核兵器禁止条約と核抑止(その3)
-新たな軍備管理の展望-


元軍縮会議日本政府代表部大使 佐野利男

はじめに
 前回までに、核兵器禁止条約と核抑止(その1)で、わが国が核兵禁止条約に加入できない理由(禁止条約の問題点)、そして(その2)で、今日までNPTを軸に漸進的に進めてきた核軍縮措置がいかに重要なものかを若干詳細に解説した。今回は、その核軍縮措置の内、核兵器国(特に米露)により実施されてきた軍備管理が現在どの様な問題に直面し、今後どのような形態で進められるか、その展望を試みる。構成は以下の通り。

1. 今後の軍備管理交渉の形態とアジェンダ

(1) 多国間軍備管理交渉の必要性
(2) 新たな軍備管理交渉のアジェンダ

2. 米露中3カ国軍備管理交渉の実現に向けて

(1) 抑止と軍備管理
(2) 中国を如何に参加させるか

1. 今後の軍備管理交渉の形態とアジェンダ

(1)多国間軍備管理交渉の必要性
 2021年2月バイデン新米政権は新START条約を無条件で更に5年間延長することを決定した。この決定について米国内でも賛否両論があるが、いずれにせよ2026年まで米露双方にとり一定の「猶予期間」ができた。この猶予期間がどちらにとって有利か。露に新たな核関連兵器開発に時間を与えたとみるか、米国が最新鋭の軍事技術開発を更に進めると見るかで見解が分かれる。ただ、この期間に中国が様々な分野でその台頭を加速化することについては異論があるまい。
 新START条約の延長決定が期限間際まで引き延ばされたのは、米国が露に対し条約の延長に二つの条件を提示していたからだ。その一つは米露軍備管理に配備戦略核兵器のみならず、非戦略核兵器(戦術核)を含む全ての核兵器を含めること、二つ目は軍備管理交渉に中国を入れ、3カ国交渉にすることだ。中国は即座にこれを拒否した。理由は、未だ米露の核戦力と比較すると中国のそれは小さく(非対称性)、「将来米露が中国の水準まで核兵器数を削減するなら、中国はいつでも参加するだろう」(フー・ソン軍縮・安全保障司長)との立場であった。中国がこの時点で3カ国の軍備管理交渉に参加する目処は無く、最終的にバイデン新政権は、これら2条件を取り下げた形で新START条約の5年間延長を決定した。
 この2条件はもともとトランプ前政権が露に要求したもので、同政権の交渉スタイルには議論の余地もがあろうが、2026年以降の核兵器をめぐる軍備管理を展望するうえで有益な示唆を与えている。それは結論を先取りして言えば、今後の核軍備管理・軍縮交渉は従来の米露(ソ)2国間にとどまらず、多国間(少なくても米露中の3カ国か米露、米中の二国間、あるいは5核兵器国、交渉案件よってはインドを入れた4カ国)で交渉される可能性があること、また交渉対象も配備戦略核兵器を超えたものとなる必要があろう。そしてその交渉範囲は、単にトランプ政権が提唱した「非戦略核兵器を含む全ての核兵器」にとどまらず、それを超えたものにならざるを得ないと予測される。それは、今後国際安全保障を達成するためには、従来の米露(ソ)二国間のバランスを超えた米露中の戦略的安定を確保する必要があり、また、前世紀末からの飛躍的な軍事科学技術の発展及び人工知能(AI)の発達が核兵器システムに及ぼす影響を総合的に考慮する必要があるためだ。
 また、中国の軍備増強を規制したいのは米国のみならず露も同様であろうし、軍備管理のアジェンダを米中で決められることを嫌う露にとっては米中露の3カ国交渉にメリットを見出す可能性もあろう。
 尚、6月に開催された米露首脳会談に於いては、3パラグラフからなる共同声明が発表されたが、特にその中で「統合された二国間の戦略的安定性に関する対話」の開始につき合意されたのが注目される。「二国間」とは取りあえず中国抜きの米露で対話を進めること、また「統合された(integrated)」の意味は明確には示されていないが、従来の戦略核にとどまらず、後述する「戦略的安定」に関係する全てのアジェンダ(例えば、露が開発を急いでいる極超音速ミサイルや米国のMD等)を含意するものと考えられる。

(2)新たな軍備管理交渉のアジェンダ
 これまでの米露軍備管理交渉はSTARTプロセスに見られるように、主に配備された戦略核兵器及びその運搬手段の削減に主眼が置かれてきた。しかし前世紀からの軍事科学・技術の急激な進展が核兵器システムへ及ぼす重大な影響に加え、GPSやインターネットの普及など民間経済活動全般にとり宇宙空間の活用が不可欠になってきた現実に鑑みると、大国間の軍事関係のみならず、宇宙の戦略的安定の確保は急務であり、何らかのルール形成(条約、行動規範、政治的合意、モラトリウムなど)が益々重要になるものと考えられる。
 具体的には、以下の事項がアジェンダとして挙げられよう。

