に広範な分野で、多くの訪日研修経験者が第一線で活躍しています。筆者が当地に赴任して一連の表敬訪問を行った際、驚くほど多くの方が、JICA訪日研修の経験者で、如何に研修が役に立っているか、そして日本の社会や制度を尊敬しているかを熱く語ってくれました。そのため、JICA研修生同窓会も大変活発で、メンバーも多い上、定期的に研修の成果発表会を実施しています。当館としても、研修生を公邸に招いて懇談し、同窓会の会長を外務大臣表彰に推薦するなど、その活動を最大限支援しています。
(5)このように、政治、文化交流、経済協力の分野では、両国の関係は順調に拡大・深化しているといえます。一方、経済面では、交流・協力はまだこれからで、なんとか強化のきっかけをつかみたいと考えます。貿易・投資両面での関係が十分発展してこなかった原因はいくつか考えられます。例えば、人口が少なく市場が小さいこと、天然資源に恵まれていない、EU加盟見通しがつかないことなどです。一方で、他国と北マケドニアの経済関係を見ると、投資を拡大して成功している国も目につきます。例えば、三大投資国のドイツ、オーストリア、トルコ等の企業は、金融・保険、建設、自動車・機械等の製造業、観光など、非常に幅広い分野で成功しています。加えて、最近、スイス、スウェーデン、中国の経済界は、当地に商工会議所を設置するなど、当国とのビジネス関係強化に力を入れています。
当国は、国土は小さいものの、西バルカン半島の心臓部に位置し、それゆえ歴史上何度も領土の奪い合いの犠牲になってきました。言い換えれば、如何に地政学上重要な場所かということの証左でしょう。将来、コリドー8及び10が整備されれば、文明の十字路だけでなく、ロジスティックスのハブとして鍵となる役割を果たすことも期待されます。右を念頭に、日本と当国のビジネス関係の促進に一層尽力したいと考えます。