1) 欧州における非戦略核兵器(戦術核兵器)の扱い
2) ミサイル防衛(MD)の実装化
3) 最新精密通常兵器・極超音速ミサイルの開発
4) 核兵器システムへのサイバー攻撃
5) 宇宙空間の軍備管理

以下、各項目につきこれまでの経緯と現状を概観する。

 1) 欧州における非戦略核兵器(戦術核兵器)の扱い
 米の新旧政権は露に対し、新START後の軍備管理交渉の対象に非戦略核兵器を含む全ての核兵器を入れるよう要請した。実は、これまでの米露(ソ)の軍備管理交渉で、運搬手段としての地上発射型中距離ミサイルがINF条約によりが制限されたことはあるが、非戦略核兵器が直接削減対象になったことは無い。唯一冷戦終結後の1991年から92年にブッシュ・ゴルバチョフ(後継のエリツィン)大統領によるPNIs(Presidential Nuclear Initiatives)があるのみだ。これは条約交渉ではなく、「両国が相互に同様な行動を取る」ことを前提に、一方的措置として主に非戦略核兵器の削減を宣言したもので、内容は以下のようなものであった。

i)ブッシュ大統領の1991年発表内容(ただし以下c)は戦略核関係)
a) 全ての地上配備・非戦略核兵器ミサイル弾頭および核砲弾の撤廃
b) 水上艦艇及び攻撃型潜水艦からの非戦略核兵器の撤去及びその一部の解体
c) 全ての戦略爆撃機及びSTARTの下で削減予定のICBMの警戒態勢緩和
d) 移動式MXミサイル(*具体的にはピースキーパー・ミサイル)、移動式小型ICBMミジェットマン計画(*当時米軍が開発中の小型ICBM)及び短距離攻撃ミサイルの破棄

ii)これに対し、ゴルバチョフ大統領は以下の通り呼応した。
a) 全ての核砲弾、戦術ミサイル用の核弾頭及び核地雷の廃棄
b) 海上艦艇及び潜水艦に配備されている全ての戦術核の撤去
c) 海軍航空機から撤去した戦術核の中央備蓄庫での管理
iii)さらに1992年エリツィン大統領がこれを継承拡大し、
a) 海上配備の戦術核の1/3の廃棄
b) 地対空核ミサイル弾頭の1/2 廃棄
c) 航空機搭載の戦術核兵器を半減、残り半分を退役させ中央備蓄庫で管理する

との宣言を発した。しかし、PNIsは条約ではなく(宣言にとどまる)、その実施を監視する手段が無かった。実際、核弾頭を具体的にどのように管理するか、削減の実態をどのように検証するかなど問題が多々あった。従ってPNIsがどの程度実施されたかにつき、両国が正確に把握することはできなかった。このように、米露両国が一方的な宣言により核削減をコミットした背景には、冷戦後の緊張緩和の結果双方とも安全保障上膨大な数の核兵器を必要としなくなったこと、またそれらを維持することが財政的に困難であったこと、更には両国の核軍縮に向けたモメンタムを維持するために迅速に行動する必要があったことなどが挙げられよう。その後、1997年のヘルシンキ・サミットでクリントン・エリツィン両大統領により「新たなSTARTの枠組の中で非戦略核に関する協議を行う用意がある」旨の宣言がなされたが、2001年に米国が弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM制限条約)を廃棄したことからSTART-IIが実施されなかったため、非戦略核の協議は棚上げされたままの状況が続いた(ただし、ミジェットマン・ミサイルは冷戦後開発が中止された。またMXミサイルは後のモスクワ条約の対象となり、2005年に退役・廃棄された)。
 その後、露をめぐる国際情勢は大きく変化した。NATOの東方拡大、チェチェン紛争、露のジョージア侵攻、クリミア併合、ウクライナ問題、米国によるMDの欧州配備や「グローバル・ストライク」(CPGS:Conventional Prompt Global Strike)の開発など欧州を中心とする安全保障環境が激変した。そしてこれに伴い、露の核政策は対米戦略核を基本にしつつ、対欧州をより重視する政策へとシフトし、非戦略核を柔軟かつより広い局面で運用するものとみられる。
 ストックホルム平和研究所(SIPRI)によれば米露の非戦略核保有数はそれぞれ230発、1875発(IISS:国際戦略研究所は1830発と推定)と圧倒的に露が優位で、NATOはこれを欧州正面における戦略的安定にとり大きな脅威とみている。米国にとっても2010年に発効した新START条約が非戦略核をカバーしてないがゆえに重大な懸念材料だ。これに対し、露は非戦略核は専らNATOの核シェアリングにより、独、蘭、ベルギー、イタリア、トルコに配備されている非戦略核(B61)とのバランスをとる上で必要だとしている。実際2017年以降、米がポーランドとバルト3カ国に多国籍軍を展開し、かつ東欧のMD強化を表明すると、ロシアはこれを安全保障上の脅威とみなし、飛び地であるカリーニングラドに射程距離500㎞のイスカンデル約400基を配備した。これで近隣諸国の首都(ワルシャワ、ビリュニス、リガそしてベルリン)が射程内に入る。NATOの懸念はイスカンデルがクラスター弾などの通常兵器のみならず核搭載が可能であること、INF条約違反の可能性があること、そしてカリーニングラドが従来から露のA2AD(接近阻止・領域拒否)の戦略的要衝であり、いよいよこの地に核兵器を実戦配備するのではないかとの点であった。このように露は非戦略核が欧州正面における戦略的安定にとって不可欠であることを十分認識しており、米国からの譲歩無くしてこれを軍備管理交渉の俎上に載せる可能性は小さい。実際、2021年11月、アントノフ駐米露大使は、モントレー不拡散センターの国際諮問委員会で、「米が核シェアリングを停止することが非戦略核の協議に応ずる条件である」旨述べている。また、米露INF条約が廃棄された現在、従来からフリーハンドを享受してきた中国の極東への地上発射型ミサイル配備の継続、及び露の特に核搭載可能なミサイルの極東配備が日本の安全保障上の重要な問題となることは明らかで、米露の新たな軍備管理交渉には、ヨーロッパ正面のみならず、極東を含むことが不可欠になる。

 2) ミサイル防衛
 他方露にとっては、米国のMD、特に東欧諸国へのXバンド・レーダー網の設置と弾道弾迎撃ミサイル(interceptors)の配備は大きな懸念事項だ。米国はミサイル防衛網の配備はイランや北朝鮮のICBMから米本土を防衛するものとしているが、露にとってはレーダー網の東欧への配備は自国の懐を覗かれる脅威がある。また、トランプ前大統領の「ミサイル防衛網は米国への如何なるミサイル発射からも米国を守るものだ」との発言が露の懸念に油を注ぐものとなった。露はMDとICBMにつきこれを盾と鉾にたとえ、MDは戦略的安定を崩すものだとしている。そして核兵器と運搬手段の数を制限する従来型の軍備管理条約にMDを含めたいとするのが本音だ。実際露は新START条約交渉過程で(2010年)既に米国のMDを制限するよう主張した経緯がある。また、露はこれを東アジアにも適用し、日本などへのMD配備を牽制する発言を繰り返している。
 しかし、現在の米国及び同盟国が配備しているMD網の主眼はイランや北朝鮮のICBMへの防御であり、数の面でも能力の面でも、露の夥しい戦略核搭載のICBMを無力化するまでには至っていない。しかし2020年に米国のイージスSM3ブロックIIがICBMの迎撃実験に成功したことが露のMD開発、そして米のMDを通す攻撃兵器(極超音速ミサイル等いわゆる「エキゾチック」な兵器)の開発を刺激しており、米露間の軍備競争の激化が生じている。露としては今後とも米のMD技術の発展や配備状を警戒するであろうが、軍事技術で優位に立つ米国がMDの制限を受け入れることは無いだろう。これはちょうど冷戦末期の米ソ軍備管理交渉でソ連が米国のSDI(Strategic Defense Initiative)を制限する主張を累次にわたり強く提案したにもかかわらず、時のレーガン政権が最後までこれを拒絶した事情に酷似している。米国が自国に優位性のある宇宙軍事関連技術のMDへの適用制限に譲歩することは考えにくい。

 3)最新精密通常兵器・極超音速ミサイル開発
 米国のMD開発・実装化に対抗するため、露は新たな兵器の開発を急いでいる。また、中国も同様な動きを見せている。米国にとっては露中の最新精密通常兵器・極超音速ミサイル開発が安全保障上の懸念事項となっており、バイデン政権はこれに対抗すべく同様な兵器の開発・実装化を優先事項としている。露は2008年のジョージア紛争で軍備の劣悪さを露呈して以降、軍改革(コンパクト化、近代化、兵士のプロフェッショナル化)を断行した。
 軍事支出は2005年から2018年までにほぼ倍増し、1500億から1800億ドル(16兆円から19兆円)にまで膨張している。これは中国が公にしている軍事支出に相当する額だ。この多くは装備の更新、新兵器の購入に充てられており国際戦略研究所(IISS)の報告によれば、2007年には戦闘機、装甲車はそれぞれ97%、99%が旧式だったものが、2020年には27%、71%が最新式になっている。また、前述の地上発射型短距離弾道ミサイル(イスカンデル)や水上発射型巡航ミサイル(カリブル)、空対地長距離ミサイル(Kh-101 )などの精密誘導ミサイルで、欧州のほぼ全域を射程に入れている。
 露がそもそも極超音速ミサイルを開発した背景には米国のABM制限条約からの脱退があると言われる。ABM制限条約の破棄により相互確証破壊(MAD)が終焉し、米のMD開発が進んだ。これが露に新たな戦略的安定の必要性を痛感させ、MD網を通過するとされる極超音速ミサイルの開発を加速化させた。また、ロシアは極超音速滑空兵器(HGV)Avangardなどを開発しているが、米国によるMDの開発・改良、実戦配備は露の軍備管理関係者の大きな懸念材料であり、新型兵器の開発をさらに進めることが予想される。
 また、中国は2021年8月に核搭載可能な極超音速ミサイルDF17 の実験に成功したとしており、地球の低周回軌道に投入後、落下させた模様だ。これは、もともと宇宙開発の一環として軍により開発されたもので、国際条約(宇宙条約)違反の疑いがある。これは、対艦弾道ミサイルDF26 とともに、中国の海洋進出を牽制する米、英、加、豪、日本などの空母打撃群を含む共同演習に対し、これら「妨害」を排除する軍事能力を誇示することが主眼とみられる。しかし、実際これらミサイルはグアム米軍基地、在日米軍基地、更には米空母打撃群に対抗する能力を有しており、空母遼寧及び新たな空母建設の動き(001A型空母、002型空母の建設、2030年までに4隻の空母を保有する可能性あり)と並び、米国を中心とする西側同盟との軍事対峙を念頭に「軍拡」が当面続くであろう。従って、アジア太平洋における米及び同盟国の対中抑止力の強化とともに、補完的役割として米中軍備管理の有効性が検討されても良い状況にある。

 4)核兵器システムへのサイバー攻撃
 サイバー攻撃は、核兵器システムにおけるC4ISR(軍事活動における指揮、統制、通信、コンピューター、情報、監視、偵察:Command, Control, Communication,Computer and Intelligence, Surveillance and Reconnaissance)を攪乱し、核兵器発射にかかる早期警戒システムを誤作動させるなど重大なダメージを与える。核兵器関連施設へのサイバー攻撃は今後ますます深刻な脅威になり、これは軍備管理交渉に十分熟した問題だと考えられてきた。特に核兵器システムの指揮・統制系統及び早期警戒システムへのサイバー攻撃については核ミサイルシステム全体を攪乱し得るものであり、それへの対応が喫緊の課題となっている。条約交渉を開始することが難しい場合、相互のダメージを最小化するため、これを禁止する政治的な共同声明か行動規範などを早急に用意する必要がある。
 そもそも中国のサイバー能力の開発は1990年以降の湾岸戦争、コソボ紛争、アフガン紛争などにおける米国の圧倒的なハイテク兵器、情報技術に端を発した。1993年に中国軍は既に軍事戦略ガイドラインで、今後はサイバー技術を含む情報戦略が死活的に重要であることを認識している。2013年版の「軍事戦略の科学(The Science of Military)」で、中国は初めてサイバー戦を総合的な観点から位置づけている。それは「サイバー空間は今日の軍事対立における新しく不可欠な分野だ」とした。また、2015年の国防白書「中国の軍事戦略」では、サイバー空間を「経済社会開発そして国家安全保障の新しい柱」と位置付け、中国は8つの巨大企業である、Apple、Cisco、Google、Intel、Microsoft、Oracle、Qualcommから脱皮し、独自のインターネット企業を創出すべきとした。そして「中国のサイバー空間における主要目標は、死活的に重要な分野における情報セキュリティーを確保することであり、それは本質的に攻撃的なものではない」とした。このような中国のサイバー能力に対しては米国においても強く警戒する立場と冷静な見方がある。ジョセフ・ナイは「中国への過度な警戒が紛争を招く可能性」に言及している。実際、ICT(Information & Communication Technology)開発インデックスによれば、中国は11の項目について176カ国中、80台にとどまっており、世界のウェブサイトにおける中国語の使用は2%以下と英語(約54%)の遥か後塵を拝している。
 他方、コペンハーゲン大学軍事研究センターの分析では、中国のサーバー攻撃の目的は、1)外国の重要インフラへ浸透することによる抑止力の獲得、2)軍事技術や情報の諜報、3)経済的優位性を得るための諜報、の3つにあるとし、これには米国の核関連研究所、国防省等の政府機関、送電網などへのサイバー攻撃が含まれるとしている。同時に、同研究所は米国等においてサイバー関係予算の確保のため中国サイバー能力を過大視する傾向にも言及している。ただ、RAND研究所が指摘するようにサイバー戦がC4ISRにダメージを与え、核兵器システムを不安定化することは明らかで、中国は最新の情報技術戦を戦うために宇宙空間やサイバー空間における電子戦能力の向上(統合された戦略的抑止能力)を進め、米国及び同盟国の重要インフラへの攻撃能力を高めているとみられる。
 今後のサイバー分野におけるルール・メイキングに於いては2015年に締結された「米中サイバー協定」が中国の浸透を制限する第一歩になることが期待される。これは通商上の秘密や企業の機密情報を含む知的財産をインターネット経由で盗取しないことを定めているが、現実にはその後も中国政府と関係するハッカーによるCroud Strike社はじめIT企業や製薬会社7社への攻撃が疑われており、協定の実効性が問題となった。
 その後、トランプ政権は2019年カナダ政府に要請して中国IT大手企業ファーウェイの副社長逮捕を含む強硬姿勢をとった。これは米国国防当局や専門家が10年以上前から警告してきたことを実施したもので、決してトランプ政権の唐突な措置ではない。米国下院の特別委員会は既に2012年の調査報告書でファーウェイと中興通信(ZTE)を名指し、両者の製品が諜報活動のツールになり得、米国の安全保障上の脅威になりかねない旨を警告していた。これは、次世代の通信規格である5Gの開発で先頭を走るファーウェイに次世代インターネットの覇権を握られることが、米国の安全保障上重要な脅威となるとの認識のもと、トランプ政権が取った勇断であった。実際、中国にIT分野で覇権を取られることは、今や経済社会の基盤を形成するインターネット全体を機能不全に陥らせ、電力、交通、金融、更には軍備関連の通信や核兵器システムに重大な影響を及ぼす危険がある。

 5)宇宙空間の軍備管理
 宇宙空間の軍備管理については衛星破壊兵器(ASAT:Anti-Satellite Weapons)が問題となる。地球軌道上の軍事衛星、あるいは民生用情報衛星を破壊する兵器の開発・実験は米露とも1960年代から始まり、数十年遅れて中国とインドがこれに追随する形となった。当初米露に於いては、軍事衛星は、ICBMの早期警戒、相互の軍事的脅威を評価するための情報収集、ミサイルの正確な標的と運航航路の確保、後年C4ISRと称される核兵器システムの運用管理・指揮命令統制などの確保のために不可欠であった。この内、ASATは特にミサイル発射早期警戒システムや偵察システムに大きなダメージを与え、今日では、核兵器システム、MD、サイバー防衛システムが機能不全に陥るリスクがある。これが主要国間の戦略的安定に多大な影響を及ぼすため、国際社会として、軍事上も民生上もこの能力をマネージすることが求められている。
 米露間のASATをめぐる確執は、今日この問題を考察するうえで極めて有意義な材料を提供してくれる。
 宇宙空間の管理は、1963年の部分的核実験禁止条約により、宇宙空間の核実験が禁止され、1967年の宇宙条約により宇宙空間に大量破壊兵器を配備することが禁止されたことに始まる。また、1972年のABM制限条約では、宇宙空間へのABMの配備及び条約の検証に必要な衛星への攻撃を禁止した。ASATを禁止する条約交渉は、ソ連が一貫してこれを推奨し、1983年に多国間条約案を国連の提出している。内容は以下の通りだ。

a) 宇宙空間、大気圏及び地球上の標的・物体に対する武力の行使及び威嚇を禁止する
b) 宇宙空間、大気圏及び地球上の標的への攻撃を目的とする宇宙空間上の如何なる武器の試験や展開を禁止する
c) 米ソ以外の国の宇宙物体を破壊、損傷、遮断し、それら衛星の通常の機能を損じること
d) 既存のASATを廃棄し、新しいASATの試験・開発を禁止する
e) 宇宙空間における軍事目的の有人飛行物体を禁止する

 しかし、これに対しレーガン政権は、ASATシステムの禁止は米国及び同盟国の安全保障に資さないとの立場を崩さなかった。それはソ連の軌道衛星からの対地上核攻撃に対抗するためにはASATの研究開発が必要であると考えられたためであった。そして、ソ連の条約案の問題点として、効果的な検証が不十分であること、ソ連の脱退の可能性(猜疑心)、ASATの定義が不十分なこと、機微情報を開示せざるを得ない可能性、ASATの研究・開発が米国の抑止に必要なこと、等を挙げた。他方、ソ連の立場は、ソ連は宇宙空間にASATを配備する最初の国にはならない、米国が宇宙空間に如何なるASATも配備しない限り、ソ連は一方的にASAT発射のモラトリアムを宣言するというものであった。この当時の米ソの立場の相違や主張が現在もASAT問題を考える上での基礎になっている。
 その後、2007年、中国は役割を終えた気象衛星(Feng Yun-1C)を弾道ミサイルで破壊し、多くの破片(debris)を宇宙空間にまき散らしたが、これが各国の衛星への脅威となったことから国際的に大きな批判を招いた。これは地上発射型のASATに他ならない。翌2008年米国も旧くなった気象衛星の落下を防ぐためとして、これをSM-3ミサイルで破壊した。
 これらの動きに危機感を抱いた欧州連合(EU)は、2008年に宇宙空間の利用に関するガイドライン作成に向けて交渉を準備し、2012年に「行動規範(Code of Conduct)」の案文を国連に提示した。これは法的拘束力を持たない「政治文書」であったが、このEUによるイニシアチブの背景には、ASATが単に軍事的に脅威であることはもちろん、経済活動における通信、気象情報、GPS関連衛星、純粋な科学的研究に多大な支障を及ぼすものであり、多国間交渉に値するとの判断があった。しかし、2015年に始まった交渉に於いて、当時のオバマ米政権は、会合は支持するとしつつも、ASATのテストに関するモラトリアムの交渉には後ろ向きであった。また中国は法的拘束力のない合意に乗り気ではなかった。
 ジュネーブ軍縮会議に於いては以前から「宇宙空間における軍備競争の防止」(PAROS)が議論されてきたが、2008年には中露が「宇宙空間に於ける兵器配備防止条約」案(PPWT)を提出した。しかしこれも前述の米ソ間のやり取り同様、定義の曖昧さ、検証可能性を問題とした米国等により反対された。
 その後も中露は軍縮会議に於いて政府専門家会合(GGE)の設置を要求し、このGGEは2017年、「宇宙空間における軍備競争を防止するための条約に必要な要素」を軍縮会議に勧告した。これをもとに中露は条約案文を提示したが、米国をはじめとする西側諸国は、宇宙兵器の定義が曖昧、地上発射型のASATをカバーしていない等を問題視し、交渉が始まることはなかった。
 2019年、インドは迎撃用弾道ミサイルを試射し、軌道上の衛星を撃ち落とした。モディ・インド首相はインドが米露中に継ぎ4番目のASAT国になったと誇示したが、これが中国へのメッセージであることは明らかであった。
 2019年の米国防情報局(DIA:Defense Intelligence Agency)の報告書によれば 中国は過去十年間にASATの開発に多大な投資をしてきており、妨害電波発生装置(jammers)、運動エネルギー撃破飛翔体(kinetic kill systems)、レーザー光線、軌道上に配備された攻撃体(on-orbit systems)を含む技術を開発してきた。これが、宇宙空間の安全保障にとり脅威となりつつある。また、米国国家情報長官(DNI: Director of National Intelligence)のDaniel Coats氏は議会証言で、中露は宇宙軍の訓練をしており、新型のASATを配備しようとしている、これが米国及び同盟国の宇宙利用を危殆にさらしていると述べている。
 2020年、露は自国の衛星を他の軌道上の衛星に接近させる行動に出た。
以上の経緯から、ASAT問題をマネージすることが、米露中(及びインド)間の戦略的安定を確保するうえで重要であり、今後の軍備管理交渉の対象になり得るものと考える。

2.米露中の3カ国軍備管理交渉の実現に向けて

 (1) 抑止と軍備管理
 以上、今後の軍備管理は従来の「米露二国間」で「配備戦略核兵器及びその運搬手段」を対象とするものから、「米中露三カ国」あるいは三か国以上で、上記の非戦略核兵器、MD、サイバー、ASAT、などを含む宇宙空間の軍備管理にならざるを得ないものと考える。
 これまでの米露間の軍備管理交渉あるいは提案の歴史を顧みると、米と露中間に顕著な違いを観察することができる。それは米国にとって、露中の軍事的脅威を抑止するにはあくまで圧倒的な軍事力をもって対抗することが第一であり、軍備管理条約は、戦略的安定を高め、抑止力を強め、高コストな軍備競争を抑制可能な場合に、軍事力による抑止をいわば「補完」する役割を果たしてきた。抑止が「主」で軍備管理が「従」という姿勢が一貫している。
 これは、トランプ前政権下で創設された宇宙軍のドクトリンにおいても観察される。そこでは、「宇宙軍の第一義的目的は、抑止により米国の利益を確保することであり、必要な場合には武力の行使」を厭わないとされ、目的は宇宙空間に於ける露中の脅威から米国及び同盟国を防衛することにある。これに対し、ソ連(露)そして近年の中国の動きを見ると、一貫して法的拘束力を持った軍備管理条約交渉を提案し、宇宙開発能力に優位性を持つ米国の先進技術能力を制限しようとしてきた。旧くはレーガン政権下でSDIを軍備管理の対象とすべく腐心したゴルバチョフ書記長、ABM制限条約の廃棄に抑制的ながらも反対したプ-チン大統領、「宇宙空間に於ける兵器配備防止条約」を目指す露中のPPWT提案、米国のMD開発を軍備管理交渉の対象にし、規制しようとする露中の指導者。これらの試みは米国の宇宙関連先端技術がMDやASAT技術に適用される事態を恐れ、これを牽制し、米国の抑止力を制限しようとするものだ。
 確かにトランプ及びバイデン米政権は、露に対し、新STARTの後継条約の交渉範囲を非戦略核を含む全ての核兵器に拡張することを提案すると同時に中国の参加を要請した。前者は、米が露の非戦略核に対して脅威を抱き、これをキャップしようとする動きであるし、後者はサイバー攻撃能力、極超音速ミサイル、ASATの開発における中国の先端軍事技術の急激な飛躍に対する脅威認識の表れであろう。従って、米にとり2026年までの5年間、米国が優位に立つ軍事技術を中心に、露中に対する抑止力を強化するとともに、中国をどのように軍備管理交渉に参加させるかが課題となる。具体的には、戦略核兵器や関連インフラの近代化、米国及び同盟国の宇宙空間やサイバー空間に於ける脆弱性の克服、アジア太平洋における通常兵器抑止力の向上及び同盟国への地上発射型ミサイル(INF)の配備、同盟国間の結束強化を進めて抑止力を強化すると同時に、それらを補完するものとして、以下に示す様々な手法をもって、段階的に軍備管理条約交渉の準備に乗り出すものと考えられる。

(2) 中国を如何に参加させるか
 2026年以降に大国間の軍備管理条約がどの様な形態をとり、何を対象とするか、具体的にはどのように中国を巻き込んでゆくかが目下の課題だ。そしてそれはこの5年間に何をなすべきかにかかっている。前述したように、来る5年間に米国が先端軍事技術に裏打ちされた圧倒的軍事力をもって、中露への抑止力を強化していくことが、逆に中国をして米国との軍備管理交渉に臨まざるを得ない状況を創るかも知れない。それが理想的だ。しかし、中露特に中国の軍備増強、就中核弾頭の急速な増加及び攻撃手段の多様化を想定した場合、現実的には抑止の強化と並行して露中との軍備管理交渉の下準備を周到に進めることになろう。その際、中国がこれまで軍備管理交渉の経験のない国であり、検証特に現地査察(on-site inspection)に警戒心を抱いていることに留意する必要がある。
 一般的に軍備管理交渉を始めるには、1)当事者の透明性が確保されること、2)当事者間で信頼関係が保たれていることが前提となる。核軍備について核弾道数や運搬手段の種類や数などの初期数(baseline)がわからなければ、何をどれだけ削減するか、何を検証するかが意味を持たない。また、歴史的に形成されてきた相互の猜疑心を解消することは難しいにしても、合意形成には不正行為を行わないとの最低限の「信頼関係」が必要だ。残念なことに現在中露特に中国の軍備に関する透明性は5核兵器国の中で最も低い。中国はむしろ軍備の不透明性を核政策の一端としている。また、今や冷戦終結後の国際協調の時代は遠のき、「大国間競争」の時代において、米国と露中の関係はかつてないほど悪化している。このような困難な時代にどのような方法で米中露の軍備管理交渉を進めることができるだろうか。特に米中の関係につき、以下に幾つかの提案を見てみる。
 (尚、米中間には2006年に設立された「戦略経済対話」の枠組みがあり、以降オバマ政権を経て、トランプ政権下で「外交安全保障対話」「法執行・サイバーセキュリティー対話」等4つの年次会合が設立されたが、いずれも1-2回の開催で立ち消えとなった。オバマ政権下では、宇宙安全保障に関する議論が行われた経緯がある。)

a) 宇宙空間の衛星等物体の衝突や破片(space debris)問題に関する行動規範(法的拘束力を持たない)の協議を始める。
b) NASAが主導しているアルテミス合意(Artemis Accords:2020年10月米英日等8か国で合意された宇宙空間に関する基本合意を定めたもの。宇宙の平和利用、透明性の確保、科学データの共有、宇宙資源の利用、相互干渉の防止、スペース・デブリ対策などを内容とする。現在ウクライナを含む12カ国が加盟)を通じ宇宙空間の安全で透明な環境整備への中国の参加。
c) 緊急な弾道ミサイル発射につき相互に事前通報する。
*これらは米中の軍民がともに裨益する措置であり、相互の信頼醸成にも資する。
d) 中国を米露新START条約の査察(inspection)或いは疑似査察に招く
*これは二国間軍備管理の経験のない中国に査察の実態を経験してもらい、査察特に現地査察(on-site inspection)が機微な軍事情報の漏洩にならないよう注意深く行われている慣行を周知させるとともに、査察の訓練を提供するメリットがある。
e) 米国核リスク低減センター(Nuclear Risk Reduction Center:弾道ミサイル発射事前通報、国際サイバー事象通報などの窓口機関)と中国のカウンターパートとの交流を促す。
f) 米中二国間戦略協議の開始
g) 米中露三カ国による戦略安定協議(アジェンダによりインド、英仏の参加)

 これらは徐々に段階を踏んで中国を三カ国による戦略協議に参加させ、軍備管理交渉に至る道筋をつけるものだが、もっと直截的に米中が関心を抱く問題につき軍備管理交渉を提案するものもある、例えば以下の提案がある。

a) 米国がMDを交渉の俎上に載せる。
b) 核兵器と宇宙における軍備管理を統合する。例えば核兵器削減と地上発射型ASAT発射に関する米中共同のモラトリアムを組み合わせる。この提案の背景には、圧倒的に優位に立つ米国の宇宙軍事技術の優位性が、中国の核政策の中心をなす「第二撃能力の残存」を無力化するのではないかとの恐れがある。米国による地球軌道発射型の対地ミサイルの開発は、中国にレーガン政権下のSDIを彷彿とさせるものだ。
c) 米中間で戦略ミサイルと戦域ミサイルの総数を交渉する。中国の対米懸念は米国の戦略核による第一撃の恐れであり、他方米国の対中懸念は、中国のアジア太平洋地域における地上発射型弾道ミサイル及びクルーズ・ミサイルの配備だ。これにSLBMの発射機数と重爆撃機数を入れて、総数を交渉する。現在は米中ともほぼ同数の戦略ミサイルと戦域ミサイル数であり、これをプロラタで削減するとの提案だ。たまたま露の総数もほぼこの水準であることから三者で軍備管理交渉に入れる可能性がある。
d) アジア太平洋地域に展開する中国の地上発射型弾道ミサイル、クルーズ・ミサイルの内、核兵器搭載可能なミサイルに絞り、米国との間で軍備管理交渉をする。INF条約から脱退した米国はこの地域にINFを展開するフリーハンドを有しており、これは、この地域の海洋進出を企てる中国にとっては深刻な懸念材料だ。この提案は地域の緊張関係を核のレベルにエスカレートするリスクを事前に低減するものであり、かつ通常兵器の弾頭は対象外なため中国のA2AD(接近阻止・領域拒否)政策を必ずしも阻害しないとみられる。

おわりに
 米露の軍備管理の歴史が示すように、軍備管理条約は抑止力を補完するものとして機能してきた。同時に、軍備管理条約が有効な「安定期」は、双方にとって抑止力を高めるための時間を稼ぐ期間でもあった。2026年までの5年間もこの例外ではないであろう。
 しかし軍備管理自体が有するメリットにも着目すべきだ、それは第一に軍備管理条約が軍備の現状を固定するのみならず、逆行を防止する効果(ratchet effect)を有することだ。現在のように米露中の大国間競争の時代になり、米と露中の関係が悪化しても新START条約をはじめとする関連条約は自らの役割を果たしている。第二に、当然ながら軍備管理条約は軍備拡大のコストをいわば「肩代わり」する。これは経済的に劣勢な核兵器国にとっては貴重だろう。そして第三に軍備管理条約(交渉)は、対立する当事者を同じテーブルに着かせる。これが交渉に臨む当事者間の信頼醸成に資するのは間違いない。
 翻って見ると、自国の安全保障を確保するのに、軍備管理条約は現状維持型の政治経済体制と親和性を持つようだ。他方、ダイナミックに発展する自由な政治経済体制には、競争を通じた抑止力の強化に投資する力がある。市場原理を導入して第二の経済大国にのし上り、1990年初頭から急激に軍備を増強し、先端軍事技術により最新の兵器開発を継続する中国が、今後抑止と軍備管理につきどのような道を選択するかが注目される。

(本稿は個人の意見を述べたものであり、いかなる組織の見解を示したものではない)